書名 王子稲荷の女
著者 平岩弓枝
初出 1998年1.2月号 小説現代
 「御宿かわせみ」の著者・平岩弓枝にもうひとつの隼新八郎シリーズがある。隼新八郎は南町奉行根岸肥前守鎮衛の内与力として登場する。根岸鎮衛は随筆集「耳袋」の著者として実在の人物であり、1798年 寛政10から17年間も町奉行を勤めた立志伝中の人物である。
 南町奉行根岸鎮衛の内与力(根岸家の家人)である隼新八郎を主人公としたシリーズはかわせみのような情緒は欠けるが、根岸鎮衛の後ろ盾を得て事件を解決する展開が小説の読み応えである。したがって、事件展開の意外性が小説の出来を左右する。
 講談王子稲荷社文庫に収められている「王子稲荷の女」は死体無き殺人のトリックを解き明かす推理が全てである。現在の京浜東北線王子駅の西にある桜の名所・飛鳥山から程近い場所に王子稲荷がある。京浜東北線の車窓から眺める風景を思い出して欲しい。西は高台が連なり、東は低地が続く。JRの駅で言うと王子、上中里あたりの高台は古代の豊島郡衙跡地であり、中世は秩父平氏の支族である豊島氏が領有していた地域である。館跡地は平塚神社とも王子神社とも言われ、そのどちらでもある可能性がある。入間川を下って広がった秩父平氏が関東の武士の主流となり、豊島氏は支流の石神井川沿いに勢力を伸ばし、さらに下った秩父平氏は江戸城周辺を拠点として江戸氏を開いた。やがて大田道灌によって江戸氏は江戸城を追われ、豊島氏は皆殺しのような撲滅にあう。
 王子の地名はどこから来ているのであろうか。豊島氏が結んだ熊野神社と関係がある。豊島氏は開発した荘園を熊野三山に寄進して自らは荘官として支配をおこなった。熊野の第五殿に祀る若一王子(じゃくいちおうじ)を勧誘して、王子権現が建てられた。ここから王子の地名が生まれたと推測される。関東において信仰にも流行がある。中世初期には熊野信仰が栄えた。次が伊勢の大神宮信仰。江戸時代になっては徳川氏が新田流源氏であると唱えたために八幡神社。やがて田沼意次が信仰したという稲荷神社が屋敷神として流行るようになる。江戸は「伊勢屋 稲荷に犬の糞」である。熊野信仰の隆盛と流通経済の掌握を鎌倉幕府の成立にあわせて、また室町幕府の成立と伊勢大神宮の御師先達の伝道・伊勢商人の生成とを重ねて捉える視点を「江戸はこうして造られた」で鈴木理生は提起している。伝道と商行為との一体化はヤソ教の専売ではない。
 王子権現は建替えられて古社のイメージを持ってはいないが、王子稲荷は雰囲気を漂わせている。古くは岸稲荷と呼ばれていた。先に述べたようにここの地形は断崖によって区切られていて、そこから岸という名前が付けられたと思える。王子が地名になるに及んで王子稲荷と呼ばれるようになったが、関東の稲荷神社の総元締めと言われている。源頼義が奥州征伐の折に王子稲荷を関東稲荷総司としたと伝承さえている。大晦日には関東中の狐が集まって参拝したという。神社の奥には狐穴がある。
王子稲荷の狐穴 歌川広重の「江戸名所百景」には「王子装束ゑの木」として大晦日の狐火が描かれている。この装束榎木の狐火の伝承を題材として平岩弓枝は「王子稲荷の女」の話を作りだした。正月五日、衣裳榎木のもとで死体無き殺人が行われた。この時間には、殺された女の夫である御家人木村辰次郎にも,その姉お袖にもアリバイがある。時間差のトリックを見破り、辰次郎とその姉と称したお袖は実は駆け落ち者であったことが判明。とはいっても事件が解決したのは、お袖が罪の重さに気が触れて、衣裳榎木のあたりを高笑いしながらさまよっている姿を見咎められたからである。いわばこの話は王子稲荷に伝わり広く庶民に知れ渡った装束榎木の伝承を題材にしたところで工夫が終わった小説であった。装束榎木は王子稲荷神社から東400Mの畑のなかにあり、ここで狐たちが装束を調えてから参拝した。この故事を引くなら衣裳榎木での話も、衣裳や装束を調えてという仕掛けがあればなおゆかしかったと思う。(2005/3/27)
楽書快評
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