とある英霊と屋根の上の教室

 

 

 時刻は深夜、草木も眠る丑三つ時。

 最も、そんな時刻でも眠らないモノも多い。

 夜の世界に属する存在にとっては、何より快適な時間。

 

 そして、ここにも夜の世界の住人が一人、衛宮邸の屋根の上で一人たたずむのはアーチャーだった。

 

 この家には悪意のある者を知らせる結界が張ってある。

 とはいえ、超遠距離からの狙撃や強引な押し込みに対する防御が万全とは言いがたい。

 故に、アーチャーは夜間の見張りは欠かさなかった。

 

 もっとも、それだけではない。

 この家の主、衛宮士郎から客間の一室を寝泊り用にと宛がわれているのだが、いかんせん過去に己の家だっただけあり、違和感はぬぐえない。

 

──あの少女だったら、心の贅肉と断言するような、どうでもいい事柄。

 

 ふと、背後に気配を感じる。

 

「凛か……」

 

 霊体から実体に姿を変えながら、アーチャーは己のマスターを出迎える。

 睨むような、怒っているような、それでいて弱々しい表情の凛。

 その複雑な表情に、アーチャーは少々困惑する。生前も何度も見た表情だ。素直になれない彼女が困り果てているのだろう。

 アーチャーは内心苦笑すると、彼女のエンジンに火をくべるベく、皮肉を一つ考え出す。

「こんな夜の夜中に何の様かな、我が主よ。夜討ちならば残念ながら無駄だぞ、一部例外を除けばサーヴァントは眠る必用が無いのだからな」

「そ、そんな事無いわよっ!」

「ではリストラの勧告かな?」

「それも違うっ!」

「それは残念だ。次の就職先を探そうかと考えていたのだがな」

「俗な言い方ね。わたしの何処が不満なのよ?」

 辛そうに語る凛に、アーチャーは大真面目な表情で答える。

 

「胸のサイズ」

 

「なんですってええええええええええええええええええええええ!」

 ぐわしっ! と怒り出す凛。 

 もとい、ぐわしっ! はアーチャーの頭を抱え込んだ音だ。そのまま、強烈な膝蹴りをアーチャーの横っ腹に炸裂させる。ムエタイも顔負けの一撃だ。

 ぬおおと、のた打ち回るアーチャー。

「凛よ、き、君は、本当に魔術師かね。実は格闘家じゃないのか?」

 そういえば、凛の工房にはトレーニング機材が大量に置いてあったなーと思い出す。

「し、失礼ねっ! くだらないことを言い出す貴方が悪いのよっ!」

「それもそうだな。ふむ、調子が出てきたようだな、凛」

 突如、すくりと立ち上がるアーチャー。

「あ、アーチャー?」

「私の知る限り、遠坂凛は傲慢で身勝手で我侭でケチで守銭奴で怒りっぽくって、調子が良くて……」

「だんだん本当に殺意が沸いてきたわ、アーチャー」

「それはきっと気のせいだ。

 でも、どうしょうも無いぐらい甘くて、お人よしで、意地っ張りでなければ張り合いが無い」

「悪かったわね、意地っ張りで」

「いや、それが好ましいといっているのだ。

 所でこんな所に何の用かな? 用があるのなら呼べば参上するのだが」

 まったく性格が悪い己の従者に、凛は苦々しい顔を少しだけ見せて……すぐに苦笑をする。

 たしかに、こいつの言う通りに先ほどまでの自分は自分らしくなかった。

「たいした用じゃないわよ。はい、これ」

 そう言うと、凛は腰に下げていたポーチから竹の皮に包まれていた何かを取り出す。

「おにぎりのようだが……」

「夜食よ、夜食。見張りをずっとしていたんでしょう」

「サーヴァントに食事は必要ないのだが」

「好意よ、好意。つべこべ言わず食べなさい!」

 まったくもって強引な主に、苦笑を浮かべながらアーチャーはおにぎりを一つ取り出す。

 いかにも凛らしい、綺麗な三角形だ。

 握り方も中々上手い。硬すぎずやわらかすぎず、口の中でパラリとほどける。

「また腕を上げたな、凛よ」

「何処の老師よ、あんたは」

 くだらないボケをかますアーチャーに、凛がツッコミを入れる。

「いやいや、中々美味く握れている。97点と言ったところか」

「残り3点が気になるわね」

「それは秘密だ。で、凛よ。何の様かな?」

 質問をしながらも、恐らくは朝の事だろうと、アーチャーはあたりをつけていた。 

 

