〜タイピングとボキャブラリー強化のための試み〜

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第 二 部

 逮捕されるとすぐに、私は何度も尋問を受けた。が、これは身許確認の尋問であり、長くは続かなかった。最初警察では、私の事件は誰の興味もそそらないように見えた。一週間たったのち予審判事の方は、これに反して、好奇の眼をもって、私を観察したが、はじめは、私の名と住所と職業、出生の日付と場所を尋ねただけだった。それから、私が弁護士を選んだかときいた。私が選ばなかったことを認め、一人つけることが絶対必要なのかと判じに質問すると、判事は「なぜか」といった。私の事件は大へん簡単だと思うと答えると、彼は笑いながら、「それも一つの考え方だが、しかし、法の定めというものがある。もしあなたが弁護士を選ばなければ、われわれは職権をもってそれを選任しなければならない」といった。私は、裁判上そんな細かい点まで規定のあるのは、まことに便利だと思い、判事にそういうと、彼も私に同意し、法律というものはよくできている、と結論した。
 最初、私は判事を真に受けてはいなかった。彼はカーテンをおろした部屋で私を迎えた。その机にはたった一つだけランプが載っていて、私のすわらせられた肘掛椅子を照らしていた。一方、彼の方はずっと闇のなかにすわっていたのだ。以前こうした描写を書物のなかで読んだことがあったが、すべてゲームのように見えた。ところで、話をすませたあとで、じっとながめると、この男がなかなかするどい顔だちで、青い眼は落ちくぼみ、丈が高く、灰色の口ひげを長くのばし、半白の髪をあふれるように波打たしているのに気づいた。彼はものわかりもよく、また、口をひきつらす神経質な癖はあったけれども、とにかく、感じは悪くなさそうに見えた。部屋を出るとき、私は彼に手を差しのべようとさえしたが、ちょうどそのとき、自分がひと殺しをしたことを思い出した。
 翌日、弁護士が刑務所に会いに来た。まるまるした小柄な男で、まだ若く、髪を丁寧になでつけていた。暑かったが(私は上着をぬいでいた)、彼は、じみな服を着て、固い折カラーをつけ、黒と白の太い縞の、変わったネクタイをしめていた。脇にはさんでいた紙ばさみを私のベッドの上へ置くと、名を名乗り、それから、私の書類を検討したいといった。私の事件はデリケートだが、もし彼を信頼するならば、訴訟に勝つことは疑いない。彼に礼をいうと、「さあ、問題の要点に入りましょう」といった。
 彼はベッドに腰をおろし、私の私生活についていろいろ情報をとっていると述べた。私の母が最近養老院で死んだことがわかり、そこでマランゴへ調査の手が向けられた。予審判事側は、ママンの埋葬の日に、「感動を示さなかった」ことを、知っていた。「あなたにこんなことをお尋ねするのは、すこし具合が悪いんですが、これは大事な点です。これに対して私がうまい答弁ができなければ、告訴側の有力な材料となるでしょう」と弁護士はいった。私が彼に協力することを望んでいたのだ。弁護士はその日私が苦痛を感じたかと尋ねた。この問いはひどく私を驚かせた。もし私が誰かにそんな質問を呈さなければならぬとしたら、ほんとのところを説明するのはむずかしい、と答えた。もちろん、私は深くママンを愛していたが、しかし、それは何ものも意味していない。健康なひとは誰でも、多少とも、愛する者の死を期待するものだ。すると、弁護士はここで私の言葉をさえぎり、ひどく興奮した風に見えた。そんなことは、法廷でも、予審判事の部屋でも口にしない、と私に約束させた。一方、私は、肉体的な要求がよく感情の邪魔をするたちだという、説明をした。ママンを埋葬した日、私はひどく疲れていて、眠かった。それで、起こったところのことを、よく了解できなかったのだ。私が確信をもっていいうることは、ママンが死なない方がいいと思ったということだけだ。ところが、弁護士は満足した風がなく、「それは十分ではない」と私にいった。
 考えた末、彼は、その日私が自然の感情をおさえつけていた、といえるかと尋ねた、「言えない、それはうそだ」と私は答えた。彼は、私にいくぶん嫌悪を感じたかのように、変な眼で、私をながめた。いずれにしても、養老院の院長や職員が、証人として、喚問されるだろうし、「それは困った結果にならないとも限らない」と、ほとんど意地悪く、私に向かっていった。そんな話は私の事件とは何の関係もない、と注意してやったが、弁護士の方は、明らかに、あなたは裁判所と交渉をもったことがないようだ、とだけ答えた。
 憤慨した様子で、彼は出て行った。彼を引きとめて、同情を得たいと望んだが、それもよりよく弁護されるためではなく、言って見れば、それはむしろ当たり前のことなのだ。のみならず、彼にいやな感じを与えてしまったこともわかっていた。彼は私を理解していなかったし、私のことを、いくぶん憎んでさえいた。私は自分が世間のひとと同じだということ、絶対に世間の尋常なひとたちと同じだということを、彼に強調したいと願った。が、こうした一切は、結局のところ大して役に立たぬことでもあったし、面倒くさくなって、私はそれをあきらめてしまった。
 しばらくして、私は再び予審判事の前に呼び出された。午後の二時だった。今度は、彼の部屋は、薄い窓かけでわずかに濾された光線にあふれていた。ひどく暑かった。彼は私をすわらせて、慇懃丁寧に、弁護士は「故障があって」来られない、と述べた。けれども、私には、彼の尋問に答えずにいて、弁護士が助けに来るのを待つ権利があった。ひとりでも返事ができます、と私はいった。彼は机の上のボタンに指を触れた。若い書記が来て、私のすぐ背中のところに腰をおろした。
 われわれは二人とも、肘掛椅子にどっしり腰をおろしていた。尋問がはじまった。まず判事は、私がひとから口数が少なく、内に閉じこもり勝ちな性格だと見られているといい、そのことをどう考えているか、と尋ねた。「いうべきことがあまりないので、それで黙っているわけです」と私は答えた。判事は最初のときのように微笑して、それはもっともな理由だとこれを認め、「それに、これは大したことではない」と付け加えた。彼は黙り込んで、私を眺めていたが、やがて出し抜けに体を反身にしながら、「あなたというひとは、面白いひとだ」と早口にいった。彼のいうところの意味がよくつかめなかったので、私は何も答えずにいた。判事は付け加えて、「あなたの振舞には、私にはわかりかねる点が多々あるが、あなたが私を助けて、それをわからせてくれることを、確信しています」といった。すべて簡単なことばかりだ、と私は答えた。彼は、私の例の一日を物語るように催促した。私は、既に彼に向かって話したことを、もう一度述べ直し、彼のために要約した。レエモン、浜、海水浴、争い、また浜辺、小さな泉、太陽、そして、ピストルを五発撃ちこんだこと。一言話すたびに、彼は、「ああ、そう」といった。横たわった死体のところまで進むと、彼は、「もうよろしい」といって、それを確認した。私はといえば、こんな風に、同じはなしを繰り返すことに疲れ切っていた。こんなにしゃべったことは、かつてないように思われた。
 しばらくの沈黙ののちに、彼は立ち上がって、私はあなたを助けたいと思う、あなたは面白いひとだし、神の加護により、あなたのために何かしてあげられよう、と私にいった。でも、その前に、彼はなお二、三の質問をしたいといった。引き続き同じ調子で母を愛していたか、と彼は私に尋ねた。「そうです。世間のひとと同じように」と私は答えた。すると、書記は、それまでは規則的にタイプをたたいていたのだが、キイを間違えたらしかった。彼はすっかり混乱して、後戻りを余儀なくされたからだ。相変わらず、はっきりとした論理的脈絡なしに、判事は今度は、五発つづけてピストルを発射したか、と尋ねた。考えた末、私は、最初一発だけ撃ち、数秒の後、あとの四発を撃った、と確言した。「第一発と第二発とのあいだに、なぜ間をおいたのですか?」と彼はいう。もう一度、私は赤い浜を眼にし、焼けつくような太陽を額に感じた。が、こんどは何も答えなかった。これに続く沈黙のあいだ、判事は興奮した様子だった。彼は腰をおろし、髪の毛をかきみだし、机に肘をついて、奇態な風で、私の方に少し身をかがめた。「なぜ、なぜあなたは、地面に横たわった体に、撃ち込んだのですか?」それでもなお、私は答えるすべがなかった。判事は両手を額にあて、声までいくぶん変わりながら、「なぜです? それを私にいってもらわなければならない。なぜなのです?」と繰り返した。私は相変わらず黙ったままだった。
