過去痴夢 02'05トップ 日記リスト 掲示板 私と過去 リンク
5/1(水)
◆おー、なんてこった、書いたはずの29日分の日記が消えてなくなっています。いま気付きました。トップページ用書類に書いたあと、次の日には別ファイルに移しかえるんですけど、その作業をする前に他の用事を思い出したんですよ、たしかあの日は。あーあ、せっかく書いたのになあ。いつにも増して大した内容ではなかったからいいんだけど。
ジョーン・バエズ他、もう聞かなくなったCDを聞いたとか、ロックは疲れるもう歳だとか、ジョーン・バエズと言って誰か分かるのかな? とか、彼女の歌声を聞くとなぜかジョニ・ミッチェルを思い出すとか、自分の好きな音楽についてもっと話がしたいけど、それは興味ない人間には退屈で仕方なかろうから気がひけるとか、そんな話でした。
おジョーは詳しくないので今回はあきらめますけど、こういう上書きされてしまった過去のデータでも回復する手段ってあるんですかねえ? 人によってはとにかく書類はそれごとコピーしてしまって、そのコピー書類に手を加える姿勢を徹底するらしいんですけどね。何かめんどそうなのでそこまではやりそうにないです。そんなもんだよなあ、うーん。
◆上のは突発的に起きたアクシデントでありまして、どうでもいいこと、今日はもっとたくさん話があるのです。今朝はひどく降っていました。雨があまりに激しいものだから、いつも少々の雨でも迷わず自転車を選ぶのに、バスにしようかともたもたやってしまったのでした。結局バスにしたら予想通りかえって遅く、授業に出ようにも向うに着いたとき遅れは30分にまで増幅されていたのでした。
朝をすっとばすと水曜は昼の空きが長く、いつも持てあますのです。それで行ったことのないマンガ喫茶で時間をつぶすことにし、適当なところで切り上げようとしたとき、不意に「パチンコ行くか」と思いついたのでした。
いつか書いたように、おジョーは3年に2回くらいパチンコに行くのです。それもこんなふうに突然思いついて。で、店を出てすぐのパチンコ屋に入りました。あーあ、雨でもたついた流れでとんでもない成り行きになってます。ダメ学生の見本みたいな奴ですねえ。そんな自覚で自然と猫背に。
適当に台を決めて始めました。予算は5千円まで。これも不意に頭の中にひらめいた金額です。店にもよるんでしょうけど、そこは500円玉しか受けつけない台で、まあ仕方ないんで500円玉をたくさん作りましたよ。しかしこれが面白いくらいすぐなくなるの。何なんでしょうね、あれは?
次々となくなって最後の500円分の玉も半分くらいまでのまれたところ、といいますからギャンブルで負けを認めた人間が感じる、自分が何も持たないひどくちっぽけな存在で、悔悟の念にもかなり打ちのめされ寂しく感じていた頃あいですが(おジョーにとってパチンコで5千円もやられるっていうのはそういう感じ、大敗もいいところなのです。麻雀ならどうってことはないのですが)、やっとこさ当りが出ました。
すばらしい、しかもそれが確変といわれるやつでして、次に「はずれ当り」を引くまで当りつづけるモードへ突入したらしい。これは店の人に聞いたんですが。っていうかそういう機種だってこと知らずにやってました。道理で普通のフィーバー台にしてはチャッカーに入りにくく作ってあるなあと思ったんですよ。結局4回目に「はずれ当り」を引いて終了、初期投資を差し引いても十分な勝ちとなりました。
しかし次の授業までまだ時間があるんですよ、これが。なので学校の生協に行きました。本とCDがおいてあるところです。降ってわいた収入というのは、なんらかの形にしておかないとすぐ消えちゃうんです。でも正直言って最近欲しいものが本にしてもCDにしてもなかったので、満腹で食品売場を歩くような気分。目が獲物を追わないの。
知らない音楽ってたくさんあるんだから、何か適当によさそうなのを見つくろって、となりますね、買いたいって気持がないと。まあ例のごとくピアノ曲集でもながめてました。まあこれにするかと目ぼしをつけて、次は本。こっちはまだましです。前に書いたようにおジョーの心の中には「いつか読むぜ」リストがありまして、この本売場はそれをいつも刺激してくれるところですから。
しかしやっぱり今日はだめ。いま「カラマーゾフ」が面白く、ほかは何も要らないんです。「魔の山」や「レ・ミゼラブル」には惹かれたものの、どうも手を伸ばすに至りません。いかん、せっかくの機会なのに。あぶく銭が生きないよ。気乗りのしないよどんだ目で辺りを見まわしていたその時、「そうだ、どうせならこれからも一生やりそうにないことをしよう!」とまたしても思いついたのです。
何をするってそりゃああれですよ、ごついものを買うってことですよ。まあこんな機会でもなければ手を出そうとさえ思いもしなかったかもしれない書、これまた先日触れましたプルーストの「失われた時を求めて」です。調べてもらったところ、ちくま文庫より全10巻で出ているらしい。一挙に全巻注文しました。うーむ、ゴージャス。
あ、ついでにCDも買いました。高名なピアニスト、アルフレッド・ブレンデルのやつです。でもこれはほんとついでだなあ。いつでもできることだから。プルースト全10巻の迫力の前じゃ霞んでしまいます。
しかしこういうのを通して、何かとても不思議な流れのようなものを思わずにはいられません。今朝たまたま激しい雨だったんですよ。で、結局のところそのことがプルーストという作家に引き合わせてくれたことになるのです。運命とかそういう言い方は、何にでも当てはめて言うことができる、ある種のいい加減さからあまり好きではないんですけど、どうにもからくりめいた巡り合わせの奇妙さを感じてしまいます。実を言うと、内心うす気味悪いくらいですらあって、自分にとってすごく幸せな出来事であったにもかかわらず、問わずにはいられない。「なんなのだ、これは?」と。
こういうことは、みなさんも一度や二度は経験あるのではないでしょうか? 何か強い印象を残し、未だ忘れることのできない異常な偶然。必ずしもいいことばかりとは限りませんが、とにかく、あたかもシナリオが既に書かれていたのではなかろうかと後になって慄然とさえするような奇異な事象が。
そして今回の場合、これがおジョーには何故か好ましい予感をおぼえさせてくれます。不思議です、あまりにも根拠なしに受け入れてしまえる自分にとまどってしまうくらいに。思えばあの時ミルトンを調べようとして学校の図書館へ足を運び、偶然見つけたこの作品に強く惹きつけられたこと、それよりさかのぼって……おお、どれだけここに至るための伏線が張られていたのでしょう。振り返ってみたとき、果してこれが偶然と言えるのか、到底結論が出せない。そこに何が記されているのか、早くもおののくような畏怖と期待とその他あらゆる知ることのできないものへの感情がうずまきつつあるのを感じます。
◆全くの偶然から「いいこと」があると、それを何か別な形で他へ還元せねば、という心理がおジョーには働きます。今回のパチンコ勝利なんて実にその典型みたいなものですから、誰かに何かしてやれば(例えば飯をおごるとか)いいと思うんですけど、人に「パチンコで勝った」なんて話すのが「ええかっこしい」のおジョーには恥ずかしく思えて、やらずじまいでした。
なので献血してきました。パチンコに勝って献血する奴もいるまい、ふっふ。事前のチェックで医師に睡眠時間を聞かれ、3時間と答えるといい顔されませんでした。睡眠不足だとダメージが大きいことがあるらしいです。でも派出所で場所まで聞いて訪れたのに、じゃあやめますとも言えんですよ。「体調は大丈夫ですか?」「大丈夫です」「眠くないですか?」「(眠いけど)眠くないです」、というわけで吸血してもらいました。ちゅーちゅー。
んんー、終わってみると体調がよくなった気がするぞ。謎だ……そうか! これが古より伝わるブリーディングの秘法か! bleeding 、いわゆる放血ですな。悪い血を出すことによって、健康を取り戻すってやつです。むかし床屋がやってたってやつですよ。んー、へるしー。あ、ちなみに図書券はここではもらえませんでした。代りに口臭エチケットスプレーやあぶらとり紙をくれました。なんだかなあ。ま、報酬目当てじゃないからいいんだけど。
◆で、帰りの電車の中、ある駅に着いて出ていこうとする女の人がくるぶしくらいまである、タイトでない(なんて言うんでしょ?)長いスカートをはいているのが目に入ってきました。おジョーはそういう服装がとても好きなのです。うん、あれはよいね。
何がいいって、中がどうなってるのかまるで分からないからいいんだろうと思います。あれですよ、プレゼントをそのまま渡す人はいないでしょ、あれと同じだと思うんですけどね。まあ何か適当な包装なり箱なりに入れて渡すじゃないですか。相手に手渡すのじゃなくて、テーブルにでも置くところを想像してみてくださいよ、むきだしで置かれたんじゃあ何のありがたみもない。ところがどうです、箱に入れてきれいな紙やリボンで包装されたものを見たら、渡された方も「なんだろう?」ってすごくわくわく期待して楽しくなるじゃないですか。
はじめは見た目の大きさだけしか伝わらないんです。で、「見ていい?」「どうぞ」となって手にとる。重さを感じ、新たな情報を得てまた想像する。リボンを解く、包み紙をめくる、箱を開ける。同じものを幾重にも楽しめるじゃないですか。実体に迫るまでの距離も当然縮まっていくことを感じつつ開けてゆく、「モノが何であるかがわかる(=ゴール)」に到達するまでのプロセスがほんの幾秒かでも、実はたまらなく嬉しい演出なんです。
あからさまに言っちゃうのは情緒ってものがないからあれですけど、結局快感は脳が感じるものなんですよね。だから脳に感じる仕掛けが効くってことなんじゃないかな、と。まあそんなわけで、女性の方々にはマージンを残した服装を心がけてもらいたいもんです。マージンとは、余白・余地のことですよ。「出しゃええ」てな考えは興醒めと考える人種もいるってことです。
まあでも男にもいろんなタイプがあるわけで、おジョーみたいなのもいれば、それとは正反対に、「まあまあ、そうもったいぶらないで、ざっくばらんに行きましょうや」という人たちもいるのは確か。だから「これが男の心理だ!」なんて言うつもりはありません。まあなんちゅうか外見ってのは馬鹿にならない要素ですから、こういう意見もあるよ、とだけ言っときます。なんとも奥歯にものがはさまったようなもの言いで……。言ってる意味が伝わると嬉しいんだけど。
