過去痴夢 02'06トップ 日記リスト 掲示板 私と過去 リンク
6/2(日)
◆あらら、今日はもう6月の2日ですか、時のたつのは本当に早い。いやー、最近1週間の過ぎるのがアッという間で、それってつまり1ヶ月もすぐって事で、あわわわ、ということは1年なんてアッちゅー間なんやろか? となんだか恐ろしくなってきます。でも感覚的に1日は結構長くて、この辺どうなってるんだ? と不思議な気もします。記憶との関連でしょうか。
こういう妙な状況になると、どうすれば最も時間を有意義に、別の言い方をすれば充実した生活を送れるのだろう、といつも考えてしまいますね。それが分かれば誰も苦労せんよ、とすぐさま心の一方でつっこむ自分もいたりするんですが。時間がない時間がない、といってるくせに気がついたら5分10分と何もせずボーっとしてたりするんだから始末が悪い。脳の活性が落ちてるとしか思えません。
◆ワールドカップが始まりましたね。自分の周辺でも外人さんがやたら目についたり、どこかで狂ったファンが暴動を起こしてニュースになったり、など日常生活へもろに影響が出るんだろうか、ちょっとやだなあ、とか思ってたんですけど全然そんなことはないですね。考えてみると当たり前なんですけど。
それどころか日頃興味ないくせに見だすとサッカーってずいぶん面白いではないか、とかえって恩恵に浴してる気さえします。スポーツニュースで見てたJリーグの映像より格段に素晴らしく見えるのはどうしてか、うーむ? とか、こりゃなるほどおもろいわい、世界的祭典となるのもうなずける、とか思ったりしたのでした。
昨日まで野球少年だったのがいきなりサッカー少年に早変わりとかあるんだろうなあ、なんてああいうのを見ると思います。中学生くらいまでならまだまだ転向きくだろうし。これを機に日本サッカーもさらなる底上げがなされるかもしれません。10年後くらいには世界に伍するチームが誕生してるかも。スポーツする上で夢があるのは素晴らしい。いいねえ、頑張れサッカー少年。
6/3(月)
◆書くネタがなくて困る日々なのですが、そういえばデスクトップ上にネタ帳ならぬメモファイル(その名も「メモ」)があることを発見いたしました。見てみたら自分では処理しきれないようなテーマも含み10ほどあって、いつか考えてみるか、ととりあえず書き残していたみたいです。いい心がけだ(自分で言うな)。
その中から一つ。この日記にしてもそうですけど、現代はもっぱらPCで日本語を書くご時世です。そうなるとATOKなど日本語を処理するソフトに漢字変換を一任してしまうわけで、否応なしに決まった型にはめられていることに気付きます。日本語の標準化が知らない内に進められている、とは言い過ぎかもしれないんだけど。
というのも送り仮名が違うんですよ、本を読んでいるとね。「○○のかわりに▲▲を」と入力、変換してみる。すると「代わり」は出てきても「代り」とは出てこない。「きこえる」も「聞こえる」とは出せても「聞える」とは出せないし、「気持ち」は出ても「気持」にはならないと思います。
そうした本は、おジョーが手にし読むものですから、古いといっても書かれたのはせいぜい戦後。それを思うと日本語も結構変わってるんですね。こういうのにも標準規格みたいなのを作る動きがあって、それに沿った形が現在使用されているのかもしれません。でも個人的にはちょっと昔までの、人が手で書き、植字していた時代の書き方も捨てがたい。いつだってそう、消えゆくものへの哀惜の情なんだろうけど。
こういうちょっとしたものに「味」を感じる自分が嬉しかったりもします。日本語歴長いものなあ(というかそれだけ)。愛すべき言葉ですよ。古文や漢文となるとちんぷんかんぷんで、もっぱら近現代の日本語しか解さないおジョーなんだけど。結構違うものですよ、こんな感じ。
「あのときとは気持が変ってしまったんですの」彼女はやっと聞える声でそう言った。
「あのときとは気持ちが変わってしまったんですの」彼女はやっと聞こえる声でそう言った。
ね? だめかな……。
6/4(火)
◆今日は宇治で野球大会でした。めっちゃいいお天気で、長袖シャツを着るなど防御には気を配ったんですけど、それでも顔や手はたいそう焼けました。顔を動かすとそれがよーくわかります。帰りの電車なんて、一杯飲んだみたいになっていたんですよー。まだ早い時間だっただけに恥ずかしかったなあ。
試合自体は同点で終わりまして、じゃんけんで敗れました。あっさりしたもんです。結局その時勝った相手チームが優勝したと先ほどメールで報告がありました。運動と交流をかねた会ですから普通でないルールもあって、結構面白かったです。女の子が守備と打席を両方1回以上つとめると1点もらえる、とか。
