とある英霊と二人の絆
それは、戦いの記憶だった。
蒼き槍兵と戦い。
月下の剣士と戦い。
紫の騎乗兵との死闘を征し。
赤き弓兵が偉大なる大英雄を足止めし。
偉大なる大英雄を失われたはずの聖剣で打ち倒し。
姦計に長けた魔女が英雄王の前に散り。
私の鞘が、英雄王から私を守った。
それは、愛の記憶だった。
最初は頼りない少年だった。
好ましい性根を持ってはいるが、未熟もいいところ。
だけど、それは私の思い違い。
道具でしかないはずの私を、人を捨てたはずの私を人として扱い、ついには一人の少女に戻してしまった。
決して消えぬ傷を持ちながら、その傷を消す事を否定した。
誰もが望むそれはやってはいけない事だと、彼は私に諭した。
彼は強かった。
誰よりも弱く、誰よりも強かった。
長く、長く続く階段。
天に届くかと錯覚するような長い階段を私達は登っていく。
隣りを登る彼の顔は見ない。見る必要も無い。
もう、別れは済ませてあるから。
覚悟など出来ている。
もし、彼が全てを捨てて、何処か遠くで二人静かに生きようと言ったら。
もし、私が全てを捨てて、彼と穏やかな生活を望んだら。
考えるだけ無意味な問いだ。
私と彼に選択肢など存在しなかった。
提示されたルートは只の一本道。
救いなど無い、ただ美しいだけの終わりに向かう一本道。
私と彼の物語には、救いなど一辺も入り込む余地が無かった。
彼の夢を守るために。
私の誇りを守るために。
彼と私は階段を無言で登っていく。
そして、長い階段の先の終着点。
待ち構えるは人類最古の英雄王と、悪を快楽とする狂気の神父。
私と彼は、互いの敵と戦う為に分かれる。
古の英雄王との死闘。
無数の宝具を撃ち出す“英雄殺し”。
夢の中ゆえに、正直に告白しよう。
アレは英雄の天敵、本来なら私では敵うはずの無い存在。
だが、私には彼がいた。
ちっぽけで、弱くて、子供のような夢を持ち続けて……、それでいて誰よりも強かった彼が、私にはいた。
私と彼の絆が、私を守ってくれた。
“全て遠き理想郷”
遥かなる過去、私の時代に失った私の鞘。
遠き未来、彼の時代に存在した私の鞘。
“全て遠き理想郷”は英雄王の一撃から私の身を守る。あたりまえだ、“全て遠き理想郷”を侵せる物などこの世界には存在しない。
彼と私の絆を侵せる者など、この世界にはいないから。
私は疾走する。決して勝てるはずの無い英雄殺しを倒せる唯一の好機。
魔力で編み上げられた鎧を分解する。
鎧など要らぬ、この一撃に全てをかける。
聖剣が金色に輝く。星が鍛えし最後の神秘が唸りを上げる。
「“約束された(エクス)───”」
英雄王の顔が驚愕に歪む。
10年前からの因縁を終わらせる時。
「“───勝利の剣(カリバー)!”」
聖剣の一振りが、英雄王を切り裂く。
そして、同じ時、少し離れた場所で、彼は神父を打ち倒し生贄の少女を救出していた。
私と彼の聖杯戦争が、この瞬間に終結する。
後始末は淡々と行われた。
彼の最後の令呪を使い、聖杯を破壊する。
もしかすると令呪無しでも聖杯を破壊する手段はあったかも知れない。でも、私は彼に令呪を使うように懇願した。
最後の未練を断ち切るために。
聖剣の一撃が、穢れた聖杯を吹き飛ばす。
そして、ほんの僅か与えられた時間。
僥倖だった。本来なら聖杯を吹き飛ばした瞬間に消滅していてもおかしくないのだから。
金色に染まる時、爽やかな風が吹く丘の上。
故郷とは違う風景、でもあの丘を連想させる場所で、私は最後に一つだけ、彼に伝え忘れていた言葉を告げた。
──シロウ、貴方を愛している。
返事など不要だった。思いは同じだったから。
一陣の風が吹き、彼と私の間に決して超える事の叶わない境界を作る。
時という名の境界を。
そして、止まっていた時計の針が動き出す。
私は破滅へと向かう。
あたり前だ、私は再びその鞘を失ってしまったのだから。
遥か遠き未来、私にとって理想郷だったその地に、彼という鞘を置いてきてしまったのだから。
騎士は2度戻り、3度目になってようやく聖剣を湖に沈めた。
聖剣は湖の貴婦人に返還された。
王国は滅び、国は再び荒れるだろう。
私は最後に騎士を褒める。最後まで私に付き従ってくれた騎士には感謝の言葉も無い。それに、博識だったその騎士は、私に一ついい事を教えてくれた。
巨大な大木の元、一人の騎士が見守る中、私は少し長い眠りにつく。
せめて、彼の夢を見られるように祈りながら……。
「あっ……」
その目覚めは決して不快なものではなかった。
だが、切ない。胸が締め付けられるような、切ないモノが心を満たす。
よくは憶えていないが、夢を見ていたのだろうか。
頬を触ってみると、涙の痕があった。
何か大切な、すごく大切な夢を見たような気がするが思い出せない。
何度も思い出そうと試みるが、砂を掴むようにさらさらと零れ落ちていく。
ふと、士郎は気がつく。
今は憶えていない夢に構っている場合ではないと。
衛宮士郎は溜息を一つつくと、凍るような冷たい声を上げた。
「で、なにやってるんだ、ライダー?」
自分の足元、布団の中、ズボンの辺りでごそごそとやっていたライダーがいるあたりを睨みつける。
「何故私だとわかったのですか?」
布団から出ずに応えるライダーに、士郎は冷たく応える。
「ライダー以外にこんな事をする人はいない」
「桜辺りはやるかもしれませんよ?」
「しないだろう、桜は……しないよな?」
あの大人しい後輩が、こんな事をするとは……多分しないよな。
なぜだろう、しないと断言が出来ないのは?