5/2(木)
◆今日昼飯どきに、銀閣寺のそばにある人気のラーメン屋さんに行ってみようと、久しぶりに坂を上ってみたんですが、えらく人が並んでました。ぱっと見ただけでも店外に10人以上いたなあ。うーむ、いつも時間を外して行ってたからわからなかったけど、噂になるほど評判の店なんだな、と改めて思いました。
おジョーは人ごみに弱いので、昼の休憩時間に学食でご飯食べたのってほんと数えるほどしかなくて、だからといって周辺の店がすいているわけでもなく、結局パンをかじったりとか、まめに家に帰ってうどんを作ったりしてました(下宿時)。うまくてすいてる店があるといいんですけどねー。ってそんな虫のいいことは絶対にないし、困ったものです。
そんなあぶれ者たちを狙って、と言うと聞こえが悪いですが、昼時には外部のパン屋さんやお弁当屋さんが学校のあちこちの門に陣取って、商売されてます。おじさんやおばさん、お姉さんやお兄さん(……は見たことあったかな?)がやってるんです。あれを見てふと思ったんですけど、男性が売ってるものより女性が売ってるものの方がおいしそうに感じるのは気のせいでしょうか。こんな言い方良くないかもしれませんけど。
この感覚ってなんだろ? と思いましたね。これをよくよく考えてみますと、面白い偏りがあることを発見しました。食事を出す形態によって、出す人の望ましいイメージが自分の中に無意識のうちに形成されていたんですよ。これは気がつかなかったなあ。
弁当屋は主婦歴長そうなおばちゃんがベスト、まあそうでないにしろ女性の方がおいしそうです。パン屋だったら、おじさんの方がよさそうだなあ。この二つは一目見てそれなりに年期入っていたほうがいいような気がします。逆に若い女性がよさそうだと感じるのは何かな? と考えたら、これが結構難しくて、せいぜい喫茶店とかのメニューとか、お菓子のたぐいかな、クレープみたいな。若い兄ちゃんだったら、なんだろ? うーん、惣菜屋とか絶対ダメっぽしなあ。そうか、たこ焼き屋か。いや、それはテキ屋だな、むむ。あっ、ラーメン屋か。うん、ラーメン屋は中年の入り口くらいの若いさっぱりした働き盛りの男の人が作ってるとおいしそう。逆にじいさんは一番うまくなさそうです。寿司なら中年まっさかりの活きのいい職人さんに握ってもらったのが一番おいしくたべられそうだぞ。
うーん、イメージってあるなあ。思いもよらぬ発見でしたよ。あ、上に書いたのはあくまでおジョーの中での固定観念なので、「それはちがう!」とか言わないでくださいね。ほかの職種でもそういうのありますけど(好色そうな教師とかヤでしょ?)、食事を作る、あるいは出す人によってその食べ物がおいしく見える度合にずいぶん差が出るだなんてねえ。あまりこういうことを言うと、女性蔑視だとか女は家事に追いやられているからそういう事を平気で言うのだ、なんて弱ったことになりそうなのでこの辺で。またそっち方面の話はいずれします、覚えていて、かつネタがなくなったときにでも。でも、男の握ったおむすびなんて口にしたくもないよなあ。思いません?
5/3(金)
◆そういえばこの前健康診断があり、X線撮影を受けたんですけど、おジョーの前に並ばれたのは結構お年を召された方でした。いつものようにぼーっと並んでたんですけど、書類に書き込むべき事項がどうだとかで、あれこれ質問されてたので「ん?」と思って我にかえったらそんなおじさんだったと。んー、どういった方なんでしょう? 不意に興味がわいてきました。
それで学生証みたいなのを出されていたので、ひょいと覗かせてもらったら、法学部の聴講生さんだそうです。しかし驚きました、年齢なんと70歳ですよ。外からはとてもそんなふうには見えなくて、50過ぎくらいだと思ってました。すごいなあ、70歳で学問やろうと思うその気持がすばらしい。かくしゃくとしてらっしゃったし、格好良かったです。頭上がりませんね、ほんと。
◆いざという時のために蓄えた(うそ)お腹まわりの肉を処分すべく、本日は歩いて参りました。春ですねえ、風もちょっとある日で、歩いていて気持がよかったです。いつも歩くときに寄る昆陽池も人でいっぱい、子供連れの家族やお年寄りがたくさんいました。
そこには野鳥が集まる池と、飲料用の貯水池と、大きな池が二つあって、8の字というかθ状に歩道があるんです。で、貯水池の方には高いところにロープを張って、鯉のぼりがたーくさんつながれていました。あれはやりすぎ、30匹以上はならんでいたような……もっとかな? しかも横に並んでるから目ざしみたいでしたよ。んー、なんだかなあ。面白いからいいけど。
今日はいつもよりがんばって歩いたので、きっと明日は筋肉痛です。もうその日に疲れがこない身体になっているのです。いまそれに気付いてあわててストレッチやマッサージなんぞしておりますが、手遅れでしょう。もし筋肉痛がそれほどひどくなければ明日も歩くつもりですが、はてさて、どうなることやら。
5/4(土)
◆はい、というわけでこちらへ追っかけてきてくださった方、本当にありがとうございます。でもこれできっとこの放浪生活も終るだろうと思いますので、どうかご容赦ください。うう、心苦しい、感謝の念にたえません。
しかしせっかく新しくなるんだから、どうせならこのぱっとしない見た目をどうにかする絶好の機会なんじゃないの? とか思ったんですよ。でもタイトルからして考えるのが面倒。いいのを考えてみようとはしたんですけど、まあ無理な話ですね。
これまでの一切を捨てて、全く新しいHPの管理人になろうかとも考えたんですよ。もう記事なんて書かない、ただの日記書きになるってことで。それはいいんだけど、新しいタイトルすら決められないのに、新しいHNも作るとなると……。って思ったら新しいURLに「ojoe」って含まれてるし。もう何が何やらって感じ。いいです、惰性のまま生きるんです。
そんなこんなで、つまんないことばっか書いてますけど、今日は移転日ですのでこれで終りです。また明日からまともに何か書こうと思います。「まとも」ってのが非常に怪しいですが。うーむ、しかし中途半端に思いついてしまった全面改装をしたくなって仕方ない。どうしよっかなー。
5/5(日)
◆昨日からHPの新しい外観を考えて作り始めまして、まあなんとか気に入ったものが出来ました。そこで、従来のHPを本日をもって終了し、まったく別な新しいHPを開設することに決定いたしました。つまり「おジョーの部屋」→「脳味噌薔薇色」の流れをひきずらないということです。でも英詩のコンテンツだけ、気に入ってるので流用するつもりですが。
やることはいっしょです。日記を書くのですから。で、これまでお世話になり、リンクさせていただいていた各方面の方々には申しわけないのですが、一旦これですべてリンクを打ち切ります。新たなリンクには、おジョーが外部からアクセスしたときに便利なように、自分のブックマークをほぼそのまま当てはめるようにしようと思っています。
そういうわけで、このHPともこれでおさらば。まあ色々と経験を積ませてもらいました。それを次に活かすつもりです。気分的には実にさばさばしています。余計なものがなくなってほっとしたって言うか。
いまだから言いますが、おジョーとしては記事の中に「当時はあれでよかったけど、今となっては見られるのがつらい」といったものが多くなっていたのです。その一方で、自分自身愛着を持っていた記事もいくつかありました。自分の気に入らないものを削除し、気に入ったものだけを残すといった操作をやりたいという思いが、日増しに強くなってきます。しかし、それは果してまっとうな行いだろうか? という疑問が湧いてきたのです。
おジョーとしてはそれは後ろめたい行為でした。自分のまずい面を隠し、いい顔をするっていうのが。こういうのって感覚の問題なんでしょうけど、嫌ですよ、そんなの。個人でやってるHPなんてのは金もからまない純粋な遊びですからね、それをやるのは人間がせこすぎる。どうせやるならあれですよ、いいも悪いも全部ひっくるめて処分するべき、そう思っていたのです。
まあそれで、これまでずるずる来たわけですよ、気に入ったのを消したくなかったから。でも新しいものを始めると気持が一旦決まったら、それはそれでいいものです。ま、こんな零細HPでしたけど、応援ありがとうございました。これからもやっていきますので、よろしくお願いいたします。
◆あ、それで、このあと完全にいれかえるため、一旦全コンテンツを削除します。もしかしたらHPが見当たらなくなるかもしれませんけど、必ずこのURLでやりますので、しばしお待ちください。これまで一見さわやかな感じだったかもしれませんが、今度はどうでしょうねえ。ま、楽しみにして下さい。
5/6(月)
◆えー、そういうわけで、今日からここは「痴者の夢」です。見ての通り、ほとんど色を変えただけなんですけど、結構雰囲気は変わるものです。って一人で言ってますけど変わってますよね? いいですか、大丈夫ですよね? 実はあんまり自信がなかったりして。えー、それで、コンテンツも絞りに絞りました。もうなんにもありません。
昨日は英詩のコンテンツは引き継ぐように書いてましたが、気が変わりました。誰も見ないものを並べたってしようがない。それに、なんていうんですか、ある思いに行き当たったのですよ。それは「持つものが少ない者ほどそのわずかなものを誇りたがる」ということ。
実はこのHPを立ち上げるにあたり、「本と音楽と映画」というコンテンツを作りかけていたんですよ。でもね、「自分はこんなもの読みました、聞きました、見ました」なんて言われたって大して面白いもんでもないでしょう。しかもそれが本当に大したものならまだいいけど、自分に限ってそんなことはまずない。
もちろんHPというのは自己満足の世界ですから、自分の好きなようにやってもいいはずなんですけど、なんかね、それってどうなんだろ? と思うわけです。結局それらのファイルは完成されることのないまま放置されることになりそう。作っておけば備忘録としては面白くて便利かな、とも思ったんですけどね。まあでもものを作るのって楽しいです。こんなウェブページにしても。今後どんな体裁をとっていくのか分かりませんけど、これからもよろしくお願いいたします。
