書品 塵溜
著者名 川路柳虹
初出 1907年(明治41年) 雑誌「詩人」
「塵溜」(はきだめ)は1907年8月に発表された。川路柳虹(川路 誠 1888-1959・明治21年-昭和34年)が19歳の時に発表した衝撃的な作品である。塵溜の蒸された臭いが鼻の周りに立ち込めてくるような現実透視の作品である。
隣の家の穀倉の裏手に
臭い塵溜が蒸されたにおひ、
塵溜のうちにはこもる
いろいろの芥の臭み、
梅雨晴れの夕をながれ漂つて
空はかつかと爛れてる。
この後は塵溜の芥(ごもく)に埋もれて生きる稲の虫やみみずの様子が描かれ、川路柳虹の塵溜の蟲螻(むしけら)に対する思い、情緒が口語で次のように表現された。
そこにも絶えぬ苦しみの世界があつて
呻くもの死するもの、秒刻に
かぎりも知れぬ生命の苦悶を現じ、
闘つてゆく悲哀がさもあるらしく、
をりをりは悪臭にまじる蟲螻が
種々のをたけび、泣聲もきかれる。
塵溜の現実を惨(いたま)しい「運命」ととらえ、蟲螻の悲しみをかんじている川路柳虹の思いは何であったのだろうか。しかし、たぶん川路柳虹は塵溜に何かを象徴したのではない。そこにある塵溜を見たまま感じたままに描いたのだ。誰もそんなものは描くこともなく、描く必要も認めなかった現実をそのままに描いて見せた作品が「塵溜」であった。わたしは塵溜の現実を明治末年の日本の現実の表現として深読みをしないように戒めなければならない。「路傍の花」の序文で川路柳虹は「詩が心の叫びである限り、その言語が心の表情である限り、その用語の口語と文語とを問はず、韻律は存在する」と語っている。だが、川路柳虹の心の叫び、表情が見えてこない。近代的な個の自覚を表現するスタイルとしての口語自由詩が散文の単なる分かち書きにならないためには、強い問題意識が必要であった。発表当時の衝撃は塵芥の臭いを不意に鼻先に突きつけられた衝撃ではなかったか。臭いとともに衝撃も去っていく。日本文学史では以下のように位置付けられている。
「新詩の革新は、まず自然主義の排技巧論の影響から文語定律詩の形式的行詰りを打破すべく、口語自由詩の運動が起り----酔名らが『文庫』解体後に設立した詩草社から創刊(40年)された雑誌『詩人』によって行われ柳虹の『塵溜』(41年)以下の口語詩が同誌に発表された。この先駆的な詩作は俄然当代詩壇に大きな影響を及ぼし、後柳虹の詩集『路傍の花』(43年)に結実したもので、口語自由詩運動の初期に注目すべき足跡を印した。」(日本文学史辞典 藤村作、西尾実 日本評論新社)
川路柳虹は「天津神に背くもよかり蕨つみ飢し昔の人をおもえば」と辞世の句を残した徳川家譜代陪臣頑民川路聖謨の末裔である。心の叫びとしてどちらに真実があるのかは明らかである。これは抱えていた現実意識の相違である。(2004年7月18日)

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