楽書快評
書名 地域再生の経済学
著者 神野直彦
初出 2002年9月 中公新書
 国家(国と地方公共団体)はお金の入と出とである。国家の仕事の7割が地方自治体が担い、国は3割しか果たしていなかった。逆にお金は国が7割を握り、地方自治体は3割しか自主財源として持つことが出来なかった。この差を国が地方自治体へ補助金負担金や地方交付税などを交付することで、埋めてきた。埋めるにあたって国は国の意志を地方自治体へ強制する。この強制(関与)をなくす試みが2000年におこなわれた地方分権一括法の施行である。したがって第二ラウンドは、仕事とお金の差そのものの解消が意図されなくてはならない。地方再生の経済学とは、この意図である。
 税制改革のシナリオを神野直彦は次のように描く。地方自治体の役割が地方公共財の供給(警察、消防、それに生活道路、公園などの物的社会資本)から、福祉・医療・教育・文化などの準私的財の供給・現物給付にまで拡大している。これは所得再分配機能の一部にまで地方政府の役割が拡大していることである。それは、グローバル化により中央政府がボーダーの管理ができなくなり、所得再分配機能を果たすことが出来なくなったことによる。準私的財である「自然環境の保護や福祉・医療・教育・文化などの対人社会サービスは、家庭内部や地域社会内部共同作業や相互作業によって供給されてきた。ところが、老人の介護にしろ、幼児の育児にしろ、家庭機能が縮小したために、今や地方自治体がそれを代替的に引き受けざるをえなくなっている。自然環境の保護にしても、また地域文化の振興や教育にしても、地域共同体の機能が縮小しているために、地方自治体が担わざるをえないのである。」地域住民の労務提供の代わりに、地方税を納税して地方自治体が公共サービスをおこなう。いわば協力原理からの、お金の拠出である。では新たな地方税はどのような根拠からどのようにもとめられるのか。神野直彦は3つの提起をおこなう。ひとつは個人住民税を10%の比例税率にする。これによって貧しい地方でも税収が上がる。3兆円規模の税源移譲が可能となる。地域間格差を縮小して自主財源を増加させる。次に地域住民だけに課税するのではなく、そこで事業をする人々も地域の公共サービスを利用しているのであるから、事業税を所得型付加価値税(事業税の外形標準化)に改めて徴収する。三番目にその地域で消費する人々(例えば観光地や別荘地)への課税として、現在ある地方消費税のウェイトを上げていく。同時に、国による統制手法である補助金の削減廃止をおこなわなければ、地方自治体の自己決定権は奪われたままになる。神野直彦氏は補助金をイソップ童話の北風と太陽の話から、太陽的統制と比喩している。
 次に課題となるのは、地方自治体間の財政力格差である。地方交付税は地方自治体の財政力格差の解消の役割を担っている。格差解消には手法として二つのパターンがある。ひとつは国が中央政府の予算として計上して「垂直的に」配分する方法である。もうひとつは地方自治体間で融通しあう「水平的」な自発的な格差解消の分権的な方法である。現在、国が地方財政計画でみると自己決定権のない支出が公債費を除く一般財出の半分にも達している、と神野直彦は述べる。国が決める支出基準が高ければ高いほど、国の垂直的な格差是正の色彩が濃くなる。必要行政基準を地方自治体で自主決定することが出来れば、自治体間の水平的な財源格差是正の調整としてのウェイトが高くなる。
 このような地方自主財源の確保が地方自治体の独自裁量権を発揮する裏づけとなる。独自裁量をどのように発揮するのかが、最終的な課題となる。神野直彦は、社会が農業社会から工業社会を経て、知識社会となっていると分析する。そのうえで「知識社会では自然に働きかける主体である人間そのものを向上させることが生産の前提条件となる。つまり、人的投資が生産の前提条件である。教育、職業訓練、研究開発などである。こうした人的投資を公共サービスとして供給しなければ、地域社会の再生は難しいことになる。」この公共サービスは生活に必須なニーズであり、必要なのに「欠けて」いる部分であるから、必要に応じて供給されまた無償でなければならない。ニーズには社会的セーフティ・ネットが必要である。「知識社会の社会的インフラストラクチュアは、地域社会の自発的協力を基盤に、自己決定権を掌握した地方自治体が供給する人的投資と自然環境ということになる。しかも、そえは同時に社会的セーフティ・ネットワークにもなる。」
 地方自治体が自己決定権を発揮して地域社会再生を果たした実例を神野直彦はアルザス・ロレーヌ地方のストラスブール、バスク地方のビルバオ、ルール地方を紹介する。いずれも衰退した工業都市であったが、ストラスブールでは大気汚染の改善の為に次世代型路面電車を導入し、市内への自動車乗り入れを締め出した。また、フランスやドイツと云う国民国家を超えた地域の(グーテンベルグやパスツールなどを生み出した)独自文化を復興させた。このような人間の生活する場の再生によって、バイオなどの研究に成果をあげ、雇用が拡大し経済の活性化ももたらされている。バスク地方は自治政府を持ち、独自のバスク語を継承している。スペイン政府から一切の補助金を受けず、独自の徴収権によってネルビィオン川の浄化、大学を中心とした人的資源の育成、大学と企業が連携して環境にやさしい技術開発を推進している。ルール地方は重化学工業の中心地として環境破壊と都市荒廃に見舞われていた。エムシャー川の水系の再生を中心に広大な工業地帯を公園化していった。こうした実践を通して、たそがれた国民国家に代わって地域社会の穏やかな連合としての世界秩序が補完的に形成されていくシナリオを神野直彦は目指すものとして思い描いている。「都市国家的な公共空間の連合体として国民国家があり、世界がある。国民国家は消滅しないにしても、緩やかな都市国家的地域社会から世界全体が構成されるようになっていくのではないかと思われる。」
 日本では、ここに示された再生へのプロセスではなく、アメリカ・イギリスモデルでおこなわれている。「官から民へ」という虚妄のスローガンのもとに、公共の破壊がおこなわれている。地方では経済が壊滅し過疎化が止まらない。東京を始めとする欲望にふける悪徳の町のみが栄えている。その悪徳の町では、市場主義の蔓延によって企業が倒産し、失業者が増大している。自殺者は交通事故による死亡者より多いという絶望感が覆う悲劇的な地域となっている。このような絶望的な地域からの再生、生活の場を再生する試みに参加することが日本に生きる一人一人に求められている。「地域再生の経済学」はその指針のひとつである(2005/7/16)
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