 

 

 

 

「“──偽刺し穿つ──死棘の槍──”(ゲイ・ボルク)」

 アーチャーの手から放たれた赤き杭は一直線に間桐桜の心臓を貫き、破壊した。

 

「あっ……」

 ゆっくりと、コマ送りのように崩れていく桜。

 口からは小さな悲鳴が、胸には赤い地のシミが広がる。

 少女は顔に驚愕の表情を貼り付ける。

 

 アーチャーは無表情に、倒れ行く少女を見送る。

 

 ライダーが小さく悲鳴を上げる。

 バーサーカーが目を見張る。

 セイバー二号が信じられない事態に硬直する。

 

 士郎と凛の動きが固まる。

 未来の己の、己が従者の突然の凶行に彼らの時が止まる。

 どれだけ二人は固まっていただろう。

 

「さくらあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 どちらの叫び声だろう、玄関に木霊する。

 

「おまえええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!」

 

 考えるより、先に体が動いていた。

 士郎は拳を握り、アーチャーに殴りかかる。

 

 アーチャーはかわさない。意味が無いから。

 士郎の拳がアーチャーの頬を打つ。

 込められすぎた力で、士郎の拳の皮が裂け、血が滲む。

 しかし、アーチャーには何の痛痒も与えられない。士郎の拳が痛んだだけだった。

 だが、諦めるわけにはいかない。

 こいつが俺の可能性だと認められない。何の罪も無い桜を突然殺すような奴が、正義の味方のはずは無い。

 絶対にこいつを許す事は出来ない。

 衛宮士郎は、魔術師だ。

 足りないのなら……、持ってくればいい。

 

 

「桜っ! 桜っ!」

 凛が桜の体を抱きとめる。

 でも、凛にはわかってしまった。

 桜の命は失われる。自分には桜を助ける術は無い。

 せめて、あの宝石があれば……、なぜわたしはこんな事をする男の過去を助けてしまったのだ。

 失われていく桜の体温、小さくなっていく鼓動。

 桜の唇がかすかに動く。

「───で……」

「ばかっ! あんたはっ!」

 こんな時にあの男を庇うのか。

 こんな時に私の心配をするのか。

 たった一人残された■■を、この世でたった一人の■をわたしは助けられないのか。

 悲しみが、憤りが、凛の心を苛む。

 そしてその感情は、すぐに怒りに転化される。

 己が従者だと思っていた男を睨みつける。

「アーチャー! あんたあああああああああああっ!」

 凛の腕が輝く。令呪が輝きを増す。

 

 

「落ち着いてください、シロウ」

 無茶な魔力を体に流し出した士郎を、セイバー一号が止める。

「セイバーっ!」

 士郎の、怒りと憎しみの篭った視線を一身に受ける。

 正直、こんな士郎は見たくは無かった。

 

──でも、アルトリアは己が愛した人を信じていた。

 

 遥か過去に、自らの鞘を信じられずに失い、そして破滅の道を歩んだ。

 ならば、今度は何があろうとも自らの鞘を信じよう。

 セイバーは寂しげな笑みを浮かべ、士郎の傷ついた拳を包みながらながら、もう一人の士郎に声をかける。

「信じてあげてください。アーチャー……、いえ、シロウは誰かを見捨てるような人ではありません」

 

 