だから応援してるだけと思われてた女の子も、試合が競ってくるとすごい秘密兵器になるんです。その上背が低いとストライクゾーンも狭いからフォアボールで出塁もあったりして、なかなか侮れません。まあ色々面白かったですね。ボールに触ったのもほんと久しぶりでした。
◆今度はサッカーの話題。日本やりますね、勝ち点ゲットです。っていうか惜しくも勝ちを逃した感じさえしますよ。日本の2点目は「日本の選手は見せてくれないのに、外国のサッカーの映像ではしばしば目にするお決まりのゴールシーン」と常々おジョーが不満に感じていたそのものでして、大変胸のすく思いでした。いい選手ですね、稲本っていう人は。
そして一足先に韓国がワールドカップで勝利を収めましたね。これも素晴らしい。なんか韓国の選手にとんでもなく甘い顔の選手いませんでした? えらく格好良かったんだけど。韓国の選手は日本と違ってほとんどの人が黒い髪のままでしたね。それが実に気持ちよかった。日本の選手はそういうの感じないのかな? まあいいや、とにかくワールドカップ面白いです。
6/6(木)
◆昨日は久しぶりに学校休みました。どーにも鼻の調子が悪く、のど、胸が痛かったものですから。風邪なんでしょうが、熱はほとんどなく、ただただしんどい感じでした。疲れがたまっていたものと思われます。前日の野球大会が決定打か……。
結局どれだけ寝たんでしょう、日がな一日寝てました。20時間近くになったかもしれませんね。お陰で何とか一日で回復しました。あー、よかった。それでも調子は悪くって、鼻は相変わらずだし頭がボーっとしてすこし変でした。クラクラして、午後からは頭痛がひどかったし。
あ、でも昨日は借りてた映画見ましたよ、そういえば。「ハスラー2」、ポール・ニューマンです。トム・クルーズも出てたけど、まだ坊やでした。やー、しかしポール格好良かったですわ。年季の入った男の渋みってんでしょうか、映画自体は「ハスラー」の方が断然良かったけど、これはこれで楽しめました。時間が経っても生き残ってるのはそれなりの理由があるって事ですね。男の色気ってやつだな、うん。
◆もう夏みたいな雰囲気してますね。梅雨はうっとうしくて嫌だけど、暑いのも勘弁願いたいところです。つまり……曇りがいいなあ。いたずらに体力を奪うのはやめてほしい。頭がクラクラするんですけどこれは何ですか? 風邪? ああそうでした、もう寝ます。
6/7(金)
◆今日は飲み会でした。学校近くの焼き肉屋にて。焼き肉食べ放題ってのを初めて体験することに。制限時間は90分、あってもなくても同じようなもんでした。しかし焼き肉ってのはどうも好きになれません。どうしてもこげが出てくるでしょ、あれが嫌なんだと思う。それにうまく焼けないものなあ。あぶらの味がそれほど好きでないせいかもしれない。
で、飲んですばらしくくだらないことを色々しゃべってたんですけど、「プロレスは"キング・オブ・スポーツ"だ!」と熱烈に語る人がいて、それは楽しかったです。そうなん? そんなん初めて聞いたで……。猪木がああだとか全日がどうだとか、こんな事を熱く語る人間が本当に存在するとは! といった感じ。話には聞いていたんだけど、まさか身近にいたとはね。灯台もと暗しです。
◆「(うすうす感じてはいたけれど)はっきりと知りたくはなかった」という事がありますね。知りたくないことというのは場合によりいくらでも挙げることはできるだろうけど、「自分が変わってしまったこと」「あの頃とは違う」と明確に自覚してしまうことも驚きをともなった苦痛をもたらす時があると思います。
前(の自分)を内包したままひとまわり大きな自分に、なんて中々そううまくはいかないもの、多かれ少なかれ時間と共に何かを捨て、何かを得ている、その方が断然多いんじゃないでしょうか。気がついたらもう捨てていた事が悲しいのだと思う。あんなに愛着があったはずなのに。捨てるなんて考えもしなかった、それがいつしか無意識に、反射的に、さも当然のように捨てていた。そんな神経をもってしまっていたことが悲しい。
変化は何か理由、それもごく自然な必然的なものがあって起こるものです。でもそれは適応という意味では優れていても、「良く」なったと単純に言い切るのは難しいんじゃないだろうか、そう思います。感情は逆に「悪く」なったよ、と訴えるかもしれません。痛みが胸に迫るとき、それでも自分とその変化を肯定できる人間は強いのだろうか、それとも? うん、よくわからん、まあ酔っぱらいのたわごとです。