 にわかに彼は立ち上がると、大またに、部屋の端の方へ歩みより、書類箱の引き出しを開いた。そこから銀の十字架を抜き出して、ぶらぶら振りながら、私の方へ戻って来た。そして、普段とは違った、慄えるような声で、「あなたは、これを、こいつを知っていますか?」と叫んだ。「もちろん、知っていますとも」と私は答えた。すると彼は、大そう早口に、激した調子で、自分は神を信じているといい、神様がお許しにならないほど罪深い人間は一人もいないが、そのためには、人間は改悛によって、子供のようになり、魂をむなしくして、一切を迎えうるように準備しなければならないという、彼の信念を述べたてた。彼は体全体を机の上に乗り出して、その十字架を、ほとんど私の真上で振りまわしていた。実をいうと、私は彼の理屈に全然ついて行けなかった。第一、私はひどく暑かったし、彼の部屋には大きな蠅がいて、私の顔にとまったりしたし、また、彼が少し恐ろしくもなったからだ。それと同時に、少々滑稽にも認められた。というのは、せんずるところ、罪びとはこの私なのだから。彼の方はそれでもなお語りつづけた。彼によれば、私の告白には曖昧な点は一つしかない、ピストルの第二発目を撃つのに、少し間をおいたという事実がそれだ、──ということが、どうやら私にはわかりかけた。その他の部分については、はっきりしたものだ。しかし、そのことだけが、彼にはわからなかった。
 あなたが自分の意見を固執するのは間違いだ、と私はいってやろうとした。この最後の問題は、それほど重大なものではないのだ。ところが、判事は私をさえぎり、重ねて私に訓戒を施し、すっかり立ち上がって、私が神を信ずるか、と尋ねた。私は信じないと答えた。彼は憤然として腰をおろした。彼は、そんなことはありえない、といい、ひとは誰でも神を信じている、神に顔をそむけている人間ですらも、やはり信じているのだ、といった。それが彼の信念だったし、それをもし疑わねばならぬとしたら、彼の生には意味がなくなったろう。「私の生を無意味にしたいというのですか?」と彼は大声をあげた。思うに、それは私とは何の関係もないことだし、そのことを彼にいってやった。ところが、彼は、机ごしに、クリストの十字架像を私の眼の前に突き出し、ヒステリックなようすで叫んでいた。「私はクリスト教徒だ。私は神に君の罪のゆるしを求めるのだ。どうして君は、クリストが君のために苦しんだことを信じずにいられよう?」私のことを「君呼ばわり」していることに気づいたが、私はもううんざりだった。暑さはますますひどくなって来た。いつもそうするのだが、よく話をきいてもいないひとから逃げだしたいと思うと、私は承認するふりをした。すると驚いたことには、彼は勝ちほこって、「それ見たろ、君は信じているんじゃないか。神様にお任せするというんだね?」といった。断固として、私はもう一度あらためて、違う、といった。彼はふたたび肘掛椅子に倒れ込んだ。
 判事はひどく疲れている風だった。彼はしばらく黙っていたが、その間も、タイプは、二人の会話を追うことをやめず、なお最後の方の言葉を打ちつづけていた。それから、いくらか悲しみの色のこもった眼で、じっと私を見つめ、「あなたほど強情な魂は、見たことがありません。私のところへ来る罪人たちは、この苦悩のえすがたを眼にすれば、きまって、涙をながしたものです」とつぶやいた。私は、まさにそれが罪人たちだったからそうなのだ、と答えようとした。ところで、この私もまた彼らと変わりがない、と私は考えた。これは私の慣れがたい観念だった。そのとき、判事が立ち上がった。それは尋問が終わったことを意味するように見えた。彼は、少し疲れたような同じ調子で、自分の行為を悔いているのか、とだけ尋ねた。考えた末、実のところ、悔恨よりもむしろ、ある倦怠を感じている、と答えた。彼には私の気持ちがよくわからないような印象をうけた。しかし、この日、事はこれより先には運ばなかった。
 その後、何度も予審判事に会った。ただ、そのたびごとに、私は弁護士に付き添われていた。先立つ私の陳述の若干の部分を、私に確認させるに止まった。さもなければ、判事が私の弁護士と証憑の問題で争った。が、実のところ、この際には、二人とも全然私のことなど構ってはいなかったのだ。とにかく、少しずつ、尋問の調子が変わった。判事はもはや私に関心を持っていないようだし、いわば私のケースも整理ずみになってしまったかに見えた。もう私に向かって神のことを語らなかったし、またあの第一日目のような彼の興奮した姿を再び見ることもなかった。その結果は、われわれの会談は、だんだん打ちとけたものになった。若干の質問、弁護士とのわずかな会話、それで、尋問は終わりになった。私の事件は、判事の表現を借りれば、軌道に乗って行った。時として、会話の内容が一般的話題にわたるような場合には、私もそこに加わった。私は息をつき出した。こうしたときには、誰ひとり私に悪意を示すものはなかった。すべてが、まことに自然で、まことに規則立っていて、しかもまことに地味に演ぜられていたので、私は「家族の一員になっている」ようなおかしな印象をうけた。こうした予審の続いた十一カ月が過ぎると、判事がその部屋の戸口まで私を送って来て、私の肩をたたき、「今日はこれで終わりです、反クリストさん」と打ちとけた様子でいいかける。あの瞬間を除いては別に何のことにも楽しみを見出さないのに我ながら驚くほどになっていた、ということができる。そこで私の身柄は憲兵の手に渡された。

 断じて語りたくなかったことがらもある。刑務所に入って、数日たつと、私は自分の生活のこうした部分を語りたくないということが、わかった。
 しばらくすると、こうした嫌悪の念に、私はもう大した意味を認めなかった。実際において、最初のうち、現実に刑務所にいたとはいえなかった。私は漠然と何かの新しい出来事を期待していた。すべてがはじまったのは、マリイの最初にして、最後の訪問を受けてから後のことだ。マリイの手紙をもらった日から、(マリイは私の妻ではないから、もう面会の許可はおりないだろうといって来た)その日から、自分の独房にいて、わが家にいるように感じ、自分の生活がそのなかに限られていると感ずるようになった。私が逮捕された日には、最初、数名既に拘置されている部屋に入れられたが、大部分は、アラビア人だった。連中は私の方を見ながら、笑った。やがて、何をしたのかと尋ねて来た。アラビア人を一人殺したのだ、というと、連中はひっそり黙ってしまった。が、しばらくして、黄昏がおりてきた。連中は、寝床にする、筵をいかにつかうべきかを教えてくれた。一方の端を巻いておくと、長枕として用いることができるのだ。一晩じゅう、南京虫が顔のうえをはいまわった。数日たってから、独房へ隔離され、板の上に寝た。便器用の桶と、鉄のたらいとがついていた。刑務所は街の高みにあったから、小窓からは海が見えた。ある日、格子にしがみついて、顔をひかりの方へつき出していると、看守が入って来て、面会人があるといった。マリイだなと考えた。それはほんとにマリイだった。
 応接室へゆくために、長い廊下を渡り、階段を通り、それから終わりに、もう一つ違う廊下を過ぎた。広い窓から光のさし込んだ、大きな部屋へ入った。それを縦に断ち切る二つの大きな格子で、この部屋は三つに仕切られていた。二つの格子の間には、八メートルから十メートルの距離があり、それが面会人と囚人とを引き離していた。私は正面に、縞柄のローブを着て、陽焼けした顔の、マリイを見出した。私の側には十名ばかりの囚人がいたが、大部分はアラビア人だった。マリイはモール人にとりかこまれ、二人の面会の女の間にはさまれていた。その一人は、唇を固く結び、黒い服を着た、小柄のばあさんだ。もう一人は、帽子なしの大女で、大仰な身ぶり仕ぐさをして、声高にしゃべっていた。格子と格子との距離があるので、面会人も囚人もともに大声で話さなければならなかった。なかへ入ってゆくと、この部屋の広い裸の壁にはねかえる人声のざわめきと、空から窓ガラスへと降りそそぎ、広間にほとばしる、あらあらしいひかりのために、私は何かめまいのようなものを感じた。私の独房はもっと静かで暗かった。この場所に慣れるのに、数秒を要した。が、しまいに、白日のなかに浮き出した各人の顔を、はっきりと見られるようになった。一人の看守が、二つの格子の間の端にすわっているのに、気づいた。大部分のアラビアの囚人も、またその家族の連中も、向かい合いにうずくまっていた。アラビア人は大声をあげない。この喧噪のなかでも、彼らは低く話し合って、しかも意思を通じ合うことができる。地面の方からはいあがってくる、アラビア人の鈍いつぶやきは、彼らの頭上で交差する話し声に対して、引きつづき、いわば一種の低音部をなしていた。こうしたすべてに、私はすぐさま気がついた。私はマリイの方へすすんだ。格子にはりついて、マリイは一生懸命に私に微笑んで見せた。私は大そう綺麗だと思ったが、それを彼女にいってやることはできなかった。
「いかが?」と高い声でマリイがいった。「この通りさ」──「丈夫なのね。ほしいものは別にないわね」──「ああ、別にない」
 われわれは黙り込んだ。マリイは相変わらず微笑していた。大女は私の隣の男に向かって喚いていた。恐らくその夫なのだろうが、率直な眼をした金髪の大男だった。それは既に始まっている会話の続きだった。