「落ち着け、凛。最悪君の力を借りる。今は桜の治療が先だ」

 輝き出した凛の腕を、アーチャーは握り締める。

「アーチャー!」

 憎しみと怒りの目を、アーチャーは真正面から受け止める。

 それは生前、何度も受けていた視線。

 どれだけの人を助けようとも、助けられぬ人はいた。常に正しい事が人の共感を得られるわけではない。人々を救った結果、恨まれた事などざらだ。

 慣れていると言ってもいい。

 

──だが、遠坂凛にこの目で見つめられるのは辛かった。

 

 しかし、己が犠牲で誰かが助かるのなら……いや、誰かではない、妹と思った女性が助かるのなら、憎しみも怒りもこの身に甘んじて受けよう。

 悲しみと決意が篭った己が従者の表情に、凛が幾分冷静さを取り戻す。

「あんたっ!」

「最悪、私の切り札を使う。それならば桜の回復は絶対に可能だ。

 だが、それには令呪の助けが必要となる可能性もある。だから今は私を信用してくれ」

 アーチャーはそう言うと、傍らで立ち尽くすバーサーカーに声をかようと振り向き……すでにバーサーカーは桜の傍らで様子を見ていた。

 聡明な姉であり妹である女性に、アーチャーは感謝をする。

「どうにか出来そうか?」

「どうにかできるようにやったんでしょう。

 ──まったく、アーチャーも無茶をするわね。まさか心臓ごと吹き飛ばすなんて考えてもみなかった。思いっきりの良さは師匠譲りかしら」

 呆れたのか感心したのか、判別しにくい声を上げる。

「他に方法が思いつかなかったものでね。この家にこれだけのサーヴァントが集結しているのだ。先手を打たれて最悪の状況になるよりも、先に確保するべきだったろう」

「そりゃそうだけど、わたしとライダーがその手段を悩んでいたのが馬鹿みたいよ」

「まったくです……心臓が止まるかと思いました」

 同じ様に桜の様子を見守るライダーが、少々恨みがましい声を上げた。

「すまんな、どこに目があるかわからん。悟られる訳にはいかなかった」

「今のわたしはバーサーカーの枠に押し込まれているわ。力そのものは上がっているけど、生前ほど自由には使えない」

「その場合は、幾つか手段を考えている」

 アーチャーの一撃は、確実に桜の心臓を破壊していた。心臓に巣くっていた存在ごと、心臓を破壊した。

 問題はこの後だ。

 このままでは桜は死ぬ。だが、このまま桜を死なせる気は無かった。

 手段は幾つかある。

 そもそも、間桐桜は■■■だ。その属性や■■の■■の力も相まって、常人よりも遥かに高い回復力もある。桜の■■を奪っていた■■■■は今の一撃で破壊された。滅んだかどうかは微妙だが、少なくとも桜から力はもう奪えない。

 そして、ゲイ・ボルクによる心臓破壊からの蘇生例はすぐ目の前にある。本物のゲイ・ボルクよりも効果も弱い。

 十分な魔力と優秀な魔術師の力があれば、蘇生はできるはずとアーチャーは読んでいた。

 それがダメならば、アーチャーが■を投影して桜の体内に埋め込めばいい。あるいは、本物の■もこの場にはある。魔術師が足りないのなら、士郎を蘇生させた凛がいる。魔力なら■■■を投影して■■■■からもってくればいい。

 

“衛宮士郎にできるのは想像する事だけ”

 