6/9(日)
◆昨日は更新休みました。えーっと、毎日更新を謳っていたんですが、土曜日は「完全に何もしない日」にしたいので休みます。いやほんと、全く制約なしにぐうたらしたいんです。お陰で昨日は実にいい休日でした。こういうのがないと疲れます。考えてみると理想的な休みの日の使い方ってのも人によってまちまち。休日には欠かさず山に登るという人もいるし、こまごました事をたくさんやることで一週間を整えるのがいいという人もいます。
「今日は全く何もせんぞ!」と自分の中で宣言することでものすごく気が楽になって、それがおジョーにとってはよかったみたいです。こころのもちようってやつですね。日曜? 日曜はもちろんそれなりに働きますよ。やらなきゃならない事も多いし。「明日はちゃんとやるから今日はぐうたらするのだ!」と理由づけできるのも、きっと心理的負担をぐっと小さくしてくれていていいんだと思います。
◆今日の新聞に西田幾多郎の書斎が保存されることになった、という記事がありました。彼の出身地石川県宇ノ気町にあって、取り壊しが予定されていた書斎なんですが、それを惜しむ研究者や遺族の方の声が届いて、現地の行政が保存することを決定したのだとか。いいなあ、こういうの。小さなとりあつかいだったけど、素敵な話だと思います。
文化を愛する人がいて、その値打ちを正当に評価し、大切にしようと心から思う、それはとても素晴らしいことです。でもそれを維持していくためには、どうしてもお金の問題は避けて通れない。今回の件に限らず、こういう話を聞くといつもこの問題に行き当たります。
「それは素晴らしい遺産なんだ、だから保存を!」声高にこう叫んでも、それがそのまますんなり認められることはかなり少ない。何らかの形でペイされなくなったが故に、消えてしまったものの何と多いことか。美しいことはいくらでも言える、でもそれには最低限の線引きが暗黙の内に了解されていて、その線を越えられなかったら何もいう権利はないということが実は多いのです。
幸い今回の件は行政がスポンサーにつきました。当分それでやっていけるでしょう。うまくいってる内はきれいなところで話に片がつくから誰も嫌な顔はしない。でも、もし難題が生じて維持が続けられなくなった時、どうなるのか。「ぜひ保存を!」と訴えても「そう言うあんたはいくら出すんや?」最後にはこうなります。
身銭を切ってまで誰が頑張るというのでしょう? 美しい話ばかりではありません。日本はそういう「最低ライン」を割ったところでの話を身近に感じず、「きれい」な部分だけで生きていかれるというかなり稀な異質な国だと思います。とても豊かな国だから。「きれい」でない所から我々を遠ざけてくれている、これが豊かさの一番ありがたい、本質的な面なのではないか、近頃やけにそう感じます。
景気の悪化がこの幻想から我々を解き放つような気がしています。そう遠くない将来、覚醒の時ですね。「きれい」でないものは視界から遠ざけられていた。それを知らない人たちがメッキが剥げるのを目にしたとき、目をそむけることなくにらみつけることが出来るでしょうか? 美しいことばかり言ってた人がどうするのか、見物だよな、と皮肉な笑いがこみ上げてきます。きっとそういうのから我先に獣の本性をあらわすんでしょうよ。
いや、そんなことはどうでもいいや。せいぜい「きれい」な状態で推移するよう祈っておくことにしましょう。何の話してるんでしょうね、はっは。話が途中からずれちゃったけど、「きれい」でない所があることもわきまえた上で先の話に戻ると、あの話の美しさがより際立つんじゃないかな、なんて思います。ほんと、いい話ですよ。
6/10(月)
◆今日の帰り、神戸線でどえりゃあ「ええ女」が座っているのを見ました。人によって考え方は違うだろうけど、「ええ女」ってのはおジョーにとって、「かわいい」とか「きれい」とか「品がある」「頭がいい」「スタイルがいい」などなど数ある女性への、ある種部分的なほめ言葉の域を超え、あらゆる面で申し分ないというような、もっと総合的に優れた存在であることを言い表すための言葉なのです。女性に対する最高のほめ言葉のうちのひとつです、少なくともおジョーの中で。
彼女は隣の男の人と談笑してました。これがまた結構な「ええ男」(←上と同じく男への最上級のほめ言葉のひとつ)で、まあいいおつき合いをしているのは間違いないんでしょうなあ、ってな感じでした。残念残念(そうか?)。
何と言いますか、世の中うまいこと出来てますねぇ。あれを見て実にしみじみそう思いましたよ。大体そうギャップのある者同士がくっつく訳ないんですよね。駅を出て暗くなった道を一人歩きながらそれに思い当たり、「なるほど!」と手を打ち笑いだしてしまったのでした。
