とある英霊と鮮血の学園

 

 

 ……ま、……さ…ら、……間桐桜。

「はっ、はい!」

 ぼんやりしていたのがいけなかったのか、不意に名前を呼ばれ思わず直立不動の姿勢を取ってしまう。

 慌てて周囲を見渡すと、後ろから厳つい顔の痩身の男が近づいて来るところだった。男の名前は葛木宗一郎。教師で現代社会と倫理を担当する穂群原学園だった。

「く、葛木先生」

 思わず警戒してしま桜だったが、葛木は全く気にする様子も無く用件を述べる。

「次の授業で使う資料が準備室の机の上にある。運んでおいてくれ」

「は、はい」

 何でも無いごく普通の要件だ。

 桜は葛木に会釈をすると、準備室に向かおうとする。そんな桜を葛木は何か思い出したかのように呼び止める。

「それと、間桐」

「は、はい?」

「家内が君に先日の礼を言っておいて欲しいと言っていた。ありがとう」

 そう言うと葛木は、直立不動の体勢から頭を下げようと……。

「せ、先生。私は大した事はしていませんから、あ、頭を上げてください」

 そんな葛木を桜は慌てて止める。誤字があったというだけで試験を止める、伝説の真面目教師葛木宗一郎。もっとも、廊下で教師に頭を下げられるのは生徒にとって非常に体裁が悪いと、どうやら彼は思いつかないらしい。

「でも先生、メディアさんは何と?」

「大丈夫だと言っていたが」

「そうですか」

 そう言うと桜は、年の離れた友人の事を思い微笑む。少し前に商店街でチンピラ風の青い男に絡まれていたところを助けられて以来の付き合いだった。

 そしてつい先日買い物中に体調が悪いと倒れそうだったので、病院まで付き添ったのだが……。

「どうした、間桐」

「い、いえ、何でもありません。

 それじゃあ、私はこれで失礼します」

 そう言うと桜は慌ててこの場を離れる。

 少し様子のおかしな桜を気にする様子も無く、葛木は職員室に向かうのだった。

 

 

「失礼します」

 誰も居ないと判っている準備室に、桜は挨拶をしてから入る。人が居る居ないの問題ではない、礼儀の問題だ。

 誰も居ない準備室は妙に静かだった。部屋の中は痛いほど静かなのに、廊下からは生徒たちの歓声が聞こえてくる、静かさと騒がしさが入り混じったおかしな空間。

 それは、自分のような存在を暗示しているようだった。

「って、いけない」

 桜は小声で呟くと、気持ちを入れ替える。

 決して明るい性格という訳ではないが、それにしても昨日今日と考え込んでしまう事が多い。

 理由は判っている。

 昨日今日と、彼女が密かに(と、本人は思っている)思いを寄せている衛宮士郎が、数日前より衛宮邸に転がり込んでいる遠坂凛と共に学園を休んでいるからだ。

 理由は、実のところ推測は出来ている。

 無理も無いと思う。

 でも、どうしても考え込んでしまうのだ。二人だけで家に引篭もり、何か間違いでもあったら。

 

 別に二人っきりって訳ではないし、あれだけ人がいれば間違いなんて起こりっこ無いのだが、そこはそれ、恋する乙女フィルターが掛かってしまう桜だった。

 