「ジャンヌは預かろうとしないのさ」と彼女は声をかぎりに叫んだ。「そうか、そうか」と男がいった。「あんたが外へ出たら、かならず引きとるって、いってやったんだよ。それでも、あの娘は預かろうとしないのさ」
 マリイは向こう側で、レエモンがよろしくいっていた、と叫んだ。私は、ありがとうといったが、私の声は、「あいつの具合はどうかね」と尋ねる隣の男の声で、打ち消されてしまった。その女房は「とてもいいよ」といって、笑った。私の左側にいた、ほっそりとした手の、小柄な青年は、一言もいわなかった。彼は小さな婆さんと向かい合い、二人とも異常な激しさで、互いに見つめ合っていた。しかし、私はこの二人をこれ以上見守るひまがなかった。マリイが、希望を持たなくてはいけない、と私に向かって叫んだからだ。私は「そうなんだ」といった。同時に、私はマリイを眺め、そのローブの上から肩を抱き締めたいと思った。この薄ものが欲しかった。そして、この薄ものの外に何を期待すべきか、私にはよく、わからなかったが、それこそもちろん、マリイのいわんとするものだったのだ。マリイはずっと微笑をつづけていたからだ。私にはもう、歯のきらめきと、眼もとの小皺しか、見えなくなった。「あなたが出たら、結婚しましょうね!」と、またマリイが叫んだ。「ほんとかね?」と私は答えたが、それは何かいわねばならぬと思ったからだった。するとマリイは、早口に相変わらず高い声で、本当よ、といい、またあなたが放免になったら、また海水浴へゆこうといった。ところが、もう一人の女も、向こう側でわめき立て、書記課にかごを預けて来たといい、入れたものを、一つ一つ数えあげた。その中身は高くついたから、確かめておく必要があったのだ。もう一方の隣人とその母親とは、相変わらず見つめ合っていた。アラビア人のつぶやきは、われわれの足もとで、続いていた。おもての光線は、窓に向かってあふれて来るように見えた。ひかりは、顔という顔の上を、新鮮な波のように、流れた。
 私はすこし具合が悪いような気がし、むしろこの部屋を出たいと思っていた。騒音のために気分が悪くなったのだ。が、他面、私はなお、マリイのいるこの一刻を有益に用いたいとおもった。それからどれほどの時がたったか、私は知らない。マリイは自分の仕事について語り、絶え間なく微笑を見せていた。つぶやき、叫び声、会話が入りみだれた。私のわきの、互いに見つめ合っているあの小柄な青年と婆さんのところが、たった一つの沈黙の個所だった。だんだんとアラビア人が連れてゆかれた。最初の一人が外へ出てゆくと、ほとんどすべての者が黙り込んでしまった。小さな婆さんが仕切格子に近づいた、と同時に、看守が息子に合図した。息子が「母さん、さよなら」といった、婆さんは、二つの格子の間に手をさしのべて、息子に、ゆっくり長々と、小さな合図を送った。
 婆さんが出てゆくと、一人の男が、帽子を手にして入って来て、自分の席についた。一人の囚人が導かれて来て、二人は活発に話し出したが、その声は低かった。この部屋が再びしずかになっていたからだ。私の右隣の男を呼びに来ると、その女房は、まるでもう大声をはりあげる必要のないことに気づかなかったかのように、声を低めず、「あんた大事にしてよ。気をつけてね」といった。それから私の番が来た。マリイは接吻の仕ぐさをした。私は姿を消すまえに振り返って見た。マリイは、顔を格子に押しつけ、引き裂かれ、引きつったような同じ微笑をたたえて、じっと動かずにいた。
 マリイが手紙をよこしたのは、その直後のことだった。そして、その時から、私の断じて語りたくないことどもが始まったのだ。いずれにしても、誇張は慎まねばならないが、私には、他の人よりも、やり易かった。留置されて最初のうちは、それでも、一番つらかったことは、私が自由人の考え方をしていたことだった。例えば、浜へ出て、海へと降りてゆきたいという欲望に捕えられた。足もとの草に寄せてくる磯波のひびき、からだを水にひたす感触、水のなかでの開放感──こうしたものを思い浮かべると、急に、この監獄の壁がどれほどせせこましいかを、感じた。これが数カ月続いた。それから後は、もう私には囚人の考え方しかできなかった。私は、中庭での毎日おきまりの散歩や、弁護士の訪問を待っていた。残りの時間はうまく処理した。その頃、私はよく、もし生きたまま枯木の幹のなかに入れられて、頭上の空にひらく花をながめるよりほかには仕事がなくなったとしても、だんだんそれに慣れてゆくだろう、と考えた。そうすれば、過ぎてゆく鳥影やゆきちがう雲の流れを待ちもうけるだろう。今ここで、弁護士の妙なネクタイの現われるのを待っているように。また、あのもう一つの世界で、マリイの体をだきしめるのを期待しながら、土曜までがまんしていたように。ところで、よく考えて見ると、私は枯木のなかに入れられたのではない。私より不幸なものだってあったのだ。これはまたママンの考え方で、ママンはよく口にしていたものだが、人間はどんなことにも慣れてしまうものなのだ。
 それに、普通は、そんなところまでゆくことはなかった。最初の数カ月はつらかったが、まさに自分の努力の結果、それもようやく過ぎた。たとえば、女に対する欲望で苦しんだ。若かったから、これは当たり前のことだった。特にマリイを思ったことはない。しかし、私はしきりに、一人の女を、女たちを、また、私の知っている女たちを、愛撫を与えたあらゆる機会のことを思い、ために私の独房は、女たちの顔に満ち、私の欲望で一杯になった。ある意味では、そのことが私のこころを乱したが、またある意味では、それが時を殺してくれたのだ。私はついに、食事のときに料理場のボーイについて来る、看守長の同情を克ちうるに至った。最初私に女の話をしたのは彼だ。他の連中が訴えて来る最初のことはこれだ、と彼がいった。私は、自分もみんなと同じであり、こんな待遇は不都合だと思う、といった。「けれど、あんたがたを牢屋へ投げ込むのは、これあるがためでさあ」──と彼がいった。──「どうして、これがためなのさ?」──「確かにそうでさあ、自由ってのは、すなわちこれですよ。あんたがたは自由をとりあげられるんでさあ」私はこんなことは考えたことがなかった。私は彼に同意を示して、「ほんとだな、そうでなかったら懲罰とは何だろう?」といった。「そうさ、あんたというひとはものわかりがいい。他の連中はわからないね。でも、結局連中は自ら慰んでますよ」看守はこういって立ち去った。
 煙草のこともあった。刑務所に入ると、ベルトや靴の紐やネクタイはとられ、またポケットにいれているものいっさい、特に煙草は、とりあげられてしまった。一度独房で返してほしいと頼んだが、それは禁じられている、といわれた。最初の何日かはひどくつらかった。私がいちばん打撃をうけたのは、恐らくこのことだったろう。自分のベッドの板をはがして、その木片をしゃぶった。一日中、たえまなく、吐きけがついてまわった。誰にも害を与えぬものを、なぜとりあげられてしまうのか、わけがわからなかった。あとになって、これもまた懲罰の一部をなしていることがわかった。しかし、そのころには、煙草をすわないことに慣れてしまい、この懲罰は私にとって懲罰たることをやめていた。
 こうしたつらさを別にすれば、そうひどく不幸ではなかった。問題はかかって、もう一度いえば、時を殺すことにあった。追憶にふけることを覚えてからは、もう退屈することもなくなってしまった。時には、自分の部屋に思いをはせたりした。想像のなかで、私は部屋の一隅から出て、もとの場所まで一回りするのだが、その途中に見出されるすべてを、一つ一つ心のうちに数えあげてみた。最初は、すぐ済んでしまったが、だんだんとこれを繰り返すたびに、少しずつ長くかかるようになった。というのは、私はおのおのの家具を思い出し、その一つ一つの家具については、そのなかにしまってある一つ一つのものを思い出し、一つ一つのものについては、どんな細かな部分までも思い出し、その細かな部分、よごれやひびや縁のかけ落ちたところなどについては、色あいやもくめを思い出したからだ。同時に、私は自分の財産目録の手がかりを失わないようにして、完全な一覧表を作り出そうと試みた。その結果、数週間たつと、自分の部屋にあったものを一つ一つ数え上げるだけで、何時間も何時間も過ごすことができた。こういう風にして、私が考えれば考えるほど、無視していたり、忘れてしまっていたりしたものを、あとからあとから、記憶から引き出してきた。そして、このとき私は、たった一日だけしか生活しなかった人間でも、優に百年は刑務所で生きてゆかれる、ということがわかった。そのひとは、退屈しないで済むだけ、たっぷり思い出をたくわえているだろう。ある意味では、それは一つの強みだった。
 また睡眠のこともあった。はじめは、夜もあまり眠れず、昼間は全然眠れなかった。だんだんと、夜は眠りやすくなり、昼間でさえも眠るようになった。ここ数カ月は、毎日十六時間から十八時間眠ったということができる。したがって残りは六時間となるが、食事や用便や思い出やチェコスロバキアの出来事などで、これを過ごした。