端から見ると首をかしげたくなるようなカップルも決して珍しくはないんですけど、実際当人たちにとってみれば至極当然の成りゆきみたいなものがあって、それぞれにしか分からないある大事な本質の部分できっと相通ずるものを感じているのですよ、きっと。これって考えてみるとなんかすーごく当たり前のことなんですけど、これまであまり深く考えもしなかったせいもあって、今更ですがスルリと知恵の輪がはずせた時のようなあっけない、それでいて晴ればれとした気分です。なーんだ、そういう事だったのね。
そこから更に話を押し進めてみれば長く続くというのはどういうことか、あるいは逆にうまく続かないのは何故か、なんてことにもまたこれまでとは違った光のあて方があることに気がついて、「はっはーん、こりゃおもろいわい」なんて、すこぶる上機嫌で家路についたのでした。それは話すと長くなりそうで、加えて図形的な直感イメージのような部分があるのでここで言葉にするには骨が折れそうなのでやりませんが、なるほどある意味理解が深まったような気はしています。うん、これは意外に大きな発見だぞ。新たなものの見方を見出すのはある種快感がありますね。
6/11(火)
◆カンディンスキー展行って来ました。学校さぼって開館と同時くらいにね、へっへ。でも全然人いませんでした。こっちに来る前東京での公開を終えていたんですけど、向こうでは初日すごい人だかりで、ニュースとして取り上げられるくらいだったんですけどねえ。なんでだ? すっごく不思議。お陰で十分堪能できたから嬉しい誤算だったんですが。
詳しくはここ。リンク先にも今回の目玉のひとつですから当然写真が掲載されていますが、コンポジションVIはとんでもない作品でした。途方もない試みです。え、分からない? サイズを見て下さい、2×3メートルですよ!
今までに味わったことのない感動がありました。類似するような感覚すらおぼえがありません。「これを人間が描いたとでも?」とでも言いましょうか、信じられない圧倒的な力でした。空前にして絶後、というかもうお手上げ、ちらとも表現できませんよ。あの強烈なインパクトをどうやって説明できるでしょう。人間ってすごい!
カンディンスキーには円と直線でかたどられた図形群で構成された作品もたくさんあって、実はそっち系統で彼に惹かれていたんですけど、そういうのはありませんでした。その系統は後期の一連の作品だったのかな? よく分からないけど、今回の展示にはそういうのはなくて、形が消えて、色彩にこだわった新しい世界を生みだし、確立させた時期だったような感じ、曲線が主でした。でもいい作品たくさん来てましたよ。
さっきのリンク先を見ていただければ分かりますが、京都の次は福岡、それで日本でのスケジュールは終わりみたいです。コンポジションVIを見ることが、それもコンポジションVIIと並んで眺める事ができるのは、まず間違いなくこの先2度とありません。どうか、だまされたと思って行ける方は多少無理してでも行って、見て下さい。お願いです、こんなお願い筋違いは重々承知ですけどこれを見ずに放っておくなんてもったいなすぎる! 中学生まで無料です、ちくしょう羨ましいぞ、この! もう興奮しまくってますのでこの辺で。必見です、見ましょう! アッ、京都は二条通をずっと東、岡崎公園内平安神宮の鳥居そば、京都国立近代美術館です、是非!
6/12(水)
◆今日、ひょんな事から誕生日と星占いなんかに使う星座の関係を知りたくて検索してみました。すると面白いコメントがついてくるHPがありました。おジョーは乙女座、それのコメントです。
「乙女座生まれ原動力は『闘争本能』です。乙女座生まれは自分に向けられる非難や攻撃に敏感です。そうしたことに過剰なほどの防御反応を示し、自分をかばうために他人を痛列に批判し、こきおろす人も少なくありません。しかし、こうした闘争心が義務の観念と結びつけば、与えられた課題や使命を熱心かつ完璧に遂行する、有能な実務家が生まれることになるのです。」
ですってさ。あんまり当たってるんでやんなっちゃいました。まるであらくれ者みたいじゃありませんか。ひでえ。終始ギラギラした目つきで辺りを見まわし「敵だ、敵が欲しいんだよぅ」とかアブナイつぶやきしてそうです。おー、のー。おかしい、そんなはずは……。乙女座っていつか見た妹の本には「理知的、知性あふれる」なんて素敵な言葉がちりばめられていて、ずいぶん気に入っていたんですが。なんてこったい!
