とある英霊と銀の少女

 

 

 遠坂凛はご立腹だった。

 時刻はちょうどお昼過ぎ、場所は学園の屋上。

 冬の寒空の下、たった一人弁当箱を片手に立っていた。

 不意に、背後に気配がする。

「凛、やはり居なかったぞ」

 現れたのは赤毛の少年の姿をしたサーヴァント、アーチャー。アーチャーは眉をひそめ言葉を続ける。

「学園中探してみたが、奴の気配は無い。カレンも今日はクラスメートと共に学食に居た……」

 あのサドマゾシスターが制服姿で和やかに談笑する姿は一種のホラーだったが、それはどうでも良い話しだ。

「生徒会室は? 職員室も探した。」

「やはり居ないかった。生徒会長が一人いただけだった」

 妙に寂しげにお茶をすする一成とか、職員室でソボロやら炒り卵やらで作られたハートマーク弁当を黙々と食べる葛木の姿なども見たが、これもあえて触れるべき話題ではない。

「弓道場も桜の所も探したが、奴の姿は無かった」

「あんた、アレは過去の自分でしょう。何処行ったのか判らないの?」

「そう言われてもな……」

 

 ちなみに、行方不明になったているのは衛宮士郎だったりもする。

 アーチャーが心底困ったような表情を作る。何処に行ったのかなど判るはずがない。

 昼休みは絶対に屋上に来るようにと伝えておいたのだが、昼休みになって屋上に来て見ても誰も居なかった。何時までたっても来ない──実のところ待った時間は5分程度なのだが──士郎に業を煮やした凛がアーチャーに探しに行かせたのだが……、学園中何処を探しても居なかったのだ。

 

「過去の自分が今日何処に行ったのか……わからないの?」

「そう言われてもな、君は10年前の昼食のメニューを答えられるか?」

「あのね、聖杯戦争中なんてイベント中よ……覚えてないの?」

「うーむー、大まかな流れや印象的な事件なら覚えているのだが……」

 たしかに、これだけの大きな事件なのだから思い出せるかもしれないが……。

「時間をかければ思い出せるかもしれんが、昼休みは終わってしまうぞ」

 アーチャーの言葉に、凛が苦虫を噛み潰したような表情となる。

「仕方ないわね……とりあえずお昼にするわよ」

 そう言うと凛は持っていた弁当を開く。

「あんたも食べなさい」

「凛よ、別にサーヴァントは……」

「食事を取る必要は無いんでしょう。でも、士郎と昼に簡単に情報をまとめるつもりだったから、少し多めなのよ」

 実際、葛木やカレンに何か動きが無いか、士郎と情報交換をするつもりだったのだ。もっとも、少なくとも葛木に変化は無かったし、カレンにも動きは無かった。

「サーヴァントに気を使わないでもな」

「心の贅肉だってわかっているけど、精神衛生上良くないわ。同じ顔が二つ並んで片っ方だけ食べてないなんて……」

 確かにその光景を想像する。たしかに何かバラエティー番組の罰ゲームのようで、美味しく食事が取れるとは思わない。

 そしてアーチャーの信念の一つに、食事は美味しく食すべきだというものがある。

「しかたない、少しご相伴に預かろう」

 そう言うと、アーチャーは弁当の中からオニギリを一個取り出してほうばった。

「むっ……」

「どうしたのよ、アーチャー」

「この梅干はあの未熟者の家にあった物だな……、あの愚か者め管理が甘い」

 食材の管理に一言入れるアーチャーに、凛は苦笑いを浮かべる。

「よくわかるわね」

「ロンドンでは気に入った梅干が手に入らなくてな、自分で漬けるようになったのだが……」

「ふーん、ロンドンに行ったんだ」

 珍しく過去(そして未来)の一部を話すアーチャーに、凛は心の中のチェックボックスに印をつける。士郎がロンドンに行ったということは……。

「よく、天日干しの匂いがキツイととお……おっと、これ以上は秘密だ」

「ちぇっ」

 危うく口を滑らしそうになったと、アーチャーは苦笑いを浮かべる。

 その後しばらくはお互い無言で食事を続けていたが、不意に凛が口を開く。

「しかし、士郎は一体何処に行ったのよ……」

 