ふと脇道に逸れ出した思考を、士郎は元に修正をする。
とにかく、このままでは埒があかない。
「もう一度聞くけど、なにやってるんだ、ライダー?」
士郎の問に、ライダーが布団から顔を出した。
布団の中から首だけを出した形のライダーが、士郎の冷たい視線など何処吹く風と何時もと変わらぬクールな口調で応えた。
「いえ、士郎が苦しそうでしたから服を脱がそうかと」
「で、何でズボンから脱がそうとするんだ?」
声がどんどんと硬くなっていくのが自分でもわかる。
「いえ、あれだけの魔術を使った後、私も魔力が不足していますが士郎ほどではありません。士郎に魔力補給をしたほうが良いかと」
「魔力補給?」
よく意味の判らぬ言葉に、少し声を和らげて聞き返す。
そんな士郎に、ライダーは頬を赤らめ視線をそらす。
「そんな、私の口から言えと? はしたない。でも、羞恥プレイがお望みなら……」
「なんなんだよっ! 一体!!」
思わず怒鳴ってしまった。
「士郎、そんな大声を上げては」
布団の中からライダーが肩口まで出てくる。
士郎の視界に、ライダーの真っ白な肩と豊な胸元か飛び込んできた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■っ!」
あまりに刺激的なその姿に、士郎が言葉にならない言葉で絶叫をする。
「士郎、狂化しないで下さいっ。あ、でもいいかも」
ぽっと顔を赤らめるライダーに、今度は人間の言葉で絶叫をした。
「何がいいんだっ!」
その叫び反応したのだろうか、ドタバタと廊下を駆けてくる音がいくつも。
マズイ! この状況はひたすらまずい。
士郎がそう考え何らかの行動に出るより早く、襖がすごい勢いで開く。
「シロウ、大丈夫ですか!?」
「士郎、なんかあったの!?」
「先輩! 気が付きましたか!?」
三人の美少女が部屋に雪崩れ込もうとして……固まる。
ザ・ワールドと誰かが叫んだような固まりっぷりだ。
まぁ、そりゃそうだ。部屋に飛び込んでみれば、男に覆い被さるように半裸の女性がいればそりゃ固まるだろう。
そして、見られたほうも同じ様に固まるのも道理だ。
士郎の心のどこかが、冷静にそんな事を分析する。
どれだけ固まっていただろうか、トテトテと遅れてやって来たイリヤが部屋の惨状を見て一言、無茶苦茶冷たい声で言った。
「シロウのスケベ」
その一言で時が動き出す。
ピシッ!
音を立てて空間にひびが入る。止まっていた時計の針がすごい勢いで回転する。
「ふっふっふっふっふ……、シロウ、人に散々心配をかけておいて、起きた途端それですか」
セイバー二号が、恐ろしい含み笑いを浮かべ、見えない剣を握り絞める。
それはセイバー一号のキャラだ。二号、君はそんな子じゃないだろう、と、士郎は叫ぼうとしたが、あまりの恐怖に声が出ない。
「え・み・や・く・ん、わたしの家で何をしているのかしら?」
凛が指に宝石を挟みながら、最上級のにこやかな笑みを浮かべ問い詰めてくる。
ここは俺の家だとツッコミを入れようとしたが、そんな言葉を口にすればどんな事態になるか。さすがにそこまで無謀な行為は出来ない。
「クスクスクス……、先輩は私のお尻は見ているだけで指一本触れないのに……、ライダーには手を出すんですね。お仕置きです……」
桜が妙に黒い笑みを浮かべながら呟く。何故だか桜の足元には妙な黒い影が立ち上がる。
てか、何時の間にそんな特技が使えるようになったんですか、桜さん? 士郎は口をパクパクと動かすが、肺が痙攣して上手く呼吸が出来ない。
士郎は小動物のようにガクガクと震える。
ふつふつと、殺気と闘気が士郎の部屋に充満する。
誰かが針でチョンと突っつけば、すぐに爆発するだろう。
そして針を好んで突っつく人がここに一人。
「あん……士郎、そんなところを触っては」
「───っ!!」
触ってなんかいない。そう叫ぼうとしたがやはり声が出ない。
「「「このエロ学派!!」」」」
トンテンカン、トンテンカンと屋敷の一角から軽やかな音が聞こえてくる。
音の主はアーチャー。遠坂凛に仕えるサーヴァントにして、この家の家主である衛宮士郎の未来の可能性の一つだ。
まぁ、もっとも、今やってる作業はあんまりそのような事は関係なかったりもする。