「だから、考え込んじゃいけないって」

 桜は再び沈みそうになった思考を慌てて引き上げると、葛木の机に視線を向ける。

 葛木の机の上には、彼の言っていた資料のプリントが積まれていた。

「これを持って行くのね……」

 桜は一人呟くとプリントを持ち上げようとして、予想外の重さに少しよろける。

 だが、そんな桜を背後から優しく受けとめる手があった。

「桜、大丈夫ですか?」

 桜の背後に突然出現した女性が、心配そうに声を掛ける。

 彼女の名はライダー。紫の髪の美しい女性だった。その均整の取れた肢体を黒のハイネックのセーターと同色のズボンに包む。眼鏡の下のその瞳は、優しく微笑んでいる。

 彼女は人間ではない。

 サーヴァントと呼ばれる使い魔。衛宮邸にいる間は桜は彼女がサーヴァントだと知らないふりをしている。

 自分が魔術師だと、衛宮士郎や遠坂凛に知られたくないから、普通の人間のふりをしている。

 この美しいサーヴァントも、そんな桜の気持ちを汲んでその演技に付き合ってくれていた。

 だが、今この場には自分とライダー以外はいない。だから出てきたのだろう。

 かつて一度だけ何で付き合ってくれるのかと尋ねた事があるが、その時は曖昧な笑みを浮かべるだけで答えてくれなかった。

 最初は怖いと考えていた事もあった。でも今は、信頼して良いと桜は漠然とではあるが考えている。

 桜は転びかけた体勢を立て直すと、素直にライダーに感謝の言葉を掛ける。

「ありがとう、ライダー」

「いえ、これくらい。本当ならそのプリントを運ぶのを手伝えれば良いのですが」

 ライダーが口惜しそうに言う。たしかに、女の子が一人で持つには少々多い量だ。

「制服を着れば、誤魔化せると思いますが」

「む、無理だと思うな……」

 ぐぐっと拳に力を込めるライダーを見て、桜はあはははと渇いた笑みを浮かべる。

 年齢的に制服姿はちょっとキツイ……という訳でもないかもしれない。この長身の美女は、きっと何を着ても似合うだろう。

 ただ、紛れ込むのは不可能だと断言できる。

「ライダーみたいな美人が制服を着ていると、目立つんじゃ……」

「私よりも、桜の方が美人ですよ」

 ライダーはニコリと笑いながら答える。

 お世辞という訳では無さそうだ。本気で言っているのだろう。

「桜は美人なのだから、ここでウダウダと考えているよりも実力行使に出なければ。士郎のようなタイプは押せばコロリと落ちます」

「ちょっと、ライダー。落ちるなんて」

「いえ、アレで結構エロですから。大小両属性持ちですし」

 突然とんでもない事を言い出すライダーに、桜が顔を真っ赤にして慌てる。

「桜、貴女にはセイバーにも凛にも無い、強力無比な武器があるのですよ。それを活かさないでどうするんですか」

 胸部に二つ装備している武器にライダーは視線を向けながら力説する。

「ジェノサイドだとか、黒いとかよりも、まずは大きい事を武器にしなければ。属性の多さでは凛には適いませんが、それでも妹、大きい、料理が上手、頑張り屋と桜も萌え系の属性は結構多いんですよ」 

問題は、それらを帳消しにしてしまうほどのインパクトがある黒さとラスボス属性なんだけど。

「ら、ライダー」

「今晩あたり、私と一緒に士郎に夜這いをかければ……」

「だっ、ダメですっ!」

 ライダーの提案を、桜は顔を真っ赤にしながら却下する。

「そんなっ!」

「先輩達の邪魔をしちゃ、ダメです」

 そう、今の士郎や凛はこの町で起きている事件を解決しようと頑張っている。自分が魔術師だと明かせない桜には手伝う事は出来ない。ならばせめて、邪魔だけはしたくない。

「桜……」

 そんな桜をライダーは歯痒く思っていた。

 彼女は、ライダーと本当にそっくりな運命を背負わされた少女だった。被害者でありながら化け物となり加害者となる。そんな呪われた運命を背負わされた少女。

 でも、あの未来からやって来た英雄は、そんな少女に一辺の楔を打ち込んだ。

 もしかすると、この世界の間桐桜は、化け物になる事もなく運命に打ち勝てるかもしれない。そんな希望をライダーは抱いていた。

 もっとも、歯痒く思うだけで、ライダーに彼女の背中を押す術はなかったし、押し方も知らなかった。流されるままに生きていたライダーは、彼女の思うようにやらせる以外の術を知らないのだ。

 だからなお一層、歯痒く思う。

「でも、ライダー……、貴女は良いの?」

 不意に、上目使いに桜が尋ねてくる。

「良いとは?」

 桜の質問の意図が読めず、オウム返しに尋ね返してしまう。

「ライダーもアーチャーさんや先輩に……その、好意を抱いているみたいだし……」

 そんな桜の質問に、ライダーはニヤリと笑いながら答える。

「ふふふ、私は別にどちらの士郎も独占しようとは思っていませんから」

 それは、大人の余裕の笑みだったのか、それとも強がりか、ライダー自身にすら良く分っていない。

 まだまだ人生経験の未熟な桜にはライダーの微妙な機微は分らない。ただ、真っ赤になってうつむくだけだった。

 そんな桜を微笑ましげに見つめていたライダーだったが、不意に桜の背後にある窓の外、学園に走り込んでくる人影に気がついた。

「あれは、士郎?」

「えっ?」

 ライダーの呟きに、桜は慌てて振り返り窓の外に目を向ける。

 だが、そこに士郎の影など無かった。

「誰もいないけど?」

「ここからは死角になっている場所に走っていったと思ったのですが……」

 たしか、今日もセイバーと剣の修行をしている筈なのだがと、ライダーは首をひねる。

 首をひねりながらも、何か嫌な事を思い出しそうなライダーだった。

 