「あの坊主か? 昼前に出て行ったぜ」

 

 不意に、屋上の入口から声がする。

 そこにいたのは、この学園に出入りする第三のサーヴァント、ランサーだった。

 ランサーの登場に、アーチャーは立ち上がり警戒の態勢を取ろうとする。そんなアーチャーに、ランサーは敵意は無いと手を振る。

「安心しろって。カレンから襲われない限り戦うなって言われてっからさ」

 一瞬だけランサーは疲れた表情をした。というか本当に疲れているのだ、気疲れでサーヴァントが消滅するのならとっくに消滅しているだろう。

「では、何故ここにきた?」

「おいおい、此処の入口に人払いの結界を張ったのはそこの嬢ちゃんだろう。うろついてたら結界があったんで見に来ただけだぜ」

 確かに余計な第三者が来ないように簡単な結界を張っていた。ランサーの言っている事は理にかなっている。ランサー自身の性格では、嘘をついてまで不意打ちをするとも思えないが……。

 ランサーは無造作に凛達に近寄り、ひょいと弁当から鳥の唐揚げを一つつまむ。

「おっ、美味いな、これ」

「ちょっと、いきなり何するのよっ!」

「けちくさいこと言うなよ。現界できるチャンスなんてそう無いんだからさ」

 ひらひらと手を振りながら、さらにオニギリを一個口に運ぶ。

「サーヴァントに食事は必要じゃないでしょう!」

「そりゃそうだけどよ、食う必用が無いのと、食わないってのは別だぜ。

 ──ところで、これは嬢ちゃんが作ったのか?」

「違うけど」

 詰めたのは凛だったが、作ったのは桜だ。

「そっか、これくらい作れるなら良い嫁さんになれると思ったんだがな」

 ランサーの褒め言葉に、凛の頬が緩む。自分を褒められたのと同じくらいに嬉しく感じた。

「作った娘に伝えておいて上げるわ」

「ついでに紹介してくれると嬉しいんだけどな」

「それは教えられんな」

 ランサーの軽口に、アーチャーがしかめっ面で応じる。

「そりゃ残念だ。こっちに来てからまともな手料理は初めてだったんだがよ」

「なんだ、それは?」

「ああ、最初のマスターは缶詰ばっかりだしよ、次のマスターは……」

「次のマスターは?」

 たしか、アーチャーの話しが本当なら、言峰綺礼のはずだが……。

「現世で至高の料理だというモノを食わせてもらったんだが……、ありゃ地獄の釜から吹き出た毒々マグマみてえだったな……。『まーぼ』とか言ったっけ」

 確定、こいつの前のマスターは絶対に言峰綺礼だ。奴以外にそんなモノを至高の料理などと言う奴はいない。

「カレンの所では?」

「あいつがサーヴァントに物を食わせるタイプに見えっか?」

「いや……そもそも、当人自体が食べる事にこだわってないからな」

 長い異能の行使で、すでに彼女の五感は衰えているはず。彼女もまた衛宮士郎と同種の人間、救いなど求めていない歪な存在。

「そういや、今のマスターの同僚ってのもすごかったな。

 究極の料理だとか言う『カレー』とか言うのを延々と食いつづけいたな。美味かったが、見てる方が胸焼けしそうな食い方だったぜ。一緒にいた眼鏡の坊主は平気そうだったが……」

