numadesが送る日本の歴史、なるべく写真を多く使って楽しめるよう編集いたします。ご期待下さい。

神話の世界(出雲風土記の世界)
@神話の世界 文・撮影:沼里征二
 1945年に太平洋戦争が終結するまで、日本の歴史の始まりは古事記や日本書紀に記された神話の世界であった。古事記と日本書紀を紀紀と総称する。天地の創成・日本列島の誕生、つまり、イザナギ・イザナミの「国生み」の話、高天原でスサノヲノミコトが乱暴したので天照大神が天の岩戸に隠れ国中が真っ暗になったこと、岩戸の前に神々が集まり、盛大な神楽を演じて、大神を岩戸から迎えだし、再び国中が明るくなったこと。スサノヲノミコト(数須佐之男命)は地上に追放され出雲に下ったこと。などなど。日本神話はここから出雲神話の世界に移る。
古事記
語り部のヒエダノアレ(稗田阿礼)が語る「帝紀」を太朝臣安万呂(オオノヤスマロ)が三巻にまとめたもの。712年に完成した。
日本書紀:
天武天皇の時代、「帝紀」「旧辞」などの定本を作るため、多くの編纂官からなる歴史編纂局が設けられた。720年、時の史局の総裁であった舎人親王が30巻に及ぶ歴史書を完成させた。
帝紀:皇室系図
旧辞:むかしばなし
 出雲神話はスサノヲノミコト(須佐之男命)が出雲の国肥の川(斐伊川)でやまたの大蛇を退治したとか、大国主神(おおくにぬしのみこと)が皮をはがれたうさぎの傷を治してやったという世界である。
須佐之男命は大蛇退治をした後、奇稲田姫命(くしなだひめ)と結婚した。右の図は八重垣神社に残る板絵の神像図、奇稲田姫命と伝えられる。


国譲りの神話で知られる出雲大社に、10月、日本中の八百万の神々が集まる。このため、出雲以外の地では10月のことを神無月といい、出雲では神在月という。出雲大社境内に接して千家と北島家がある。律令国家の成立する以前から出雲地方を支配し、その後も出雲大社と共に今日まで続いている国造家(こくぞうけ)である。
大化改新(645年)以前、大和朝廷はこの国造という地方の大勢力を通じて、日本全土を支配していた。しかし、大化改新以後、大和朝廷は半独立のような国造の勢力を奪い、中央の権力が及ぶ国郡制に切り替わった。
国引きの神話にゆかりのある日御碕。ここに日御碕神社がある。天照大神と須佐之男が祭られている。徳川三代将軍家光が建造した。
美保関の美保神社に残る諸手船神事。毎年12月3日、国譲りの神話の中で大国主命が使いを諸手船に乗せて美保関に使わされたという故事にのっとって、行われる。
16名の氏子が白装束姿で二艘の諸手船を湾内に漕ぎ出し、客人山の麓へ向かう。途中で互いに水をかけ合い競艇して元の宮灘へ急ぎ帰り、「くにゆずり」の古式な祝詞の神事が行われる。
出雲大社に次ぐ由緒ある佐太神社、古いござをはずし、新しいござを進める御座替え神事や神々に扮して舞う神能などが見物である。
出雲は自然の変化に富んだ美しい国である。宍道湖夕景、出雲の国は現在の島根県松江市を中心とした地域。数千年の時を越えた今でも、私たちにおおらかな古代人の心を伝えてくれる。
★ぜひ、見てほしいもの。
飯梨川の上流、広瀬町にある富田城跡。1486年に冨田城に入った尼子氏は、山陰・山陽11カ国の大大名までのし上がったが、やがて毛利軍の総攻撃にあい、滅亡してしまった。関ヶ原の戦いで西軍についた毛利氏が去り、東軍についた堀尾吉晴が出雲・隠岐24万石を与えられ、冨田城に入った。その後、松江に城を築き、居を移したが、1638年、堀尾・京極の跡を次いで徳川家康の孫松平出羽守直政が入り、以来12代、230年に亘って松平氏が出雲・隠岐を統治した。
七代目の藩主に当たる松平治郷(不昧公)は中興の大業を果たした名君で、同時に茶祖としても有名である。菅田庵は不昧の指図によって建てられた草庵風茶室である。
ヘルン旧宅。明治23年、ラフカディオ・ハーンが松江を訪れ、日本人小泉八雲となって、多くの文学作品を書き上げた。
★美味いもの 割子そば(出雲そば)
出雲・松江・広瀬町・・・。この撮影期間中毎日のように食べ比べしたのが『割子そば』。割子そばは3つの容器に盛り分けられたそばと、のり・ねぎ・かつお節などの薬味がついてくる。単品の薬味で食べるも良し、混ぜても良し。そばつゆをかけ、薬味を入れて良くかき混ぜて食べる。古くは、器に残ったそばつゆを次の器に移せといわれたが、今はどうだろうか。
店には50杯食べたとか、70杯食べたとかいう人の番付表が張ってある。つい、3杯ではやめにくくなり、追加注文する。お薦めの店は出雲駅前の○○と出雲大社の大鳥居近くの○○。詳しくは松江観光協会へ(TEL:0852−27−5843)