◆ああそうだ、書き忘れてしまいましたけど、色を重ねるってのは難しいです。数ある多様な色彩から1色を選ぶ、これはまあまあ、色見本をながめていれば適当に決まるんですけど、これにもう1つ色を持ってくるとなると、とたんに話がややこしくなります。それで文字を書く部分の白(といっても実は完全な真っ白より少し暗くしてます。IEの場合、下のボタンの色が真っ白のはず)とも合わせるようしないといけないし、内にするか外にするかでまた印象も変る。
正直なところ、この色を考えるのにほとんどの時間を費やしたと言ってもいいほど。センスがないから苦労します。地味で落ちつく色、それはすなわち自然の色(空や土などの色)だと思うんですけど、そういう系統にまとめたかったので結局選んだのはこんな感じになりました。やー、しかしどうかな? あまり自信ないです。見た目にヤな感じがしなければ上出来だと思うんですけどいかがでしょうか。
◆そういえば今日で連休も終り、これからは当分臨時の休みはないんですね。どこかに行くにはいいんだけど、そうでもないおジョーにしてみれば、もうちょっとかためないで振り分けてくれたほうがかしこく使えるような気がします。連休も3日で十分ですよ、4日目は何をしたらいいものか途方にくれてる次第です。むうむう、困ったなあ。
5/7(火)
◆おジョーの本名の名前の方は、またとないような漢字を使うんですけど、不意にさっきGoogleにて検索してみたら、なんと一発で自分自身が出てきました。おそろしい、勝手にそんな人の実名載せないで下さいよ、大学さま。プライバシーの侵害とかの問題にはならんのでしょうか、これは? 一言も聞いてなかったぞ、それもメールアドレスつき。ええのんか? ううーむ。
◆ああそうだ、前から疑問に思っていたんですが、女の人の中にいい匂いをさせている人が結構いますけど、あれのもとは何なんですか? おジョーが思うにリンスのようなのですが。髪が匂いの発生源のようだし。しかし、リンス(コンディショナーとはどうちがうのだろう? これも疑問だ。)だったら男も普通に使っているはず。なのに男からそんないい匂いをかいだ経験はほとんどないんです。
ひょっとして、男には想像もつかないほど髪にべっとりつけ、さらにはほとんどすすがないで風呂から上がってんでしょうか? ううーむ、それはそれでかなり恐ろしい光景、現実味ないなあ。そこまでしなくてもなるんだろうか。それとも何か工夫があるのかな? いや、真相を知ったところで別に真似ようとかは思いませんけど。男の髪に比べて女の髪が匂い成分を保持しやすい組成になっている、というのも考えにくいしなあ。実に謎です。
◆「おれは脚が短いなあ」「もう少し顔が……」「おいしいものを好きなだけ食べられたら、でも……」「うっ、自分より男前(美人)……」「勉強できないよー」「稼ぎが悪くて……」「運動苦手だ」「あれ欲しいなあ(でもお金が)……」エトセトラ、エトセトラ……
このようなちくりちくりとした痛みを我々はいつも感じながら生きています。しかしうまくできたもので、苦痛は時間の作用によりほぼ数瞬ごとに消え去る。どうやら傷から回復しているようですね。だからこそ人間は生きていられるのだ、とすら言えるかもしれません。
「それではいつまでも回復しない傷、あるいは時間とともにより奥へと深く食いこみ、ついには身体をも貫いてしまうような苦痛とは何だろうか?」(問い※)ふとこんなことを考えつきました。思いついたのはいいのですが、答えらしきものはそう簡単に浮かんではきません。弱ったな、難しいことに首をつっこんでしまったみたいです。
自分で思いついたことに自分でけりをつけられないってのも何だか間抜けな気もしますが、それはそれでしかたない。いまの自分にそれに対する力量というか容量というか、そんなものが不足しているということなんでしょう。うーん、こんなこともあるんですね。でも、うんうんうなって考えている最中、不意にいま読んでいる小説にあった言葉が思い出されました。そこで長老(高僧)はこう語っています。
「地獄とは何か? それはもはや愛することができないという事である」と。読んでいてそこを通ったとき、実はあまりぴんと来なかったのですが、いま「回復できない苦痛(傷)」っていうのを考えてみたとき、「ああ、あれってそうだったのかも」と思い出されたのです。
話が完全に重なっているというのではなくて、普通に考えて「地獄>>苦痛」でしょうから、どちらかと言うといま考えていることがあっちに含まれているってことになるんでしょうけどね。この長老の言葉、いまこうして別のことから出発してほぼ自分では言ってる意味をつかめた気になってるんですけど、こういうプロセスって、なんか数学の証明みたいに感じます。ある命題を示すために補題を証明し、証明した補題を用いて元の命題を示すってやり方。結構よくやる手なんです。
でもだからといって「問い※」が解決したわけじゃありません。例は出せます。いくつかはすぐに。でも、じゃあそんなのをひとまとめにして、ずばりこういうものだと言ってみろ、と言われるとすごく困る。むうむう、それを思えば「地獄とは〜」というセリフは、たとえそれが作家の一見解に過ぎないにしてもよくできてるなあ、と洞察力のちがいを認めずにはいられない。んー、まだまだ力が足りないぜ。
5/8(水)
◆いまちょろっと計算してみたら、約 2.5×10^9 、「にぃてんごかけるじゅうのきゅうじょう」、つまり25億でした。こう言っても単位も示さないでいるとなんにも伝わらないですね。単位は秒、実はこれ、人間の一生分くらいの時間です。(1年=365日、80年で計算)
せっかく秒に直したのになんちゅうか少ないッスねー。がっかりです。だってたった2.5Gs
(ギガ秒)にしか過ぎないんですから。いまみなさんが使ってる携帯電話の周波数がギガヘルツ帯って言いますからね、それを思うと……いや、それは例えが変か。でもギガって別に大したスケールじゃないんですよね、けっこう平凡。
どのくらい平凡か、例えば可視光で比べてみましょう(比べられるのか?)。可視領域は波長で一般に 400〜700 nm(ナノメートル)と言われますから、仮に振動数の小さい400ナノでやってみると、これが振動数実に 7.5×10^14 Hz = 750 THz(テラヘルツ)。1秒間に7千5百兆回振動してるって計算になります。さっきの数字と比べてみても桁ちがい、30万倍です。
いま計算してわかりましたけど、電磁波ってやっぱすごいなあ。振動数が桁違い。っていうかそのまえに比較が単なる数字に終始していて、それが何ら意味をなさないところは理解しておいて下さいね。ただ単にギガってのがどうってことない領域の数だってことが言いたかっただけですから。うーん、それにしてもたった2.5ギガか。短すぎるよな、やっとれんわ。
◆水曜に受けるある授業は、三十そこそこの先生がやっておられるんですけど、その先生の人柄がすごくいいんです。で、彼に興味をもって、どんなことを専門にされてるのかなと調べたら、同時に教授であることがわかりました。教授ですよ、きょーじゅ。ううーむ、ぐれーと。若くして教授っていうと、すごい切れ者ってふうに聞えるかもしれませんけど、ぜんぜんそんな感じじゃないんだなあ、これが。ものすごくやさしくて頼りなさそうだし。人は見かけによらないものです。
こんな例を見ると、世間一般のいわゆる「あがり」のポジションに就くことを考えたら、学問の世界って他とは比べものにならないほどスピード速いかもしれんなあ、って思います。すごいな、あと退官まで30年くらいの間ずーっと教授ですよ。すごい話や。ひょっとするとあれですかね、この先生が次の時代をしょって立つ、うちの学部のエース的存在だったりして。あるいは秘密兵器とか。うわー、そうならすごいな。あとで偉くなったときに自慢できるぞ。うん、おぼえとこ。
◆おジョーは天パがきつい。どれくらいと言われても困りますけど、そうだな、多分みなさんがいままで見た一番くせのきつい人と同程度と想像してもらえれば、まあ当たらずとも遠からずって感じでしょうか。だからあまり甲斐もないけどやらないと頭爆発状態だから、仕方なしに毎朝時間をとられているのです。髪を引きのばすために。雨の日なんて特にやるだけ無駄なのに。まったく……。
で、この前ふと「ストレートパーマあてればその鬱陶しい作業時間から解放されるでは?」と思いついたのです。んー、気付かなかったなあ。いやほんと。だってそんな金があるんだったら旨いもんを食った方が絶対マシっていつも考えるものですから。我ながら単純な思考回路だなあ。
まあそんなわけで、長くなりますから今日は書かないけど、何とまっすぐになりました。素晴らしい、化学の勝利です。しかし一部ほんとにくせが強かったみたいで、最後の最後までお手数かけさせてしまったようでした。これで明日から貴重な朝の5〜10分を奪われずに済みそう。うはは、なんてナイスなんだ。
5/9(木)
◆「良心の呵責に耐えかねて」というときの「かしゃく」ですけど、ある小説で、「苛責」と書かれてありました。あれ、こんな書き方もあったっけ? と思って調べてみるも、そんな用例は見つかりません。すーごく気持ち悪いです。「呵」は「しかる」、「苛」は「いらだつ」と読みます。絶対まちがいだよなあ、「苛責」。
◆明日は避けられない飲み会ですので更新しない可能性98%くらいです。ご了承ください。それにしてもあれですね、いまの時代「赤紙」、すなわち「召集令状」も電子メールで届くんですねえ。おおこわ。無事に済めばいいが……。
◆最近目鼻がむずがゆくてたまりません。花粉症ってこんな感じなんでしょうか? だとするとえらく流行にのり遅れた感がありますが。鼻がむずむずして、ついいらってしまう。これがいけないのかなあ。それに目がしんどい。テレビを見過ぎた時のように目だけがやけに疲れるのですよ、充血した感じで。お陰でまあよく眠れますわ、困ったなあ。
◆そんなわけで今日は探し求めていたような先生にアタックし、抱えていた疑問をいっぱい解決してもらうという、それは素晴らしくよき日だったのですが、それにふれる気力がありません。書けば長くなりそうですのでね。おぼえていたら今度書きます。やー、しかし学校っていいとこっすわ、求めればすごい先生ごろごろいますから。
5/11(土)
◆やー、昨日は大変でしたわ、晩7時にはじまった飲み会は2次会から3次会へとなだれ込み、終わってみれば朝4時過ぎ。恐ろしい、どないなっとんねや。それでも今回は、一言二言話す程度の仲だった何人もの人たちと、かなり親しく話す機会であったことはまちがいなく、少なくともおジョーにとっては大変意義深いものでありました。