 教会の異常な食事事情の一幕に、凛の顔に数本の縦線が入る。

「まあいいわ。でも、食べた分くらいはこっちの質問に答えてくれる?」

「マスターの事は秘密だぜ」

「そんなのどうでもいいわ」

 ランサーは気付いていないが、地獄麻婆なんぞを喜んで食う変態などこの町には一人しかいない。

「わたしが聞きたいのは、あんたが見つけたって言う、柳洞寺の魔術の痕跡の件よ」

「そんな事でいいのか?」

 意外そうな表情のランサーに、凛は頷くと無言で続きを促した。

「もっとも、俺もそれほど詳しく調べたわけじゃないぜ。ちょいと場が乱れていて、過去に派手に御同業が暴れた痕跡が残っていたぐらいだ」

「過去とはどれ位だ? 同業という事は聖杯戦争の爪痕か?」

 それではおかしい。アーチャーの記憶が正しければ、10年前の痕跡は中央公園だったはず。

 そんなアーチャーの疑問にランサーが答える。

「いや、違うだろうな。ありゃ俺の見立てじゃあ4〜5年前だ。第四回とは時期が全く違う。守護者かなんかじゃねえのか?」

「守護者だと? それこそありえん。そんな時期に守護者が呼ばれるような事態となっているのなら……、この町が存続しているのはおかしい」

 守護者が呼び出されるのは、決まって悲劇が終わった後。もし本当に守護者がこの町に現れていたのなら、考えたくは無いが冬木は存在していない。

「そこまではわからねえよ。時間をかけて調べたわけじゃないからな」

「4〜5年前……、守護者……」

 春巻きをつまむランサーを横目で見ながら、その推測を反芻する。葛木夫妻がこの町に現れた時期とちょうど符合する。

「ああ、それくらいだ。ずいぶんと派手にやりあったみたいだな、戦いの痕跡は修復してあったが、隠しきれてねえ」

「何と戦っていたかわかる、ランサー?」

「修復してあったから詳しくはわからねえが……呪いの塊みたいな気配がしたな」

「呪いの塊?」

 ランサーの言葉に、アーチャーが嫌そうな表情をした。アーチャーにとっては何度も掃除を押し付けられた面倒な敵だ。

「まっ、あくまでも『感じ』だけどな。これ以上は判らないぜ、簡単に調べただけだからよ」

「これで十分よ、ありがとう」

 そう言うと凛は、残っていた弁当を箱ごとランサーに手渡す。

 ランサーの調査と葛木夫妻が町に現れた時期の一致。全面的に信用するわけではないが、それでも葛木夫妻が限りなく黒だとわかっただけでも大収穫だ。

「お、あんがとよ」

「箱は洗って返しなさいよ

 ──しっかし、士郎は何処行ったのよ……」

 凛のぼやきに、ランサーが漬物を齧りながら軽い調子で答える。

「ん、前に嬢ちゃんと一緒にいた銀髪の姉ちゃんがいただろう、昼前に来てあの坊主を連れ出していったぞ」

 つまり、バーサーカーが連れ出したという事ね……。凛が心の中で呟く。

「腕なんか組んで、『デート行くわよ、シロウ』って、真祖の姫の如く連れ出してたぜ」

「なんで、君が彼女の存在を知っているんだ?」

「なんでだろうな? 電波だろ、どうせ」

 ピシッ!

 凛の手の中で、まだ握られていた割箸が真中からへし折れる。

 突然の出来事に、アーチャーとランサーが顔を見合わせる。

「り、凛?」

「じょ、嬢ちゃん?」

 そこには、うつむき小刻みに肩を震わす凛の姿があった。

 泣いている……訳では無論無い。

 吹き上がるあかい怒りのオーラに、英霊であるはずのアーチャーとランサーは恐怖で震えるしかなかった。

 

 

 

 

「ひっ!」

「どうしたの、シロウ?」

 突如震え出した士郎に、バーサーカーが不思議そうに声をかける。

「あ、いや、妙な寒気がして……」

 きょろきょろと左右を見渡す。通行人のバーサーカーに向けられる視線こそあれ、寒気を催す類いの視線は無かった。

「風邪かしら?」

 そう言うと、バーサーカーは士郎の前に前に回り込み、コツンとおでこをぶつけ目を見つめる。超至近距離に接近したバーサーカーの顔に、士郎の頬が赤くなる。

「熱は無いみたいだけど……、すぐ無茶な鍛錬するんだから気をつけなさいよ」

 もっとも、バーサーカーは何でも無いとばかりにおでこをはなすと、腰に手を当て小さな子供にやるように士郎に注意をした。もっとも、士郎はそれどころではなくボソボソと小声で言い訳をする。