 桜の蘇生。これほどまでに想像の容易い事柄は無い。ならば、絶対に可能。

 もっとも、それほどの奇跡が伴う投影を使うには、あるいは令呪の助けが必要かもしれない。

 今、凛に無駄に令呪を使用させるわけにはいけない。

「どうだ、バーサーカー?」

 アーチャーの質問に、安堵の溜息をつきながらバーサーカーは答える。

「うん、これなら今のわたしでも何とかなりそうね。リンほど上手くは出来ないけど」

 そう言うと、バーサーカーは己が手の先に魔力を集める。

「すまない。頼むよ姉さん」

 アーチャーはバーサーカーに声をかける。

 バーサーカーは一瞬意外そうな顔をするが、すぐに満面の笑みを浮かべた。

「うんうん、可愛い弟に頼まれちゃったら仕方ないわね。お姉ちゃんが助けてあげる。

 まっ、わたしだってサクラを助けたいしね」

 そう言うと、すぐに真剣な表情で桜に向き直った。

 バーサーカーの魔術師としての属性は“■■”。愛する弟に、自らの友人の命を頼まれた。ならば、助けよう。

 魔力の高まりと共に、桜の胸から鮮血が迸る。

「桜ッ!」

 慌てて掴みかかろうとする士郎。だが、セイバーが腕を離さない。

「落ち着け、未熟者。桜の中にあった異物が体外に排出されているだけだ」

「いぶつ……?」

 アーチャーの言葉に、凛が呆然とした声を上げる。

 バーサーカーの顔が歪む、決して得意ではない分野の魔術だ。だが、上手くいっている。

「そこの未熟者はともかく、君まで気がついていなかったのか? 間桐桜の心臓に何者かの使い魔が潜んでいたのだぞ」

「う、嘘……」

 

──それは、嘘。間桐桜の心臓に潜んでいたのは■■■■の本体。

 

「そんな嘘をついてどうする。わざわざ貴重な魔力……、しかも宝具を使ってまで一般人を殺す意味などない」

 

──これも、嘘。間桐桜は■■■。

 

「わたしは気がつかなかったわよっ!」

「気がつかなかったのではない。見ていなかっただけだ」

 憤る凛に、アーチャーは冷たく言い放つ。もっとも、自分も人の事を言える義理ではないと、誰にも聞こえないほどの小声で自嘲する。

「だったらなんで一言も相談しなかったのよっ!」

「言っただろう、どこに目があるかわからなかったのでな。

 それに、桜は君達にとって人質となる。誰にも悟られる事無く速やかに事を収める必要があった」

 アーチャーの言葉に、凛は言葉を失う。

「でも、こんな乱暴な手段ってあるかっ!」

 次に士郎が食って掛かる。

 そんな士郎に、アーチャーは嘲るような口調で語りかける。

「では、衛宮士郎。貴様ならどうするというのだ?」

「なにっ!?」

「貴様はこのまま手を拱いて見ていた結果、間桐桜が何者かの手により再起不能の傷……、いや、その命を奪われたら貴様はどう責任をとる」

「そ、それはっ……」

「そもそも、貴様にどうこう言う資格は無い。これほどまで長く桜と共にいて、彼女の危機に気がつかなかったのだからな

 貴様の未熟で貴様自身が死ぬのは構わない。だが、貴様の未熟は時として他者の命をも危機に晒す」

 

──それも、嘘。間桐桜が助けてと言い出せない臆病者だったから。

 

 アーチャーの言葉に打ちのめされる士郎。

「アーチャー! 言い過ぎです!」

 一号が、厳しい言葉を投げかけるアーチャーをたしなめる。

「いえ、アーチャーの言葉は正しい」

 だが、アーチャーの言葉を肯定したのは、セイバー二号だった。

「時として己が未熟は人の命を危機に晒す、これは事実です」

「ですがっ!」

「ですが、私はアーチャーを全面的に肯定する気はありませんよ。

 ──アーチャー。貴方がシロウだった時はどうだったのですか?」

「ああ、私にもこいつを非難する資格は無いな。これでは奴と同じ只の八つあたりだ」

 思いがけない言葉にアーチャーは絶句して、次の瞬間苦笑をする。 

 正直に言えば、桜の体内に使い魔がいる。これは十分にありえる……いや、考えてみれば無ければおかしいとすら凛は思う。

 その可能性を思いつかなかった、自らの迂闊さを呪う。

 しかし、アーチャーの言っている事は正しいと理性では理解できても、感情がついていかないのだ。

「ごめん、アーチャー。しばらく姿を消していて。

 貴方の言っていることは正しいわ。でも、それでもこれ以上貴方と話しているとわたしが何をするかわからない」

 その言葉に、アーチャーは微笑みすら浮かべ、その姿を消す。

「君のその感情は人として正しい、何も恥じる必要は無い。

 必要があればその時は呼んでくれ。私は屋根の上で見張りをしているから」

 あっ……。

 凛と士郎は、己が迂闊さ、そして未熟さを呪った。

 なぜなら、消える直前のアーチャーの微笑みは、酷く寂しげな微笑だったから。

 