昼間の襲撃は家のあちこちに傷跡を残した。
ほっといても良いのだが、それはそれで目覚めが悪い。物にこだわるタイプではないのだが、だからと言って使えるものを壊れたままにしておくタイプでもない。アーチャーは工具を片手に家の壊れた家具を修理していた。
「セイバー、悪いけどドライバーを取ってくれないか?」
「はい、これですね」
そんなアーチャーを穏やかな目で見ていたセイバー一号が、すぐ側の工具箱からドライバーを取り出し手渡す。セイバー一号は知らないのだが、プロも使う外国製の一品だ。
「セイバー、わたしにも糊を取って。障子を張り替えちゃうから」
「はい、これで良いのですか?」
「うん、ありがとうセイバー」
たんすの中より替えの障子紙を持ってきたバーサーカーに、セイバー一号が糊を手渡した。
手渡しながら、不思議そうにバーサーカーに問い掛ける。
「バーサーカー、なんで貴女が障子の張り替えなどというスキルを持っているのですか?」
セイバー一号の記憶の中では、生前のバーサーカーは貴族のお嬢様だったはずだ。
「あら、出来ちゃおかしい? こう見えても炊事洗濯掃除育児、なんだってできるわよ」
バーサーカーの言葉にセイバー一号が更に首をひねる。炊事洗濯掃除育児だけならまだしも、ドイツの貴族のお嬢様が障子の張り替えなどできるのは……。
「普通におかしいと思いますが……?」
そんなセイバーに、バーサーカーは苦笑を浮かべながら答える。
「聖杯戦争が終わった後に憶えたの。週に一度は破れてたからシロウがやってるのを見て自然に……」
「自然にって……そうそう破れるものでは無いのでは」
小さな子供がいるのならまだしも、そうそう障子など破れるものではない。
「ふっ、家には遠坂が出入りしていたんだぞ。障子デストロイヤーの藤ねえもいたしな」
「あっ……」
アーチャーの言葉に、セイバーは此処に居ないけど此処に居る友人を思い出す。
「ガンドでぶち抜かれたり、タイガが頭からダイブしたり。襖や障子だけで済めばマシなほうで……、大変だったわ」
「言わないでくれ、バーサーカー……」
どこか遠くを見つめるバーサーカーと思わず頭を抱えるアーチャー。
そんな二人の様子にセイバー一号は思わず吹き出す。
「笑う事無いじゃないか、セイバー」
「す、すいません……。でも、シロウ達があの後どんな人生を歩んだのか……非常に興味深いです」
謝りながらもくすくすと笑うセイバー一号に、アーチャーは憮然とする。
「大変だったんだぞ、事あるごとに……」
ちゅどーん!
「と、こんな風に爆発が……え? 爆発?」
突然起こった爆発に、アーチャーが一瞬呆然とする。少し遅れて部屋が大きく揺れた。
「あ、見て。シロウの部屋……」
バーサーカーが指差す方を見ると、確かに士郎の部屋からもくもくと煙が上がっている。
「何をやってるんだ、あの未熟者は」
アーチャーは思わず呆れ声を上げるのだった。
部屋の中央に黒焦げの惨殺死体、影風味が一つ転がっている。
いや、まぁ、ピクピクと痙攣しているから死んではいないようだが、常人なら再起不能だろう。
てか、俺って怪我人じゃなかったっけと涙を流しながら士郎は思うが、今だに殺気を消さない三人にそんなことを言えるほど無謀ではない。
てか、この状況でちゃんと意識があること事態がすごいのだが。
「ああ、士郎……こんな姿になって」
いつの間にかイリヤのすぐ横に避難していたライダーが嘆き声を上げる。もっとも、すごく演技っぽい。
そんなライダーに、イリヤが呆れて問い掛ける。
「で、ライダー。実際何があったの?」
「まだ何もしていませんよ、残念です」
そう言うライダーの格好は、肩が剥き出しの黒いレザーのミニスカートだった。長身でスタイル抜群のライダーが着ると無茶苦茶色っぽい。その辺のレースクイーンなど物の数ではない。
しかし、その衣装は何処かで見覚えがあるような気がした。
それは夢の中で見たような……、いや、もっとはっきりと見たような記憶がある。
士郎は一瞬だけ考え込むが、すぐにその衣装の正体に気がつく。
顔を覆うのが仮面ではなく何時もの眼鏡ではあるが、それは学園を襲った偽ライダーと同じ装束で……。
──偽ライダー?