 

 時間は少し前に遡る。

 前日に続き、士郎はその日も学園を休む事にした。

 この機会に、これから起こる可能性のある事件に対応できるように、できる限りの事をやっておきたいと思ったからだ。

 宝石を飲まされたり、竹刀でシバキ倒されたり、味付けが未熟だと鼻で笑われたりしながらも、昨日は充実した一日だった。なにより、今まで感じなかったモノへの足掛かりを感じたから。

 そして今日もまた、学園を休んでの鍛錬だった。

 と言っても、昼になればお腹が空くのは自然の摂理。特に現在の衛宮邸には飢えた獅子が二匹いるものだから、食事は毎食命がけだ。

 まぁ、それでも昼はまだいい。バイオレンスな虎や意外と良く食べるサクラが居ないし。

 特に虎とライオンが一緒だと、相乗効果でおかずが一瞬で消滅する事もあるくらいだ。

「シロウ、お代わりをお願いします」

「シロウ、お代わりを所望します」

 全く同じタイミングで二人のセイバーは茶碗を出してくる。一つは士郎が、一つはアーチャーが受け取ってご飯をよそう。

 やっぱりその二人の動作が同じで、思わず凛は吹き出してしまう。

「なんだよ、遠坂」

「食事中にあまり唾を飛ばすような行為は感心しないな」

 そんな凛に二人は憮然とした表情を向ける。

「ごめんごめん、でも同じ人間なんだからあたり前だけど、本当に二人はそっくりね」

「この嫌味男と一緒にしないでくれ」

「この未熟者と一緒にされるのは心外だな」

 二人が同時に否定し、お互いに睨み合う。

「誰が未熟者だ」

「貴様がだ。この肉団子は少し練りすぎだ。歯応えにやや難があるぞ」

「ぐぐぐぐっ……」

「これでは折角の肉の風味が消えてしまう」

「どこかの陶芸家と新聞記者か、あんたらは」

 普通は美味しいとしか感じないだろう料理の、ほんの些細な粗まで指摘するアーチャーと、それが判ってしまう士郎。

 あたりまえではあるが、本当にそっくりとしか言いようが無い。

「シロウもアーチャーも自分同士なのに、どうしてそこまで仲が悪いの?」

 そんな二人に、イリヤが不思議そうに聞いてきた。

「程度の差は有るけど、同じ人物が二人居ればこうなるのが普通よ。自己を保てなくなるし……、場合によっては殺し合いになる可能性だってあるわ」

 バーサーカーの言葉にイリヤは首をひねる。少なくともイリヤとバーサーカーも同一人物では有っても仲は悪くなど無い。バーサーカーが好きだとイリヤは胸をはって言える。

「確かに、シロウ達ほど仲は悪くはありませんし敵意を感じるわけでは有りませんが、私も一号に思うところがありますね」

「鏡を見ているような……、特に自分が一番見たくないものを見せ付けられているような感触があるのは事実です」

 バーサーカーの解説を、やはり同じ人物が二人居るセイバー達が肯定する。

 ますます首をひねるイリヤだったが、そんなイリヤにバーサーカーはイリヤにだけ聞こえるように小声で語りかける。

「わたしは例外。今回が初めてじゃないし」

 そんな会話をしていると、不意に廊下から電話の呼び鈴の音が響いてきた。今時珍しい黒電話だ。

「あ、俺が出るよ」

 咄嗟に立ち上がろうとした凛を士郎は手で制すると、居間を後にする。

 凛がナチュラルに電話に出ようとした件に関しては、残念ながら誰も気が付いていない。

「もしもし?」

『衛宮かっ! 僕だ、間桐慎二だ』

 電話の相手は間桐慎二だった。現在この家に寝泊りしている桜の兄で、最近疎遠になっているとは言え士郎の友人の一人。

 ここ数日行方不明になっていたはずなのだが……。

「どうしたんだ、慎二。ここ数日行方不明になっていて桜が心配していたぞ」

『そ、そんな事はどうでもいいんだよ。た、助けてくれ、衛宮』

「どうでもいいって……、って、どうしたんだ、慎二?」

 何か何時もの様子と違う、切羽詰った様子の慎二に士郎は聞き返す。

『こ、このままじゃ殺されちまう。妙な黒い影が人殺しをしているのを見て……戦争がどうとか聖杯がどうとか、こんな事他の誰に話しても笑われるだけなんだっ! 