「あ、いや、今は土蔵が使えないから鍛錬は出来なくて……」

 土蔵の中にはヘラクレスがポツンと立ち尽くしてるため、入るに入れないというのが現状なのだ。

「あれ、シロウは彼が怖いの?」

「あ、いや、それ程じゃないんだけど……、アーチャーと間違われて暴れられても……」

 アレが出現した最初の晩、何故だか知らないが巨人はアーチャーのみを執拗に狙っていた。うっかりとアーチャーと勘違いされて暴れられでもしたら……、ちょっと考えたくも無い事態だ。

 そんな士郎の葛藤を微笑みながら見守っていたバーサーカーだったが、不意に真面目な表情をする。

「でもシロウ、土蔵は使えないからって道場で鍛錬しているでしょう」

「えっ、気がついていたのか?」

「みんな気がついているわよ。ダメよ、無理しちゃ」

 こっそりとやっているつもりだったのだが、どうやらバレバレだったようだ。

「でも、俺はまだまだだから……」

 あの、爺さんが見せた輝きに追いつく為にも、そしてその夢を形にする為にも、こんなところで立ち止まって入られないのだ。

 それに、自分が英霊化したというアーチャーと言う存在も目にした。ゴールの見えない挑戦ではない。いや、ゴールじゃない、あんな嫌味男よりももっと……。

 そんな士郎を優しげに──そして、寂しげに見つめていたバーサーカーだったが、不意に士郎の腕に自らの腕を絡ませる。

 士郎の二の腕に、心地よくやわらかいモノが押し付けられる。

「うわわっ!」

「だめよ士郎。思いつめちゃ」

「う、腕にあたってる、あたってる……」

「何が?」

 いたずらっ子の笑みで、この年上の銀の髪の女性が語りかける。

 士郎は真っ赤になりながら、慌てて腕を振り解いた。先ほどまでの決意がフニャフニャにされてしまった気分だ。

 気を取り直すように、士郎はバーサーカーに問い掛ける。

「と、ところで……、俺に何か頼みたい事があるんじゃないのか?」

「あ、そうだった」

 若い士郎をかまうのに夢中で忘れてたと、小声で呟く。

「ほら、わたしは今、マスターとはぐれているでしょう。なんだか状況が混乱してきたから合流しようと思って」

「えっと……それは探すのを手伝ってくれと?」

「うん、一人より二人の方がいいでしょう、多分商店街のあたりにいると思うんだけど……」

「えっ? でもそれなら遠坂やセイバー達にも手伝ってもらったほうが良くないか?」

「セイバー達はともかく……リンがわたしのマスターと出会ったら喧嘩になりかねないわ……」

 どこか郷愁を漂わせて遠くを見つめるバーサーカーを、士郎はぼぅっと見つめる。

「それって、どんな性格なんだ?」

「大丈夫、かわいらしい女の子よ。ただ、ちょっと凛との相性が……。でも、金髪縦ロールのカレイドサファイヤじゃないから安心して」

「どんなだよ……」

 特にカレイドサファイヤってなんだ。

「いずれ判るわ」

 郷愁というより、どこか乾いた笑みを浮かべるバーサーカー。なんだか、アーチャーが(凛がらみの)思い出に浸っている時の笑みと似ている。

 まぁ、彼女も遠坂凛が巻き起こすドタバタの被害者の一人だから無理も無い。もっとも、自分だって同じぐらいのトラブルメーカーだったんだけど。

「でも、俺はバーサーカーのマスターの顔を知らないぞ」

 士郎のもっともな言葉に、バーサーカーは微笑み返す。とびっきりの悪戯を思いついたあくまっ娘の微笑だ。

「ううん、大丈夫。会えばきっと判るから」

「なんでさ?」

「ひみつ。見つけたらお姉さんがサービスしてあげるから」

 そう言うと、バーサーカーは再び士郎の腕に自らの腕を絡ませた。先ほどよりも強く、やわらかい双丘が押し付けられる。

「って、だから当たってる当たってる!」

「当ててるのよ」

 面白そうに士郎をからかうバーサーカー。おかげで、先ほどの疑問は士郎の頭の中から吹き飛ぶのだった。

 

