書名 晏子
    著者名 宮城谷昌光
初出 1992年8月−1994年9月「小説新潮」

 司馬遷は「史記」列伝編の2番目に「管晏列伝」を置いている。斉の宰相となった管仲と晏嬰の伝記である。司馬遷は「かりに晏子が、こんにち生きているとしたら、わたしは彼のために鞭を執り、御者となって使えようと思うほど慕わしい気がする。」(筑摩書房 小竹文夫・武夫訳)と最大限の言葉で評している。
 宮城谷昌光の中国歴史小説はよく読ませてもらっている。その中でも「晏子」は感銘を強く受けた。凡俗である私など思いも及ばない中国の偉人達がそこにはいる。小説「晏子」は国家への誠実な態度で生きた晏弱、晏嬰親子二代に渉る物語である。この物語の時代は春秋時代の斉の国である。孔子とほぼ同時代。日本では縄文時代である。
王侯の行列塑像群(山東省出土文物) 父晏弱は息子に諭す。「君主に愛されるより、民に愛されることだ。君主は一代であり、民は永代である。」その親にしてその子あり。宮城谷はこのような情景を描いている。
 「寒い朝である。晏嬰は近侍している。」斉の景公は温かい食べ物求めた。晏嬰はこれを拒んだ。次に暖かな服(裘服)を持ってくることを求めた。これも晏嬰は拒む。そこで景公は「では、いったい、あなたはなにをしてくれる臣なのだ」といらだちをぶつけた。
 これに応えた晏嬰は「わたしは社稷の臣です。」この言葉によって景公は「この男はわたしの私臣ではないのだ。」と思うのである。国王と国家は同一ではない。
 またあるとき、景公が晏嬰の不在を狙って、高楼建造を酷寒の中を強行する。帰国した晏嬰は帰国慰労の小宴で涙を流しながら景公の前で歌い始める。「氷の雨に打たれつつ 今日のわが身はなんとしよう 君主はわれらをすりつぶす 明日のわが身をなんとしよう」。宰相晏嬰は高楼建造に駆り立てられた国民の嘆きを一人歌う。このような宰相が歴史上にいたこと、そのことを知り得たことだけでも無上の幸せである。こうして、酷寒のなかの工事は止まる。
 やがて、晏嬰にも死が訪れる。紀元前500年のことである。晏嬰の遺骸にとりすがり泣哭しつづける景公に側近が非礼をとがめる。景公は応える。
 「わしはかつて、一日に三度晏嬰にいさめられたことがある。だが、聴かなかった。今後、わしにそうする者はいまい。晏嬰を失えば、わしの亡びも遠くあるまい。亡者に礼が要ろうか。」宮城谷昌光はこのように「晏子」をしめくくる。
 司馬遷もまた漢の武帝を諫め、晏子と違って宮刑に処せられた。晏子の御者となって仕えたいほど慕わしい気がするのも当然である。
楽書快評
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