楽書快評
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書名 光る道
著者 壇一男
初出1956年 新潮
 これは武蔵竹芝の物語を下敷きにした小話である。更級日記にでてくる竹芝伝説を題材にした小説は珍しいので読んでみることにした。
 火焚き屋の衛士・竹柴ノ小弥太が故郷の東国への望郷の念にぼんやりとしていると、帝の三の姫宮がそのつぶやきに興を覚えて、東国に連れて行くことを求めた。ここまでは更級日記の物語をほぼなぞっている。
 小弥太のその時の気持ちを「まるで、はてしのない大波にゆすぶられているような心地である。しかし、その揺れる大波の中に、やがて一本の白く光る道がスルスルとさし渡されてゆくように感じられて」次のような情景を思い描くのであった。「かげろうのように美しい姫宮を抱きよせながら、段梯子に腰をおろして、ジュと酒瓶の酒のオモテを見まもっている自分の姿が眼に浮かんだ。」
 こうして「白い衣ようのものが横ざまに飛ぶように見えて、衛士の肩にフワリとまとわりつくものがあった。類い稀な伽羅の香が立つのである。若い衛士は立上って、韋駄天のように走り出した。」
 ところで、女を背負う男の姿は今ではそう見かけるものではない。だが、古代においてはそれほど不思議な姿ではなかったようだ。「日本庶民生活誌」(宮本常一 1981年 中公新書)にこのような記述がある。「北野天神縁起」(1219年 承久元年)の巻四に九州に流される菅原道真を見送る人びとの中に女を背負った男が描かれている。「九州へ流される道真を見送る人びとの姿が描かれているが、その中に衣被(きぬかずき)を背負った男の姿が見える。男は腰へ棒を横にあて、両端を両手で持ち、女はその棒に足をのせ、うずくまって男の肩に手をかけている。巻八では、男が女を背負うのみ棒を持っていなかったので、刀を代用している。男が女を背負うときは、この時代にあってはこのようにしたもののようである。」このような習俗は1785年 天明5ころまで秋田県雄勝郡地方で嫁入りの時に行っていたと菅江真澄の書いた「小野のふるさと」にでていることを宮本常一が紹介している。竹芝もこのような方法で背負って、走ったのではないだろうか。
 走り出したその先になにがあるのだろうか。更級日記にあるのは衛士竹芝の疾走感である。飛ぶように東海道を、東国武蔵国足立郡を目指して走るその一途な疾走感である。そこには古代的な雄々しさと雅さの入り交じった不思議な世界がある。だが壇一男の「白い道」は男女の夢想の世界に入り込む道であった。
 「ひょっとしたら、三の姫宮は衛士の夢の中に、意識せずしてまぎれこんでいる数々の土着の生活を珍しがっていたのかもわからない。そうして衛士はまた、姫の好奇心を、桁外れに現実離れしている気高い天人の夢だとでも思い違えていただろう。女は男の夢を模索しながらかえって数々の生活をさぐりあてていたようだし、男は女の好奇心をいぶかりながら、空翔けるほどの美しい夢をつかみとったような気持でいた。」
 「おのこ」と姫宮から呼ばれる小弥太は、その夢に踏み込んできた農夫夫婦を鉈で叩き切る。ためらう「おのこ」を見る「蒼さめた蝋石のように冷ややかな姫の顔を見た。ハッキリとした憎悪と侮蔑の色である。」姫宮の促す声に応じるしかない「おのこ」の姿であった。
 やがて小弥太が姫宮の襟首に向かって突進していったのは、姫を絞め殺すためであったのかどうかは、もはやたいした結末ではない。更級日記に出てくる古代世界の物語では東国で宮殿のような居宅に住んで、ハッピーエンドになっていることを付け加えたい。
 壇一男が描いた小話は男女の道に踏み惑う「おのこ」の心のあれこれであった。それは下世話な物語である。古代の香りは薫ってこない。(2005/10/2)
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