自己紹介のおり、I君はクラシック音楽が好きだということが判明。何ッ、それは聞き捨てならないぜ! 詳しく聞いてみると、彼はバッハやショパンが好きで、とりわけピアノ曲を好んで聞くのだそうな。おお、クラシック好きというだけでなくピアノ曲好きとは! あんさんええ趣味してますがな。色々楽しい話ができました。ピアニストだとアシュケナージが好きらしい。
彼との話に一時すっかり熱中してしまったんですが、間にいたSさんに「ぜんぜんわからん」と言われてしまいました。そりゃ無理もない。で、彼女に水を向けてみます。「んじゃSさんは何か趣味はないんかね? これは詳しいで、いうような?」「うーん、そう言われてもなあ」てな感じ、あまりパッとしません。こういう何が好きなのか、どういうことにうちこんでいるのか、といった類の質問は話がかみあわないと白けることが多いので、それを恐れて聞かれても話すのをためらうことが多いんですよね。
「ああそうや、音楽もええけど、おれ絵見るのんもけっこう好きなんよな」ぼそっとこう言ってみたら「ああ! そうなん!」と驚くほどの好反応。なんと、今度は絵を見るのが好きな人がいましたよ。これはこれでたくさん話すことができました。雪舟展行ったとか、滋賀の美術館にも足を運んだことがあるとか、何年か前のオランジュリー美術館展は人多かったとか色々。I君はそっち方面も割に好きな口らしく、話も通じてとてもよかった。
他にも、どういう話の展開からそうなったのかもうおぼえていないけど、F君とはヘミングウェイの「老人と海」の解釈について思わず熱心に議論してしまったりしました。うーん、まさか彼とこんなことになるとはなあ。酒の力というやつですわ。
そのとき、彼と正面きって話す一方、自分が彼よりも経験があることを明確に感じとり、やけにそれが強く印象に残ったことをおぼえています。裏返せばそれは彼がとても若いことを表すし、その若さ(と若いゆえの熱さ)が自分から失われてしまったことに少しのまぶしさとさびしさと、そして何より多くのほほえましさをおぼえました。
彼に刺激され口をついて出てくる言葉は、自分の内部変化を如実に反映しているかのようで、自分でも内心おどろくほどでした。こんなことは後で振り返り考えながらだから、こう書けるんでしょうけどね。こういうことがあると、自分もまるっきり無駄に生きていたのではないのかな、と思えて少しこころが軽くなるような気がします。うん、まあ自分で言うのも何ですけど、いろいろ経験してますわ。
まあそんなわけで、もっともっとたくさん色んなことがあったし分かったんだけど、書ききれないのでこの辺にします。面白いなあ、人間ってほんと面白いッスわ。
5/12(日)
◆ふいーっ、やっとこさレポートしあげたので更新にかかれます。でもなんか自分の中では最近だれだれモードになりつつあるのを感じていて、それは言葉をかえると日々の充実度というか満足感みたいなものが感じられなくなっているという事で、そういう意味でよくないなあと思っているのです。
おジョーの場合、元々真面目人間じゃありませんので、だらだら時を過ごしてしまうことへの罪悪感などそもそも生じることすらないわけなんですが、生活に自分なりの満足が得られていないと感じるのは、なにかとても重たいのです。眠れない夜の苛立ちに感じとしては近いかな?
そう考えてみると、いわゆる社会通念に苦しめられるってのはあまりないのかもしれないな、と自分のことを思うことはあります。それが本当にいいことなのかどうかはわかりませんけど。神のみぞ知る、ってやつですね、この辺は。
◆「人の嫌がることをしたくなる(という気持)」ってのが少なからず自分の中にあって、これの動機は何だろ? と不意に思いついたんですけど、すごく簡単なことでした。それは「自分の存在に目を向けて欲しいから」ですね。うーむ、これまでろくに考えたことがなかったから自分にとっては新たな発見だったけど、ほとんど自明のことみたいですね。こういうの何て言うんだっけ? ああ、トリビアル(trivial)か。
すごく幼稚な例で言えば、男の子が好きな女の子にいたずらしたくなるのがそう。たまに逆もあるけど(これはコワイ)。まあでも毒舌を謳って何かもの言う人の中にも、このような傾向は容易に見てとれるように思います。程度の高さに反比例──と言いたいが敢えて言うまい──って思うまえに書いちゃったなあ、はは。
毒舌っちゅうのは細心の注意を払わないと単なる愚痴・ごたくになりかねないから本当はとっても難しい。それに言葉の鋭さは往々にして、自らの像のうかびあがらせる光の鋭さとなって返ってくるし。しかもそれが読む側に「そうだ、よく言った!」と爽快感を与えるものでなくてはならないのだ。
ん? なに言ってんでしょうね? おかしい、自分の中で素晴らしい発見があったんです、聞いてくださいよ、と言いたかっただけなのにどこからか思わぬ方向へと行ってしまいました。あーあ、これじゃだめだ。きっともう寝る時間なんです(言い訳)。おやすみなさい。
5/13(月)
◆今日は輪読でした。相変わらずおジョーの番。一人の分量が多く、わからんことも多いもんだから、その都度つまっていつまでたっても終わらない。まあそれはそれでいいんだけど。教えてくれる人(オブザーバー)は基本的に教授なんですが、忙しい人だから、代理でころころ色んな人がやってきます。
今日教えてくれた人は、とても感じのいい人。しかし、なーんかどこかで見たことのある顔なんです。こんな感じいい顔だったらおぼえていてもよさそうなものだが……。はて、こんな人まえに会ったかしらん? と自分が発表役だったにもかかわらず、頭の隅でずーっと考えていました。そしたらやっと分かりましたよ、広末涼子と同じ顔なんです。
年からすると彼のほうが上だから、向うが彼に似てると言った方が正しいんですよね、こういう場合。それはともかく、はっきり言ってまったく同じですよ、ほんと。すごく笑えるんですけどね。だって彼けっこう太っちょで、ヒゲも濃いし。でも顔広末。あはは。今度言ってみようかな? でも気を悪くされたら気の毒だし。おもろいこってす。
◆今日は行きの神戸線で座ったとき、両隣が文庫本を読んでいました。そういうことが実に気になるおジョーとしましては、どうしてもお隣チェックしたくてたまりません。いけないと思いつつも、ちらちら覗き見してしまいました。
右隣のおじさんを見てびっくり、おジョーが読んだことのある本だったのです。なんと珍しい。宮城谷昌光「楽毅」でした。これ、尊敬するかつてのバイト先のT先生にハードカバーのを借りたんですよ、懐かしいなあ。めちゃくちゃ面白い本でした。しかしおジョーがいま読んでるやつに比べてなんと活字のでかいことよ。空間あきすぎだあ。そして左隣のおじさんは文中に信長が出ていました。
いまは用もないのに(あるのかな?)携帯をいじってる人が多いから、隣が両方とも本を読んでること自体が稀になってしまったというのに、そのどちらも内容がわかるってんですからね、ちょいとばかり興奮してしまいましたよ。こんなこともあるんですねえ。
京都線にのりかえると今度は二人がけの椅子だったんですが、隣に座ってきた人は今風の格好した大学生らしき女の子。こういう人は席につくなり携帯とにらめっこというのが最近のおきまりパターンなのに、驚いたことに彼女はぶあつい古ぼけた文庫本をそれはもう熱心に読み出すじゃありませんか。いったい今日はどういう日なんでしょう。
ふーむ、人は外見で判断できないねえと思いつつ、気になるのはやはりその中身。なんとかのぞき込んで確かめたい。でも困ったことに本が古いから活字のアクセントがすっかり弱くなっちゃってるんです。こんな落とし穴があるとは。見づらくてしようがない。ぱっと見わかったのは、新潮文庫らしきことでした。右側のページの上に本のタイトルがあるようでしたので。
長い京都線にゆられているうちに、敵はどうやら寝入ってしまったようです。本は開いたままだ、しめた! よく見えないながらも、登場人物がどうやらロシア系の名前らしいこと、タイトルが漢字二文字で、一文字目に比べ、二文字目がやや画数が少なく、なにやらそれは「さんずい」がついているらしきことが分かりました。
むおっ、露文ですか、おぬしできるなッ! でもその本知らないや。なんだろ? 二文字? ひょっとしてそれあんたいわゆる一つの「復活」ってやつじゃないですか? レフさんですか! むう、たしかにそう言われてみるとあの一文字目は「ぎょうにんべん」がついているみたい、おそれいりました。ううむ、偶然隣に座った者同士がドストエフスキーとトルストイを読んでいたとは。こんなこともう二度とないでしょうね。
本当のこと言うと、後で彼女に聞いてみたかったんですけどね「二十歳くらいでトルストイ読むってどんな感じですか?」って。うん、いつも言うこと(「本でも音楽でも自分が楽しいと思うことがまず第一、そこに上下はない」ということ)と矛盾するようだけど、やっぱりものによってはその中に格みたいなのがあって、手にするのは簡単なのにその格に応じたものが内部で身につかない限りは決して触れてみようとはしないものってのがあるんですよね。これは経験を積まないといつまでたっても身につかない感覚なんですが。
その意味で、彼女は見た目とは裏腹に、相当成熟した内面をもっていたにちがいない。そう思います。自分がこういうものを見て、聞いて、さわって、「ああ、なるほどなあ」と思うに至ったのは彼女よりずっと後、あの頃は本当に何にもわからない坊やでした。
すごいなあ、世の中人はいるし、誰に言われずともそこかしこに育っているのですね。こういうのは育った環境、接した人、広い意味で教育の質が高かったことの表れですよ。そしてこういう人がきっとまた機会あれば若い人にそういう薫陶を与えるんです。おジョーにはわかります、自分も人に出会い、良き感化を受けたのですから。
「他人や環境なんて関係ない、悪いのはおまえ自身だ」なんて乱暴な言い方をする人(できの悪い教育者など)がいますが、とんでもない話です。環境はばかになりません。人は一人で生き方を決められないし、新しい方向を探ることもできない。そんなことができるのは天与の才をもって生れた人間くらいです。若い人にとっては特にそう、環境が全てといってもいいくらいです。