 藁布団とベッドの板との間に、実は、一枚の古新聞を見つけたのだ。すっかり布にはりついて、黄いろく、裏がすけていた。その紙は、頭の方こそ欠けていたが、チェコスロバキアに起こったらしいある事件の記事を載せていた。一人の男が金をもうけようと、チェコのある村を出立し、二十五年ののち、金持ちになって、妻と一人の子供を引き連れ、戻って来た。その母親は妹とともに、故郷の村でホテルを営んでいた。この二人を驚かしてやろうと、男は妻子を別のホテルへ残し、ひとりで母の家へ行ったが、男が入って行っても、母にはそれと見分けがつかない。冗談に、一室かりようと思いつき、金を見せた。夜なかに母と妹とは男を槌でなぐり殺して、金を盗み、死体は河へ投げ込んだ。朝になって、男の妻が来て、それとは知らずに、旅行者の身許を明かした。母親は首をつり、妹は井戸へ身を投げた。私はこの話を数千回も読んだはずだ。一面ありそうもない話だったが、他面、ごく当たり前な話でもあった。いずれにせよ、この旅行者はこうした報いをうけるねうちがないでもない、からかうなんぞということは断じてすべきでない、と私は思った。
 眠りの時間、思い出、記事を読むこと、光と闇との交替──こうしたことのうちに、時は過ぎた。牢獄にいると時の観念を失ってしまう、ということを確かに読んだことがあったが、これは私には大した意味を持たなかった。どうして、日々が長くて同時に短くなるのか、私にはわかっていなかった。もちろん、生きてゆくには長いものだが、ひどくふくれあがっているので、日々は互いにあふれ出してしまうのだ。日々は名前をなくしていた。私に対して意味を持っているのは、昨日とか明日とかいう言葉だけだった。
 ある日、看守が来て、私がここへ来てからもう五ヶ月になるといったときにも、その言葉は信じたが、よく理解できなかった。私にとっては、絶え間なく、同じ日が独房のなかへ打ちよせて来、同じ努力をつづけていたに過ぎない。その日、看守の出て行ったあとで、私は鉄製の椀にうつった自分の姿をながめた。私の肖像は、それに向かって微笑んでやろうとしたにもかかわらず、なおまじめな顔をしているように見えた。私はそれを眼の前で揺り動かした。微笑したが、顔の方は、相変わらず、厳しく悲しげなようすだった。日が暮れかけていた。これは私の語りたくない時刻だった。この名のない時刻に、沈黙を連ねた刑務所の各階という階から、夕べのものおとが立ち昇ってゆく。私は天窓に近より、最後のひかりのなかで、もう一度自分の姿をうつしてながめた。相変わらずまじめな顔だったが、このときなお、私がきまじめだったからといって、何の驚くことがあろう? しかし、それと同時に、またこの数カ月来はじめてのことだったが、私は自分の声音をはっきりときいた。その声が、もう長いこと私の耳に鳴りひびいている声だと聞き分け、この間、ひとりごとをいっていたのを了解した。そして、ママンの埋葬のとき、看護婦がいった言葉を思い出した。ほんとに抜け道はないのだ。そして、刑務所内の夕べ夕べがどんなものか、誰にも想像がつかないのだ。

 要するに、その夏ははやく過ぎて、またじきに次の夏が来た、ということができる。最初の暑気の上昇とともに、私についても何か新しい事態が到来することを、私は知っていた。私の事件は、重罪裁判所のいまの会期に記録されていて、この会期は六月をもって終わるはずだった。弁論がひらかれた。その頃には、戸外は、太陽のひかりがみなぎっていた。弁論は二、三日以上は続くまい、と弁護士が私に保証した。「それに、あなたの事件は会期中のいちばん重大なものではないから、裁判所もいそぐでしょう。すぐあとで、親殺しの事件をやるでしょう」と彼はいい足した。
 朝の七時半に、私を呼びに来て、護送車で裁判所まで連れてゆかれた。二人の憲兵が、日陰のにおいのする小部屋へ私を通した。われわれは戸口のそばにすわって待ったが、その扉のうしろからは、さまざまな声や、呼出しや、椅子の音や、また、あの界隈のお祭りを思い出させる、さわがしいもの音が聞こえていた。そんな祭りのときには、演奏のすんだあとで、踊れるように広間を片付けたりするのだ。憲兵は裁判官が来るには間があるといい、その一人は私に煙草を一本さし出したが、私は断わった。その男はすこしして、私に怖気づいたか、と尋ねたが、私は、そんなことはない、と答えた。それに、ある意味で、裁判を見ることに、興味もあった。私はそれまでの生涯に、そんな機会をもたなかったから。「そうだ」と、もう一人の憲兵が、いった。「けれども、しまいには疲れてしまうよ」
 しばらくたって、小さなベルの音が部屋のなかに鳴りわたった。憲兵は私の手錠をはずし、扉をあけて、被告席に私を入れた。部屋はぎゅうぎゅう詰めだった。回転窓掛けはおりていたが、 太陽はところどころから漏れ入り、空気は既に息づまるようだった。窓ガラスはしめ切ったままだった。私が腰をおろすと、憲兵がまわりを囲んだ。私の眼の前に、一列をなしている人の顔に気がついたのは、このときだった。誰もが私をながめていた。これが陪審員だということを、私は理解した。しかし、その一人を他から区別していた特徴をいうことができない。私にはただ一つの印象しかなかった。それは私が電車の座席の前に立っていて、その名も知れぬ乗客という乗客が、何かおかしなところを見つけ出そうとして、新しく乗ってきた客を、じろじろうかがっているというようなものだった。この場合、彼らがもとめているのは、おかしな点ではなくて、罪なのだから、これが馬鹿げた思いつきだということは、私もよく承知している。とはいうものの、その差異は大きなものではないし、とにかく、こうした考えを私は思いついたのだ。  この締め切りの部屋の大へんな人いきれのために、私はやはり少々ぼんやりしていた。また法廷のなかをながめわたしたが、どの顔も見分けがつかなかった。最初、たしかに私はこのひとたちがみんな私の顔を見ようとひしめいていることを了解してなかった、と思う。いつもなら、ひとびとは私なんぞに関心を向けはしない。私がこうしたざわめきの原因だということを理解するには、努力を要した。「何という大勢の人だろう!」と憲兵にいうと、これは新聞のせいだ、と答え、陪審員席の下の、テーブルのそばに陣取った一団を示した。「あそこにいるよ」と彼はいった。「誰がです?」と尋ねると、「新聞さ」と繰り返した。憲兵は新聞記者の一人と知り合いだったが、このとき記者が憲兵に気づいて、われわれの方へやって来た。もうかなり年配の男で、少ししかめ面をしていたが、感じがよかった。彼は大そう熱っぽく憲兵の手を握りしめた。このとき、私は、みんなが、まるで同じ世界のひとたちの間で相会うことを楽しむ、あのクラブにでもいるかのように、互いに見つけ合い、尋ね合い、話をかわしていることに、気づいた。また、自分が何か闖入者みたいに、余計なものだという奇妙な印象を、ひそかに受けた。けれども、記者は、微笑みながら私に話しかけて来た。彼は、万事私に有利にゆくことを期待する、といった。私が礼をいうと、「御承知のように、あなたの事件を、少々持ち上げました。夏は、新聞にとっては種切れの季節でね。それで、何かバリューのあるものといったら、あなたの事件か、親殺しの事件しかなかったんで」と彼は付け加えた。それから、彼がそこから抜けて来たグループのなかに、黒い縁の大きな眼鏡をかけて太ったいたちみたいに見える、小柄な好人物を指して、パリの新聞の特派員だといった。「あなたの件で来たわけではありません。けれども、あのひとは、親殺しの裁判を報告することになっているから、同時にあなたの事件も電報するように頼まれたんです」すると、私はまた、あやうく彼に礼をいいそうになった。が、これは滑稽だな、と考えた。記者は、私に向かって、ちょいと手で打ちとけた合図をして、われわれを離れて行った。われわれはなお数分間待った。
 弁護士が法服を着け、大勢の同僚に囲まれて、あらわれた。彼は記者たちのところへ行って、握手した。彼らは冗談をいったり笑ったりして、全く気楽な様子だったが、そのうちにベルが廷内に鳴りわたった。みんな自分の席へ戻った。弁護士は私のそばへ来て、手を握り、そして、質問をうけたら手短かに答えるように、こちらからイニシアチブをとらないように、また、その他のことについては自分に任せてくれるように、と勧めた。
 左手に、椅子を後へ引く音が聞こえ、鼻眼鏡をかけ、赤い服を着た、やせぎすな長身の男が、注意深く法服を折って、腰をおろすのが見えた。それが検事だった。廷丁が開廷をしらせた。同時に、二つの大きな扇風機がうなり出した。その二人は黒い服を、三人目は赤い服を着た、三人の判事が、書類を手にして入って来て、部屋から一段高くなっている檀の方へと、足早に歩いた。赤い法服の男は中央の肘掛椅子にすわり、眼の前に縁なし帽子を置き、小さな禿頭をハンカチで拭くと、開廷を宣した。