 もう、お前だけが頼りなんだっ! 助けてくれ、衛宮』

 普段なら、心配しながらもこっそりと病院を検索するような内容なのだろうが、今は違う。

 そういった事件に、今の士郎なら心当たりが有った。

「判った、判ったから落ち着け、慎二。すぐ助けに行くから、今何処に居るんだ!?」

『が、学園に隠れている。お、追われてるんだ!』

「学園か……」

 偶然に学園に逃げ込んだのかもしれないが、それは正解だろうと士郎は考えた。今の時間なら生徒や教師が大勢いる。

 魔術は隠匿すると言う性質上、今のうちに保護してしまえばそう手が出せないはずだ。

「判った、すぐこれから学園に向かうから、学園から動くなよ。学園のどの辺りに居るんだ?」

『きょ、2−Cの教室だ……』

 今の時間は体育の授業で教室には誰もいないはず。

「よし、すぐ行くから待ってろ、慎二!」

 今はまだ大丈夫だろうが、時間との勝負だ。

 士郎は受話器を置くと、一人学園に駆け出していた。

 

 

 学園に入り込んだ士郎が最初に感じたのは違和感だった。

 たった一日学園に来ていなかっただけなのに、何かが微妙に違う。世界がずれていると言っていい、奇妙な感触があった。

 何かがおかしい。しかし、魔術に疎い士郎には明確な形で言葉に出来ない違和感。

 しかし、士郎にその違和感を確認する術は無かったし、今はそれどころではなかった。

 校舎に駆け込むと、すぐに上履きに履き替え2−Cの教室に向かう。

 その間にも違和感は消えない。

 教室から生徒や教師の気配はするるのだが……。

 生気に欠けると言うべきか。

 そんなことを考えている間にも、2−Cの教室はすぐ目の前という場所まで来ていた。

 そこで、士郎は良く見知った人物の後姿を発見した。

 それは、紫の髪の長身の女性、ライダーだった。

 桜の護衛に来ているのだから学園に居ておかしくは無い。教室の前にいるということは、もしかしてなんかあったのだろうか?

「ライダー」

 士郎はライダーに声をかけた。

 振り向いたライダーに、士郎は違和感を感じた。

 違和感の正体は、その服装だった。朝は黒のセータールックに何時もの眼鏡という格好であったが、今は全く違う服装だった。

 拘束衣を連想させる黒いスカートに、顔の大半を追う覆面。本来なら赤面して直視できないような淫靡なファッションなのだが、それよりも血の匂いを感じさせる禍々しさが先んじていた。

 何かアレに近寄ってはいけない。本能が警鐘を鳴らす。

 しかし、裸にYシャツだのナースだのネコミミメイドだのターミネイターだのおかしな服装を何処からとも無く調達してくるライダーだ、あの服もその一つかもしれない。 

 士郎はそう思い直すと、無造作にライダーに近づく。とりあえず、彼女に状況を聞かなければならない。

「ライダー、どうしてここに? 桜の護衛は……」

 

 ゴキッ!

 

 突如、士郎の耳に嫌な音が響く。

 両足から地面の感触が消える。

 視界が歪む。

 

 自分がライダーに殴られたのだ時には、士郎は壁にぶつかり廊下に倒れ伏していた。

 立ち上がろうとするが……、体に力が入らない。

 その状態になって、先ほどの嫌な音が自分の首の骨が折れた音だと気が付く。

 

 ぼんやりとする視界に、ライダーの姿だけが妙に鮮明に映る。

「────っ」

 どうして、そう言おうと口を動かすが、声が出ない。ただ、ピューピューと空気が漏れるだけだ。

 混乱する思考の中、第三者の声が士郎の耳に届く。

 

「おいおい、ライダー。もしかして殺しちゃったのかよっ!」

 

 それは、士郎が助けに来たはずの間桐慎二の声だった。

 

「いえ、指示通り即死しない程度に加減はしました」

「そっか、聞こえているか、衛宮」

 なぜ、ライダーは慎二と一緒に?

 追われていたのではないのか?