 

 

 

「うっ……」

 真顔で見つめられて、凛は頬を赤くする。

 照れていると言うよりは、困っているのだろう。既に彼女の中で結論は出ているだろうに、まったくもって素直じゃない。

「──贅肉」

 ぽつり、アーチャーは小声で呟く。

 それは、生前にさんざん人を振り回してくれた女性がよく口にしていたフレーズ。

 ちなみに、一度だけこれについて失言をした時の彼女の殺気は、今でも覚えている。

「あんた、性格悪いわよ」

「師匠が悪かったものでね。

 言いたい事があるならはっきり言った方がいい。モヤモヤを抱えては君の性能が落ちる」

「判ったわよっ!

 ごめんなさい、アーチャー。朝は酷い事を言って」

 真っ赤になりながら、謝罪の言葉を口にする凛。

 そんな凛に、アーチャーは優しく微笑む。

「謝る必要は無いぞ、凛。朝も言ったが君のその感情は間違いではない。親しい人が傷つけられたら、怒るのは人として当然だ」

「それでも、これはわたしの気分の問題よ。心の贅肉だってのはわかってるんだから!」

 キッと睨む凛に、アーチャーは懐かしそうな表情を見せる。

「そういう事なら、受け取っておこう。

 だが、凛よ。君には今回の件には何一つ責は無い。私は単にズルをしていただけだ。気がつかなかった件も、私に怒りをぶつけた件も気にするな」

「そういう訳にはいかないわよ……、キッチリ借りは返さないと」

 怒りを込めて遠方を見つめる凛を、アーチャーは懐かしそうに見つめる。

「それもそうか。一時とはいえ仲違いの原因を作った人物にはそれ相応の礼をしないとだめだな」

「そういう事よ。わたしの桜を傷つけた奴を絶対に許さない。協力してくれる、アーチャー」

 決意を込めて語る凛に、アーチャーは少し派手なアクションで答える。

 凛を見下ろすと、仰々しく宣言する。

「我が弓は汝と共にあり、我が一矢は汝が宿敵を撃ち抜こう。ここに真に契約は完了したマスター」

「なによ、それ」

「私がある人に言われた誓いの言葉を、少々アレンジしてみたのだが……。似合わなかったかな?」

「ちょっとね」

「悪かったな」

 むくれるアーチャーに、凛はおかしそうに笑う。

「ごめんごめん。でも、アーチャー。朝は本当にごめんなさい。

 これからもお願いね」

「心得た、まずは明日の朝食かな」

「馬鹿」

 そう言うと、凛は踵を返し屋根から下りようとして……思い出したように質問をする。

「ねえ、アーチャー。貴方、わたしと桜の事を何処まで知っているの?」

「そうだな、君には肉親が一人生き残っているぐらいかな」

 凛は一瞬だけ考え込むと、自らの悩みの一端を口にする。

「わたしはどうしたらいいかな?」

「君自身が考えて決めるんだな。人の一生は決して長くない、君のその思いは間違いではない」

 アーチャーの言葉は、そっと凛の背中を押した。もう結論は出ているのだろうと、言外に語る。

「ん、ありがとう、アーチャー」

 そう言うと、凛は姿を消し、アーチャーは見張りに戻り……。

 

「何時まで姿を隠しているのだ?」

 

 不意に、屋根の一角に声をかける。

 一見死角に見える場所から、人影が立ち上がる。

「寝てなくて良いのか?」

「ずっと昼間は寝ていたんですから、少し動かないと明日の朝に本当に起きれなくなっちゃいます。朝ご飯の準備だってあるんですから」

「それは私がやろう。そもそも、人の密かな楽しみを取り上げるのは感心しないな……」

 アーチャーはそう言うと、近づいてくる人影に振り返る。

 