 

「で、商店街についたわけだが……」

 士郎はポツリと呟く。

 右を見る。

 左を見る。後ろを見る。前を見る、クルリとまわって背中で人生を語る。

 って、語るほどまだ生きてはいないけど……。

「何処行ったんだ、バーサーカー……」

 周囲の何処を見渡しても、バーサーカーの姿は見えなかった。

 いつの間にか姿が見えなくなっていた。霊体化したわけではないだろう、どこかではぐれたか、彼女から姿を消したと考えるのが合理的だ。

「まあ、あの銀髪は目立つか……」

 それ程背が高いわけではない彼女だが、外人など珍しい冬木市だ。すぐに見つかるだろう。

 

──おにいちゃん。

 

 それにしても、彼女は何者だろう。

 未来の自分の姉……を名乗る女性。狂戦士のサーヴァント。少なくとも今の衛宮士郎に姉などいない。『自称・姉』なら一人いるが、アレの未来の姿がバーサーカーなどと言ったら、それこそあの巨人が怒り狂う事間違いないだろう。時として大人っぽく、時として子供の如く無邪気で……、道化のように振る舞い賢者のように達観している。

 実に不思議な女性だ。

 

──おにいちゃん……、シロウ!

 

 だが、正体は何なのだろうか? 未来の自分が結婚した先の義理の姉……、ちょっと考えに無理がある。いや、そもそも今の士郎は『衛宮』となる前は『■■士郎』だったか、苗字を知らない。姉がいる可能性は0ではない。しかし、どうみても彼女は日本人ではない……。

 

──えーい、シロウっ!

 

 不意に膨れ上がる殺気。

 空を追う黒い影、白いつーばさのガッ○ャマ〜ン。科学忍法……違う。

 妙なボケは斜め45度にぽーんと投げ捨てて、慌てて空を見る。そこには、万有引力の法則に則り落下してくる笑顔の銀色の髪の幼女……もとい、少女が一人。

「まさか、あの技はっ!」

「知っているのか、雷電!」

「あの技は、トペ・アインツベルン。まさかあの奥義を会得している者がいようとは」

 通りすがりの人たちまでもが妙なボケをかますが、構ってなどいられない。かなりの速度で少女は落下、かわすのは間に合わないし、間に合ったとしてもかわせば少女が怪我をしてしまう。

 ならば、受け止めるべし。

 足を踏ん張り腰を入れんかーとばかりに、少女を受け止めるべくふんばる。

 少女のにこやかな表情が、士郎に迫り来る。

「おにいちゃーん!」

 がしっ!

 日々の鍛錬を欠かしたことがない肉体は辛うじて少女の身体を受け止めたが、角度が悪かったのか顔面と衝突してしまう。

 もっとも、接吻なんて甘ったるいモンじゃない。超高高度からヘッドバット、人間爆雷、頭突きが士郎に突き刺さる。

「あれっ?」

 どんなに鍛え上げようとも、脳みそが揺さぶられてはたまったもんじゃない。ひざが崩れバランスを崩す。数歩よろけ、そのまま尻餅をついてしまう。

 少女を抱えたまま。

 そして、人間倒れる時には思わず何かを掴んでしまうものなのだ。今の士郎の手の中には少女が一人。

 えー、結論から言ってしまえば、倒れる時に士郎は少女を抱きしめてしまった。そりゃ、もう熱烈に。

 意外と逞しい士郎の胸板の感触に、少女の頬が赤くなる。

 一方士郎はというと、それどころではなかった。何故だかはっきりと、士郎の耳に周囲のご近所の皆様方の囁きが聞こえてきた。

 