士郎の脳裏に、昼間の出来事が一気に思い出される。
そうだ、学園を慎二と偽ライダーが襲い……、偽ライダーが化け物になって……。
最後の最後で気を失ったのだ。
そこまで思い出すと、士郎は勢いよく起き上がる。
「し、士郎?」
突然起き上がった士郎に凛が目を白黒させる。
「遠坂! 学園はどうなった? 藤ねえは、一成は、美綴は、学園の皆は? 慎二は? あの偽ライダーは?」
慌てて立ち上がろうとする士郎だったが膝に力が入らない。ぐらりと揺れると、倒れこむ。
「シロウ!」
「先輩!」
慌ててセイバー二号と桜が駆け寄る。
「シ、シロウ」
士郎はセイバー二号にすがりつきながら、今度は何とか立ち上がる。セイバーが一瞬頬を赤らめたが、そんな事を気にしている余裕は士郎には無かった。
普段の優しい目つきとは一転、厳しい目つきで凛に問い掛ける。
「遠坂、一体どうなったんだ!? あれからどれだけ時間がたったんだ!?」
そんな士郎に、凛は溜息を一つつく。
「二号、悪いんだけど士郎をもう一度布団に寝かしつけて」
「遠坂!」
「いいから黙って聞きなさい。あんたの体の様子を見ながら説明してあげるから」
凛の言葉に、士郎はしぶしぶと布団に戻る。確かに一人で立ち上がれないのだから、文句も言えない。
凛は士郎の上着をめくり上げると──一瞬だけ胸板の意外な厚さに少し頬を赤らめ──、あちらこちらを触診しながら答える。
「まず、今は午後の3時。学園の騒ぎからは2時間と少し過ぎたところ。学園の皆は、ほとんどの生徒も教員も病院送りにはなったけど命に別状がある人はいないわ」
「そうか……、良かった」
安堵の溜息をつく士郎を凛がきっと睨む。
「何が良かったって言うのよ、この馬鹿」
「馬鹿ってなにさ。確かに最善じゃないけれど、皆が助かったなら良かったじゃないか」
たしかに、結界の発動を許したのは大失態だ。とはいえ、本当に最悪の事態は防げた。
「あんたね、自分が何をやったのか判ってるの?」
士郎の言葉に、凛が怒気をはらませる。後ろのセイバー二号もじっと士郎を睨む。
「どういう意味だ?」
「何で一人で学園に行ったの。この時期に単独で行動する事がどれだけ危険か判っているの?」
「いや、そりゃ無謀だったと思うけど……」
凛の言葉の意味を、凛の意味を、全く士郎はわかっていない。
「無謀どころではありません」
黙って凛と士郎の会話を聞いていたセイバー二号が、怒気を含ませながら口を開く。
「偶然学園にいたライダーや……認めたくは無いですがランサー達が助けてくれたようですが、何故私に声をかけなかったのですか」
知っていれば一人では行かせはしなかったし、そもそも止めていた。
正直、ライダーから事の顛末を聞いた時は血の気が引いた。いや、それどころか士郎のサーヴァントである自分達を彼は信じていなかったのかと叫びたくなった。
「それは悪かったと思う」
「悪かったと思うではありません。自殺がお望みなら私がこの剣でシロウの首と胴を切り離します」
「二号さん!」
桜が非難じみた悲鳴を上げる。そこまで言う必要があるのかと目で訴える。
だが、セイバー二号はそんな抗議などには耳を貸さず、ただ士郎を真剣に見つめる。そんなセイバーに士郎は素直に頭を下げた。
「いや、二号の言う通りだ、俺が無謀だった。サーヴァントと人間の力の差が判っているつもりで、全然理解なんてしていなかった」
そう、全く理解していなかった。
あの時、偽ライダーが引いたのは不意をついて驚かせたからに過ぎない。あの時、葛木とランサーが助けに入らなければ確実に死んでいた。
そして死んでしまっては、誰も守れない。
無茶、無謀、無策。何と言われようとも仕方が無い愚かさだ。
「悪かった、セイバー、遠坂。心配をかけてすまなかった」
意地を張るかと思われた士郎が、二人に素直に頭を下げた。予想外の素直さに、セイバー二号と凛は逆に毒気を抜かれる。
「では、シロウ。これからは、戦うのはサーヴァントである私に全て任せてくれますね」
当然だとばかりにセイバー二号は言う。
しかし、士郎はやはり士郎だった。
「いや、それは駄目だ。俺も戦う」
「シロウ!」
セイバー二号が悲鳴を上げる。
「シロウ、貴方はまだサーヴァントと人間の力の差を理解していないんですか!?」
「いや、ちゃんと理解しているぞ。残念だけど、サーヴァントには俺じゃあ敵わない。サーヴァントと戦うのはセイバー達の役目だ。
でも、敵のマスターとかとは、俺も一緒に戦う。これだけは譲れない」
そう、何も出来ずに後ろで見ているなんて士郎には出来ない。
思い出す、あの赤い世界を。
あれは人を殺すための結界だと慎二は言った。今回は偶然にも皆が助かった、偽ライダーも倒した。しかし、次もそう上手く行くとは限らない。それに、あの災厄を起こした慎二は逃亡したのだ。また同じ様な事件が起こらないとは保証できない。
