とある英霊と魔女達の夜

 

 

証言1・葛木宗一郎(穂群原学園教師・現代社会と倫理を担当)

 

「せ、先生とメディアさんって何時お知りあいになったんですか?」

「どういう意味かしら、お嬢ちゃん?」

「い、いえ……、葛木先生ってなんて言うか……、女性を口説く姿が想像できなくて」

「あら、こう見えても宗一郎様は情熱的よ」

「パパとママは、まんねんしんこんかっぷるって言うんだって、おじいちゃんが言ってたよ」

「おじいちゃん?」

「住職だ。結婚するまでは天涯孤独の身だったのでな、色々とご好意に甘えさせてもらっている」

「そ、そうなんですか?」

「ああ。メディアとは五年前に知り合った」

「どこで知り合ったんですか?」

「この町でだ」

「で、そのまま結婚を?」

「ああ、妻が身篭ったのでな。この子を私生児にする訳にはいくまい」

「で、できちゃった結婚!!」

「そういう言い方はやめてもらえないかしら、ぼ、う、や!」

「す、すいません」

「詫びに、モデルになってもらおうかしら」

「それなら、セイバー達を差し出すわ」

「ちょっと、リン! 勝手に決めないで下さい!」

「そうです、それは断固として拒否します!」

「そうね、ふりふりのドレスなんてどうかしら?」

「ふんわりとした感じの白系統がいいんじゃないかしら?」

「それも良いけど、黒系統のゴスロリ系も捨てがたいわね」

「二人いるんだから、両方セットでなんてどう?」

「それよっ! ふふふ、貴女判ってるわね」

「わたしも常々、セイバー達を着飾って見たいと……」

「ふふふふふふ……」

「ふふふふふふ……」

「は、話を聞いてないっ!」

「だから、勝手に決めないで下さい!」

「おいっ! 奥さんが暴走しているぞっ! 見てないで止めろよっ!」

「メディア」

「そ、宗一郎様?」

「──では好きにしろメディア。脱がすも着せるもおまえの自由だ」

「違うだろっ!」

「というか、脱がされたらたまりませんっ!」

「ほほほほほ、私も鬼じゃないわ。此処で脱ぐかモデルになるかを選びなさい」

「公衆の面前で何言ってるんですかっ!」

「あら、坊やは見たくない?」

「うっ!」

「シロウ! 真に受けるないでください!」

「お嬢ちゃん、男ってこんなもんよ。宗一郎様以外は」

「何をのろけているんだ……、それに大幅に脱線しているぞ」

 

 

証言2・柳洞一成(穂群原学園生徒会長)

 