でも他の占いの本でも、おジョーは「大義名分があると強く、ないとダメになる」と書かれてあって、「ほう、そうなのか」と感心したのをおぼえているんですけど、それは上のコメントの後半部とよく似たことではあるなあ、と思いました。なんなんだ、これは? ほんとに当たるのか? 前半部が当たりすぎるほど当たっているので気味が悪いんです。ところで「有能な実務家」って何ですか? こんな調子じゃダメっぽいなあ……。
6/13(木)
◆書くことがなーい、と思っていたら映画を見たんでした。といってもレンタルビデオですけどね。映画「セルピコ」見ました。アル・パチーノ主演ということで借りたこの作品、実に苦みのきいた大人向け映画でした。こういうの好きだなー。昔の映画は「興行成績 < 作品の出来」という作り手の気概や主張の感じられるものが多いからいいですね。というか、それだから消えないでいつまでも残るのか。
◆意外にも昨日書いた星占いについて反響を頂きました(「反響を頂く」……日本語ヘン?)。えーっと、参考にしたサイトはこちらの中にあるここです。鏡を見るのと同じで、自分がどんななのかという事には興味ありますよね、「当たるも八卦」の世界なんですけど。へー、そうなのか、とつい面白く思ってしまいます。
◆近頃食が細くなってしまっています。歳のせいですね、きっと。なんかちょっとがっかり。お酒に関しては「男は酒が飲めないと」とか「酒が強いと格好いい」なんてこれっぽっちも思わないのになあ。何でだろ? 食が細いと、なんか人生損してるというか生命力弱そうとか無意識に思っていたのかもしれません。不甲斐ないわん。
◆今度の18日はうちの学校の創立記念日。その関連で明日、学校関係者のためのコンサートが催されます。クラシック好きなおジョーですが、今活躍している音楽家、特に弾き手については全く知識がないから誰がやるのかも見たけどおぼえてないし、聞くのももっぱら録音のため、とても楽しみ。実にいい機会です。しかも学生証を見せれば入場無料なんです、ラッキー。しっかり楽しんでこようと思っています。
6/14(金)
◆コンサート行って来ました。演奏者は希生・ザイラー(ヴァイオリン)、ヴァディム・サラブリアーニ(ピアノ)の二人でした。希生・ザイラーさんは京都出身、連弾で世界的に有名なザイラー夫妻の娘さんなんだそうで、って本当に何にも知らないから全くの受け売りなんですけど。きれいで大柄な人でした。
ヴァイオリンを生で聞くのは確か初めてなんですけど、難しい楽器なんですね、生で聞いてみてやっと気がつきました。素人が弾いても一応音の出るピアノと違って、ヴァイオリンはあらぬ音が出てしまうんです。だから「あれっ?」という所が何度もあったんです。見た感じ、弓を引くときよりも押すときにミスが出やすい様子。といっても友達は「そうなん?」と気づいてはいないようでしたが。録音ばかり聞いてたんじゃ分からないこともあるんですね。
自分がピアノの音が好きということもあって、そっちは本当に満足でした。あと、学長を初めて生で見ました。石を彫って出てきたような、ちょっとそこらにはない顔をしてました。それはともかく、知らなくていい曲も組まれていたし、なんせただですし、素敵な夕べでした。学校ナイス。
学校といえば今日はサッカーで日本の大事な試合が午後にありましたから、午前中から人が少なくて、午後には多く見積もっても半分くらいしか人がいなかったような気がします。ほんと閑散としてました。そんな中、「真面目」なおジョーはわき目もふらず授業を受けました。誰か聞いて下さいよ。お陰でゴールシーン見られなかったじゃないですか。ケッ、おいらの恋人は学問なのさー(ウソ)、ふーんだ(強がり)。
あと、図書館にて今読んでるプルーストの「失われた時を求めて」の人物相関図なるものをゲットいたしました。よかった、かなりこれでラクに読めそうです。ただでさえ普通の小説より読みにくい(というか慣れが必要)な作品なので。こんなまでしたの初めてです。なんか屈したというか負けたような気分もありますが、まあいいんです。ラクに読めるに越したことはないのだ。
6/22(土)
◆随分ほったらかしにしました、何となく気のりがしなかったものですから。更新しない間に訪れて下さった方、すいません。何をしていた、というのがあったわけではなくて、というより逆に本当に何にもしなかったと言った方が的確な感じの一週間でした。自分で思うに多分内臓の具合がよくなくて、どんよりした気分でいたせいなんだと思います。