 動かない体で、必死に考える。

「ははははは、ピクピクうごめいてら、無様だな衛宮」

 慎二の嘲笑が聞こえてくる。

 身体に何か衝撃が走る、慎二が蹴りを入れたのだと気が付いたのだと、少しして気が付く。

「そのまま死ぬんじゃ心残りだろうから教えてやるよ、衛宮。僕は聖杯戦争のマスターさ。

 お前がマスターだったんで、おびき寄せて罠にはめたのさ。我ながら迫真の名演技だったと思うよ」

 つまり、ライダーのマスターは慎二で……、ずっとスパイを……。

「おっと、まだ死ぬんじゃないぞ衛宮。お前は裏切り者をおびき寄せる為の餌なんだからな」

 裏切り者……一体……。

 薄れゆく意識の中で、なんとか意識を繋ぎとめようと考える。

 慎二が裏切り者と呼ぶ存在……慎二の身内……桜?

 意識の中で何かが繋がる。

 このまま倒れていてはいけない、桜が危ない。士郎の意識が警鐘を鳴らす。

「や、や……め……ろ」

 なんとか、死力を振り絞って声を絞り出す。妹を平気で殴るこの男のことだ、何が裏切りなのかは判らないが、桜に酷い事をやりかねない。

 そんな事、許すわけには行かない。

 だが、そんな士郎を慎二は嘲笑う。

「なんだよ衛宮。お前、桜に情が移ったのか? それとも……あの女を抱いたのか?」

 慎二の嘲笑が耳を打つ。黙れと、視線に殺気を込める。

 視線に篭った力を感じたのか、慎二が狼狽の表情を浮かべ一歩後ずさりをする。

 だが、次の瞬間に慎二は狂相を浮かべる。

 死にかけの士郎に気圧された。その事実が慎二の歪んだプライドを刺激する。

 この男を殺すだけでは飽き足らない、屈辱と悔恨を与えなければ気がすまない。そして、衛宮士郎という男は、どのような事態に最も心を痛めるのか慎二は熟知していた。

「ライダー!」

 慎二は、二冊持っていた本の一冊を手にとると、サーヴァントに命令を下す。

「餌の時間だ。アレを発動させろ!」

「了解しました」

 慎二の命令に、ライダーが己れの宝具を発動させる。

 その名は『他者封印・鮮血神殿(ブラッドフォード・アンドロメダ)』。

 その瞬間、世界は赤に書き換えられた。

 

「はっはっはっはっは、お前が悪いんだぞ、衛宮。素直に死んでおけば良かったんだ。これは僕を驚かせたお前に対する罰だ。

 いま、ライダーの宝具を発動させた。この学園の連中はライダーの餌になるのさ」

 どういう理屈かわからない。それでも、士郎にもこの結界で学園の皆が死んでしまうのだと理解できた。

 やめさせなければ。

 あの、ちょっと変わっているけど気のいいライダーにそんな恐ろしい事をさせるわけには行かない。

 慎二に、罪を犯させるわけには行かない。

 動かない体を、動かさなければ……。

 必死の思いが、士郎の身体を僅かにだが動かす。

 そんな士郎を、慎二は気持ち悪そうに見つめ、ライダーに命令を下した。

「ライダー、その死に損ないの手足を打ちぬけ、ピクピク動いて気持ち悪い」

「了解しました」

 そう言うとライダーは、己れの武器である釘剣を手に取り投擲する。

 釘剣が飛来する。

 

──ライダーに向かって。

 

 ライダーは飛んできた釘剣をその手に握った釘剣で弾き飛ばすと、己れの主を抱えて大きく飛び退いた。

 死に損ないの始末よりも、主を護る方が先決と判断した為だ。

 そして、その開いたスペースに影が飛び込んでくる。

 均整の取れた肢体を黒のセーターで包む紫の髪の女性。顔を覆うのが見慣れない仮面ではあるが、それでも見間違うはずも無い。ここ数日でおなじみとなった衛宮家の居候の一人、サーヴァント・ライダーだった。