いい環境がどれほど人を好ましい方向に変えるか、その影響力がどれほど強いかを知っている人がいるからこそ、一部の地域や学校などに特別な視線が注がれ、競ってまでそれを得ようとするのです。知らない人だけが知らないままに上記のようなそら恐ろしい発言を反省なくくり返して平気でいるのです。
まあそれはいいとして、今日の体験はとても感慨深いものでした。隣の人がみんなおジョーに分かる内容の本を読んでいたのが一点。まあ滅多にない珍しいできごとですね。そして何より人を見たということ、人はいるということ。これが何より嬉しかったし、だからいい作品はいつまでも愛されるわけで、それを確認できたこともよかった。こんなことがあると、世の中捨てたもんじゃないね、なんて思います。
5/14(火)
◆昨日書いたことがえらそうな言い方に読めはしないかと、始終考えていたおジョーです。自分自身があまり大した見識もないため、こういうことに余計神経を使ってしまう。元々そんな立派なことが言えるほどものをよく知ってるわけではないんですよ。それに、あまりものを知らないからこそ、逆に自分が高いところから見下ろすような言われ方をする可能性もあり、そういうのが嫌だからせめて自分はそんな鼻持ちならない態度だけはすまいと心がけているというのもあるんです。
「自分は高尚な人間だし、そういう価値あるものに積極的に触れ、正当に評価できない人間などくだらないのだ」なんて、いっそのこと思い上がった幼稚な世界観を持っていれば、こうしたことでくよくよ悩まなくて済むのかもしれません。これだと楽だよなあ、単純で。でもなんかね、お子ちゃまじゃないんだから、と思うのですよ。
この各人の嗜好のちがいと、そこに優劣という概念をもちこむ意味があるのか、といった問題にはまえから頭を悩ませてきました。マンガは劣等で、小説は高等か? 純文学(この言い方もどうかと思うけど……)は高くて、ミステリーは低いのか? 古いものは良くて、新しいものはダメなのか? スポーツは動物(本能)的で、芸術は理知的なのか? などなど、挙げればきりがありません。
このような比較に意味があるのか、そこからして難しい。人間はとかく優劣をつけたがる生きもの──生き物だから優劣をつけたがるという話はある──だけど、果して高低だけがものを区別するパラメータなのだろうか? それがそもそも質してみるべき問題ではないでしょうか。
おジョーはこの問いに、どちらかというと「ノー」と言いたい。はっきりうまくは言えないけど、そうじゃないんだよなあ、と感覚が告げているんです。そうではなくて、プラスとかマイナス、いい悪いとはちがった言い方はできないものか、もうどれくらい長い間考えてきたことでしょう。まだ満足のいくアイデアではありませんが、このような話をしたのです、いい機会ですからいまおジョーがあいまいながら思っているイメージを提示しましょう。
「色に例えてみてはどうか?」と思うのです。赤と青、白と黒、そこに明確なちがいはあるけれど、優劣の概念をもちこむ必要はありません。まさか緑と紫を比べて「どちらがエライ」なんて言う人はいませんよね? でも一つの色、例えば青なら青、を基準に考えたとき、似たような色もあれば、まったく違う系統の色もそれに応じて出てきます。そういう風にそれぞれの事柄をあてはめて考えてみれば、また違ったもののとらえ方も出てくるんじゃないのかな、と思うんです。
まだこれは完成してない一つのアイデアにすぎませんけど、なんでも優劣でものごとを見る習慣や癖はそろそろ古いんじゃないのかな、という気がします。何か新しい別の考え、概念をみながもちはじめてもいい頃ではないか。「自分は青い系統が好きだけど、赤を好む人の言うこともわかるし、黒もいいんじゃないのかな」こう考えるようになれば、もっと自由にいろんなことを楽しむことができるし、互いを認めるのに決して今ほどギャップを感じる必要はなくなるんじゃないのかな? とまあそんなことが言いたくて、こんなことを考えているんですけど、さあて、これを見てみなさんはどうお考えでしょうか。それとも優劣がやっぱりわかりやすくていいというのもあるのかな? 人それぞれ考え方にちがいはあるし、うん、まあ難しい問題ですね。
5/15(水)
◆文章を上手に書けるようになりたいと思うようになって以来、読むに際してどうしてもその内容とは別に、展開を含む文章の構成、知識や技量、はては書き手のくせに至るまで、ついつい注意深く見てしまうようになりました。それは別に悪いことではないんですが、これが困ったことに自分の書くものにまで及ぶのですから参ります。
それはもちろんおかしいところに反応するセンサーとしての役割も果たしますから、いいと言えばいいんですけど、なんかですね、こう、自分の文章にあらわれる変なくせまで別の立場で察知してしまうから、書くときに足枷になってしまうようなところもあるのですよ。
「ああ、ここがおかしいや、直そう」と気づき、訂正する。改めて見直すと、また今度は手を入れたせいであとの文章と重なるところが出てきたり、不都合が生じる。改める、見直す、これをくり返すと、下手な人に散髪を頼んだときのように取り返しのつかないことになって、「ああっ、こんなだったら元のほうがよっぽどよかったよ!」と嘆いても時すでに遅し、頭はすっかり丸坊主だったりするわけです。
最初の二つの段落でももうすでに「悪いことではない」と「いいと言えばいい」が重なってるのに気づいていて、すごく気持ち悪いんですけど、これにどう手を加えたもんかなあ、と腕組みしたまま、面倒なので結局放置しちゃってます。んもう、どうにかならないのかなあ。
◆今日、天気予報によりますと降水確率は午前中20%、午後50%でした。いつものおジョーなら「50%……フム、それは傘を持ってると半分ばかを見るわけだ」とノータイムで解釈し、持っていかないんですけど、たまたま母に出しな「今日雨降るらしいで、傘持っていきや」と言われ、しょーもないところで口論してもしかたないや、と素直に従ったのでした。
朝出かけるときに言い争って別れると、短くても午前中いっぱいはイライラしてしまうし、良かれと思って言ってくれてるんだからまあいいか、と感じたわけです。こういうふうに応じられるようになったのも経験というやつのお陰なのかもしれません。しかもほんとに昼から雨になったからなあ、母に感謝です。
しかし50%という数値は微妙ですね、そんなことないですか? 降らないですよ、普通。ちがうのかな。でも二死満塁の場面で5割バッターが登場したら「よし、もらった!」と応援してたら思いますよね。あ、これはどっちにも取れるから例えがまずいや。まあいいです、それにしても雨はなにか人間の気力を奪い、活動を低下させますね。これは動物としての機能かしらん? 梅雨のようなしとしと雨で、けだるい一日でございました。
5/16(木)
◆去年の八月ものこり一週間ほどとなった頃、ふと思いたって始めた「試み」が本日9時半すぎをもって完全なる終りを迎えました。それがどんなものであったかをくどくど述べるつもりはいまも、そしてこれからもありませんが、ただ、自分がこれまで生きてきた中でとりくんだどんなしごとよりもある意味で重要な、意義あるものであったと言えるかもしれません。実に満足です。
人が何に時間を費やすか、それはもちろん各人の自由ですが、もしその経過した時間が人間をつくってゆくものだとしたら、この「試み」を経て、自分はなにがしかの方向へとある種の「偏り」を獲得すべく、あの日行動を起こしたのだな、といまとなっては思います。
何か変化があったのか、本当のところは自分でもわかりません。過去の日記をつぶさにながめれば、あるいは分かるかもしれないけれど、それでも観測者が自分自身では測定も不確定要素がつきまとうように思えます。結局のところ、自分ではどうとも言えないわけですね。とにかく長かった、まあいい経験になったとは思います。
◆さっきひょんなことから「そういえばあの本はどうだったっけ?」と前に読んだ本を求め家の中を探しまわったんですけど、なぜかその本を含め数冊だけどこかへ行ってました。いったい何故? 仕方ないのでその本を買いに行くかも。もー、腹立つなあ。
5/17(金)
◆あったことをだらだら書きます。今日は午前中いっぱいは全空きだったにもかかわらず一限に間に合うように行ってしまった! 何という失態、ダメ学生として最も恥ずべき行為、慚愧に堪えません。しかも雨、何にもすることがないよ! とうめいていたら、Y先生「むむ、そんな時こそ勉強したらええやないか、勉強、勉強」とのお言葉。
「勉強? 陳腐な。我が辞書に勉強などという文字は存在せん、喝!」と言いたいところではございましたが、何分こちらは学生の身「はぁー、そーですねー(プシュンプシュン)、天気も悪いし……雨降ってんじゃないですか?」「そうそう、こういう日はおとなしく部屋にこもって机に向かうわけや」「なるほど、それもまた一興ですな」というわけで、仕方なく昨日出された課題を解くことに。英語の電話帳をひもといて……。
ワカランよ。日本語で書かんかい! 大体なんで2次元の紙で3次元の構造を講釈し、理解させようというのだ。おれを誰だと思ってるんだ、甘く見るなァ! 理解の限界2次元なんだから。さらに追い打ちをかけるように毛唐の言葉やし、ほんまたまらんわ。というわけで90分の格闘の末ギブアップ。
隣の部屋(辞書などがあるんです)からくたびれてもどって「ああしんど。3次元構造を考えようとすると頭がこんがらがってきますねえ」とため息まじりに言うと「そんなな、難しいことは考えんでええんや」「この○○図法とか、どーもなじめんっちゅうか腹立ってきますよ」「だからな、やりたくないことはやらんでええわけや。やりたいことだけをやる! それでええやないか」なんかさっきと言ってることが違うような……矛盾してるわけじゃないんだけど。「はー、そういうもんですか?」
それでしばらく部屋で本を読んでいたんですが、やや息苦しさを覚えたので外をぶらつくことに。でも雨だし、どこに行こうといって特に目標があるわけでもありません。学部の図書館か(近い)、学校の総合図書館か(眠ってしまってもO.K.)、学内の本屋さん(特に用事なし)か。で、本屋さんにでも行くか、と思ったとき不意に、先日そこで本を注文していたことを思い出しました。おおぅ、すっかり忘れてたぜ。