◆ところでこれは日記ですから、後で見たときのためということで、ちょっと最近あったことをあれこれと。映画「セルピコ」「ラマン(愛人)」を見ました。「セルピコ」の方は、主人公連中が銀行強盗をしかけるところから話が始まります。で、即座に頓挫、「おいおいさっさと逃げ出して話を進めろよー」と思っていたら、実はこの映画、その犯人側と警察側のやりとりを軸に人間模様を描く、といった内容だったのでした。中々見応えのある作品でした。
「ラマン(愛人)」の方はもう一つで、「やっぱりそうなのか、ふむ」と妙に納得してしまったのでした。どういうことかと言いますと、主題として恋愛をどーんと置くのは悪くはないんだけど、物語の深みの点でもの足らないというか、うまく言えませんけどそんな事をまえまえから実はぼんやり考えていたんです。で、それが如実に感ぜられた、と。
男女の恋愛というのが人間にとって大切なテーマであることは間違いないのですが、例えば信仰や神の問題、人間の性質(善性、悪徳、などなど)に関する問題、生と死、そういった様々な主題に比べて到達される深さの度合がいくぶん劣るようにおジョーには思えるのです。その点あの映画は他の部分を絡めなかったのが残念というか、強いて言うなら失敗だったんではないかな、と。
あるマンガにありましたけど、極端な話恋愛物語は「I love you」「Me too」で片がついちゃうわけなんです。だからそれをどう引きのばすか、他の要素をどう絡めるか、この辺が作品の出来不出来を分ける、そんな気がしました。って言うだけ言ってるのが何にも生み出さない奴なんだから大した意見じゃあないんですが。
◆ところでサッカー、日本は負けちゃいましたけど韓国頑張りましたね、ベスト4ですよ。審判地元観客にびびり過ぎなんでは? と思わなくもありませんがまあいいです。お隣さんですし。実を言うと日本が負けても韓国が勝ってるんだから個人的には結構楽しい。でも次はドイツ。うーん、ドイツは好きな国で応援してただけに、韓国も今度は難しいのでは? なんて思ってしまいます。はは、勝手なもんです。
6/23(日)
◆昨日ふと気づいて母に聞いたのですが、昔は食器用洗剤なんてなかったんですね。考えてみればほんと当たり前のことなんですが。じゃあどうしてたのか、と聞いてみれば、大抵は水洗い、あと磨き砂みたいなのを使っていたとのこと。スポンジもなかったんでは、と尋ねると、たわしだったといいます。
尋ねたのはたまたまですが、そういう身のまわりのありふれた化学製品が実はこの2,30年くらいで急速に普及したんじゃあなかろうか、と思っていたのはそんなに最近ではありません。風呂で頭洗うとシャンプーだのリンスだのと使いますけど、どの製品がいいだのと人がいうようになったのは人間の歴史から見てもほんのここ最近の話なんだよなあ、きっと、なんて思っていたんですよ。
ちょいと前まですべて石鹸で済ませていただろうし、その石鹸すら登場したのはそんなに昔でもなさそう。髪も体も水で洗ってはいおしまい、だったんですよねー。しかし物心ついたときにはママレモンとかあったような気がするし、「♪〜お母さんっていい匂い、洗濯していた匂いでしょ、しゃぼんのあーわの匂いでしょ〜♪」なんて子供時分に歌ったおぼえがあります。もうすっかり化学製品が当たり前の世代なんですね。
いまやPCや携帯電話などに代表される、ハイテクなんて言葉がちょっぴり古めかしくさえ感じられるいわば超ハイテク時代、そういった製品群が人々の生活を変えようとしているなんて毎日のように耳にするようになっています。でも実はとっくの昔からわれわれの生活は少しずつ気づかないうちに科学(化学)の力で変えられていたんですね。元は同じで成形だけ違う製品がごまんと並ぶ100円ショップもある時代ですもの。うーん、ちょいと考えてみると面白いものです。
6/24(月)
◆今日は寒かったです。途中から雨も降ってきましたしね。でも最近暑いくらいでしたから、おジョーはもうすっかり夏気分で、外出は愛用のつっかけで出かけるのがほとんどだったんです。だから、今日もそうしたのでした。朝から今日は少し寒いかもなあとは思ったんですよ、で、ジャケットでもはおって出るか、とも考えはしたんですけど、そうなると裸足につっかけじゃまずい。となると靴下はかないといけないし、靴も下駄箱から出して……と考えているうちにうっとうしくなってきましてですね、「ま、えっか」と結局そのまま出かけたわけ。失敗でした。