「桜」 

 

「そういう訳にはいきません。どんどん練習して先輩に追いつかないと」

「まあ、奴の楽しみを取り上げるは愉快でもあるか」

 そう言って、アーチャーは含み笑いをする。

「アーチャーさん、私はそこまで性格は悪くありませんよ」

 むくれる少女に、アーチャーは謝罪の言葉を口にする。

「それはすまなかった」

「いえ、許しません」

 いたずらっ子の表情で、桜はアーチャーに語りかける。誰かにそっくりだと、アーチャーは内心冷や汗を流す。

「どうしたら許してくれるのかな?」

 不意に、桜は真剣な表情を取る。

「アーチャーさんの本名を教えてください」

「本名か? シェロ・アーチャー・フォン・アインツベルンだが」

「嘘ですね」

「嘘でもないんだがな。生前この名前を名乗っていた時期もある。色々あって10くらい名前があるんだ。

 それに、私は私の本当の名前を知らない」

 それは……。

 桜は不意に思い出す。先輩はたしか……。

「だが、恐らく君が名乗って欲しい名前……私が自分の名前だと自覚している名前は……衛宮士郎だ」

「先輩……なんですか?」

 予想はしていた、おかしいとは思っていた。でも……。

「ああ、奴とイコールではないがね。奴の未来の可能性の一つだ」

 声が出ない。聞きたい事、聞かなければならない事はいくらでもあるのに、上手く言葉が紡げない。

 そんな桜の気持ちを察したわけでもないだろうが、アーチャーは一人言葉を続ける。

「安心して欲しい、桜。衛宮士郎も凛も君が秘密にしたい事は知らない。凛あたりは薄々感づいているかもしれないが、確証は無いはずだ。

 私は今より未来に当たる平行世界に起きた事件で君の秘密を知っただけだ。人の秘密を無断で口にするような真似は、誓ってやらない」

 そんな事を聞きたいわけじゃない。

 でも、声が出ない。聞くのが怖い。

「とりあえず、バーサーカーの治療は上手くいっているようだが、できるのなら凛に相談する事を私は進める。君の体は長期的に経過を見る必要がありそうだからな」

 違う、そうじゃない。

 聞きたい事は……。

「そうそう、私からあの未熟者や凛は言いくるめておこう。この家にしばらく寝泊りしたほうがいい。それと……」

 そうじゃない、言わないと……聞かないと……。

「先輩っ!」

「ど、どうしたんだ、桜?」

 言葉を突如さえぎっって叫ぶ桜に、アーチャーは目を白黒させる。

「先輩は……」

 ごくり、と唾を飲む……。

「先輩は、遠坂先輩……姉さんと結ばれたんですかっ!?