「おお、宗兄ぃ、メディア殿、来ておられたのですか」

「ああ、すまんな」

「いえいえ、此処を実家と思って頂ければ」

「ありがとうね、一成くん」

「一成にいちゃーん」

「おお、───殿も、うむ、また少し大きくなったかな?」

「れでぃにたいじゅうの事を聞いちゃだめなんだよ」

「おお、これは済まぬ……って、ぬおっ! 女狐めっ、なにゆえ此処にっ!」

「あ、一成」

「衛宮までっ、なぜお前がこの魔女と一緒に居るのだっ!」

「いや、色々と涙無しには語れぬ面倒な事情があって……」

「脅迫されているのか!? それなら良い弁護士を紹介するぞ。若気の至りという事も……」

「どういう意味かしら、柳洞くん」

「そのままの意味だ。どうせ衛宮の弱みでも握り脅迫しているのだろう」

「半分ぐらい当たってるな」

「そうですね」

「どういう意味よっ!」

「ぬおっ! 衛宮が二人?」

「あ、申し送れました。シェロ・アーチャー・フォン・アインツベルンと申します」

「これは御丁寧に……、外国のお名前だが、衛宮のご親戚で」

「まあ、そのような者で……」

「ほほう、そのような方がおられたとは。して、今日は何ゆえに此処に?」

「はい、切嗣様の墓参りにと……」

「そうであったか、故人を偲ぶに国境も宗教もないであろうからな、案内をつけましょうか?」

「いえ、場所は知っておりますのでお手間は取らせません」

「そうでしたか、これは余計な申し出をしてしまったようで。しかし、衛宮のご親戚がまた、なんで宗に……葛木先生と?」

「メディアが話し込んでいた」

「……なるほど、いつもの……」

「一成くん、どういう意味かしら?」

「どーいういみかしらー?」

「い、いえ、なんでも……」

「随分と親しいみたいだけど、長い付き合いなのか?」

「五年位前かな、宗兄達は一時期はこの寺に滞在していたしな」

「そうなんですか?」

「ああ、結婚するまでは世話になっていた」

 

 

証言3・ネコさん(居酒屋コペンハーゲン店員)

 

「あ、ネコさん」

「おや、エミヤんじゃないか、こんな所でどうした……デートって場所でも無いだろう」

「いえ、そういうのじゃなくて……」

「おや、飲んではいないんだが酔っ払ってるのかな? エミヤんが二人……」

「いえ、かくかくしかじかと言うわけで」

「それでわかるかっ!」

「なるほど、そういう訳か」

「わかっちゃったよっ!」

「いや、わかんないけど……親戚かなんかなんだろう」

「確かにそうだけど……」

「でも、なんだってアンタが此処に?」

「いや、親父の墓参りに来て、葛木先生と会って」

「あ、葛木さん、こっち居るのか。じゃあメディアさんもこっちかな?」

「メディアって、奥さんと知り合いなんですか?」

「ん? そりゃまあお得意さんだからね」

 

 

 

 

 

「以上が、今日一日で判った葛木メディアに関するレポートよ」

 凛は眼鏡を外すと、分厚いファイルをテーブルの上に置いた。

 時刻は11時を回っている。現在この家で起きているのは、聖杯戦争の関係者だけだ。桜も泊まってはいるが、魔術で眠らせている。

「証言1は、関係ない会話が多いようだが」

「気にしちゃいけないわ」

「気にしますっ!」

 思わず、セイバー一号が怒鳴り声を上げる。

「近所迷惑よ、一号」

「近所迷惑じゃありません! 勝手に人を交渉の材料にしないで下さいっ!」

 一号だけではなく、二号も凛に怒りの声を上げた。

「良いじゃない、可愛い格好ができるんだから」

「サーヴァントは戦う為に呼ばれているんですっ! 着飾るためじゃ……」

「でも、士郎もアーチャーもセイバー達の着飾った姿を見たくない?」

「むっ……」

「そ、それはっ……」

 二人の脳裏に、純白のドレスに身を包んだセイバーの姿が浮ぶ。緑の風そよぐ丘に照れくさそうに微笑むセイバー、日の温かな光が彼女を照らし出す。

 手に持つのは剣ではなく大きなバスケット、中には士郎が作ったお弁当が。お弁当に心奪われ、どこか上の空なセイバーに士郎が苦笑する。丘の上の大きな木まではもう少しだ。『シロウ、早く行きましょう』、セイバーが妙に真面目な表情でせかす……。

 

「どう、見たいでしょう?」

 

 あかいあくまの声がする。

 突如、緑の丘に暗雲が立ち込め雷鳴が響く。あかいあくまが丘の頂上で腕を組み仁王立ちで待ち構える。赤い衣装に身を包むその姿は、凛々しいを通り越して猛々しい……っていうか、禍々しい? 射抜くような視線で丘の下を見下ろし、左腕がほのかに輝く。飛び交う呪いの塊、はじける風の剣、黒いさくらが嘲い、赤い弓兵と青い槍兵が茶々を入れ、クールなはずの騎乗兵がオロオロとし、その様子を安全な場所で見ていたしろいこあくまがケラケラ笑う。