──あら、あれまた衛宮さんとこの士郎くんよ。

──まぁ、昼間から熱烈ね。

──そう言えば奥さん知っています? 衛宮さんところ、今女の子で一杯だって。

──あら、私はてっきり藤村さんところのお嬢さんと……。

──それは3秒ルートだ。

──あらあら、いやだ、私ったら。

──何でも、外人の女性が何人も……。

──私は学園中の美少女にコナをかけたと聞いているが。

──あら、そうなの。若いからかしら、おさかんねぇ。

 

 なにやら、以前にも増して人聞きの悪い事を言われている気がする。

 そして腕の中には、頬を赤らめている少女が一人。このままではご近所様になにを言われるかわからない。

 士郎は慌てて少女を抱える。

「って、お兄ちゃん変なところ触らない!」

「いいからだまってっ!」

 少女を抱えると、士郎は一目散にこの場を逃げ去るのだった。

 周囲の生暖かい視線を浴びながら……。

 

 

 二人がたどり着いた先は、いつかの小さな公園だった。

 昼過ぎのためか公園には子供の姿は無く、どこか閑散としていた。

 二人は公園のベンチに腰をかけ、途中で買った大判焼を齧っていた。

「驚いたわ。お兄ちゃんが突然駆け出すんだから」

 先程の事を思い出しているのか、少女の頬がほんのりと赤い。

「いや、ごめんごめん」

「でも、意外と力あるんだ。びっくりした」

 少女の無邪気な笑顔に、士郎も破顔する。

「これでも、少し鍛えているからね」

「そうなんだ」

 そう言うと少女は、士郎の二の腕をつつき、意外と硬い筋肉の感触に感嘆の声を上げる。

「痩せて見えるけど、ホント筋肉あるんだ……。日本語で『着膨れ』って言うの?」

「いや、逆だよ。『着痩せ』って言うんだ」

「ふーん、そうなんだ」

 男性の筋肉がよほど珍しかったのか、少女は士郎に肩を寄せつんつんと突っつく。

 小動物がじゃれ付くような、そんな少女の様子に士郎はふと気が付く。

「もしかして、寒いのか?」

「え? うん、寒い。わたし、寒いの苦手なの」

 そう言って少女は、はあ、と白い息を吐く。

 もっとも、苦手と言いながら、どこか楽しそうな様子だった。

 だが、不意にむうと少女はうなる。

「どうしたんだ?」

「だめだよ、お兄ちゃん。こういう時はレディにコートを羽織らせるとか、マフラーを一緒に巻くとかしなきゃ」

 少女の言葉に士郎は苦笑いをする。

「ごめんごめん、でも俺マフラーもコートもないし……えっと……」

 士郎は謝ろうとして、この少女の名前を知らない事に気がついた。つい先日顔を合わせ、少し話した不思議な少女だというのはわかるのだが……。

 困った様子の士郎に少女は不思議そうに尋ねる。

「お兄ちゃん、どうしたの?」

「あ、いや、ごめん。えっと君の名前は……」

 士郎の問に、少女がむくれる。

「お兄ちゃん、私の名前忘れちゃったの!?」

「えっ?」

 自分は少女の名前を知っていると言うことなのだろうか? そういえば、最後に名前を呼んだような……。

「ひどい。わたしはお兄ちゃんの事忘れないで、見つけたからすぐ声をかけたのに」

 そう言うと、少女はくるりと後ろを振り向く。

 その肩は、小刻みに震えていた。

「ご、ごめん」

「ひどいよ、ひどいよ……」

 きっと、どこかで会っているのだろう。自分は忘れているだけだと士郎は思った。

「ごめん、なんでも言う事一つ聞くからさ、ゆるしてくれ」

 士郎の言葉に、少女はくるりと振り向く。

 その表情は……満面の笑みを浮かべていた。

「ええっ!?」

「ホント、お兄ちゃん」

「ええええっ?」

 驚く士郎に、少女はどこか子悪魔めいた笑みを浮かべる。

 “しろいこあくま”