 ライダーは士郎を護るように、もう一人のライダーとの間に立ちふさがる。

「ら……いダー?」

 擦れる声で、その女性の名前を呼ぶ。

「はい、士郎の心の恋人、人気急上昇、hollowでは一番エロいと個人的に思うと評判のライダーです」

 クールな口調のままボケをかます。

 何時ものライダーがそこに確かに存在した。

「何者ですか、下品な女」

 もう一人のライダーが、突然の乱入者に不快感を示す。

「偽物に下品呼ばわりされるいわれはありません、偽ライダー」

「だれが偽物ですか」

「貴女がです。これから貴女が何と言おうと貴女を偽ライダーと呼称します」

 レザーファッションのライダー改め偽ライダーが、今まで無かった殺気を放つ。

「本当に無礼で下品な女ですね、貴女は」

「その言葉は全て貴女にも跳ね返っているのですよ、偽ライダー」

 ライダーは偽ライダーの『偽』の部分を強調して答える。

 もっとも、実のところ『偽ライダー』の呼称は正しくないだろう。どちらかといえば、別の世界の聖杯戦争前後の記録を持つ自分の方がイレギュラーな存在だ。真っ当な英霊の法則で召喚されたであろう彼女の事は本来なら『真ライダー』と呼称するべきだと思う。

 しかし、だからと言って奴を真ライダーなどと呼びたくは無かった。

「まだ呼んでいないんだけどな、来たか裏切り者」

「殺しますよ、下品な女」

「出来ますか、偽物の風情が」

 偽ライダーの横でワカメが何かほざいているが、ライダーはとりあえず無視をする。それは偽ライダーも同じだった様で、ワカメの戯言には耳も貸さなかった。

「おい、お前ら!」

「死ね、下品女」

 偽ライダーはそう叫ぶと、手に持っていた釘剣を投擲する。

「だから、僕を無視するなっ!」

「出来ない事を口にしないで貰いましょう。私の品位まで下がります、偽ライダー」

 ライダーも釘剣を投擲、お互いの釘剣が空中で激突する。

 同じ力で投擲されたように見えた釘剣だったが、競り勝ったのは偽ライダーの釘剣だった。ライダーの釘剣を叩き落すと、そのままライダーに向かって直進する。

 しかし、ライダーは鎖を器用に使い、飛来した釘剣を絡め取り叩き落す。

 

──まずいですね……。

 

 この最初の一投で、ライダーは双方の戦力差を正確に見抜いていた。 

 英霊であるから技量などは同じ様だが、魔力の総量が全く違った。どういう手品を使ったのか判らないが、偽ライダーの方が圧倒的に魔力の保有量が上だった。

 ライダーは一般的なマスターからの供給以外にも、吸血という手段で魔力を補給する事ができる。実はこっそりと士郎から頂戴していたりも……げふんげふん。

 しかし、あの偽ライダーは一般人から吸血する以外の魔力を供給する手段を保有しているはずだ。そうでなければここまでの差がつくとは思えない。

 戦術ミスだった。

 学園の異変に気が付いた時点で、桜を連れて衛宮邸に即撤退しておくべきだった。

 しかし、本能がそれを許さなかった。この学園に怨敵がいる、そう感じるのだ。

 実際、アレは怨敵だ。存在を許すわけにはいかない。よくセイバーや士郎、イリヤは同じ存在と一つ屋根の下に過ごしていて我慢できると、同じ立場になってみると感心する。

 今から撤退は……無理だろう。天馬を呼び出したところで魔力の保有量はあちらの方が上だ。すぐに追いつかれ撃墜される。

 相手が他者封印・鮮血神殿を行使している為に動きが鈍いのがせめてもの救いだった。とはいえ、アレが完全に効力を発動してこの学園にいる人間を偽ライダーが喰べてしまえば、もう挽回できないほどの魔力差が生じ、一対一での勝ち目が本当に0になってしまう。

 だが、勝算が無いわけではない。

 桜に、すぐに学園を離れ衛宮邸に助けを呼ぶように言ってある。

 サーヴァントとしては口惜しいが、アーチャーかセイバーが増援に来れば……確実に勝てる。

 増援が来るまでの時間は……桜の足を考えてやく15分程度。その間逃げ切れればこちらの勝ちだ。

 飛来してくる釘剣を受け流しながら、ライダーは冷静に分析する。

 

 しかし……。

 

「うそ……、ライダーが二人!?」

 

