
書名 キッチン 満月
著者名 吉本ばなな
初出 1987年11月号 海燕
人が選択できないものはふたつある。ひとつは産まれることである。もうひとつは死ぬことである。何時何処に産まれるのかは、選択できない。芥川龍之介によると河童は人と違って選択できるようである。芥川龍之介は「河童」で自分が産まれることの選択をしている場面を、書いている。父親は呼びかける。「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ」と。胎内の子どもは答える。「僕は生まれたくありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから。」だが、人は本人の諾否なしに生まれる。
死ぬことの選択はできるように思える。芥川龍之介は自殺を選ぶことで「ヴィのような生」を終わりにした。が、それは生きることの選択ではない。死は必ず訪れるが、それは本人にも周りの人々にも不意に訪れる。
生きている限りものを食べなくてはならない。食べることは生きている証でもある。「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。」ではじまる小説「キッチン」は家族の喪失感を大事に描いている。制度としての家族ではなく、身近に生きるものとしての家族の喪失である。身近な親しいものの死を乗り越えて生きるのには、何が必要なのか。大げさな表現ではあるが、生の探求がここにある。
「私、桜井みかげの両親は、そろって若死にしている。そこで祖父母が私を育ててくれた。中学校へあがる頃、祖父が死んだ。そして祖母と2人でずっとやってきたのだ。先日、なんと祖母が死んでしまった。びっくりした。」
死は不意にやってきたのだ。
天涯孤独の身になって、みかげは同じ大学の田辺雄一の家に引き取られる。早くに母親に死に別れた雄一は生活のためにゲイバーを経営している父を母親として育つ。
「どんなに夢中な恋をしていても、どんなに多くのお酒を飲んで楽しく酔っぱらっていても私は心の中でいつも、たったひとつの家族を気にかけていた。部屋のすみに息づき、押してくるそのぞっとするような静けさ、子供と年寄りがどんなに陽気に暮らしていても、うめられない空間があることは、私はだれにも教えられなくてもずいぶん早くに感じとった。(田辺)雄一もそうだと思う。」
整った家族からの疎外感はみかげのものである。整った家族の幸せの中で育った者はその幸せの領域から離れない、と思うのだった。みかげは身近な者の死を感じ続けた自分との落差にとまどうばかりであった。
「(前の恋人の)それ、その健全さがとても好きで、憧れで、それにとってもついていけない自分をいやになりそうだったのだ。昔は。彼は大家族の長男で、彼が家から何の気なしに持ってくる何か明るいものが、私をとてもあたためたのだ。でも私はどうしてもー今、私に必要なのはあの田辺家の妙な明るさと、安らぎーで、そのことを彼に説明できるようには思えなかった。」
整ってはいないが、優しさが感じられた田辺家に親しさを改めて感じるみかげである。
「−厨房だ。私はどうしようもなく暗く、そして明るい気持ちになってしまって、頭をかかえて少し笑った。そして立ちあがり、スカートをはらい、今日は戻る予定でいた田辺家へと歩き出した。神様、どうか生きてゆけますように。」
「でも、今は、吐きそうなくらいわかる。なぜ、人はこんなにも選べないのか。虫ケラのように負けまくっても、御飯を作って食べて眠る。愛する人はみんな死んでいく。それでも生きてゆかなくてはいけない。」
雄一の母親(父)も突然に死んでしまう。愛する人はみんな死んでいく。自分もその死から自由ではない。選択できないのだ。だが、生きていくためには自分で切り開いていかなければならない。親しき者達の死のショックから立ち直るには、好きなことを夢中で行い、そしてそれを仕事として生活の糧とすることだ。大好きなキッチン仕事によって実現しようとする。みかげがたどりついたところがここだ。河童と違って人生の最初と最後とを選択できないから、その中身を選択していくことが選ぶということ、そのように読める。生の探求は前向きなのだ。
「私はヤケドも切り傷も少しも恐ろしくはなかったし、徹夜もつらくはなかった。毎日、明日が来てまたチャレンジできるのが楽しみでぞくぞくした。手順を暗記するほど作ったキャロットケーキには私の魂のかけらは入ってしまったし、スーパーで見つけたまっ赤なトマトを私は命がけで好きだった。私はそうして楽しいことを知ってしまい、もう戻れない。どうして、自分がいつか死ぬということを感じ続けていたい。でないと生きている気がしない。だから、こんな人生になった。」
「どうして君とものを食うと、こんなにおいしいのかな。 大笑いしながら雄一は言った。きっと、家族だからだよ。」
この言葉は陳腐である。が、それだけに沁みてくる。
料理の先生のアシスタントの口を見つけて、みかげは自立を図る。先生について伊豆への3日間の仕事に向かう。そしてクライマックス。母親の死で落ち込んでいる雄一のいるI市へ伊豆からタクシーを飛ばして、みかげはカツ丼を届ける。やがて、雄一も立ち直る。「満月」の終わりは次のように結ばれている。雄一からの電話を受けたホテルの「部屋は温かく、わいたお湯の蒸気が満ちてゆく。私は、到着の時刻やホームの、説明をはじめた。」
すでに発表されてから17年。「吐きそうなくらい分かる」「私の魂のかけら」「命がけ」などの言葉を軽く使って見せる書き方は、当時新鮮に見えた。その書き方を剥いでみれば、内実は古風な物語であった。「キッチン」と続編の「満月」とを通して見たが、「キッチン」の終わり近く「もっともっと大きくなり、いろんなことがあって、何度も底まで沈みこむ。何度も苦しみ何度でもカムバックする。負けはしない。力は抜かない。」と恥ずかしげもなく書いている。選べない死は不意にやってくる。その前で気張って見せる健気さのあらわれであろう。あとがきで「克服と成長は個人の魂の記録であり、希望や可能性のすべてだと私は思っています。」と書く吉本ばなならしい表現である。身内に不幸が続き、孤独な身になっても好きな仕事について力強く生きていこう、という粗筋から思いの外の古風で健全な小説であることが知れる。それが、評判を得た理由であると思う。
※「キッチン」(福武書店1988年)のあとがきに「『本が出た』という嬉しい事実を丸ごと私の父に捧げます」と書かれている。吉本ばななが捧げた相手は吉本隆明である。(2004/10/3)
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