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書名 爽太捕物帖―昨日の恋
著者 北原亞以子
初出 1995年 毎日新聞社
これは捕物帖ではない。荒事があるわけではない。推理の妙でうならせるわけではない。あるのは戻ってこられるように気働きをする若い男の話である。
1806年 文化三年の大火事で13の歳に、みなしごとなった爽太は、スリ稼業で世過ぎをしていた。この少年を父親の友人であった芝露月町にある鰻屋「一三屋」の親父・十兵衛が救い出してくれ、娘と添わせて、今や若旦那と呼ばれる。十兵衛によって爽太も戻ってこられた一人なのである。鰻を掴めない若旦那は一三屋にあっては皿洗いや子守をする以外に居場所がない。他方では、十手持ちとして同心の下働きをしている。そのこころは社会の掟の境にいる人びとが戻れるように心を働かせるためである。「あの火事さえなければ−、そう思ったことは幾度もある。あの火事さえなければ、徳松は(神明町の料理屋)「柏木」の若主人、爽太は(紅白粉問屋)「桐島屋」の若主人となって、稼業に精を出していただろう。そのかわり、掏摸だの妓夫太郎だのという言葉にも、顔をしかめるようになっていたかもしれなかった。」(「雲間の出来事」)鰻を掴めないのは紅白粉問屋の若主人となって稼業に精を出している自分の幻を消せないからかも知れない。心に付いた火傷の跡は消えるものではない。あちらの世界を覗いた爽太自身が闇の中からはい上がってきた一人である。そして、爽太に協力する菊次郎、徳松など昔の仲間も同じである。
もっとも町の若い娘からみれば「こざっぱりとした綿袖を着て、雪駄をはいていた」「長身で、一見痩せているようだが、着物を脱げば、案外にたくましく胸や腕があらわれる筈だ。そして何より気持ちよく陽に焼けた顔の、濃い眉と切長な目が好ましかった。」(「終わりのない階段」)と映るいい男なのである。
若いに似合わず人情を解した爽太が狂言回しをする、江戸下町の貧しい人びとが起こす切ない物語が「昨日の恋」に収められた7編の短編である。かすかすで生きている庶民にとって、掟の中で生きるのも破って生きるのも実は紙一重。或いは人にいえない話を一つや二つを持っているのが人生である。だから心の現れ方も一重ではない。
たとえば自分で頬を切る女がいる(「頬の傷」)。武家に戻れる日を待つ志津は、その心を断ち切るために自分で頬を切る。しかもいい仲の又七に罪をかぶせようとする。それは断ち切ることを思い詰めさせたのが又七だからというのだ。頬を傷つける羽目になったのは又七のせいだから、切ったのは又七であると。
「『又七さんと一緒になりたかったのですもの。あの時に頬を斬らなかったら、また私は父の遺言の言いなりになって、又七さんと別れなければならなかったではありませんか』
又さんのせいですーと言って、志津は泣いた。」
罪を着せようとした志津のもとに又七は帰るという。「俺は、志津さんのほっぺに傷があるくれえでちょうどいいや」と又七。爽太も「違えねえ」と応じる。戻れることができるのは幸いである。
爽太は13歳の時に家と家族とを失い、自分の人生も一度失っている。文化3年の丙寅火事は芝泉岳寺門前町牛町(芝車町)より出火、浅草まで延焼した江戸三大大火の一つ。人生を狂わされた爽太が戻ってこられたのは父の友人の手である。そして、二人の娘の父親となった。家族の温かみは最高なのである。「師走の風」ではねんねこ半纏をかぶって小さな娘を背負い、手にはこれもふくら雀のように着ぶくれした上の娘をにぎって子守に出かける父親爽太の姿から始まる。湯屋の主人から「ま、親分―いや、一三屋の若旦那らしいといえば、若旦那らしいお姿ですけどね」「二人の娘がいりゃ、金もいらねえ、手柄もいらねえって顔に書いてありますよ」と冷やかされてまんざらでもない。その姿を見た赤ん坊を抱いた女・おこまは、預けて行方をくらます。江戸にあがった男を追って来た女が見たものは、別の女と長屋でくらす男の姿であった。人生は過酷である。爽太に子供を預けて一度は死に場所を探した女も、思い返して芝口に戻る途中、9歳の男の子と知り合う。
戻ってこない女を下っ引きに探させている最中にもう一つの事件がおこる。高利貸しから9歳の男の子が10両の金を盗んだというのだ。評判の良いその子を「ばかやろう、あの孝行息子を罪人にする気か」と叫んでこちらの行方も捜させる爽太であった。9歳の男の子・米松は大けがで仕事ができなくなった飾り職人の父親に高利貸しからの借金を背負わせたくないために盗んだというのだ。
おこまが米松から聞いた話は「俺あ、お父っつぁんにそんな金を借りてもらいたくなかったんだ。だって、俺、おっ母さんが、いざとなったら身売りをするよっ言うのを聞いちまったんだもの」大粒の涙を流しながら母が身売りをしないように借金のお金を盗んだことを言いつのるのであった。「俺あ、どんなに貧乏したって、おっ母さんがそばにいてくれた方がいい」という米松のことばは、子供を捨てて自分は死のうとしたおこまの胸に突き刺さる。終盤、おこまが米松をかばって高利貸しのいとこの十手持ちと大立ち回りを演じる中に、爽太が割って入って何事もなかったように収めて物語はおわる。爽太のこころにある家族の喪失感と再生への思いに裏打ちされた話である。米松の一家も、またおこま親子も戻ってこられることへの願いが込められている。
北原亞以子の描いた爽太の捕物は、捕まえることではなく、こちらの世界に戻ってこられるようにすることにある。(2005/8/21)