いや、確かに愚かなところがある男だったが、決して慎二は馬鹿ではない。次は……もっと狡猾に災厄を引き起こすだろう。
絶対に止めなければならない。
「二号、本当にすまなかった。もう勝手に一人で突っ走ったりはしない。
だから、力を貸してくれ。あんな事を許しちゃいけない」
そう言うと、士郎はもう一度セイバー二号に頭を下げる。
判っているのか判っていないのか良く判らない士郎に、セイバー二号は溜息をつく。
とは言え、自分がついていれば今回のような事態にはならない筈。
「分りました、士郎。頭を上げてください。ただ、くれぐれも無茶はしないで下さい」
「ああ、もう首の骨を折られるのは勘弁願いたいしな」
苦笑いを浮かべる士郎に、凛が呆れた声を上げる。
「そう言えば、あんた首の骨を折られたんだって? 何でピンピンしているのよ?」
「いや、そう言われても……?」
そう言うと不思議そうに士郎は自分の首の辺りを擦る。違和感や痛みは欠片も無い。
「気持ち悪いわね……。アーチャーや一号に聞いてもはぐらかすだけだし……」
明らかにあの二人……いや、さらにバーサーカーも何か知っているようだった。しかし、どう聞いても答えようとしないのだ。
「ライダーは何か知らないの?」
桜が、ふとライダーに問い掛ける。
「すいません、私が知っているのは士郎に異常な回復力があるというだけで、原因までは……」
「まあ、いいわ。いずれ判るでしょう」
凛がこの話題はこれまでとポーンと投げ捨てる。興味深い現象ではあるが、現在の最重要課題ではない。
そんな様子だったから、すぐ側で不敵に笑うイリヤの存在には気が付かなかったのだけど。
それはともかく、士郎の体に異常が無かった以上、とりあえず此処にいる意味は無い。
「とりあえず、士郎の体に異常はないわ。それ自体が異常とはいえるけど……
とにかく、無茶な使い方をしたから体がビックリして動かないだけ。少し休めばちゃんと動くようになると思うから、動けるようになったらセイバー二号と居間に来て。一号やアーチャーとも今後の事を話さないと」
「ああ、判った」
「それと二号、あの事を士郎に説明しておいて」
「はい、それは了解しました」
士郎とセイバー二号が頷くのを見て、次に凛は桜とライダーに向き直る。
「桜とライダーはすぐ居間に来て。ドタバタしていて聞いていなかったけど、貴女達二人には聞かないといけない事が出来たわ」
凛の言葉に、桜が身を竦ませる。
そう言えばと士郎は思い出す、桜は魔術師でマスターだったと。
そんな事を凛が知れば……、酷い事はしないだろうが……。
「遠坂!」
思わず士郎は凛を引き止める。
そんな士郎に、桜は力強く──少し不安を滲ませて──微笑む。
「大丈夫です、先輩」
そんな二人に、凛は不機嫌そうに答える。
「士郎が何を考えてるのかはあえて聞かないけど……、二人で話さなきゃならない事があるってだけよ」
そう言うと、凛なもう振り向かずに一人で居間に向かってしまう。
桜は士郎とセイバー二号に一礼をすると、ライダーを伴って居間に向かう。
士郎の部屋に残ったのは、士郎のほかにセイバー二号と、イリヤだけとなった。
「あれ、イリヤは居間に行かないのか?」
不思議そうに士郎が尋ねる。マスター同士の会話ならイリヤだってマスターだ。
だが、イリヤは首を横に振ると興味が無さそうな表情をする。
「ううん、多分わたしが口を挟むような内容じゃないわ。あの二人で話せばいいのよ」
「そうなのですか?」
首をひねる士郎とセイバー二号に、今度はイリヤは意地の悪そうな笑顔を向ける。
「それとも、二人してなんかイヤラシイ事でもするつもりなの?」
「な、な、な、な、何でそうなるんですかっ!」
「い、イリヤ!」
慌てる二人に、イリヤは更に黒い笑みを見せる。
「だって、未来の二人ってそう言う関係なんでしょう。だったらこういった機会に二人で盛り上がって、そのまま若い衝動にかられて無謀な暴走を繰り返して、止めようの無いパトスに乗っかりお互いの体を貪りあって、やがて二人で黄色い朝日を眺めるんじゃない?」
「な、なんですか、それはっ!」
「具体的に言うと、シロウがむらむらっと来てセイバーを押し倒しちゃうの。あ、でも二人の場合廃屋かお風呂場だって話しだっけ? 意外と特殊ね」
ちゃんと寝室もあります。
「具体的すぎだっ! ってか、どこでそんなのを覚えたんだ、イリヤ! てか、廃屋とお風呂場って何さ!?」
教育上大変によろしくない内容に、士郎が慌てて問い掛ける。
「バーサーカーに教えてもらったの」
こんな子供に何を教えているんじゃ―と、この場にいない女性に内心で文句を言う。
「わ、私がシロウとそんな関係になるなんてありえません!」
