楽書快評
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書名 日本の地名
著者名 谷川健一
初出 1997年 岩波新書
 断絶と連続とが形作る私たちの身近な歴史を知ることなしには、現在、未来を自分たちの力で拓いていくことはできない。古来からの地名が、行政によって改ざんされることに怒りを覚える谷川健一が、暮らしの道連れとしての地名を大切にしてほしいとの思いを込めて「日本の地名」を書いた。さらに、今日、平成の大規模合併が各地で進んでいる。合併により、ここでもまた古くからの地名が消え珍妙な名前に取って代わられようとしている。土地のいわれが分からなければ、郷土の歴史も分からない。
 「日本の地名」は4章からなっているかが、黒潮の流れに乗って地名が伝わっていく第1章と、中央構造線に沿って伝わっていく第2章とが魅力的である。その後の白鳥伝説や外来地名の論述は軽く触れたという感じがある。
土井が浜ー白鳥を抱く少女 先年、私も友人K,T両氏と山口県の土井ヶ浜を訪れたことがある。谷川健一は「土井ヶ浜と呼ばれる砂丘を発掘したとき、百数十体の弥生人骨にまじって、鵜の骨を胸に抱いた少女の骨がまじっていたということをここに記して置こう。」と述べている。鵜飼は南中国から伝わったものと谷川健一は語る。鵜は常世からの使いであるともみなしている。鵜を抱かせて葬った父母の嘆きを私たちは近くに思うことができる。
 このように弥生時代のみではなく、昔からのといっても近世になって広まった地名もある。私たちは昔からの「昔」がいつの時代の昔なのかを慎重に測らなくてはならない。日和山という地名は全国に80箇所もあるという。外海に面した港の近くの小高い山に付けた地名である。その地名がうまれたのは「17世紀の後半、外海を突っ切って走る千石船と称する大型の帆船が出現した頃である。」と分析する。風待ちの港にあって日和を定めるには海を見渡せる小山の必要が感じられていたのだ。もちろん、小山の必要はさらにさかのぼることはできる。奈良時代、任地から帰る紀貫之は天候次第の船旅で京都に戻る。帰る直前に亡くなった娘を思いながら綴った「土佐日記」に「夜んべの泊りより、こと泊りをおひてゆく。はるかに山見ゆ」と描かれた「昨夜の港から他の港(こと泊り)を目指して行きます」の他の港は阿波国の日和佐のあたりと思われる。17世紀に広まる以前から、日和という地名は港近くに存在した。
 海に暮らす人々が必要から名づけた地名がある一方で、山に暮らす人々が名づけた地名も多き。フォッサマグナは北陸海岸の糸魚川から長野県北部の大町をつなぐ渓谷にいたる。中央構造線は諏訪湖に発し、天竜川をくだり、渥美半島から紀伊半島にいたって紀ノ川をとおり、四国の吉野川、佐賀関半島を経て熊本県の八代で終わる大断層である。
 松尾芭蕉は「更級紀行」で「俤や姨ひとり泣く月の友」をうたう。これは古今集の「わが心なぐさめかねつさらしなやをばすて山にてる月をみて」に触発されて、姨捨山の田毎の月を見ようと出かけた信濃で歌った。吉田東伍は「地名辞典」で小長谷山(おはつせやま)から姨捨山になまったのだという説を展開していることを谷川健一は紹介する。小長谷造は多氏、火君、阿蘇君、大分君、科野国造などと同一の祖・神八井耳命(かむやいみみのみこと)を祀る。九州系に発する一族が信濃に入り込んでいった状況がうかがい知れる。姥捨山、姥が岳、姥が懐、野母、そして桃太郎伝説のひとつ小泉小太郎などの伝承に話を広げながら、問題の核心に迫る。
 また、このような古代と地名とのかかわりだけではなく、山岳地方に伝わる南朝伝説を木地屋との関連を追いながら明らかにする。「中央構造線上に展開した南朝方は山民を味方につけ、平野部に展開する武家方とたたかった。」猟師のもたらす毛皮、木地屋の盆、椀、サンカの箕細工、鉱山師による水銀などの鉱物資源が南朝の生活と軍資金となった、と谷川健一は思いをはせる。海の道、山の道が人々をつなげていた。つなげた痕跡が山谷の地名に残る。
 「商家の勝手口から川に降りていく石段の下、波に洗われるあたりをクミズと呼んでいる。クミズは汲み水で、そこから生活用水を汲みあげたり、米や野菜を洗ったりする場所である。―――クミズで水を汲む風習は水道の普及と共に消えていったが、この『いと小さき』地名はかつての庶民の暮らしをいつまでも伝えているのである。」谷川健一のいと小さきものに注目する視点はすばらしい。そして「地名の改竄は歴史の改竄につながる。」と言い切る。いと小さきものを大切にすることは、今を大切にすることである。
 先の友人と諏訪湖に遊んだことがある。その折に、信州には「しな」がつく地名が多いことが話題となった。山がちの信濃にあってひだのように少しばかり広がった地域につけられた名前と断じて、ひだのような地形を「しな」というのではないかなどと言い合った。京都にも山科があり、東京にも品川がある。横浜市戸塚区にも品濃という地名がある。その後、気をつけて調べると木が「しなる」という場合の「しな」と同じく、しなるように曲がった地形につけるようだ。かつて言い合った推測があながち間違ってはいなかったようだ。日常気にかけると普段使っている地名や名称が急に不思議な装いを持って現れる。意味もわからずに物の名を述べるのは、残念なことである。
 追記;谷川健一は「青銅の神の足跡」(小学館ライブラリー)で白鳥伝説をたっぷりと展開している。「日本の地名」では白鳥伝説はさわりのみに止められている。谷川健一は、戦後唯一の詩人らしい詩人である谷川雁の兄である。水俣が生んだ谷川兄弟については「谷川4兄弟―健一、雁、道雄、公彦」(後藤総一郎「現代の目」1973年8月号)(2004/9/20))
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