財布にお金は5千円ほど。これでは足りんでしょう、だって全10巻なんですから。1冊平均6〜700円と予想してますからね、ちょっと心もとない、っていうかまず足りそうにない。で、銀行で5千円ほど下ろそうとしたら、1万円単位なんですね、知らなかった。あれ? そうでしたっけ? カードだからかな、まあいいや。
お金を仕入れていざ本屋さんのカウンターへ。引き替えの紙を見せると来ましたよー、ゴゴゴゴゴゴゴゴ……10冊積み重ねたその絵は異様な圧力をもって見る者に迫ってきます。実際はそんなことないんだけど、40センチ以上あるように見えました(ちなみに一番高いのが1350円で、厚さちょうど3センチ。でも文庫で3センチって見た目普通じゃないです)。すごい、なんて分量、鼻血出そうでした。レジ打ちのためバーコードに読ませていきます。ピッ、1点900円、ピッ、1点1350円……な、なんだそれは。足りるのか、え、どうなんだ? 結局生協価格で10%引きしてくれたものの、税込み1万2千円弱でした。あー、こわかった、これだけえらいもん頼んどいて「すいません、お金足りません」はあまりにみっともないですからね。あー、汗かいちゃったよ。
というわけでプルースト「失われた時を求めて」全10巻入手です。いま読んでる「カラマーゾフの兄弟」がそろそろ終わりますし、「青い麦」「狭き門」も薄いし読みかけだからすぐでしょう。近いうちに読み始められそうです、って実はもう今日ちょっぴり読んじゃったんだけど。なんかね、これは本腰を据えないとこっちのスタミナがもたないな、という感じです。こんな言い方じゃ伝わらないだろうけど、文章が「もったり」してます。消化に時間がかかるって感じかな。ちくま文庫は割と抵抗なく入れました。活字がいいみたいです。岩波は新潮に慣れたおジョーからすると、くせがある気がするんだけど。全然まとまりないですけど、まあそんな感じの日でした。
◆帰りに昨日どうしても見つからなかったカミュの「異邦人」を古本屋にて買いました。くそう、どこへ行ったんだろ? で、それの元の値段(定価)が280円なのに、240円も取られました。ひでえ。古本屋さんがつけた鉛筆書きの値段には400(240)とありました。400ってのが謎ですけど。
手にした本はおぼえていたよりもずっと薄く、「あれ、こんなだったっけ?」と妙な違和感を感じました。表紙の絵に見おぼえはあったんですけどね。で、近くの本屋に確かめに行ったら、今の定価が400円。ははあ、あれはそういうことか。これに比べると6割でそこそこきれいな本が手に入った、と。でもいまの定価を基準に売るのか? うーむ。
◆うちのPC、何故か昨日から「もの」という語を変換しようとするとフリーズするようになりました。最初は原因が分からなくて、とにかくものを書いていると起こる、なんともストレスのたまる状況となりました。いまは理由が分かったからいいようなものの、「もの」という語を含んだ文字列というのは日本語の中に大量にあって、しかもこうして文章を書くのって、ほとんど無意識なリズムで変換のためスペースキーを押しているから、ついついNGワードを引き当ててしまいます。困った。
こうして書いてると、なんか自分でも笑けてきますが、事態は割と深刻です。今後この現象が解決しない限り、「者(しゃ)」とか「物(ぶつ)」とか自分の頭の中で読み替えてから入力、変換する必要があります。さー、どこまでこの罰ゲームにつきあってられるんでしょうか? あはは、なんの因果やねん……。
5/18(土)
◆今日は母が外出するというのでおジョーが夕食当番でした。材料があるからカレーを作るように、と言われて。カレー、一品だけでなんとかごまかせる食事、カレー、誰が作っても「これはカレーだ」と何の躊躇もなく答えてもらえる料理、カレー、さしあたりこれを選んでおけばまず文句を言わないであろう選択肢……
そう、カレーとはそういった料理であるはずなのに、今日はとんでもないまずいもん作っちゃいました。まずくて食えないっていうんじゃないんだけど、とんでもなく味が頼りないんです。原因は単なる水の入れすぎ。いや、その量が半端じゃなかった。今思えばあれは洪水だったね、あーあ。
やはり適量がどんなものなのか、一応チェックしておくのが基本ですね。はー、身に染みました。滅多なことで出された食事にけちをつけない父ですら我慢ならん味だったようで、後で味を修正しようとなんかしきりに作業してました。失敬だな、まったく! いや、とーちゃんごめんよ……
誰が作ってもほどほどのものになる代表みたいに語られるカレー。それすら満足に作れなかった自分に呆然自失。うわーん、こんなんじゃお婿に行けないよぅ。適当にやってりゃそれなりのもんが作れると勝手に思いこんでいた自分が情けない。はー、今はとにかくうまいカレー食いたいです。
◆昨日「もの」という語を変換すると、フリーズするという現象が起きるようになって困った、と書きましたが、その後、悪戦苦闘して何とかその元を絶つことに成功しました。しかし払った犠牲は大きく、これまで登録してきた自分用の単語の数々がきれいさっぱり失われてしまいました。ひどい話です。どれだけ蓄えたと思ってるのさー。
お陰でいま入力がしばしばうまくいかないケースが目につきます。あんなに使い勝手よくなるまで作り上げたのに……。修復にかかった時間も馬鹿になりませんよ。使い慣れた道具がおじゃんになるということは、副次的な面倒が多く生ずるということなのですね。便利の裏返しというやつだなあ。
5/19(日)
◆明日の輪読に備えて、みんなに配るプリント(といっても作ってみたらB5一枚にしかならなかったけど)を作成しました。ほんとはワードを使って二行分の { とかを駆使して「これは以下の二つに分類されて」とか一目でわかるものにしたかったんだけど、どうやったらそれができるのかわからず、そんな些細なことに時間をずるずる取られるのが苛立たしかったのでやめてしまいました。
結局使ったのはこの日記の作成にも使っている愛用の「YooEdit」。シンプルでいいんです、使う本人がシンプルなんだから。でもちょっぴりさびしい。過ぎたるは及ばざるがごとし、あるいは豚に真珠か。何でもかんでもできるワードだけど、操作に慣れなければ単なる使い勝手悪い道具なんだよね、と改めて思ったのでした。
内容は「ラマン」。いつか話題になりましたなあ。え、そんな映画知らない? いや、そのラマンじゃなくて、光の散乱現象に見られるやつですよ。レーリーでもブリュアンでもなくラマン。ストークスとアンチストークスで、ラマン・シフトで共鳴ラマンで誘導ラマン散乱で、ラマンレーザーなわけです。ついでにシュタルクとかサテライト線とかゼーマン。ちっとも本人わかってないんだけどプリントは出来ました。すばらしい。はっはっは、これでいいのだ(いいのか?)。
◆この前ブレンデルという人のピアノ曲のCDを買ったので、あれから部屋にいる間はほとんどずーっとかけています。音楽というのは一度や二度聞いただけですっかり好みになるものもあれば、聞いているうちにだんだん好きになってゆくものもあり、後者の方が自分にとって大事な曲となってくることが多いことを経験上つかんでいますので、この体になじませるようにといいますか、頭に練りこむような作業は結構重要なのです。
今回はしかしながらなかなか「これは」と思うものがなくて、せいぜい「何となく良いね」というのが数点ある程度。すこし残念です。CD2枚組なのに。これでは曲名をおぼえることもないなあ。そうだ、エクセルをつかって整理してみよう。実は前に勢いで自分の持っているピアノ曲関連のCDのリストを作ったことがあったんです。よし、今からそれをやろう。
◆ところで今ふと気づきましたけど、コンピュータが手軽に漢字へ変換してくれるものだからなのか、なんか誤った用法をよく見ますね。「おぼえる」という語もそう。多分優先して「覚える」と変換されるんでしょうが、これってなんか感覚としておかしくありません? だってこれは何かを感じるときの表現として「○○な感じを覚えた」というふうに使うのが元じゃないですか。だから記憶の意味では間違いではないんだけど、ちょっと違和感があります。「憶える」と書くと感じが出るけど今度はなんか重々しいんですよね。
「○○にもかかわらず」という語なんかはよく「関わらず」と書かれてあるのを目にします。その用法において正解は「拘わらず」のはず。「関わらず」だったら何かと関係を持たないことになっちゃいますね、それも文語調で。はっきりしないんだったらひらがなで書けばいいのに、と思います。それからこれはひどいと思うのが「すべからく」。これは「全て」、すなわち all の意味で使われてるのをやたらと多い。
ほんとにそれでいいのかな? とこの前辞書を引いたらそんな意味はこれっぽっちも載ってなくて、「すべからく〜べし」という形式で用いて当然の意を表す言葉のようです。こういうの知ってないといいかっこしたつもりで恥かいちゃいますから注意しないといけませんね。「覚える」は単なる感覚の問題でしたけど、こういうのは明らかな間違いですから。
5/20(月)
◆昨日は早めに床について(日曜は寝てばかりいたような気が……)、「カラマーゾフの兄弟」の残りを一挙に読んでしまいました。この小説の核となっている重要な部分といわれる「大審問官」という箇所が小説の半ばにあって、異様な、ほとんど病的とも言っていい迫力をもっていたこと、ドストエフスキーがロシア的信仰の具現者(象徴)として熱をこめて描いたゾシマ長老のエピソードも前半に置かれていたことなどから、後半、特にラスト辺りの印象が弱いものとなってしまったことを正直言って感じました。
評論家じゃないんだから良かったとか悪かったとか、もっと単純に言ったらどうだ、と言われるかもしれません。それは確かにその通りで、おジョーとしても何か簡単に一言二言で言いたいところですが、この作家に対する思い入れとかけてきた時間などから完全に離れてこの作品だけを純粋に評価することが不可能であることを感じているので、どうにもそうあっさりと述べることは出来ないのです。
さらに作品の冒頭で語り手が、「この物語は2つの部分からなる、1つは13年前に起こったこと、そしてそれをふまえた上で我らが愛すべき主人公アリョーシャの現在について物語っていきたいと思う。これが第2の部分、すなわち物語の核心なのだ」と言っているのです。「だから大事な後半部のために、前半部は省いてもいいのだが、物語を理解する上でそうもいくまい」といって、この物語は幕を開けるのです。