 丘の上にいつの間にか陣取った侍と巨人が酒を飲み交わし、虎とぶるまぁは何故だか漫才を繰り広げる。若奥様と教師が周囲の混沌を気にせずに食事を続け、金ぴかが無意味に木の上で高笑いをし落雷に打たれてぽとりと落ちた。地面に埋められたワカメを肴に、老人と髑髏が茶をすすり神父がマーボを喰らう。大小メイドコンビが走り回り、男装の魔術師とハイテナイ聖職者が犬チックなペイント野郎を挟んでにらみ合う。

 

「って、何だこの妄想はー!」

「シ、シロウ?」

 なんだか、知らない顔まで揃った妄想に、士郎が叫び声を上げる。

「ちょ、ちょっとどうしたのよ、士郎?」

「いや、ごめん。また変な妄想をしてしまったみたいで……」

 なんだったんだろうか、あの知らない顔の数々は。

 一瞬だけ考え込みそうになる士郎だったが、とりあえずその悩みは押入れの隅に入れておく。どうせ何時もの電波に決まっているから。

「そうなの、まあいいわ。

 冗談はさて置き、アーチャーと一号に確認したいんだけど、あのメディアって人は貴方達が一度経験した聖杯戦争のキャスターにそんなに似ているの?」

「出会ったのは一度、しかも短い時間だけなので念を押されると困りますが、確かにそっくりでした」

 一号の言葉に、凛は眉をひそめる。

「そっか、彼女の履歴調査もしてみたんだけど……」

 そう言うと、凛は脇に置いてあった分厚い封筒を開いた。

「何時の間にしたんだよ?」

「履歴書に書かれている程度の内容なら、電話一本ですぐ調べがつくわよ。

 えっと、名前は葛城メディア、旧姓は蒼崎メディア……嫌な苗字ね。父親が日本人、母親がギリシャ人のハーフという事になってるわね。両親はすでに他界、5年前からこの町に暮らす。結婚するまでの職業は服飾デザイナー……、寿退社したみたいだけど、今でもたまにデザインの仕事をしてるみたい、子供に手がかからなくなったら復帰するつもりかな?」

 そう言うと、凛は雑誌の切抜きらしき紙片をテーブルの上に置く。

「これは?」

 覗き込むと、レースやフリルの沢山ついた少女趣味全開な服の写真が掲載されていた。

「彼女がデザインした服だって。ちなみにこれは5年前の記事」

「何処で手に入れたんだ?」

「調査をした奴が偶然持っていたらしいわ。とにかく、少なくとも彼女は5年前からは活動をしているって事ね」

「魔術で誤魔化したって事はないか? 彼女がキャスターならそれぐらいはできるんじゃないかな?」

 士郎が疑問の言葉を挟む。それに答えたのはバーサーカーだった。

「それは無いんじゃないかしら。シロウやリンは無関係の者は巻き込まないという方針でやってるけど、全てのマスターがそうだとは限らないわ

 怪しいと思った瞬間に、家族ごと抹殺……って可能性の方が高いくらいよ」

「それって……」

「その女性がキャスターだって言うのなら、自分が昔から居たように偽装するなんて無駄な真似はしないって事」

 全くもってバーサーカーの言う通りだと、凛は溜息をつく。

「そういう魔術師も多いって事よ。目的の為に手段は選ばない、協会が口を挟むのは究極的には魔術の隠匿をしない時だけだしね」

「そんなのが許され……」

「ストップ。問答をする気は無いし、わたしはそれを良しとはしてないわ」

 何かを言いたそうな士郎を手で制すると、凛はサーヴァント達に質問を投げかける。

 もっとも、既に得ている知識だ。確認と恐らくは知らないだろう士郎に聞かせる為だが。

「ねえ、ちょっと貴方達に聞きたいんだけど、サーヴァントを聖杯戦争の5年前に召喚して、今の今まで維持する事って可能?」

 凛の言葉に、アーチャーとバーサーカーが顔を見合わせる。

 そして、口を開いたのはアーチャーだった。

「そうだな、まず維持に関して言えば可能だ。君ぐらいの魔力があれば、魔術の行使に影響が出るだろうが、それでもサーヴァントを聖杯戦争後も維持する事はできる。さらに言えば、受肉という手段もある。