でもこういうのありません? 服装ってトータルのバランスだから、結構いい加減で無頓着な恰好でもいいんだけど、せめて色はちぐはぐにならないように考えたりとか、服装が割とましな時に頭がぼさぼさじゃまずかろうとか、まあそんなのが。そういう感覚に乏しいのか、どうでもええやん、と割り切ってるのかは知りませんが、その辺雑な人も少なからず見かけるようになりました。でもなんかそこまで適当にはできないな、と思ってしまうんですよね。そういうのも知らず知らずのうちに身につけたセンスみたいなものかもしれません。って言うほどセンスいいとも自分では思いませんが……。ま、無難な恰好はしてると思うんだけど。
で、そのままポロシャツ一枚で出かけたら寒いのなんのってもう! たまらんですよ。やー、やっぱ雨が降ると寒いもんですねえ。むき出しの腕なんか帰りの自転車乗ってる間に随分冷やされました。冬と違って薄着の季節は雨のしずくや冷気がもろに肌に来ますから、あなどってるとひどい目に遭いますね。やれやれ、くたびれました。今はそんなわけで懲りましたから部屋のなかでTシャツの上にはんてんはおってこれを書いております。
◆昨日ふと本棚に江川卓著「謎解き『カラマーゾフの兄弟』」があるのを見つけてしまいました。これ大分前に買っておいたんですよ。絶対読まなきゃならんぞー、って楽しみにして。やー、これ、いけませんわ。なんせ面白すぎますんで。夜寝る前に読むには実に不適当な本です。ついつい夜が更けるのも構わず読みふけってしまいました。ドストエフスキーの小説を読んで面白いと思ったら、出てる分には必ずセットにしてこの「謎解き」シリーズは読まないといけませんねえ、うんうん。やー、素晴らしい研究成果ですわ。
6/25(火)
◆降水確率というものが降る雨の強度をあらわす指標に思われて仕方のない今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。本当に「1時間に1ミリ以上の雨が降る確率」なんでしょうか、ねえ? 今日は予報によると午後は40%、それも時間が経つにつれて低い見積もりになるという話だったから、傘を持っていかなかったのに……。帰りはしっかり降られましたよ、あーあ。でも比較的おだやかな降りでした。40%だけに(誤)
で、帰る途中、二人連れのおばあさんが少し前を横切るように出てきたのですが、片方がさっさと道を渡ってしまいました。もう一人は自転車のおジョーに気づいて、通り過ぎるのを待ってくださる様子。そうとは知らぬ渡った方がいらだたしげに言います「(もたもたしてないで)早よ、おいで!」、言われた方も負けていません「そんなこと言うて、自転車来てるやないの!」。おしい、半世紀ほど前だったら。「ああ、おれの為に争わないでくれ!」なんて訳のわからんことを考えてしまったのでした。
◆環境に関する授業を一つ受けているのですが、なかなか面白いです。人間が活動しなければできっこない物質(主に気体)が空気中で実はこんな機構で分解されているんだ、とか研究されている先生が前半で、その辺はとっくの昔に解明されてるんじゃないの? とか安易に思いこんでいたんですが、ところが実はそうでもなくて、大気に比べたらどんなガスも微量に過ぎないからその反応過程は追跡しづらかったりするんだそうです。
今は後半に入って水圏の環境に関する講義が別の先生のもとでなされているのですが、そっちはそっちで興味深いです。日本にいるとわからないですけど、水ってわれわれにとって欠かせない資源なんですよね。そんな基本的なところからして頭にないんですからためになります。繰り返し使うためには汚しても元に戻さないといけないし、それは放っておいて勝手になるものでもないんです。
人間が水を使うのは何も直接飲んだり洗ったりするような生活の場だけじゃなくて、農業はもちろん工業においても。しかも大量に利用されています。人間が利用するのはほとんど全て淡水で、その最大限(それを超えると様々な問題が浮かび上がってくる)として考えられている10%というのを人口あたりに換算してみると、現在の日本での値にほぼ同じだそうです。これが全世界規模で、となったら大変なことになるんでは? と話されていました。人口も世界的にはまだまだ増加傾向にありますしね。難しいことじゃないんだけど今まで気づかなかったことってのがいくらでも指摘されるようで、聞いていてほんと勉強になります。
6/27(木)
◆昨日はPCが立ち上がるのを待とうと布団にダイブしたらそのまま朝を迎えてしまいました。たはは……。なんか最近シャキッとせんのですよー。どうしてかな、やっぱ21時間起きて3時間寝るというスタイルに問題があるのだろうか、うーむ。お陰で久しぶりにぐっすり寝ました。
