楽書快評
書名 鬼骨の人
著者 津本陽
初出 1990年11月 新人物往来社
 気骨と普通は書く。たやすく屈しない意気、という意味である。それを鬼骨と津本は書き換える。そこに味わいを持たせたのだ。
旧伊奈波神社跡地から金華山を望む 鬼骨の人・竹中半兵衛は羽柴秀吉の前半戦の軍師として名が高い。しかし、津本は、世に聞こえたもう一つのエピソードに注目して短編小説にまとめた。その着眼点は優れている。竹中半兵衛にとって内から燃えるパトスを感じるのは、この稲葉山(岐阜)城の城取りである。事は、美濃国主、稲葉山城主斉藤龍興の粗暴な振る舞いから発している。「蒲柳の質である半兵衛は、頑健な体格と、死をおそれない度胸を誇りあう戦国の侍たちに、弱々しい女性のような腰抜けのように見られていた。主君龍興には、家臣の才幹を見抜く眼識がない。彼は温和で人目にたたない半兵衛を日頃から軽んじていた。龍興の近臣たちも、主君と同様に半兵衛を軽蔑する。一日、半兵衛が下城の際、龍興の近臣が矢倉のうえで待ちかまえていて、下を通る半兵衛にむかい、小便をかけた。」これに憤った半兵衛は舅の安藤伊賀守と相談し、後詰めになってもらい17名の供を連れて稲葉山城の城取りを図る。1567(永禄7)年26日朝、人質となっていた弟久作に仮病を使わせ、見舞いと称して長持ちに隠した刀槍、甲冑を持ち込み、わずかの家来とともに一気に城内警備の侍を討ち果たした。斉藤龍興を城外に放逐し、6ヶ月間稲葉山城に居座り続けた。津本陽は、竹中半兵衛の心を「彼は自分の軍略家としての非凡の才を、天下に知られるのを、喜んだだけであった」と解き明かす。半兵衛にこのように言わせる。「それがしが奇策によって、城をわが手に納めたのは、主君龍興公の浅慮のふるまいを諫め、今後の善政を願うために、あえてしたことである。機をみて主君に城をお返しするのは当然のことで、私有するつもりはない」と。そしてその通りに返還し、隣国近江に隠棲する。それは、織田信長が稲葉山城を攻略して、斉藤龍興を追放、岐阜城と改め、天下布武を宣言したわずか3年前のことである。
 竹中半兵衛の個人的な意欲はここで終わりである。隠棲した竹中半兵衛をそのままにしておかなかったのは、乱世の必要であった。世に見出されることが、不本意であったのか、諦めであったのか。その後余りの人生を、竹中半兵衛は羽柴秀吉の軍事顧問として活躍する。織田信長のように天下布武を考えないし、また羽柴秀吉のように立身出世も考えなかった。そのような人生のスタイルが可能であったのは、関が原という経済的に豊かな領地を持つ土豪の出身であったからであると思う。名門名家の出身でもなく、力で実質7万石といわれる中山道の要地を我が物にしている竹中半兵衛は、斉藤龍興に使えているとはいえ、絶対的な服従をする必要はなかった。同様に、織田信長であろうとその配下の羽柴秀吉であろうと、頭を下げる必要はなかったのである。家督を弟に譲り、隠棲した竹中半兵衛が人材登用に応じたといってもそれは、竹中家としての繁栄に繋がるものではなく、個人の芸としての軍略の発揮であった。たやすく屈しない、とはこのような心から生まれたものと思う。だが、竹中半兵衛の軍略は城取りに見られる個別の戦いの作戦であり、先に述べた織田信長や羽柴秀吉のような政治性が欠けていた。政治性があれば、国主斉藤龍興に国を治める力量がないこと、従って美濃の繁栄を願うなら別の人物なり政治勢力に変えることが選択されたことであろう。
 竹中半兵衛のこのような非凡の才を城取りの家系という視点から小説に仕立てたのは南原幹雄である。「城取りの家」(平成8年)は3代にわたる城取りのエピソードを綴る。竹中氏を名乗った初代重氏は美濃国主土岐頼芸に従って池田郡大御堂に住んでいた。揖斐川上流の岡崎源太左衛門との争いに中で、岡崎の将兵を城外に誘き出し、手薄になった岡崎城を搦め手から攻め、次に大手の城門に城外に出ていた城兵が戻ってきた振りをして扉を開けさせなだれ込む。城を乗っ取ったのち、今度は戻ってきた岡崎の城兵に大手の影に潜ませていた伏兵によって追い散らす。「その攻略のあざやかさが四隣に聞こえ、重氏の武名はあがった。」時は下克上である。美濃国主は斉藤道三、そして父を討った斉藤義竜に代わっていた。菩提山城に居を構える岩手信広に斉藤義竜から内談のため至急稲葉山城にでむくようにとの使者が来た。信広一行が出立して一刻過ぎ、竹中重元の軍勢が押し寄せてきた。日没、地元民に先導された竹中軍の一隊は背後の谷から秘密の上り口を上がり、西の丸から攻める。重元の城取りである。重元は大御堂から、伊吹山系のはずれ標高400メートルの菩提山の山城に本拠を移し、あわせて広大な関が原を手中に納めた。このような城取りの芸が3代目によって完成された。稲葉山城を17名で城取りした竹中半兵衛。「難攻不落の名城を難なく手中におさめた半兵衛の非凡な軍略と武勇は、たちまちひろく諸国へつたわった。」と南原幹雄は書いている。
 津本陽の使う、鬼とは何であろうか。鬼籍に入る、という言葉がある。また、鬼神を祀るという言葉もある。いずれも鬼は祖先の霊である。神は地域の霊である。骨がある。この骨は、こころの真直ぐな在り様を現す。鬼骨とは祖先伝来の心のしっかりとした人となる。3代にわたる城取りの芸を完成させた竹中半兵衛の生き方を述べるのに適切である。(2004/11/27)
             
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