ガーっと吼えるセイバーに、イリヤはニンマリと微笑む。
「あ、そんな事言っていいんだ。シロウが落ち込んでるわよ」
「そ、そうだよな。そうだよな……、俺ってチビだし」
あの、恋人になったという未来の自分はきっとイレギュラーに違いない。きっと1/5くらいの幸運を引き当てたのさ。
「シ、シロウ!? い、いえ、シロウに魅力がないという意味ではなく、いえ、好ましいとすら思います」
「いいんだよ、二号。無理にそんな事言わなくても……」
「そういう訳ではありません!」
へこむ士郎を大慌てでフォローするセイバー二号。
そんな二人の様子をクスクスと笑いながら見ていたイリヤだったが、二人の反応を堪能したのか不意に真面目になる。
「で、セイバー二号。お昼に起きた事件を話さなくていいの?」
「はっ、そう言えば」
遥か遠くに逸れてしまった本題に、セイバー二号がようやく気が付く。
「全くダメね、二人とも。わたしがいないとすぐ脱線するんだから」
「イリヤ……なんて恐ろしい子」
思わず顔に縦線を浮かべる士郎とセイバー二号。
えへんと胸を張るイリヤに、士郎とセイバー二号は恐怖に駆られる。
と、とにかく。確かに士郎に知らせなければならない事があるのは事実だ。
セイバー二号はゆっくりと深呼吸をすると、いつの間にか赤くなっていた顔色を元に戻す。
そして、真剣な目で士郎を見つめる。
「シロウが一人で学園に向かっていた時に、この屋敷に襲撃者がありました」
「えっ!?」
セイバー二号の告白に士郎が驚きの声を上げる。
「警報が作動して大事には至りませんでしたが、敵はかなりの戦力を投入してきました」
「敵って……キャスターかアサシンか? それとももう一人のアーチャーか?」
士郎の目が鋭くなる。今現在敵対しているものとなると、この三人以外は思いつかない。
だが、セイバー二号は静かに首を横に振る。
「いえ、襲ってきたのはランサーです。それと、ランサーの手勢が20騎ほど」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、ランサーは……、それに20騎って!?」
セイバー二号の言葉に一瞬だけ混乱をする士郎だったが、すぐにその意味に気が付く。
「もしかして、ランサーも二人いたって事か?」
「そうなります」
静かに頷くセイバー二号。
実は一人先行して学園に士郎を助けに行った時に、勘違いしてその場にいたランサーに斬りかかった事は自分の胸の中にしまっておく。
「それと、正体不明の黒い獣のようなモノが20ほど。サーヴァントでは無いと思うのですが、全く違うとも言い切れない……」
「黒い獣……」
──黒い獣のような姿をしたナニカに襲われている桜と士郎が……。
セイバー二号の言葉に、昼の学園での戦いの一幕が思い出す。
「それって、あの時……」
「はい。話を聞く限りでは学園でシロウ達が遭遇したという偽ライダーの伏兵と同じものだと思われます。
アーチャーとリンの話ではこの家を襲撃したランサーも、他の場所で戦いがあった事を知っている事を匂わせていた様ですし」
「つまり、慎二は幾つかのグループで動いているという事か……」
「はい、話を総合すると恐らくは。恐らく慎二という男を連れて行ったのはアサシンのサーヴァントでしょう。アサシンのサーヴァントも二人現れた事になります。
それと、獣は自身は普通の人間よりは強いですが、私たちサーヴァントの敵ではありません。数で圧されない限り、シロウやリンなら然るべき装備さえ持っていれば何とかできるレベルでした」
今までに直接顔を合わせているだけで13体のサーヴァントが存在し、話を聞く限り後一人、さらに正体のわからない主婦が一人。
これだけでも十分頭が痛いのに、更に正体不明の獣とは……。流石の士郎もあまりの状況に頭を抱える。
「一体どうなってるんだ、話に聞いた聖杯戦争のルールと全く違う……」
「ええ、前回の聖杯戦争とも全く状況が違います……違いすぎます」
セイバー二号も表情を暗くするのだった。
居間に戻ると、家の修理をしていたアーチャー達が揃っていた。
修理が終わったのか、お茶菓子とお茶の準備をしている。何時の間に用意したのか、洋風の焼き菓子……しかも手作りが置いてある。
アーチャーが手に持つのは、どうやら紅茶のポットのようだ。
「良いご身分ね。悪いけどお茶なら別のところでやってくれない? 大事な話しがあるの」
そんな暢気なサーヴァントに、凛が棘のある声をかける。
だが、アーチャーはそんな凛に肩をすくめて応じる。
「随分と辛辣だな、凛。一つ君に忠告をしたいのだが良いかね?」
「何よ?」
つまらない事を言うと許さない。目がそう言っている。
「この焼き菓子は焼きたてでないと美味くないのでな、話の前に食べるべきだと私は思うのだが」