 呼び出す方は……」

 言葉を濁すアーチャー、バーサーカーが言葉を引き継いだ。

「そうね、理論上は可能よ。

 現にわたしは聖杯戦争の2ヶ月前に聖杯の助けを借りずに召喚されたわ」

「じゃあ、できるって事か?」

 士郎の言葉に、バーサーカーは首を横に振る。

「うんうん、理論上は……ってだけ。

 英霊を呼び出し現界させるなんてのは魔法に近い大魔術よ、普通の魔術師じゃ到底無理。仮にその大魔術を行使する下地があったとしても、今度は必用となる膨大な量の魔力を何処から調達するという問題も出るわ。それこそ聖杯でも持って来ない限りは不可能よ」

 それこそ、本末転倒だろう。聖杯を得る為にサーヴァントを呼び出すのに、聖杯が必用になるなど馬鹿げている。

「葛木はどう見ても魔術師じゃなかったわね」

「それじゃあ、絶対無理ね」

「でも、バーサーカーは……」

「彼女は特別だ。例外中の例外だと考えろ」

 アーチャーの言葉に、士郎が沈黙する。

「まあ、でも例外があるって事はありえる可能性は否定できないと……」

「そういう事だな」

「んじゃ、二つ目の質問。サーヴァントと……その、できちゃうの?」

 凛の質問に、サーヴァント達は一様に押し黙った。一部には、顔を赤くしている人もいる。

 セイバー二号だけはきょとんとしているが。

「って、そういう意味じゃないわよっ! いや、そういう意味だけど……」

「どういう意味なんですか?」

 セイバー二号が真顔で聞き返す。

「どうもこうも……」

「具体的に言っていただかないと、判りませんよリン」

「いや、そう言われても……」

「どうしたのですか? ハッキリしないなんて貴女らしくも無い」

 セイバーが凛を正面から真剣に見据える。彼女の言葉に凛の顔が朱に染まる。服と顔の色が同じだ。

 なんだかんだ言っても、凛は花も恥らう(ピー)歳の乙女なのだ。年齢が伏せてあるのは大人の事情だけど、とにかく経験は無いし、実のところクラスメートの話しでしか知らない。あかいあくまの中身は純情パンチだ、純情キックだ、とどめは必殺純情ドリル。ドリルは金のケモノの武器なのです。

 って、必殺ドリルって何だ。

 内心でノリツッコミをしながら、年下に見えるこのサーヴァントにどう答えようと模索する。大丈夫、クールだ、クールだからほら、こうやって踊る事もできる。

 ……どう見ても混乱していた。 

 そんな凛を一通り堪能すると、セイバー二号はニンマリと笑みを浮かべて答える。

「行為なら可能です。基本的に人と同じ事はできると思ってください。ただ、妊娠するかどうかは与えられた知識の中にありませんから判りませんが」

「って、二号! あんた知っててからかったわね!」

「はい」

 ニコリと答える二号に、居間の面々が絶句する。

 嗚呼、君だけはヨゴレとは無縁だと思っていたのに……。

「この環境の中に居れば、いい加減に一人で片意地を張るのも馬鹿らしくなります」

「そりゃ、もっともだな」

 他のサーヴァントが誰一人としてまともに聖杯を求めていないのだ。気を抜く訳では無いが、一々いらついていては神経が持たない。

 人、それを堕落と言うのだけど。

「堕落と墜落って字が似ていますね」

「Rネタはもういい」

 ボケようとするライダーをアーチャーがピシャリとシャットアウト。思わず隅っこでいじけ出すライダーだった。

「と、とりあえず。子供ができるかどうかは未知と……」

「普通は二週間程度の稀人ですからね、私達は……」

 一号がしんみりと言う。もし、あの時の自分が残る手段があったら……、だが、それは無意味な考えだ。自分と士郎の物語には、あの結末以外はありえない。救いも希望も無い、ただ美しいだけの終わり方以外は存在しないだろう。