その意味でこの物語は前半部(いま読まれている「カラマーゾフの兄弟」)が書かれたあと作者が亡くなってしまったため、未完の作品と言われています。実際にそういう構想で書かれたようですし。それ故、ついに書かれることのなかった後編へつなぐため、ある種さばさばした終わり方であるように感じられたのです。
これを読んだ人がどんな感想を持つか、これほど多様な読み方がある小説を知りません。誰を支持し主人公として読むかによっても印象がまるで変わってきますし、物語の主題を探るのも楽しい。サイドストーリーの完成度の高さと豊富さ、それが全体として見たときになくてはならない要素になっている点、宗教的思索、その他数え上げればきりがないほどに作家の手腕は冴えわたり、まさしく集大成と呼ぶにふさわしい内容となっています。
これをもってドストエフスキーの5大長編と言われる小説群は全て読破したことになるのですが、最後にまわして本当に良かった、それだけの甲斐がありました。この作家について特有の癖なども含めて経験を十分積んだことが読書に活きました。すっかり汲み取れたという程に浅くはない作品ですが、それでもある程度いろんなことが読みとれたと思います。
実を言うと、これでこの偉大な作家へのとりくみに一つの区切りがついたわけで、ちょっぴりさびしいような気分になっています。これからまた他の作家を当たる予定がありますし。でも彼を知ったことは本当に多くの良い経験をもたらしてくれました。単なる小説家というだけにとどまらず、もっと広い世界への良き水先案内人であったし、これからもいっそう尊敬と感謝の念をもって接していくであろう存在です。
HPに載せる日記にしては、ずいぶん熱のこもった告白になってしまいました。ここまで読まれた方は退屈されていることでしょう。が、しかしこれでもまだまだ言い足りないくらい。彼とその世界に巡り会う幸運を与えてくれた何者かに感謝ですね。自分にとって特別な作家がいるということの幸せをいま改めて感じている次第です。
5/21(火)
◆昨日は日記を書いている間に接続不能になっちゃいまして、アップできませんでした。一応それも載せましたので、お時間あればご覧下さい。それから借りている掲示板の方が、これまたサーバー側のアクシデントで使えなくなっています。ご了承下さい。
◆今日はいいお天気でした。で、陽気につられ、午前中の授業を終えたおジョーはどこかへ出かけたくなってしまったのでした。さてどこに行こうか? でも何も考えていません。かねて一度山登り──すぐ近くの吉田山──に行こうとは思っていたのだが……そいつはちょいとしょぼい。せっかく気持ちいい五月晴れなんだから。
ならばどこか一度も行ったことのないところにしよう。京都も長いけどどこといって特に足を運んだことはないのだから。というわけで、とりあえず学校を出て東へ。そうだ、哲学の道にしよう、と思いついたのでした。すごく簡単な思いつき。でもそんな近場でさえまともに行ったことはなかったのです。
やー、ほんといい所でした。今ごろ歩くのにはもってこいの散歩道ですね。って自転車でそのまま南下したんだけど……。いいなあ、緑豊かで木陰がひんやり気持ちよくて、川の流れがあって、五感に快かったです。こんな所に住んでいる人がうらやましい。こういうところに住むにはどうしたらいいんだ、フム? なんて考えてしまいましたよ。
観光地らしく土産物屋さんもあって、京都らしい和風の粋なものを置いていたようでした。銀閣〜南禅寺を結ぶ道ですからね。しばらくするとあっという間に南禅寺。せっかくだから覗いてきました。拝観料なし、ふとっぱらです。国宝の展示など一部は有料でしたけどね。
庭がとても立派でした。水と緑がつくり出す庭のなんと美しいことよ。手を加える度合がそれほどでもないところから見て、いわゆる典型的な日本庭園というのとはちょっと違うけど、あるがままの自然の豊かさをそのまま見せる感じがすごく気に入りました。流れる水の音が耳に心地よかった。あの音まで計算して庭は作られたんだろうか? だとしたらすごいことです。入り口の三門(山門ではないらしい)も大きく立派で、上に登っている人たちもいました(有料)。
その後中を南側にさらに奥へ進んでみれば、山道に通じていて、久しぶりに山の木々に囲まれてきました。森は優しい緑の匂いがして、「ああー、山の香りだー」と胸一杯に何度も深呼吸しました。なんかすごく嬉しかった、とても豊かなところです。こんな所に住めるんだったらお坊さんもいいな。というかお坊さんがすごく羨ましかった。うん、今日はじっくり緑に触れられて大変気分よろしゅうございました。
5/22(水)
◆少しばかり前からある疑いが頭をもたげ、容易に答は出せず、さりとて考えまいとすることもしたくない、という困った状況に陥っておりました。で、迷惑とは思いつつある方に相談することにしたら、その後間もなく回答を頂き、前進したわけではないのだけど、すごくためになったのでした。
こうして相談する時って、相手をよく考えてその人の「いい人度」を頼りに、いわば甘えた気持ちでとりすがる自分というのも同時に感じたりするわけで、そこにつけ入ろうとする卑怯な計算が白日にさらされるように見え、うんざりするんですけどそれはまあいいです。卑劣で結構、自分を高潔な人間だなんてこれっぽっちも思っちゃいないんですから仕方ない、それでいいんです。
それはさておき、一人で考えてもらちあかないな、ということが今更のようによく分かりました。もちろん状況によりますけどね。かなりデリケートで難しい問題なのですよ。解けない問題ってのはたくさんありますね、ほんと。そしてそういう時に助けを求められる人がいたというのは本当に幸運でした。
そんな訳で何言ってるんだか訳わからないでしょうが、ともかく気が楽になったのは確か。気が楽になったということはすなわち、もう一度立ち向かう気力が湧いてきたということです。ま、もう少し考えてみようと思います。Iさん、本当にありがとうございました。
◆今日学校のすぐそばで、以前お世話になったF先生にばったり出会いました。おー、これは何の偶然だ? まえまえから会って話をしたかったT先生と彼を通じてアクセスすることができるかもしれません。こう書くとF先生には失礼かもしれないけど、それはそれ、うわー、楽しみだぁ。こういう事もあるんですねえ。
5/23(木)
◆おジョーは現在大学で理科系を専攻しております……一応。理系といっても色々だけど、うーん、みなさんはどんなイメージがあるんでしょう? 「理系=」何ですか? 数学、それとも物理でしょうか? それとも生物や医学かな? あるいはもっと別で「理数が得意」とか「理屈っぽい」なんてイメージをもたれてらっしゃるかもしれませんね。自分が理系だとそういうのはわからない。自分が日本人だと「日本人ってのはこうだ」とはズバリ言えないのときっと同じですね。
知らない間に身についた自分なりの常識というものがありまして、それはこうして文章を書いていても出てくるものです。常識というものは生きていく上での経験をいかして、以後の物事に対処する際余計なエネルギーを使わなくて済むよう自然と構築されていくものだと思います。だから理系なおジョーにはそっち方面から得た常識やそれに沿った思考というのが、知らず知らずのうちに身についている、そう感じるときがあります。
常識があるお陰で、おかしな事や無駄なことがやる前から分かるから、それはもちろん大いに役立つのですが、その反面、自分の思考なり行動を制限することもあるんです。何て言うんでしょ、自由勝手な振る舞いを予めセーブしてしまうというか、嘘がつけないというか、夢がないというか。大抵みんな大人になるにつれて経験を積むから常識ができる。だから大人は夢がない、なんて言われちゃう訳で、それはまあ何と言いますか、無理もない話なんだよね、と思うわけです。
さてそれで、人の文章を読んでると「おや、これは」とつい引っかかってしまう言葉が時々見られます。一般化されているのだからそこにこだわる自分こそ余計な知識にとらわれ過ぎてるな、とも思うんですけど、なんともそれが腑に落ちない。自分には到底考えられないような言葉づかいがあるんです。
今日取り上げるのは2つ、ひとつは「エントロピー」です。そもそもは系(システム)の乱雑さを評価するための量なのですが、これが一人歩きして内容も知らない人に随分もてはやされている様子。いったいこの現象は何なのだ? と首をかしげずにはいられません。「時間の経過(時間軸)に沿って系の乱雑さが増大する」、いわゆる「エントロピー増大の法則」という言葉は特に使うと気持ちがいいらしい。うーむ……。
もうひとつは「ベクトル」。何かの向きを表す言葉として理解されているようですが、一般にベクトルというのは複数の量をひとまとめにしただけのもので、必ずしも向きは意味をなさなかったりするんですけどね。というかベクトルに向きがあるってのは、場合によっては理解を妨げる思いこみだったりとか……。(高校教育の弊害か?)
「知らない奴ほどちょいと聞きかじった言葉をありがたがり喜んで使う、けしからん!」なんて前は一人憤慨してたんですけど、それも飽きました。だいたい人を非難したりけなしたりするのもつまらん所業ですからね。まあ使いたきゃ好きにすればいい。でもそうすることで理解のほどをうっかり見せかねませんよ、とだけは相変わらず言っておきたい。ま、それでも十分「何様?」というくらい偉そうなもの言いなんですが。
こんな言葉に反応すること自体「どっぷり理系」な証なのかもしれません。いいような悪いような……。いや、それよりこんな些末事に目くじらを立てる度量の小ささが問題か。人は人、それでええじゃないか、と悟りの境地に達するにはまだまだ修行が足りないようです。
◆コレット著「青い麦」読み終わりました。むー、これはまったくおジョーには合いませんでしたね。もったいつけた情景描写に終始して、人の心の動きや苦しみ、喜びなど肝心の部分にほとんど踏み込んだところが見られませんでしたから。やっぱり自分は人間への深い洞察への記述に興味があるみたいです。
◆明日はハイキング。うー、この歳になってよもや叡山を登ることになろうとは……。筋肉痛必至、ひゃー! でも山には一度行ってみたいと思っていましたからちょうどいい機会かも。ま、行くからには楽しんできます。鍛えよ肉体! 燃やせ脂肪(コスモ)!