 ライダーを追ってきた桜が、目の前で繰り広げられている戦いに愕然とする。

「目撃者っ!」

 偽ライダーが、突然乱入者に向けて釘剣を投擲する。

 この位置から釘剣での迎撃は不可能。ライダーは瞬時にそう判断すると全速で駆け桜の前に立つ。

 鈍い音と赤い鮮血が飛び散り、ライダーの右肩に釘剣が突き刺さる。

「くっ!」

 マズイ、そう考えた時には手遅れだった。偽ライダーは力任せに釘剣についた鎖を振り回す。

 ライダーの身体が、桜を巻き込む形で大きく跳ね飛ばされる。

「がぁっ!」

「きゃあああああっ!」

 強い力で壁に叩き付けられる。せめて桜だけでも護ると、壁と桜を腕の中に庇う。

 数度バウンドして、廊下に強く叩き付けられる。せめてもの救いは止まった場所が士郎が倒れている場所のすぐ側だった事だろう。

 いや、少し違う。

 恐らくは偽ライダーは、わざとそうなるように計算して振り回したのだ。

 士郎が逃げる際の足枷になるように。首の骨が折れた士郎では、天馬での逃亡には耐えられない。そう計算したのだ。

「全く悪趣味ですね。流石は偽物です」

「まだ軽口を叩けるとは感心しますね、下品な女」

「貴女と違って、この程度でへこたれるようなヤワな根性はしていませんから」

 そう言うと、傷の修復などせずに偽ライダーに向かい立ち上がる。

 これで、勝算はほとんど無い。

 衛宮邸にいる凛たちが異変に気がつき駆けつけてくれることを、神に祈るしかない。

 だが、だからと言って諦める訳にはいけなかった。せめて、桜と士郎だけは護る。ライダーは決意をする。

 そんな決意をするライダーの背後で、桜が悲鳴を上げた。

「せっ、先輩! く、首がっ! どうしてっ!」

 首がおかしな方向に曲がっている士郎を見て、桜が錯乱気味に叫ぶ。

「落ち着いてください、桜。士郎はまだ大丈夫です!」

「で、でも、首が、首が……」

「大丈夫です。私が保証します」

 そう、自分の中にある記録が正しければ、この程度で士郎は死なないはずだ。

 だから……。

「桜、士郎を連れて……」

 逃げてください。そう続けようとする。

 しかし、そのライダーの言葉を男の狂笑が遮った。

「ひゃはっはっはっはっは、また裏切り者の到着か、もてるなぁ衛宮!」

「に、兄さん?」

 行方不明だったはずの兄の存在に、桜はこの時初めて気が付いた。

「さーくらぁ! お前がライダーと組んで僕をあんな僻地に追放しやがって! 僕がどれほどの恐怖を味わったと思う!?」

「兄さん、何でここに……?」

「ひゃっはっはっはっは、お前らに復讐する為に決まってるだろう、お前にも、遠坂にも、そして衛宮にもなっ!」

 微妙に噛合っていない会話だったが、それでも桜には一つ理解できた事があった。

 それは認めたくない、信じたくないことだったが、それでもこの状況が逃避を許さない。

 確認しなければならない。

「兄さん」

「ん〜、なんだ、桜。今更謝ろうって言うのか?」

「先輩を……、衛宮先輩を傷つけたのは……貴方ですか?」

 うつむき、何かに耐えるように桜は問い掛ける。できれば否定して欲しいと、桜は思った。

 しかし、そんな桜の気持ちを察する事などできず、慎二は笑いながら答えた。

「そうだって言ったらどうするんだ、桜!」

 それは、決定的な言葉だった。

 あの男は敵だ、大切な先輩を傷つけた敵だ。

 そして、桜は悟る。

 今この場で衛宮士郎を守れるのは、

 

 遠坂凛でも

 

 セイバーでもなく、

 

 間桐桜とライダーだけだと。

 だから……。

 

「許しません。たとえ兄さんでも、許しません」

 怒りを込めた目で、桜は慎二を睨みつける。

「はははははは、許さなかったらどうするって言うんだ!?」

 慎二はそう嘲り笑うと、持っていた二冊の本のうちの一冊をわざとらしく掲げてみせる。

 それは、ライダーに対する偽臣の書。魔術刻印のない慎二にライダーの支配権を手渡したという証し。支配力は弱いが、アレが慎二の手の中にある以上は、こちらからはそう簡単に手を出せない。

 それに、あの男は決して馬鹿なわけではない。おそらく今まで使っていなかったのは、決定的な瞬間にこちらを陥れる為だろう。

 ライダーはあまりの不利さに臍を噛んだ。

 だが、桜は違った。

 桜が見詰めたのは、自らの側で倒れ伏す衛宮士郎。

 

 魔術師だと知られたくなかった。

 

 何も知らない故の優しい関係を続けたかった。

 

 騙している、その罪悪感故に言い出せなかった。

 

 でも……。

 あの時、あの未来の先輩は何と言った?