 新聞記者たちは既に万年筆を手に握っていた。連中はみな同じように、冷然として、少々皮肉な様子をしていた。けれども、そのうちの一人、青いネクタイをして、灰色のフランネルの服を着た、大分若そうな青年は、万年筆を眼の前に置いたなり、私の方を見つめていた。多少不均整なその顔のなかで、私は澄みきった両の眼しか見ていなかった。その眼はじっと私の方を食い入るように見ていたが、はっきり言葉にしうるものは何一つ表わしていなかった。そして、私はまるで自分自身の眼でながめられているような、奇妙な印象をうけた。恐らくこうしたことのせいで、また、私がこの場所のしきたりを知らなかったせいもあって、続いて行なわれたすべては、あまりよくはわからなかった。陪審員の抽籤、裁判長の、弁護士、検事、陪審員(そのたびに、陪審員の頭という頭は、同時に法廷の方へと向けられた)に対する質問。公訴状のすばやい朗読。──そのなかで、私は、さまざまな地名と人名と、また弁護士に対する新たな質問とがわかった。
 しかし、裁判長は、ここで証人の呼び出しにかかりたい、といった。廷丁は幾つかの名前を読みあげた。それは私の注意をひいた。今しがたまでごっただった傍聴人のさなかから、一人一人立ち上がって、横手の扉から消えるのが見えた。院長、養老院の門衛、トマ・ペレ老人、レエモン、マソン、サラマノ、マリイ。マリイは心配そうに小さく合図を送ってよこした。私はそれまでこの連中に気がつかなかったことに驚いていた。そのとき、最後に、名前を呼び上げられて、セレストが立った。彼のそばに、いつかレストランにいた小柄な女が、覚えのあるジャケットを着て、例の正確で断固たる態度で控えているのが見えた。彼女は食い入るように私をながめていた。が、裁判長がまたしゃべり出したので、私は考える暇がなかった。彼は、これから正式の弁論がはじまるといい、傍聴人に静粛を命ずるにも及ぶまい、といった。裁判長の意見では、自分の務めは一つの事件の弁論を公平に運ばせることであり、これを客観的にながめたい、といった。陪審員の手による裁決は、正義の精神に基づいてなされなければならない。一寸でも騒ぎが起こったら、傍聴は禁止されるであろう、といった。
 いよいよ暑さは上っていた。部屋のなかで傍聴人が新聞で風を入れているのが見え、皺苦茶の紙のたてる、小さな音が、絶え間なく続いていた。裁判長が合図をすると、廷丁が麦藁で編んだ三本のうちわを運んで来た、三人の判事はすぐにそれを使い出した。
 尋問はじきに始まった。裁判長は、私に向かって、ごく穏やかに、ほとんど一種打ちとけた調子で(──私にはそう思われた)、尋ねかけた。またしても私は自分の身分を名乗らされたので、苛々したが、内心、当たり前なことだと考えた。一人の人間を他の人間ととり違えて裁判するのは、あまりにも、重大なことになるからだ。やがて、裁判長は、私のやった行為を話し出したが、途中何度も「この通りですね?」と、私に尋ねた。そのたびごとに、私は弁護士に教えられた通り、「そうです、裁判長様」と答えた。裁判長はずいぶん細かなことまで話のなかへ持ち込んだので、なかなか終わらなかった。この間、新聞記者はペンを走らせていた。記者のなかの年若の青年と、例の小柄な機械人形の視線を、私は感じていた。電車の腰掛みたいな座席は、みんな裁判長の方へ向いていた。裁判長は、せきばらいをして、書類の頁をめくった。そしてうちわを使いながら私の方を向いた。
 裁判長は、今や、この事件に一見無関係なように見えるが、実は恐らく大いに密接な関係にあると思われる問題に入らなければならない、といった。またしても彼がママンのことに触れようとしていることがわかったが、同時に、それがひどく退屈なことに感じられた。裁判長はなぜママンを養老院へ入れたか、と私に尋ねた。それはママンに看護婦をつけたり、手当てをしたりする金がなかったからだ、と私は答えた。裁判長は、その費用は私がひとりで負担せねばならなかったのか、と尋ねたから、ママンも私もお互いに何一つあてにしていなかった、のみならず、他の誰からも何一つあてにしてはいなかった、と答え、また、われわれは二人とも新しい生活様式に慣れて行ったのだ、と答えた。すると裁判長はこの点について、こだわるつもりはない、といい、検事に向かって、別に質問があるか、と尋ねた。
 検事はなかば私に背を向けた。そして、私の方を見ずに、裁判長の御許可があったら、自分は、私がアラビア人殺害の意図をもって、たった一人で泉の方へもどって行ったかどうかを知りたいと述べた。「違います」と私はいった。「それなら、なぜこの男は武器をたずさえていたのか。なぜ、ちょうどあの場所へもどったのでしょうか?」それは偶然だ、と私はいった。すると、検事は意地の悪い調子で、「さし当たりはこれだけにしておきましょう」といった。それからは、すべてが、少しごたごたした。少なくとも私にはそう見えた。何かひそひそと打ち合わせたあげく、裁判長は閉廷を宣し、午後は証人尋問に移る、と述べた。
 私は考える暇がなかった。私は連れてゆかれて護送車に載せられ刑務所へもどり、そこで食事をした。ほんのしばらくして、疲れたな、と感じたちょうどその頃、早くもまた私を呼びに来た。すべてがまた始まった。私は同じ部屋の、同じ顔の前に、自分を見出した。ただ、暑さだけが一段と猛烈になっていて、まるで一つの奇跡のように、どの陪審員も、検事も、私の弁護士も、新聞記者たちも、いずれも麦藁のうちわを手にしていた。若い記者も、小柄な女も、相変わらずそこにいた。しかし、その二人だけはうちわを使わず、相変わらずものもいわずに私を見つめていた。
 私は顔じゅうにふき出た汗をぬぐった。そして、養老院の院長の名を呼ばれるのを耳にしたとき、はじめて、いくぶん場所の意識と、自己の意識とを、とり戻した。ママンが私について不平をいっていたか、と尋ねられると、院長は、確かに不平はいっていたが、しかし、身よりの者の不平をいうのは、在院者の狂癖(マニヤ)みたいなものだ、と答えた。裁判長は、ママンが養老院に入れたということで私を非難していたかどうかを、確かめると、院長は、またそうだといった。しかし今度はそれに何も付け加えなかった。もう一つの質問に対して、院長は、埋葬の日にこのひとがいかにも冷静だったのには驚いた、と答えた。冷静とはどういう意味なのか、ときかれた。院長は、そこで自分の靴の爪先に視線を落とし、それから、私がママンの顔を見ようとはしなかった、一度も涙を見せなかった、埋葬がすむとママンの墓の上に黙祷もせずに、すぐさま立ち去った、といった。院長を驚かしたことはもう一つあった。私がママンの年を知らなかったと、葬儀屋の一人から、告げられたことだった。一瞬の沈黙が来た。裁判長は院長に向かって、あなたの話は確かにこのひとのことなのか、と尋ねた。院長はこの問いの意味がわからなかったので、裁判長は「これは形式的な質問です」と院長にいった。やがて、裁判長は次席検事に向かって、証人にききただすことはないか、と尋ねると、検事は、「もうありません。それで結構です!」と叫んだ。私に向けられたこの叫びが、あまりに猛烈な勢いで、且つ、検事の視線は全く勝ちほこった調子なので、この数年来はじめてのことだったが、私は泣きたいというばかげた気持ちになった。それは、これらのひとたちにどれほど自分が憎まれているかを感じたからだった。
 陪審官と私の弁護士とに、何か質問はないかと尋ねたあとで、裁判官は門衛の供述を聞いた。彼についても、他のひとたちのように、同じ儀礼が繰り返された。席に着くとき、門衛は私をながめ、それから眼をそむけた。彼は与えられた質問に答えた。門衛は、このひとはママンの顔を見たがらなかった、煙草を吸った、よく眠った、ミルク・コーヒーを飲んだ、といった。私はそのとき、傍聴席の全体を激昂させているあるものを感じ、そして、はじめて自分が罪人だということを理解した。門衛は、ミルク・コーヒーのはなしと、煙草のはなしを、もう一度しゃべらされた。次席検事は、眼に皮肉な色をたたえて、私をながめた。このとき、弁護士が、門衛に、あなたもこの男と一緒に煙草を吸わなかったか、と尋ねた。しかし、検事はこの質問をきくと、荒々しく立ち上がって、「ここでは誰が罪人であるか。証拠を消そうがために、証人を弾劾しておとしめようとは、何という方法だ! この証拠が決定的なことは、変わりがないぞ」と叫んだ。とにかく、裁判官は問いに答えるようにと門衛をうながした。老人は困った様子で、「私が悪いことは承知しています。けれども、あの方がすすめて下さった煙草は断わり切れなかったのです」といった。最後に、私に対して、何も付け加えることはないかと尋ねられたので、「何もありません。ただ証人には悪い点がないことを申し上げます。私が彼に煙草をすすめたというのは事実です」と答えた。すると、門衛は、多少の驚きと、一種感謝の色のこもった眼で、私をながめた。躊躇した末、彼は、ミルク・コーヒーをすすめたのは自分だ、といった。私の弁護士は勝ち誇ったように声をあげ、陪審員たちは十分それを評価するだろう、と述べた。しかし、検事はわれわれの頭上に蛮声をとどろかせて、「しかり、陪審員の方々は十分評価されるでしょう。陪審員方は、他人ならばコーヒーをすすめて差支えない、しかし、息子の方は、生命を授けてくれた母親の屍を前にしては、それを断るべきだ、と結論されるに違いない」といった。門衛は自分の腰掛にもどった。
