書名 位置
著者名 石原吉郎
初出 1961年8月 同人誌「鬼30」
しずかな肩には声だけがならぶのではない
声より近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
そのひだりでもない
無防備な空がついに撓み
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それが
最もすぐれた姿勢である
この詩にはじめて触れたのは20歳のころである。あるいはその前かも知れない。ソビエトの捕虜収容所帰りの経歴とともに感じられた、断言調の詩句の厳しさに酔った。自分は勇敢な若者であると装うとした。地位も金も名誉も持たない一介の青年に「無防備」という言葉は、親しく感じられた。近くに敵がいるという圧迫感も、当時は違和感のない概念であった。不合理と思う社会から身を護る何もない状態を突き詰めていくと、武器となる。「無防備な空がついに撓み 正午の弓となる」というフレーズに、自分への励ましを勝手に読み込んでいた。
1977年11月石原吉郎は亡くなる。1978年1月、当時立教大学法学部助教授であった栗原彬は「二つの“収容所列島”」を東京新聞に載せた。石原吉郎が強制収容所で体験した一望監視下に置かれた様子と、70年代最後の時代の様相を「似た」状況だと論じた内容である。5列の隊列で作業に行く囚人たちの姿と、通勤列車の陣取り競争をする姿とをダブらせて、70年代最後の時期の日本社会に生きる人々を「私たちは自分の行為は強いられたものではなく、自分が自発的に意志したものだという自分への言いくるめを行う。つまり形容矛盾的な『自発的服従』の中に私たちは生きている。組織主導型の管理社会にふさわしい自己管理方式によって、私たちは客観的には組織や国家に動かされながら、主観的には自分の意志で動いていると信じている。」
このような単純な比較でも、納得し「いのちの声を聞こう!」という栗原彬の呼びかけも率直に感じられた。新聞の切抜きを持っているということは、当時、何らかの感銘を受けたためであろう。
「位置」を再び読み返して当時のような強烈な印象を受けない。断言調の詩句にこころがまっすぐに乗っていけないためであろう。あまりも長い間「自発的服従」に慣れて、「いのちの声」を発する声帯も失い、聞く耳も遠くなってしまったからなのか。無防備な位置に立てるほど勇敢でもなく、撓んで弓とはならない。断言も利かない21世紀、「自発的服従」などと分析しても、それは言葉だけのことと、今は思う。
そしてさらに思う。「位置」を書いた当時すでに46歳となっていた石原吉郎は私が思い込んだほどに積極的に社会に向かう姿勢を断言したのではなく、逆にへこんだ弓のような気持ちをもって、実体験としての強制収容所から、そして実社会の戦後社会から逃れる「勇気」(そういうものもあるのだ)を込めて描いたのが断言調の「位置」であったかも知れない。強い口調で語るのは、弱い心を悟られぬようにするためとも思う。断言、断定を自分のうちから退け、したたかに腰をすえて社会に臨む姿が必要ではないだろうか。
栗原彬によると「酒をくらい、風呂に入ったことによる死」だ。石原吉郎が亡くなった62歳までには間がある。「酒をくらい、風呂に入ったことによる死」にならないように気をつけなければならない、と少しばかり思う。(2004/3/9)

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