 あの時、先輩は私の為にその拳を振るってくれた。

 

 愛される資格など無い私だけど……、それでも、この人は私を愛してくれている。

 まだ望んだような形じゃないけれども……、でも今先輩を失ったら、本当に望んだ未来は来なくなる。

 そう、未来の先輩は言ってくれた。呪縛される必要など無いと。

 だから……。

 

Vertrag…… Ein neuer Nagel Ein neuer Gesetz neuer Verbrechen――――……」

 

 捧げる旋律は、間桐の物ではない。

 それは、幼い頃、遠坂の家で……遠坂桜が聞いた呪文。

 唱えた事など一度も無かったはずなのに、つかえる事も無く流れるように、謳うように唱えられる。

「まっ、まさかっ!」

「さ、桜!?」

 

「──間桐桜が命じます。ライダー、私の先輩を護って!」

 

「ひぃ!」

 桜の言葉と共に、慎二の持つ本の一冊が燃え尽きる。

 所詮その本は偽りの契り。互いに敬愛しあう真なる主従の命の前には、燃え尽きるのが道理。

 桜の左の腕に不可思議な紋章が浮かび上がる。

 それは大魔術の結晶、令呪。

 偉大なる英霊を使役する、聖杯戦争参加者の証し。 

 

 この瞬間、第五次聖杯戦争に間桐桜が参戦した。

 

 

 続く……と思う。

 

 

 

 

 

 幕間・乱入者

 

 

 突如学園を覆った赤い世界に、葛木は一瞬だけ目眩を感じた。

 だが、それはほんの一瞬。

 赤い世界は、葛木の側に寄る事を許されない。

 葛木の胸の中央で、何かがぼんやりと光っていた。

「メディアか……」

 ぼんやりと輝いていたのは、つい先日妻に手渡されたタイピンだった。小さな宝石がついたそれを、お守りだと妻は言っていた。

 なるほど、彼女はこういう事態を想定していたのかと、聡明な妻に感心をする。

 実際、これが無ければ魔術に対しては無防備な葛木は他の者と同じ様に倒れ伏していただろう。

 

 自らの状態を確認すると、葛木は周囲を見渡す。

 

 教室にいる生徒は一名を除いて皆倒れ伏している。

 恐らくはこの赤い世界が原因だろう。

 そしてもう一名、生徒がいない。いないのは間桐桜。何らかのトラブルに巻き込まれたか……。

 考えたのは一瞬。その一瞬のうちに背後に気配が現れる。

「メディアか」

「はい」

 現れたのはフード姿の女性。葛木の愛する妻、メディアだった。

 いや、少し気配が違うか?

「申し訳ありません、宗一郎様。お昼寝の時間なもので、影を送る事しか出来ません」

「いや、それで構わない。母親が幼い娘をほっておくのは感心しない」

 葛木はそう言うと、妻の影に向き直る。

 見た目は生身と同じなのだが、なるほど微妙に気配が薄い。

「ありがとうございます。宗一郎様、ここは危険ですので避難を」

 メディアの言葉に、葛木は首を横に降る。

「いや、生徒が一人行方不明だ。それにここは学園だ、学園の異常を排除するのも教師の役目だ」

「宗一郎様……」

 メディアがそれで良いのかと言外に問い掛ける。それに対して葛木は答えた。

「まだ家のローンも残っている。妻と娘を路頭に迷わすわけには行かないからな、すまないが協力を頼む」

 一瞬だけ冗談かと思うメディアだったが、彼は冗談を言うような性質ではないと思い直す。

「はい、宗一郎様」

 葛木がこの異常を排除するというのなら協力する。それにこの程度の異常なら、5年前の事件に比べれば随分とマシだ。

 さっさと片付けて、夕飯のおかずを買いに行きたい。

 メディアはそう考えると、倒れていない唯一の生徒に向き直った。

「それで、貴女たちはどうするの?」

 その女生徒は突然現れたメディアに動じるのでもなく、不適に微笑んでいた。

「どうしましょうか?」

 人を喰った返事だが、あの手のタイプに一々いらついていては身が持たない。だからメディアは反応せずに女生徒をそのまま睨みつける。

 女生徒も、女が反応すると思って言った訳ではないのだろう。彼女の意識は、自らの背後に向けられていた。

 女生徒の背後から、青い影が現れる。

 青い影は獣じみた笑みを浮かべ、その女生徒に問い掛けた。

「それは俺も聞きてえな。どうするんだ、カレン?」

 その女生徒の名前はカレン・オルテンシアと言った。