 トマ・ペレの番が来ると、廷丁は証人台まで彼をささえてゆかねばならなかった。ペレは、自分は私の母を特によく知っていたが、私にはたった一度だけ、埋葬の日しか会ったことがない、といった。その日この男は何をしたか、と尋ねられると、彼は「おわかりでしょうが、私自身あまりつらかったので、何一つ目にしませんでした。私が見ることができなかったのは、苦痛のためだ。あれは私にとってはもう大へんな苦しみだったのだから。私は失神したくらいです。それで、あの方を見ることもできなかったのです」と答えた。次席検事が、少なくとも、涙をながすのを見たかと尋ねた。ペレは、見ない、と答えた。すると今度は検事の方で「陪審員の方々はこの点を考慮に入れていただきたい」といった。しかし、私の弁護士は憤慨して、ペレに向かい、いかにも大げさな調子で、「このひとが泣かないところを見たのか」と尋ねた。ペレは、見ない、といった。傍聴人は声を立てて笑った。弁護士は一方の袖をからげながら、断固たる調子で、「これがこの裁判の実相なのだ。すべて事実だが、また何一つとして事実でないのだ!」といった。検事は無表情な顔をして、記録の見出しを鉛筆でつついていた。
 五分の中休みの間に、弁護士は万事うまくゆくだろう、と私にいった。休みがすむと、被告側で呼び出したセレストの供述をきいた。被告とは、すなわち私のことだった。セレストはちらりちらりと私の方へ視線を投げ、手のなかでパナマをまわしていた。新しい服を着ていたが、それは、ときどき日曜日に、私と一緒に競馬に行くときに着たものだった。しかし、カラーはつけていなかった。というのは、真鍮のボタン一つでシャツをとめていたからだ。この男はあなたの顧客(とくい)だったかときかれると、彼は「そうです。また友人であります」といった。私のことをどう思っているか、ときかれると、男だ、と答えた。男とはどういう意味か、ときかれると、それが意味するところは誰でも知っている、と述べた。この男が内に閉じこもり勝ちなことに気づいていたか、ときかれると、意味のないことはしゃべらない、ということだけを認めた。次席検事が、まかないの金をきちんと払っていたか、と尋ねると、セレストは笑って、「それはわれわれの間だけの内証事です」と述べた。重ねて、この犯罪をどう考えるか、と尋ねられると、彼は証人台の上に手をついた。何かいおうと用意してきたことが、誰にもわかった。「思うに、あれは不運というものだ。不運というものが何かは、誰でも知っています。それは防ぎようのないものだ。ああ、確かに、私の考えるに、それは不運というものです」彼はもっと続けようとしたが、裁判長は、それで結構だ、といい、どうも御手数でした、といった。すると、セレストはあっけにとられた様子でいたが、もっと供述を続けたい、と述べた。彼は、手短かにやるようにと命じられた。それで、セレストは、またもや、あれは一つの不運というものだ、と繰り返した。裁判長は「よろしい。それは判りました。しかし、われわれは、この種の不運を審判しようとして、ここにいるわけです。どうもありがとう」といった。もはや、彼の知恵も、善意もつき果てたかのように、そのとき、セレストは、私の方を振り返った。その眼はきらきら輝き、その唇は震えているように見えた。これ以上何か自分にできることはないか、そう、私に問いかける様子だった。私はといえば、一言もいわず、何の仕ぐさもしなかったが、このとき生まれてはじめて、一人の男を抱きしめたい、と思った。裁判長は証人台を離れるようにと、重ねて命じた。セレストは法廷を歩いて席へもどった。そのあとずっと、彼はじっとそこにいて、少し前こごみになり、膝に肘をつき、パナマを手に握って、とりかわされるすべての言葉に聞き入っていた。
 マリイが入って来た。帽子をかぶっていて、やはり美しかった。しかし、私は髪を結ばずにたらしているときの方が好きだった。私のいる場所からでも、あの乳房の軽やかな重みが、手にとるようにわかった。下唇が相変わらず少しふくらんでいるのが見えた。大そう神経を立てている様子だった。すぐに、マリイは、いつからこの男を知ったかときかれた。彼女はわれわれのところで一緒に働いていた時期を示した。裁判長は、どういう関係なのかと尋ねると、女友達(アミイ)だと言った。別の質問に対して、彼女はほんとにこのひとと結婚するはずだと答えた。書類の頁をめくっていた検事が、出し抜けに、いつからわれわれの関係がはじまったか、と尋ねた。マリイはその日付を示した。検事は素しらぬ風に、それはママンの死の翌日のように思われる、と指摘した。それから、皮肉な態度で、こうしたデリケートな状況にこだわりたくはないし、またマリイの心配はよく了解しているが、しかし、(ここで彼は一段ときびしい調子になった)自分の義務からして、通常の礼儀を踏み越えざるをえないのだ、といった。そこで検事はマリイに、私が彼女の体を知ったその一日を、あらまし述べるように命じた。マリイは話したがらなかったが、検事がしきりにいい張るので、われわれが海水浴へ行ったこと、映画へ出かけたこと、二人で私の部屋へ帰ったこと、を述べた。次席検事は、予審におけるマリイの供述に従って、この日の映画のプログラムを調べておいたがといい、マリイ自身の口から、このとき何の映画をやっていたか、をいってもらいたい、と付け加えた。ほんとうに、絶え入るような声で、マリイは、それがフェルナンデルの映画だった、と述べた。彼女がいい終わったとき、沈黙が場内に満ちみちた。すると、検事は立ち上がって、いかにも深刻に、事実感動したような声で、私の方を指しながら、ゆっくりと、こういい放った。「陪審員の方々、その母の死の翌日、この男は、海水浴へゆき、不真面目な関係をはじめ、喜劇映画を見に行って笑いころげたのです。もうこれ以上あなたがたに申すことはありません」相変わらずの沈黙のさなかに、検事は腰をおろした。と、突然、マリイは声をあげて泣き出した。それはほんとうではないのだ、別のこともあった、自分が考えていたこととは反対のことをいわせられてしまったのだ、自分はあのひとのことをよく知っている、あのひとは何も悪いことをしてはいないのだ、といった。しかし、廷丁が、裁判長の合図によって、彼女を連れ去り、審問は続けられた。
 それからマソンの番になって、あれは律儀な男だ、あえていうなら、誠実な男だ、と述べたが、もう誰もほとんどきいてはいなかった。ついで、サラマノが、私が例の犬の件で親切だったことをしのび、また、私の母と私とに関係する質問に答えて、私がママンとは話すことがなかったので、そのために養老院へ入れることになったのだ、といったりしたが、いよいよ誰も聞いてはいなかった。「わかって下さい。わかってもらいたいものだ」とサラマノはいっていたが、誰一人理解したとは見えなかった。彼も連れ去られた。
 続いてレエモンの番が来た。彼が最後の証人だった。レエモンはちょっと私に合図をし、いきなり、彼に罪はない、といった。しかし、裁判長は彼に求めているのは、判定ではなく、事実だけだ、と述べた。裁判長は、彼に質問を待って、それに答えるように、と促した。彼と被害者との関係が問いただされた。レエモンはそれを利用して、自分が被害者の妹をはり倒してから、被害者が恨みを抱いていたのは自分に対してだ、といった。裁判長は、しかし、被害者はこの男を憎む理由がなかったのか、と尋ねた。レエモンは、この男が浜辺にいたのは偶然の結果だ、といった。すると、検事は、ドラマの発端をなす例の手紙が私の手で書かれた、そのいきさつを尋ねた。レエモンは、それも偶然だ、と答えた。検事は、この事件においては、偶然が、既に良心の上にさまざまな害をなしているのだ、と反駁した。レエモンが情婦をはり倒したときに、この男が間にはいらなかったのも偶然か、この男が警察で証人に立ったのも偶然か、また、この証言の際のこの男の供述が極めて好意的になされたのも偶然か、と検事がきいた。終わりに、何で生計を立てているか、とレエモンに尋ねた。そして、「倉庫係」だと答えると、次席検事は陪審員に向かって、証人が女衒を業としていることは周知の事実だ、と言明した。私はその共犯者であり、友人だったのだ。これは最低級の桃色事件であり、おまけに、そこには恐るべき人非人が一役買っていただけに始末が悪い、というわけだ。レエモンは自分を護ろうとしたので、私の弁護士が抗議したが、検事に終わりまでしゃべらせるべきだ、という声がかかった。検事は「もう少し付け足すことがあります。この男はあなたの友人ですか?」といって、レエモンに尋ねた。レエモンは「そうだ、おれの仲間だ」といった。すると、次席検事は同じ質問を私に向けた。私はレエモンはながめたが、彼は眼をそらさなかった。私は、そうです、と答えた。そこで検事は陪審官の方へ向き直って、「母親の死の翌日、最も恥ずべき情事にふけった、その同じ男が、つまらぬ理由から、何ともいいようのない桃色事件のけりをつけようとして、殺人を行なったというわけです」と言明した。