「つまり、これも有るとも無いともいえないわけね……。どちらもあの女性がサーヴァントか否かの決定的な証拠にはならないと……」

 そう言うと、凛は手に持った封筒をテーブルの上に投げ捨てる。

 

 ごとっ……。

 

 紙の束が入っているとは思えない、重くて硬い音がした。

 一瞬、凛以外の面々が顔を見合わせる。

 痛々しい沈黙の後、最初に動いたのは士郎だった。

 封筒を持ち上げる……、重い。それは明らかに金属の重さ、紙以外の何かが入っているのは確かだ。

 凛の顔を盗み見る。そっぽを向いて鼻歌を歌っている。

 目覚めつつあるエミヤのスキルが、しきりに警鐘を鳴らす。これは、ゴミバコに投げ捨てろ、いや、それでは拙いからサーヴァントの誰かに頼んで消滅させるか、知り合いの誰かに頼んで処理してもらった方が良いと直感的に悟る。

 しかし、だがしかし、駄菓子菓子。

 衛宮士郎は魔術師だった。いや、正確には魔術使いだが、この瞬間は魔術師だった。

 随分とやすっぽい魔術師だけど。

 とにかく、探索しなくて何が魔術師だ。好奇心猫を殺すって言うけど、どうせスプラッタなエンドは何度も潜り抜けるんだし、今更危機の一つや二つ。って、何時潜り抜けたんだこの電波。

 まぁ、兎にも角にも好奇心が勝った事だけは事実。

 封筒をひっくり返す。

 中から出てきたのは、黒光りする金属製の道具だった。

 筒状の穴がある長方形の道具だ。片手で握ることを前提としたグリップに、スライドするパーツ。きっと鉛の弾が飛び出す……。

 アーチャーとバーサーカーは見慣れた機械、セイバー達も第四回のマスターが使っていた道具。ライダーと士郎はドラマで見ていた。

 士郎は沈黙を破り、凛に問いかける。

「なあ、遠坂……、これは?」

「誰かが個人的に暴走して襲っちゃったら良くない?」

「何を考えてるんだ、君はああああああああああああ!」

 己のマスターの暴言に、アーチャーが叫び声をあげる。

「じょ、冗談よ、冗談」

 いや、半分マジだった。確証は無いが、アーチャーはそう思った。

 他の面々も同じ思いだったのだろう、皆が半眼で凛を見つめる。

「だ、だから冗談だって。

 ──それに」

「それに?」

 凛が、不意に真剣な表情をする。

「色々とヒントがあったから……、おぼろげだけど異常の全容が見えてきたわ」

「どう言う事ですか?」

 凛の言葉に二号が聞き返すが、凛は答えなかった。

「ごめん、まだパーツが足りないから教えることは出来ないわ」

 ただ、凛の頭の中に今日までの事が整理されつつあった。

 二体ずつ召喚されているサーヴァント、桜の心臓に仕込まれていた使い魔、バーサーカーの名乗った名前、5年前から存在するキャスターらしき女性、そして先ほどまでの会話。

 ただ、まだ『誰』が判っただけだ。『なぜ』と『どうやって』が判っていない。

「まだ、暫くは受身って事ね……」

 凛の言葉が、憂鬱に響くのだった。

 

 

 

 続く・・・ぽい。

 

 

 

幕間・杖と拳

 

 

 現在の葛木夫婦の住まいは、柳洞寺のすぐ側にある一軒家だ。

 かなり古くからある屋敷で、3年前に老夫婦より格安で譲り受けた。住職と並びこの町に住み着いてから世話になっていた老夫婦だったが、遠くの町に住む娘夫婦と同居する為に売りに出すことにしたのだ。

 その頃にはそこそこの蓄えもあったので新築の住居でも良かったのだが、メディアはこの家が好きだった。

 かつては、望んでも手に入れられなかった平穏、この家に住んでいただろう人たちが残した穏やかな空気、その全てを愛してやまなかった。

 おかしなものだ、かつての自分が唾棄してたはずの存在が、今は愛してやまないのだ。

 