 英雄となった先輩が姉さんに呼ばれたってことは……姉さんと先輩に絆があったってことなんですか!?」

 この瞬間のアーチャーの表情をこそ、見ものだっただろう。

 鳩が豆鉄砲を食らったようなという表現そのままだった。目はまん丸に見開き、口をパクパクとさせる。

 完全に思考が停止している。

 一方桜は思考が渦巻いて、何も考えられない状態だった。

 ああ、いっちゃった。聞きたくないけど、聞きたいけど……。

 どれだけ、混乱していただろうか。アーチャーが不意に吹き出した。

「せ、先輩っ!」

「いや、すまんすまん、桜。心臓を貫かれておいて、その事以外の質問がくるとは……」

 そのまま、アーチャーは可笑しそうに肩を震わせる。

 桜は、どんどん真っ赤となっていった。

「わ、私は真面目に聞いているんですっ!」

「すまんすまん、ならば私も答えよう。衛宮士郎の一人は、遠坂凛と結ばれた……」

「えっ?」

 アーチャーの言葉に、桜の表情が固まる。

 それは予想していたけれども、聞きたくなかった答え。

 そんな桜にかまわず、アーチャーは言葉を続ける。

「他の衛宮士郎は間桐桜と結ばれて、愛娘の結婚式に男泣きしていた。また、私のように誰とも結ばれること無く生涯を終えた衛宮士郎もいる」

 アーチャーの言葉に、桜は頭に血が上った。

「ふ、ふざけないでくださいっ!」

「ふざけてなんていないさ」

 不意に、アーチャーは表情を引き締める。

 でも、それはとても優しい表情。

「私自信の生涯はそれほど長くは無かったのだが、かなりレアなイベントが目白押しでね。その中に平行世界の自分と出会うという事件があった」

 原因となったのは無論あかいあくま。この手のしょうもないイベントの大半は、彼女がきっかけだったりもする。思い出すだけで、笑みと頭痛が同時に襲ってくる。

「凛と結ばれた衛宮士郎は……、まあ私以上の苦労の連続だったな。ドタバタ騒ぎの日々に磨耗する暇も無かったようだ。それはそれで幸せそうだったがね。

 逆に君と結ばれた衛宮士郎は平凡な日常を幸せそうに生きていたよ。絵に描いたようなおしどり夫婦だった」

 そこに至る事件、葛藤がそれぞれあったことだろう。だが、それはこの少女に伝えるべきことではない。

「君が未来を心配する気持ちはわかる。だが、私の生涯は私の生涯ですでに終わった話しだ。それにこの世界で生きる君達が呪縛される必要は無い」

 その言葉に、桜は己が失言を悟る。アーチャーは英霊だ。つまり、彼の生涯はすでに終わっているのだ。

 いくらなんでも、無神経すぎたと思う。

「ご、ごめんなさい」

「謝る必要は無いよ、桜」

「で、でも……」

 萎縮する桜に、アーチャーは思いついたことを口にする。

「それなら桜、謝罪代わりに一つ、私の頼みを聞いてくれるかな?」

「えっ?」

「二人きりの時は、遠坂の事を『姉さん』と呼んであげてくれないか?」

 それは、桜の望み。

 アーチャーは、桜の背中もぽんと軽く押す。

 桜は何か言おうと口を開き……閉じる。この未来の先輩に、なんと言えば良いのか迷っているのだ。

 それを何度繰り返したか、先に言葉を紡いだのはアーチャーだった。

「さあ、桜。話は終わりだ。いい加減に休みたまえ。向かえも来た様だ」

 その言葉に振り向くと、紫色の髪のサーヴァントが静かに佇んでいた。

「桜、夜風は体に障りますよ」

 静かに微笑むサーヴァントに、桜が身を震わせる。

 なぜなら、自分は彼女に酷い仕打ちをした。彼女を譲ってしまったのだ……。

 彼女が怒っていないわけが無い。

 だが、そんな桜にアーチャーは微笑みながら語る。

「大丈夫だ、桜。彼女は信用できる……はずだ」

 ちょっぴり自信なさげなアーチャー。

「アーチャー、それは酷い。せっかく良いシーンだったのでボケを控えたのに」

「ボケんでいい、ボケんで。全国のライダーファンに怒られるぞ」

「大丈夫です、すでにボケに走った私はこーいうキャラだと認識されていますから」

 あまりといえばあまりの会話に、桜は小さく笑った。

「ご、ごめんなさい。笑っちゃって」

「いえ、かまいません。それよりも桜、今日は休んだほうが……」

「ええ、アーチャーさん。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ、桜」

 そう言うと、桜はライダーと共に姿を消した。

 そして……。

「しかし、あの馬鹿は学習能力というものが無いのか?」

 アーチャーの視線は、庭先で月を見上げる士郎に向けられる。

「昨日襲撃を受けたばかりだというのに……。やれやれ、注意しに行くか」

 なんとなく、先生にでもなったような気分でアーチャーは屋根から飛び降りた。

 

 こうして、衛宮邸の夜は更けていくのだった。

 せめて、今宵だけは良き眠りを……。

 

 

続く……だろうなぁ。