ところで時代の流れといいますか、うちの大学でも今年からセメスター制が導入されまして、具体的に何がどう変わったわけでもないんですけど一応そのせいで前期の試験が夏休み前にシフトすることとなりました。よってこれから夏休みまで死にそーなスケジュールになろうかと思われます。もし更新がなかったら「ああ、苦しんでおるんだねぇー」と生暖かい寛大さでご容赦して下さい。ってゆーか泣きそうなんですけど……。
しかしそれを過ぎればきっと約束の時「幸福の千年期」が始まるのです。天国が地上に降りてくるのです。それまで生きようと思います。ぐぅ、が、頑張るじょー。とりあえずいま分かってるだけでもレポート3つ、あ、4つだ、それと試験1発がすぐそばに控えています。さー、どーなるんでしょうか。
◆ところでサッカーはいよいよ大詰めを迎えましたね。ベッカムさんが人気してましたけど、彼はブラッド・ピットのサッカーバージョンって感じでおジョーはどっちかというともっと男くさい雰囲気の選手に格好良さを感じていたのでした。ブラジルのリバウドとか最高、あと、ドイツのキーパー、カーンもいいです。リバウドのあの渋さ分かるかなあ、やー、ああいうのいいッスねえ。
◆今読んでいる小説から感じたんですけど、自分の中に「美学」とか「審美的に○○」なんていうボキャブラリーがないことが分かりました。「美学」っていうのは「男の美学」とかいう用法での意味ではなくて、純粋に元の意味なのかな? とにかく美に関してうんぬんするやつのことです。あまりにも自分とはかけ離れているから、遠い世界の出来事のようで、それを語る人物がやけに小説的人物に思えてしまったのでした。経験が足りないのかな? うーん、それよりは人間の質のような気がします。
6/28(金)
◆なんかこのHPを開いてみたら、ヤフー(のサーバー)側から勝手に変なもんが載せられていることに気づきました。で、この状態ですとMacのIEだと読み込みに不具合が生じるんです。NNなら問題ないんだけど。winの方、どうですか、ちゃんと読めているでしょうか?
◆今日でまたしても1週間終わり、「えっ、もう?」というくらいアッという間に時間が過ぎてゆきます。恐ろしい。振り返れば「ああ確かに」と記憶はあるのですが、妙な感じです。うつつの内に夢を見て、不意に気がついて眠りから覚める、そんな日々を過ごしているからでしょうか。人の内部的な時間感覚に関する考察ってのは哲学の領分でしょうか? なんか気になるなあ。
◆今度の日曜は労働力としてかり出されるため学校へ行かねばなりません。なんてこった。しわ寄せで土曜にナメクジ以下のだるーい甘美な生活ができません。これは重大な損失だ。搾取が過ぎると労働者だって怒るんだぞ。革命起こしてくれ、誰か。
◆Sさんとの会話、「むう、漢字が出てこんぞ」「なんていう漢字?」「ぞうけい」「は?」「『造詣が深い』とか言うやろ?」「え、何それ?」てなことがこの前ありました。「え、何それ?」って……それはこっちのセリフじゃー! 一体どんな教育受けてきたんや、え? とは言いたかったけど言わなかったんですが、なんかびっくりするほどものや言葉を友だちが知らないことがあります。
もう少し前もふと出たあることについて、「ああよく知ってるな、さすがI君」と思って感心していたのにそれが実はあるマンガのワンシーンということが判明したこともありました。なんだかなー、って感じ。このI君、学校の勉強に関してはそれはもうおジョーなんて足もとにも及ばないほどよく知ってるんですが、それだけにガクッと来ます。
うーん、「受験戦争の弊害」なんてあまり言いたかないけど、さすがにそんな言葉も頭に浮かんできます。謎だ、バランスが極端に悪すぎるような気がしてしかたないんですよ。あくまで知識や教養の面においてですが、ある分野に秀でて詳しい人があることについてはからっきしってのが、どうも感覚として受けつけません。
「○大(うちの学校)生のレベルも年々落ちている、昔はほんとに『何でも知ってる○大生』だったのに」とため息まじりに古い人が言うのをいつか聞いたことがあって、その時は過去を美化する作用が働いているものと半ば聞き流していたのですが、あながちそうとも言えなさそう。ちょっと悔しい。それに比べたら確かに古い人は科学の人なのに文学や哲学にも通じていたり、幅があって面白い人が実に多いんですよねー。よし、せめて自分はそうならないよう頑張るぞ。(その前に専門をもっと勉強しなさい)
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