 不意に、士郎の脳裏にこの少女を形容する単語が生まれた。

「うーん、どんなお願いしようかなー。わたしの物になれってっていのはどうかなー、それとも、デート一回とか……」

 一人独白する少女に、士郎が冷や汗を流す。

 この無邪気な少女はどんな無茶を言い出すか。

「あー、ところで、君の名前は……」

 しどろもどろの士郎の問いかけに、少女は我にかえる。

 そして、スカートの裾をちょこんとつまむと、優雅に一礼をした。

「いまさらだけど、わたしはイリヤ。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ」

「あ、俺は衛宮士郎」

 反射的に、士郎も自己紹介をする。

「なんか、間抜けだな……」

「そうね、もうデート二回目だし」

 士郎の呟きに、少女──イリヤが面白そうに答える。

「え? これってデートなのか?」

「そうじゃないの? 男の人と一緒に公園でお茶をするなんて、立派なデートよ」

 少女はそう言うと、楽しそうに、ダンスを踊るようにくるくると可憐に回る。

 その様子に、士郎も微笑を浮かべる。やや苦いものが……。

 

──イリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ。

 

──自己紹介がまだでしたね。私はバーサーカー・フォン・アインツベルンと申します。

 

──こちらは当家の執事で私の義理の弟でもあるシェロ・アーチャー・フォン・アインツベルンです。

 

 不意に、士郎の脳裏にここ数日の間に何度も聞いた名前が浮かぶ。

 そういえば、イリヤは人とはぐれたとか言っていなかったか?

 そういえば、バーサーカーはマスターを探していなかったか?

 もしかして……。

 士郎はその疑問を口にしようとする。しかし、少女のほうが先に口を開く。

「うーん、さっきのお願いだけど、シロウがわたしの物になるのはもう決定事項だけど」

「決定事項かよっ!」

 思わず、疑問より先にツッコミが口を出る。

「うん、決定事項。それよりも……」

 そう言うと、イリヤは先ほどの小悪魔の笑みを浮かべ、『お願い』を口にした。

「ここで、キスをして……」

 そう言うと、少女は目を瞑る。

「えええっ!」

 少女の不意打ちに、士郎が驚愕の叫びを上げる。

 からかっているだけだ。そう思いながらも、ほんのり頬を朱に染め、何かを待つような、祈るような少女の姿はどこか神々しく。

 その小さな桜色の唇はどこか可憐で……。

「シロウ……」

 少女が小さく呟く。

 

──それは、致死量の毒。

 

 士郎の視線が、少女にのみ注がれる。

 混乱する思考が、少女以外の全ての存在を視界から消してしまう。

 

 そして……

 

「まだ早いわ、教育的指導」

 ペチン! という、間抜けな音と共に、背後から少女の頭の上に竹刀が落とされる。

「いったーい」

 突然の不意打ちに、少女がなみだ目で振り向く。

 そこにいたのは、少女と同じ銀髪の女性。

「「って、バーサーカー!?」」

 士郎とイリヤの声がハモる。 

 バーサーカーは、竹刀を肩に担ぎながら士郎に声をかける。 

「シロウ、ありがとうね。マスターを見つけてくれて」

「バーサーカー、その竹刀はどこから?」

 ニコニコと笑うバーサーカーに、士郎は呆然と無関係な質問をしてしまう。

「これ、知り合いのししょーが通りすがったから借りてきたの」

 どんなししょーだ、とツッコミを入れる前に、少女がすごい目でバーサーカーを睨みつける。

「バーサーカー、貴女今までどこに行っていたの!? それに、何でシロウと親しげに話してるの!?」

 そんなイリヤに、バーサーカーはにんまりと笑って答える。

 

「え、わたし? 今、シロウと一緒に住んでるの」

 

 そう言うと、バーサーカーは士郎の二の腕に自分の腕を絡ませてくる。

 イリヤの目が、ちょっぴり──いや、かなり怖くなる。

「どういう事よっ!」

「ひ〜み〜つ」

 なぜだろう。バーサーカーの笑みは、なぜか先ほどのイリヤの笑みとそっくりだった。

 

 

続く……すぐに。