 検事はそこで腰をおろした。しかし、私の弁護士は、たまりかねて、両腕を高くあげて、大声を立てた。そのため、袖がさがって来て、糊のついたシャツの折り目があらわになった。「要するに、彼は母親を埋葬したことで告発されたのでしょうか、それとも一人の男を殺害したことで告発されたのでしょうか?」傍聴人は笑い出した。しかし検事はふたたび立って、その法服に威儀をつくろって、この二つの事実の間に、根本的な、感動的な、本質的な関係が存することを感じないためには、尊敬すべき弁護人のような純真さを持たなければならない、と申し立てた。「しかり、重罪人のこころをもって、母を埋葬したがゆえに、私はあの男を弾劾するのです」と、彼は力をこめて叫んだ。この言明は、傍聴席に対して著しい効果を与えたように見えた。私の弁護士は肩をそびやかし、額をおおう汗をぬぐった。しかし、彼自身も動揺したようだった。事が不利に運んでいることを、私は悟った。
 それからあとは、万事速かに進んだ。法廷は閉じられた。裁判所を出て、車に乗るとき、ほんの一瞬、私は夏の夕べのかおりと色とを感じた。護送車の薄闇のなかで、私の愛する一つの街の、また、時折り私が楽しんだひとときの、ありとある親しい物音を、まるで自分の疲労の底からわき出してくるように、一つ一つ味わった。すでにやわらいだ大気のなかの、新聞売りの叫び。辻公園のなかの最後の鳥たち。サンドイッチ売りの叫び声。街の高みの曲がり角での、電車のきしみ。港の上に夜がおりる前の、あの空のざわめき。──こうしたすべてが、私のために、盲人の道案内のようなものを、つくりなしていた。──それは刑務所に入る以前、私のよく知っていたものだった。そうだ、ずっと久しい以前、私が楽しく思ったのは、このひとときだった。そのとき私を待ち受けていたものは、相変わらず、夢も見ない、軽やかな眠りだった。けれども、もう何かが変わっていたのだ。明日への期待とともに、私が再び見出したのは自分の独房だったから。あたかも、夏空のなかに引かれた親しい道が、無垢のまどろみへも通じ、また獄舎へも通じうる、とでもいうように。

 被告席の腰掛の上でさえも、自分の話を聞くのは、やっぱり興味深いものだ。検事と私の弁護士の弁論の間、大いに私について語られた。恐らく私の犯罪よりも、私自身について語られた、ということができる。それに、これらの弁論はそんなに違うものだったろうか? 弁護士は腕をあげて、有罪を認めたが、ただ、それに言いわけをつけた。検事は手をのばして、有罪を告発し、ただ、それに言いわけをつけない。それでも、あることが漠然と私を困らせていた。私は十分注意はしていたものの、時には口を入れたくなった。すると、弁護士は「黙っていなさい。その方があなたの事件のためにいいのです」といった。いわばこの事件を私抜きで、扱っているような風だった。私の参加なしにすべてが運んで行った。私の意見を徴することなしに、私の運命が決められていた。時どき、私はみんなの言葉をさえぎって、こう言ってやりたくなった。「それはともかくとして、一体被告は誰なんです。被告だということは重大なことです。それで私にも若干いいたいことがあります」しかし、よく考えて見ると、いうべきことは何もなかった。それに、ひとびとの心を占めるということは長くは続かぬことを認めなければならない。たとえば、検事の弁論はじきに私を退屈させた。私の心をうち、私の興味を目ざめさせたものは、断片か、仕ぐさか、あるいは、全体から切り離された、長広舌そのものだけだ。
 検事の考えの根本は、私の理解が正しいとするなら、私が犯罪を予謀した、ということだった。少なくとも、彼はそれを論証しようと骨折っていた。彼自身こういった。「それを照明しましょう。私はそれを二つの面から照明します。第一には、犯罪事実のきらめくような明るみの下に。第二には、この凶悪な魂の心理からくみとれる暗いひかりのなかで」検事は母の死以来の数々の事実を要約した。私が感動を示さなかったこと、母の年齢を知らなかったこと、翌日女と海水浴へ行ったこと、フェルナンデルの映画、最後に、マリイを連れて部屋へ帰ったこと、を思い出させた。このとき、私は彼の言葉を理解するのに暇がかかった。彼が「その情婦」といったからだが、私にとっては、彼女はマリイなのだ。続いて、レエモンの事件に移った。この事件に対する彼の見方はあまりにも明白すぎると思った。彼のいうことは、もっともらしかった。私はレエモンと打ち合わせた上、その情婦をおびきよせ、「いかがわしい」男の悪辣な仕打ちにゆだねるために手紙を書いた。私は浜辺で、レエモンの敵にいどみかかり、レエモンがけがをした。私は彼のピストルを要求した。それを役立てるためにひとりで出掛けた。計画どおりにアラビア人を撃ち倒した。しばらく待った。
「仕事がうまく片付いたことを確信するために」、なお四発の弾丸を、落ちつき払って、確実に、いわば思慮深げに、撃ち込んだ。
「諸君、以上のとおりです」と検事はいった。「私はここに、この男が十分事情を熟知して殺人を行うに至った、事件の流れを跡づけました。私はこの点を強調します。思うに、これは、通常の殺人、情状により酌量の余地のある、衝動的な行為ではない。この男は、諸君、この男はインテリです。この男の陳述をお聞きになったでしょうな。彼は答え方を心得ている。彼は言葉の価値を知っている。それゆえ、自らのなすところを理解せずして行為した、とはいいえないのです」
 私はよく聞いていた。自分がインテリだと思われたこともわかった。しかし、一人の平凡人の長所が、どうして一人の罪人に対しては不利な圧倒的な証拠になりうるのか、私にはよく理解しがたかった。少なくとも私の気にかかったのは、その点だった。それで、私はもう検事の言葉を聞いていなかった。しばらくして、またその声が耳に入った。「悔恨の情だけでも示したでしょうか? 諸君、影もないのだ。予審の最中にも、一度といえども、この男は自らの憎むべき大罪に、感じ入った様子はなかったのです」このとき、検事は振り向いて、私を指しながら、続けて痛烈にまくし立てたが、実際私にはその理由がよくわからなかった。恐らく、私は彼に道理があると認めざるを得なかっただろう。自分の行為は大いに悔いていたわけではないが、しかし、これほどの熱狂が私を驚かしたのだ。真実何かを悔いるということが私にはかつてなかった──そのことを、親しく彼に、ほとんど愛情をこめて説明してみたいと思ったのだが。私はいつでもこれから来たるべきものに、たとえば今日とか明日とかに、心を奪われていたのだ。しかしもちろん、私の置かれたような状況では、こうした態度については、誰にも話すことができなかった。私には、情愛深い自己を示す権利、善意を持つ権利がなくなっていたのだ。検事が私の魂について語り出していたので、また私はこれに聞き入ろうとつとめた。
 検事は、あの男の魂をのぞき込んで見たが、陪審員諸君何も見つからなかった、といった。実際、あの男には魂というものは一かけらもない、人間らしいものは何一つない、人間の心を守る道徳原理は一つとしてあの男には受け入れられなかった、といった。更に「恐らく」と彼は付け加えた。「われわれは彼をとがめることもできないでしょう。彼が手に入れられないものを、彼にそれが欠けているからといって、われわれが不平を鳴らすことはできない。しかし、この法廷についていうなら、寛容という消極的な徳は、より容易ではないが、より上位にある正義という徳に替わるべきなのです。とりわけ、この男に見出されるような心の空洞が、社会をものみこみかねない一つの深淵となるようなときには」それから、私の母に対する態度を論じた。検事は弁論中にすでに述べたことを、また繰り返したが、それは、私の犯罪について述べたところよりも、ずっと長かった。あまり長々しくて、しまいには、この朝の暑さを私が感じなくなったほどだった。そのうちに、次席検事はいったん言葉を途切り、一瞬の沈黙ののちに、またごく低い浸み入るような声で言葉をついで、「この同じ法廷で、明日は、最も憎むべき大罪、父殺しの審判が行なわれます」といった。彼によれば、このような残虐な犯罪は想像も及ばぬほどの恐ろしいものだった。検事は、人間の裁きが、臆するところなく処罰することをあえて期待する、といった。しかし、あの犯罪のよびおこす恐ろしさも、この男の不感無覚を前にして感ずる恐ろしさには、及びもつかないだろうと、はばからずにいい切った。同じく彼によれば、精神的に母を殺害した男は、その父に対し自ら凶行の手を下した男と同じ意味において、人間社会から抹殺さるべきだった。いずれにせよ、前者は後者の行為を準備し、いわばそれを予告し、正当と認めていたのだ。「諸君、私は確信しておりますが」と声高に彼は付け足した。「この腰掛けにすわっている男が、明日この法廷が裁くべき殺人事件についても、また有罪だと申すとしても、私の考えがあまりに大胆すぎるとはお思いにならないでしょう。この男はその意味において罰せられるべきです」ここで、検事は汗にきらきらした顔をぬぐった。最後に、自分の義務は苦しいが、断固としてそれを遂行したい、といい、あの男はその最も本質的な掟を無視するがゆえに、社会に対して何のなすところもない、また、その最も基本的な反応を知らないがゆえに、人間的心情に向かって訴えかけることもできない、と言明し、「私はこの男に対し死刑を要求します。そして死刑を要求してもさっぱりした気持ちです。思うに、在職もすでに長く、その間、幾たびか死刑を要求しましたが、今日ほど、この苦痛な義務が、一つの至上、神聖な命令の意識と、非人間的なもの以外、何一つ読みとれない一人の男を前にして私の感ずる恐怖とによって、償われ、釣合いがとれ、光をうけるように感じたことは、かつてないことです」