5/24(金)
◆山から帰ってきました。あー、しんど。一口に自然と言いましても海や無人の島、広大な大地などその形態は様々ですが、日本の山、緑おいしげる中こそ自分にとっての「自然」のイメージに最も近いということを今日改めて感じました。
一応比叡山の一番上まで行ったのですが、なんかやけにあっさり着いて、少々拍子抜け。でも、下りは実にハードでした。とにかく石がごろごろあるんですよ、歩きにくいったらありゃしない。あまりよく知らないけど、ふつうの登山道ってこんな風じゃないと思います。もっとクッションのきいた足にやさしいもののような気が……。
途中で延暦寺の一部にも寄りました。広大な敷地をほこるこの最も古いお寺を巡るなら、それだけで一日ゆうにかかりますからね。えらく大した寺でしたよ。ここから僧兵がくり出されたのか、ふむ、とそんなしょーもないことしか浮かんできませんでした。歴史も文化も知らないからなあ。
後は黙々とただ下りるのみ。みんな悪路にくたびれちゃって、ろくに口もききません。京都から反対側へ抜けて、坂本というところで電車に乗り、帰ってきました。なんかこうして書くと随分つまらなそうかもしれませんけど、全く正反対でして、実に有意義な体験でした。が、しかし今は……。ち、ちかれた。もう寝ます。
◆あ、明日はB君のところへ行って来ます。泊まりがけになるでしょう。彼はいま、滋賀の片田舎に住んでいるのです。よって更新はありません。ひょっとすると明後日日曜日もそうかも。ご了承下さい。
5/26(日)
◆ついこの間の木曜の日記に、「言っても仕方ない → なら言うな」という図式でいつもなら片づけて表に出さないことを、おジョーが幼稚なもんだからつい書いてしまいました。それはそれで気が済むって作用もありまして。この「言っても仕方ない」ってのは結構あって、ほんとにプラスマイナス0のことだったらいいんだけど、それを聞いた人にマイナスにしかならない事ってのがあるんですよね、主にそれを指します。
具体的には「私は○○がどうしても嫌い!」とか訴えるのがそれ。「キノコなんか大嫌い。キノコなんてカビと同じやで、ペッペッ!」とかわめいても、そんなの聞いた人はなんとリアクションしたらいいんでしょ、ねぇ? だからそんなことは思っても言わない。もっとひどいのになると「誰々は最低、な?」なんて人を対象に、さも当然のように同意を求められる場合さえある。そういうのって、単に有害です。いい事なんてひとつもない。この辺わきまえてるつもりでわきまえてなかった。甘ちゃんですね、反省してます。
で、この日記がきっかけとなり、ある方とたっぷり議論しました。議論……だったのかなあ、やってる当人には今思うとよく分かりませんが、とにかく熱心に長いメールをやりとりしました。こういうのはお互いに色々都合(気力・体力・時間等)がよくないとあまり発展しないものなので(そういう意味でお互いしつこいかもしれない)それは思いがけず訪れた珍しくも楽しいものでした。
その時どんなことを話したのか、少し触れるにも先方様への気遣いが必要ですので取り上げませんが、まあ文面だけで意見を交わすのは難しいですね。だから重要なことを決めるにはわざわざみんながひとつの所に集まって顔をつきあわす必要があるわけだ、などとも考えましたよ。文章だけだと言葉の行き違いは増幅していきやすいみたいです。他にもたくさんのことが分かりました。分かったと思うのは勝手で、実は思いこみなのかもしれないんだけど。
あと、書かない方がいいかもしれない事を自戒の意味もこめて書きます。メール上での議論だと、相手にもよりますが、場のコントロールが容易に可能となりますね(対面していても可能ではあるけれど、それよりはるかに容易だと思う)。簡単なのは相手の言ったことをないがしろにしてしまうこと。他にもやりようはいくらでもあり、今書いてて気がつきゾッとしてます。ある程度常識ある相手と分かってないとこの辺は怖いところです。
それはともかくとして、おおむね実のある内容だったように思います。途中で愛想尽かされないかと毎回ひやひやものでしたが、幸い何とかおジョーの莫迦さ加減を先方様の忍耐が上回ってくれたようです。助かりました。「かしこい人とは少し話しても面白い」という気分です。やりとりの最中何度も書いたのでその相手様にはまたか、という感じでしょうが、ひどく気に入ったフレーズなので。うん、実にそんな感じです。
5/27(月)
◆ジッド著「狭き門」読み終わりました。作家の個性は色とりどり、でもなんだかんだいって、結構お国柄ってでるもののように思うんです。だからあまりよく知らないもんだからフランス文学というとどうも男と女が楽しく遊んで、熱烈に恋して、太陽がまぶしくて、まあ何だか陽気で歓楽的、ラテンやのー、ってなイメージがあるんですけど、これはそういうのとは正反対でした。超ストイック。
作者がそもそも厳格なカトリックの家に生まれたんだそうです。んまー、なーんてんでしょう。で、作品そのものはどうだったのかというと、「あまりよくわからない」というのが本音。「男女の愛と信仰とは共存できない」というヒロインの強い思いこみが作品の核をなしていて、今の宗教離れした日本人の感覚ではどうもピンと来なかったのです。
まあでも見所はそれなりにあって(というかそれなりに見つけられてと言った方が正しいか)、全体として美しく、よい作品だったように思います。この作家はもう1冊くらい読んでみようかと思うくらい。さて、ようやく鼻血出そうな分量のアレにとりかかれます。とっても楽しみ、グフフ。
◆そういえば昨日はB君の所から帰ってきたのでした。田舎に住んでました。滋賀県は八日市市……って言って誰かわかるんだろうか? でも、最近開発されたような雰囲気の町で、建物はどれもずいぶん新しい様子。こざっぱりした印象を受けました。静かだったー。うらやましいぜよ。人が少ないといいなあ。おいらも田舎に住みたいよ。
5/28(火)
◆今日は寝坊したため、少し遅く出ました。で、四条河原町に着いて駅を出たら、修学旅行中の男子生徒5人衆に呼び止められ、本能寺への道を聞かれました。よかった、聞かれたのが辛うじて行ったことのある所で。自分としては丁寧に教えたつもりだったけど、相手が中学生だったこともあって、すこし心配。あとをつけそうになりました。
それだったら最後まで付き添ってやれよ。とは思いましたが、差し出がましいまねをしてもなあと(恐縮してるっぽかったし)、彼らを見送りつつ抜いた朝飯を取り戻しに牛丼屋に入ったのでした。まるっきりの地元民ってのとは違うけど、こういうのがあると、彼らには京都を好きになって帰ってもらいたいもんだ、と思いますね。それにしてもしっかりした中学生だった。寝坊してる場合じゃないよ、自分。
◆んで、すっかり1限には間に合わなくなったのも手伝って、鴨川を北上中、河原のベンチに陣取って本を読んでしまいました。あ、その後の授業には出ましたよ、一応。しかし陽光ももう夏を思わせるくらいになりました。6月末が夏至ということを考えれば折り返すと7月末、夏真っ盛りと同じ日差しのはず。そりゃ強いわけですよ。帰ったら母に「あんたよう焼けてんな」と言われました。汗汗。
◆帰りにはふと思いついてまた献血に。今度は最寄り駅の隣の駅にある献血ルームです。やることは一緒なんだけど、どこも少しずつ様子が違う。京橋のが一番よかったなあ。まあいいけど。ここではくまのぷーさんのシールをもらいました。くれるものも場所によってまちまちです。いったい今日は何がメインで家を出たのやら? うーむ、まあいいか。
5/29(水)
◆今日は調子が悪い。微熱があるのかな、と思ったけど計ってみたらそうでもなくて、はてこれは一体? という感じです。スカッとせんなあ。この日記にしても書いては消し、でなかなか進みません。何でも適当に書いたらええのに。ぼーっとしてます。
多分何かが足りないんでしょう。栄養面で。そういえばメガビタミン主義(?)だか何かそういうのがありました。ビタミンをこれでもかというくらい摂取すると、病気なんてへっちゃらなんだとかそういう説だったように思います。ビタミンといっても油溶性のはあまり摂りすぎると肝臓を悪くするらしいからほどほどにしないといけないんだけど、水溶性のは余分は尿で出されるから問題ない、とまあそんな具合。で、ガシガシ摂る、と。やってみるか?
◆文庫もあんまり厚いと読むのが大変です。今読んでるのが約750ページあって、75ページまで進んだからやっと1割。それはいいんだけど、かさばるし重すぎます。カバンもいびつになっちゃうし。片手で読みすすめられないよ。調子狂うなあ。
それはいいとして、短編と長編じゃ何もかも違いますね。短編が2行で済ましちゃいそうな所を長編だといくらでもページ割いちゃう。1ページ2ページの引き延ばしなどざらです。いや、たまたまそういうくせのある文体を読んでいるからこう感じるだけか。まだ全体(10巻)からすると1%ほどですけど、なんか不思議な感じのする文章です。夢とうつつの間にいるような気分にさせてくれる。ぼんやりあたたかく、あまりものが考えられない、そんな感じ。いろいろ読んでみるもんですね。
5/30(木)
◆昨日から調子悪かったんですが、今日はより進行してました。これがピークであってもらいたい。目がむずがゆく、鼻は涙がストレートに垂れてくる感じ。鼻通り悪くて頭ぼんやり。なんてこったい。帰りに鼻炎用の薬を買って飲んだのですが、まだ効果が現れません。つかまされたか?
それでも更新してるところが笑けます。ちくしょう、意地でも休まないからな……って誰に言ってるんでしょうね。咳も熱も出ないから風邪じゃあないと思うんだけど。うっ、今もそうですけどハナが出そうと感じたときには既に遅し、紙を用意しようとした瞬間もう垂れてます。水やな、これ。薬局の人には「突然花粉症になることもありますよ」とか言われるし。おいらから健康をとったら何がのこるっていうんでしょうね、ほんと。
◆あ、そうだ、今日はそれでも頑張って(というか意地になって)授業出たんですけど、5限に下敷きもらいました。学校で下敷きもらうなんて小学生以来やな。まさかこの歳になってもらえるとは。さすがに交差点では気をつけましょう、というような内容ではなかったですが。面白いな、こんなこともあるんですねえ。せっかくだから大事にしよう。
◆そういえば明日はワールドカップ開催の日なんですって? ちっとも知りませんでした。盛り上がってますか? 関心ないとわからないなあ。学校でもそんな話題してる人いなかったし。どうなってるんでしょう、これは標準ですか? 個人的にも日々のスポーツで興味あるのはイチローの事だけだし。いい機会ではあるだけに、すこしもったいないような気もします。
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