 いや、それは憧れゆえの嫉妬だったのだろう。

 

 5年間の穏やかな日々で、自分は変わったのだろう。

 変わらぬ存在に成り果てたはずの自分が変わっていく……、実に不思議な感覚。でも、決して不快ではない感覚。

 できれば、この穏やかな暮らしを続けたかった。

 愛する夫と、可愛い娘に囲まれて静かに暮らしたかった。

 

 でも……、終わりの使者が来てしまった。

 月明かりの元、メディアは悲しみと決意に満ちた表情をする。

 

 彼女から彼らと敵対する気は無い。

 もはや、彼女が望むのは娘の健やかな成長と、愛する夫と添い遂げる事だけ。聖杯などという得体の知れない……いや、禍々しい存在には興味など欠片も無かった。

 でも、彼らが敵対するなら……愛しい家族を傷つけるなら彼女は再び杖となりて、その魔力を持って主が敵をなぎ払おう。今の彼女は、もはや魔女と呼ばれることに恐怖は抱かない。

 怖いのは、己の愛する人を失うこと。恐れているのは、愛する人が悲しむ姿を見ることだけ。

 たとえ大恩のある人物の息子とはいえ、いざとなれば戦わねばならないだろう。

「でも……」

 夕方の光景を思い出す。

 二人いたあの少年の片方は、恐らくあの少年の未来の姿。外から見る限り、魂の構造がほとんど同じだった。そして、二人いる金の髪の少女。触媒はアレだろうし、正体は恐らく……。あの娘達……敵対するには惜しい。

 メディアの脳裏に5年前の出来事が、克明に再現される。

 血はつながらないとはいえ、お人好しで残忍な正義の味方の息子だ。あのまま成長していたのなら、あるいは味方につけられるかもしれない。かつての自分ならば殺してしまいたいほど嫌悪していただろうが、あの少年も自分と同じ世界の贄だと今なら思える。

「でも、覚えてないなんていうのも……、かなり不安ね」

 あの少年、きっぱりと自分達の事を忘れている様子だった。まあ、彼は幼かった上にすれ違い程度だから仕方の無いことかもしれないが。

「メディア」

 不意に、背後から声がする。

 そこに居たのは葛木宗一郎、彼女が心から愛する主人。自分の全てを知りながら、全てを受け入れてくれた誠実な男。

 5年前のあの日、偶然出会った万に一つの奇跡。そして、その奇跡は今日という日まで続いている。

 その奇跡が続くのなら、何を惜しむというのだろうか。

「宗一郎様……」

「始まるのか?」

「はい……、始まりました」

「そうか、助けが必要ならば私を呼べ。朽ち果てた殺人鬼といえども力になれるだろう」

 葛木もまた、5年前の奇跡の出会いを思い出していた。ただ朽ち果てていくだけだった自分、死に絶えたはずの心をよみがえらせた女。

 そして、始めて知った人並みの幸せというもの……。

 葛木もまた、もはや彼女の居ない世界など想像も出来なかった。彼女との間に出来た娘を、愛してやまなかった。残された唯一の望みといえば、何時かは彼女を元居た場所に戻すこと……。

「はい、宗一郎様……。でも、今は抱きしめてくださいませ」

 そう言うと、メディアは愛する人にその体を預ける。

「一つ訊ねるが。それは手荒くか、それとも優しくか」

 それは、初めて出会った夜の言葉。

 葛木宗一郎という男に出会えた事こそが、メディアにとっては、見たことの無いような奇跡。

 メディアという女に出会えた事こそが、葛木宗一郎にとっては、見たことの無いような奇跡。

 二人の影が、そっと一つに重なった。

 

 この夜、ごく普通の主婦だった女は、再び魔女に戻った。

 それは裏切るためでも、復讐の為でもなく。

 愛する人と、共に生きる為。