
書名 20億光年の孤独
著者 谷川俊太郎
初出 1952年
谷川俊太郎の初期の詩を読むと、宇宙との境目のない感性に驚く。宇宙や世界との自分の一致を疑わない。楽しいときも、たまに来る悲しいときも、宇宙や世界との合致を疑わない。それは谷川俊太郎個人の楽しさではなく、また悲しさでもなく、「人類」全体の孤独と共生が宇宙全体で響きあっている。肯定の感嘆符がいくつも付いているような詩を次から次へと編み出していた。
1952 昭和27年に発行された最初の、洒落たネーミングをつけた詩集『20億光年の孤独』。谷川俊太郎、21歳の時である。哲学者谷川哲三の子息である。収められている同名の詩「20億光年の孤独」では、「人類は」と歌い始める。「人類は小さな球の上で 眠り起きそして働き ときどき火星に仲間を欲しがつたりする」そして火星人も地球に仲間を欲しがる。「それはまつたくたしかなことだ」と谷川俊太郎は、少しも疑いがない。なぜなら、
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
からなのである。宇宙はひずんでいて、またどんどん膨らんでゆくので、人類も火星人も「不安」である。引き合うから膨らむのか、膨らむから引き合うのか。
20億光年の孤独に
僕は思わずくしやみをした
僕はなにも「くしやみ」をしなくてもいい。しかし、くしやみをしてみることが存在の証明である。それは、孤独の寒さ、あるいは「欲しがつたりする」ことの表現でもある。人類の存在の不安のなかで、互いに求め合う「孤独」を信じている。この詩が発表されるや、多くの(詩界に集う)大人たちはメルヘンチックな「20億年の孤独」を賛美した。そこに癒しを見つけた。
「戦後初めて現れた清新な抒情詩人として評価され、詩界に迎え入れられた。」「当時かなり評判となった詩集であって、そこには少年らしい清潔なリリシズムと、瀟洒な感覚的機知と、さらに、一種無機的な、奇妙に透明な寂寥感・孤独感とが、見出される。」と述べるのは小海永二である(角川文庫「全集・戦後の詩 第4巻」解説)。
同年代の大岡信は「20億光年の孤独という言葉の意味も、単に少年期から青年期に移りつつある谷川俊太郎個人の孤独ということではなかろう。むしろ地球人なるものが、この20億光年の広がりをもつ大宇宙の片隅で、ときおり感じとる、人類的な孤独感をさしているだろう。谷川俊太郎は、あれらの詩を書きながら、いわば人類を代表して宇宙に相対しているような、心の昂揚を感じていたはずである。そういう点で、彼は過去の日本の著名な叙情詩人たちとは、かなり違った精神的出発をもっていたとぼくには思われるのである。」(「現代詩人論」角川選書 1970年)と驚くほど好意的な評価をおこなっている。
谷川俊太郎の感性はどこから来るのであろうか。かれが幼年時代をすごした時代は第二次世界大戦末期で若者は鬼畜米英を唱え、「特攻隊」として帰らぬ旅路を強いられ、また帝都東京は火の海となっていたはずである。このような地獄の現世は、谷川俊太郎にはほとんど関係ない現実であったことが窺える。彼にとっては、20億光年の宇宙こそが真実であったのだ。敗戦後、戦争という地獄が過ぎても「平和」な時代の生存競争の激しさがつづく。現実を喪失して作りあげられた谷川俊太郎のピュアな詩を、諸手をあげて歓迎した人々は、現世からのひと時の解放を得ようとしたのだと、好意的に納得したい。(2005/9/25)
0095