 検事が腰をおろすと、かなり長い沈黙がつづいた。私は暑さと驚きとにぼんやりしていた。裁判長が少し咳をした。ごく低い声で、何かいい足すことはないか、と私に尋ねた。私は立ち上がった。私は話したいと思っていたので、多少出まかせに、あらかじめアラビア人を殺そうと意図していたわけではない、といった。裁判長は、それは一つの主張だ、と答え、これまで、被告側の防御方法がうまくつかめないでいるから、弁護士の陳述を聞く前に、あなたの加罪行為を呼びおこした動機をはっきりしてもらえれば幸いだ、といった。私は、早口にすこし言葉をもつれさせながら、そして、自分の滑稽さを承知しつつ、それは太陽のせいだ、といった。廷内に笑い声があがった。弁護士は肩をすくめた。すぐあとに彼は発言を許されたが、もう遅すぎる、自分の陳述は数時間を要するから、午後に延ばしてもらいたい、と述べた。法廷はそれに同意した。
 午後も、大きな扇風機が相変わらず廷内の暑苦しい空気をかき混ぜ、陪審員たちの色とりどりな小さなうちわが、みんな同じ向きに動いていた。弁護士の弁論は私にはいつ果てるとも見えなかった。けれども、ふと私は耳をすました。「私が人殺しをしたのは事実です」と彼がいったからだ。それから彼はこの調子で続けた。私のことをいうたびに、彼は「私」という言葉を使った。私は大そう驚いた。私は憲兵の方へ身をかがめて、そのわけを尋ねた。憲兵は黙っていろといい、少しして「どの弁護士もそうしている」と付け加えた。私としては、それは私をまたしても事件からとり除け、私をゼロと化し、ある意味で、彼が私の身代わりになっているのだ、と思った。しかし、すでにそのとき私はこの法廷から遠く離れていたように思う。それに、弁護士も私には滑稽に見えた。彼は大いそぎで加害行為を弁護し、それから、彼もまた私の魂について語ったが、検事に比べるとずっと才能に乏しく思われた。「私もまたこの魂をのぞきこみましたが、卓越せる次席検事の御見解に反し、私はそこにあるものを見出しました。開かれた書物のように、私は読みとった、と申し上げることができます」といった。私が律儀な男であり、使われていた商社に忠実で、規則正しく、勤勉な勤め人であり、誰からも愛され、他人の不幸には同情深かったことを、彼はそこに読みとったのだ。彼からみると、この私は、力の及ぶかぎり長く母親を扶養した、模範的な息子だった。おしまいに、私は、自分の資力では授けられないような安楽な暮らしを、養老院があの年寄りにかなえてくれることを、期待していたのだ。「例の養老院をめぐって、あんなに大騒ぎをなさったことに、諸君、私は驚いています。思うに、ああした施設の効用と偉大さを証明せねばならぬとしたら、それらは補助金を下付しているものは国庫それ自身であることを、いわねばならぬでしょう」と彼は付けたした。ただ、埋葬については、語らなかった。彼の弁論にはそれが抜けていることを、私は感じた。しかし、これらの長広舌、また、私の魂を云々した、あの全日程やはてしれぬ長い時間のゆえに、私は、一切が無色透明の水になり、そこにめまいを覚えるような気がした。
 私はただ一つ覚えている、──終わり頃に、弁護士がしゃべり続けているさいちゅうに、街の方から、この法廷のひろがりを渡って、アイスクリーム売りのラッパの音が、私の耳もとまで届いて来たのだ。もはや私のものではない一つの生活、しかし、そのなかに私がいとも貧しく、けち臭い喜びを見出していた一つの生活の思い出に私は襲われた。夏のにおい、私の愛していた街、夕暮れの空、マリイの笑い声、その服。この場で私のした一切のことのくだらなさ加減が、そのとき、喉もとまでこみ上げて来て、私はたった一つ、これが早く終わり、そして独房へ帰って眠りたい、ということだけしかねがわなかった。終わりに当たって、弁護士が、陪審員方は一瞬の錯乱によって破滅した一人の誠実な勤め人に死刑をのぞむはずはないと大声をあげ、最も確かな罰として、既に永遠の悔恨を引きずっている一つの犯罪に対し、情状酌量を要求するといっていたのも、ほとんど私の耳には入らなかった。法廷は審問を中止し、弁護士は精根つきはてた様子で腰をおろしたが、同僚がやって来て彼の手を握った。「りっぱなものだ、君」という声がした。その一人は私の証言を求め、「ね、そうでしょう?」といった。私は同意した。が、あまり疲れていたので、私の賛辞には心がこもっていなかった。

 ところで、戸外では時は傾き、暑さも衰えていた。耳に入る街の物おとから、私は夕暮れのなごやかさを感じていた。われわれは、みんな、そこで待っていなければならなかった。そして、みんなが一緒に待ち受けていたものは、私にしかかかわりのないものだ。私はまた傍聴席をながめた。すべて第一日と同じすがただった。私は灰色の背広を着た新聞記者と、機械人形みたいな女の視線に出会った。そのことが、訴訟の間じゅう、マリイを眼で追わなかったことを、思い出させた。マリイを忘れたわけではないが、あまりなすべきことが多すぎたのだ。セレストとレエモンの間に、彼女の姿が見えた。「やっとね」というかのように、小さな合図を送ってよこした。いくらか心配そうなその顔が微笑むのが見えた。しかし、私はこころが閉じるのを感じ、その微笑に答えることさえできなかった。
 法廷は再開した。すぐさま、陪審員らに対し、一連の質問が朗読された。「殺人の罪」……「予謀」……「情状酌量」というような言葉が聞こえた。陪審員は出て行った。私は、前に待ったことのある小さな部屋へ連れてゆかれた。弁護士が私に追いついた。彼は大いに雄弁になり、かつて見せたことのない、打ちとけて、信頼した様子で、私にしゃべった。万事うまくゆくだろう、私は数年の禁固または懲役で済むだろうと、彼は考えていた。判決が不利な場合にも、破棄する機会があるか、と私は尋ねた。弁護士はないといった。陪審員の気を悪くさせないように、結論を述べずにおいたのは、彼の戦法だった。彼は、このように、何でもないのに、判決を破棄するものではない、と私に説明した。それは私にも明白だと思われ、彼の理屈に承伏した。事を冷静に観察すれば、全く当たり前なことだった。そうでないとすれば、無用の書類が山をなすばかりだろう。「いずれにせよ、上訴があります。しかし結果は悪くないことを確信しています」こう弁護士はいった。
 われわれは大そう長いこと待った。四十五分ほどだったと思う。ようやく、ベルが鳴り渡った。弁護士は「陪審長が答申を朗読します。あなたは判決の言い渡しのときにしか入れてもらえないでしょう」といって、私を残して行った。方々の扉が音を立てた。ひとびとが階段を駆けていたが、それが近いのか遠いのか、わからなかった。やがて、廷内で低い声が何か朗読するのが聞こえた。再びベルが鳴り、被告席の扉がひらかれたとき、私の方へ押しよせたのは、廷内の沈黙だった。沈黙と、例の若い新聞記者が眼をそむけたのを確認したときの、あの異様な感じだった。私はマリイの方は見なかった。私にはその暇がなかったのだ。というのは、さっそく、裁判長が奇妙な言葉つきで、あなたはフランス人民の名において広場で斬首刑を受けるのだ、といったからだ。そのとき、私は顔という顔にあらわれた感動が、わかるように思われた。それは、たしかに尊敬の色だったと思う。憲兵たちは私にやさしかった。弁護士は私の手首にその手を載せた。私はもう何も考えてはいなかった。しかし、裁判長は何もいい足すことはないかと尋ねた。私は考えてみた。私は「ないです」といった。そのとき私は連れてゆかれた。

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