「ふざけてるのっ!」
しかし、そんな凛にアーチャーはあえてつまらない事を言う。
「いや、ふざけてなどいないさ。実はこの焼き菓子は料理の弟子に教わったものでね。何でも小さいころ姉と一緒に作ったのが原型だと言っていたな」
その言葉の符号に、息を飲んでアーチャーと凛の話を聞いてた桜がテーブルの上のお菓子をあらためて見る。
「あ、それは……」
「もっとも、彼女は最後まで隠し味だけは教えてくれなかったのでね、おかげでこれは私風に少々アレンジしている」
「あんた……」
「ふふふ、これを教えてくれた弟子には少々……いや、かなり我侭な姉がいてな。彼女たちにはこの焼き菓子と紅茶で色々な事を教えてもらったよ。リボンの秘密や、幼い日々の事をね」
アーチャーの言葉に、凛が押し黙る。
この男の言っている事は判る。別の自分たちの事を……。
いや、確かに気持ちが高ぶっていたのは事実だ……、しかし……。
色々と考えた末、凛は一つの行動に出る。
「キザな事やってるんじゃないわよ、このバカっ!」
「ふごぉ!」
「あ、アーチャー!」
なんとなく素直に謝るのは癪なので、とりあえずアーチャーにモヤモヤした感情と共に裏拳を叩き込む。
「凛よ、紅茶のポットを持っているのだぞ、危ないではないか」
口では文句を言いながらも、アーチャーの顔はどこか楽しそうだ。
「アーチャー、とりあえずお茶の準備をお願い。まったく、ウジウジ悩んでたのが馬鹿馬鹿しいわ」
「ふむ、悩みが吹っ切れたようだな。ウジウジ悩んで立ち止まるなど、君には似合わん」
「人を猪突猛進の馬鹿みたいに言わないでくれる?」
先ほどまでの暗い雰囲気を一変させ漫才を始める主従に、桜の顔も自然と笑顔になる。
これから始まる話は決して楽しい話しではないだろう。恐らくは最後のチャンスだ。
それでも、この英霊は暗くなる必要など無いというのだ。まったくもって、お節介焼もいいところだ。
しばらくの間、居間にアーチャーが紅茶を注ぐ音だけが響く。居間に、紅茶と焼き菓子の甘い香りが充満する。
優しい香りに包まれる中、紅茶に一口だけ口をつけた凛が口を開く。
「桜、確認の為に聞くけど、あなたがライダーのマスターだったのね」
「はい、そうです」
凛の言葉に、桜が静かに頷く。
考えてみればおかしい事ではない。間桐慎二は魔術師ではない、そして魔術師でなければサーヴァントは呼び出せない。しかし、間桐慎二はサーヴァントを持っていた。
それならば、魔術師が召喚したサーヴァントを譲り受ければいい。
「貴女がこの家に出入りしていたのは、衛宮士郎の監視の為ね」
「そ、それは……」
桜が言い難そうに視線をそらす。
「士郎には言わないわ。言う必要がある事でもないし」
凛の言葉に、桜が小さく頷く。
これも考えてみればあたり前の話しだ。義理とは言え士郎は前回の勝利者の息子だ。間桐が監視の為に桜を送ったのも頷ける。あわよくば、士郎を取り込もうと考えたのかもしれない。
どれもこれも、考えてみれば簡単な答えだった。
ヒントは幾つもあった。恐らくはアーチャーやバーサーカーは全てを知っていた。
それに気がつかなかった自分の甘さが頭に来る。
だが、そんな事を反省するのは後でもできる。今はこれからの事を確認しかければならない。
「次の質問、間桐は一体何体のサーヴァントを呼び出したの?」
「そ、それは……」
「申し訳ありません、凛。私の知る限り、桜が呼び出したサーヴァントは私だけのはずなんです」
それまで黙って話を見守っていたライダーが口を挟む。
「それは本当なの?」
「はい、ライダーの言う通りです。私がライダーを召喚して、兄さんに譲った時にはライダーしかいなかった筈なんです」
桜が必死に訴える。その言葉に嘘があるようには見えない。
もっとも、偽ライダーの顛末を聞いた段階で予測済みだ。恐らくは彼女たちの知らないところで動いていたのだろう。
「それじゃあ、間桐臓硯の居場所は?」
間桐の当主。恐らくは今回のサーヴァント大量召喚の首謀者。
その居場所を凛は尋ねる。
「すいません、判らないんです」
「判らない?」
桜の言葉に、凛が眉間に皺を寄せる。
「ライダーを召喚する少し前から、姿が見えなくて……」
桜の困惑の言葉を、ライダーが補足する。
「私も臓硯の姿は見ていません。間桐の屋敷に居たのは桜と慎二だけでした」
「そっか、この点に関して進展は無しか」
恐らくは、間桐臓硯の身柄を確保できれば今回の事件の顛末がかなりわかるだろうと予測していたのだが……。
「まあ、いいわ。地道に調べていくしかないって判っただけでも」
凛はそう言うと、テーブルの上の焼き菓子を一つつまんだ。シナモンの香りが鼻をくすぐる。
更に、アーチャーの入れた紅茶を一口口に含む。芳醇な茶の香りが心を落ち着ける。
どちらも優しい匂いと味だと思う。
でも、今自分がいるのはそんな優しさとは無縁の世界だ。
凛は顔を上げると、桜を見つめる。幾分顔が強張っているだろうが、それでもかまわない。
「質問はこれで終わり。
──桜、今すぐ令呪を破棄しなさい。これは警告でも要請でもなく命令よ」
桜に悪意は無いだろう。あるはずが無い。
だが、間桐のマスターが身近に居るのは危険だ。
いや、実のところそんな事はどうでもよかった。マスターであること事態が危険なのだ……それは桜にとって。
甘いと言われ様となんだろうと、凛は桜を戦いに巻き込みたくなかった。
なぜなら、彼女は凛にとってたった一人の……。
だが、桜はそんな凛を真正面から見据えて答える。
「嫌です」
「桜っ!」
凛が悲鳴のような叫びを上げる。
「令呪の破棄はお断りします。私は……間桐桜は聖杯戦争を戦います」
「それは、わたしや士郎に敵対するという事でいいのかしら」
凛の言葉が氷のように冷たくなる。
その様子にライダーとセイバー一号が少し慌てるが、アーチャーとバーサーカーに目で制される。
「いえ、私は敵対なんてしません」
「でも、令呪を保持してマスターでいるというのは、そういう事よ」
凛の目は真剣そのものだ。
そして、言っている事は真実だろう。
しかし……。
「もう、嫌なんです」
「嫌?」
思い出す、あの赤い世界で倒れ伏す士郎の姿を。
思い出す、あの幼き日の別れを。
自分の大切な人は、いつも自分を置いて消えてしまう。自分を捨ててどこか遠くに行ってしまう。
いや、それは違う。
自分は、大切な人の事を追って行ったか?
自分は、いつも待つだけではなかったか?
それが運命だと諦めていた。
汚され、壊され、作り変えられる。それが運命だと諦めてしまっていた。
でも、ずっと憧れていた。
遠坂凛という光に。
でも、希望をもってしまった。
衛宮士郎という希望を。
──呪縛される必要は無い。
ふと、ある晩にアーチャーの言った言葉を思い出す。
あれは、アーチャーの人生に呪縛されるなと、彼は言っただけだ。
でも、それは本当にそれだけだったのか?
私は何で、あんな事を聞いたのか?
いや、わかってる。私は諦めたかっただけ。
全てが運命だと諦めたかっただけ。
──呪縛される必要は無い。
もう一度、アーチャーの言葉を思い出す。
凛の背後に控えるアーチャー……、いや、衛宮士郎という名の希望は、変わらず微笑んでいた。
そう、呪縛される必要は無い。
自分の運命は、自分で決める。そう、あの倒れている先輩を見た時、そう決めた。
愛する人たちが傷つき、倒れるのはもう見たくない。自分にできる事があるなら、愛する人たちを助けたい。
「もう、嫌なんです。先輩が倒れているのを見るのは……。知っちゃったから、知っちゃったから……。
もう、先輩が倒れているところを、見たくない。
姉さんが倒れるところなんて、見たくないから。
だから、間桐桜は戦います」
桜は、顔を上げ凛を見つめる。
視界の中の遠坂凛は、呆然としていた。
「ね、姉さん?」
そんな凛に桜は呆然と尋ね返し……、自分が凛を『姉』と呼んでいた事に気が付いた。
「ご、ごめんなさい。め、迷惑ですよね、私なんかに姉なんて呼ばれたら……」
桜はそう言うと、うつむき悲しげな表情をする。
詰られる、怒られる。そう思った。
間桐と遠坂の盟約はそう言う盟約だったから。
「まだ……」
呆然と凛が声を上げる。
「えっ?」
その声に顔を上げた桜は、驚きの声を上げる。
そこにいた凛は、今まで桜が一度も見た事の無いような表情をしていたから。
今にも泣きそうな、そんな表情をしていた。
「まだ……、わたしを姉と呼んでくれるの?」
凛の頬に、一筋の涙が流れる。
「まだ、私を姉と呼んでくれるの……桜?」
「姉さんが……姉さんが許してくれるなら」
「バカっ! 許さないわけ無いじゃない……たった一人の妹にそう呼ばれるのが何処が悪いのよっ!」
ずっとそう呼ばれたかった。
でも、許されない事だと思っていた。
でも、何に許されないというのだろう?
「桜……」
凛が言葉に詰る。
なんと言えばいいのだろう。
ずっとそう呼ばれたかったのに、いざそうなって見ると言葉が出ない。
今まで話していた、マスターや聖杯戦争なんて、今この瞬間はどうだって良かった。
ただ、今この瞬間は、世界でたった一人の大切な妹に、声をかけてあげたかった。
でも、どう言えばいいのだろう。
悩む理性を置き去りに、凛の感情が自然と言葉を紡いだ。
「お帰り……桜」
「はい、ただいま。姉さん」
桜もまた、目に涙を浮かべながらも、微笑みながら答えた。
この時、長い年月道を違えていた少女達が、また姉妹という名の絆を取り戻したのだった。
続く……かな?