過去痴夢 02'08

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8/1(木)

◆テキスト庵だったか、どこかのリンクサイトから適当にふだん行かないHPを巡ってみたら、あるHPで、プロフィール(←あればいつも直行します)の好きなことの欄、それも一番上に「色を見ること」と書いてありました。おや、これは? と思いましたね。というのも自分の中にそういう感覚がなかったからなんです。

「色を見ること」かー、ふーむ、どういうことなんだろう? よくある「音楽を聴くこと」なんていうのとは違いますよね、聴覚で同じような言葉にすれば「音を聞くこと」になるでしょう。「音を聞くこと」? うーん、他のものに置き換えてみても全然感覚的につかめません。なんか面白いですね、こういうの。

自分の中にない言葉ってのはくだらないものから難解なものまで多種ありますけど、このように言葉自体は難しくないのによく分からない、特に感覚的にぴんと来ないものってのも時々あります。頭では多分こんなところなんじゃないかな、と想像はつくんだけど、それでは全然理解した気にならないっていうような。面白いなあ、うん、こういうのがあるから人の話を聞こうと思うんだな、きっと。

◆妹が子供を産みました。父と母はもう見に行ったらしいですが、おジョーはまだ学校があるのです。母子ともに健康みたいでほっと一安心、一気に関心がなくなりました。だってまだどうせ触れないだろうし、自分で動きだすようになってからでしょ、本格的にかわいいのは。って書くと、「分かってないねえ」と年長の方からため息のもれるのが、なんとなく聞こえてくるような気がしますが。ま、何にせよ無事でよかった。おかしなところもないみたいだし(問題発言ととらないで下さい、率直な感想ですので)。うッ、って事は……名実ともに「おっちゃん」……で……す……か……。う、うひー。おジョーなんて名乗ってる場合じゃないよ。「おジー」にでも変えるか? まあいいや、今日はめでたいわい。
8/3(土)

◆ネットの行きつけを回っていると、現在子供を教えている人、かつて教えた経験があることを書いている人があって、へー、結構いるんだなんて思いました。その中で中1は小学7年生って感じがした、と書かれている人がいて、ああその通り、と同感したのでした。

中学に入った辺りから、見た目だけでなく内面的にも、だいたい2年ごとに区切りがあるような気がします。おジョーの感覚でもっと正確に言うなら、夏休みが区切りになるみたいで、中1夏休み後から中3夏休み前までだいたい一緒、中3夏休み後から高2夏休み前までがまた同じ感じ、というような具合。他人が見て、「あの子は何年かな?」と予想したときに、誤差がその範囲内になるんじゃないでしょうか。

中学生を教えていたときに、「さすが中3、ぐっと大人びた感じになるねえ」とよく感心したものです。で、定期考査の前に塾講師を頼りにやって来る元塾生の高校生たちを見て、「何だこいつら、(言ってることもやってることも)中3と変わらんぞ?」となるわけ。外見もそれぞれがそれぞれなりに変わっていくから、単に制度上の区切りから来る変化というわけでもなさそうで、まあなんちゅうか、面白いもんです。

◆これまた人の日記からのネタですが、長生きするなら7時間睡眠が良いらしいですね。おジョーもこれ、どこかで聞いたことがあります。なんでも、8時間睡眠の人たちより平均寿命が長いとの報告があったとか。しかしですね、起きて活動してる時間を考えるなら、どうなるんでしょうか。

平均5時間睡眠の人と比べた場合、毎日2時間の損(あえて損と呼ばせていただきます)。割合にして、(24−7)/(24−5)=17/19。つまり5時間睡眠の人は17年で7時間睡眠の人の19年を起(生)きてることになります。すごく強引な話のもって行き方ですが。これを4倍すると、5眠:7眠=68:76、なんと68年生きてる間に8年分も多く(遊んでる?)わけですよ、素晴らしい。

友人のイカザンギくんは「人間寝んでええとしたらどんなええと思う? 24時間フルに起きてられんねんで!」と力説してました。それはやり過ぎだと思うし、睡眠時間が短いと起きてる時間への良くない影響も多々あるので適当なバランスが求められるわけですけど、寝てる時間ってもったいないよな、と時々思ってしまうおジョーなのでした。って言いながら今日は17時間ほど寝ちまいましたが(汗)。……ということは3時間睡眠×5日より多いやんけ!
8/9(金)

◆やっとこさ試験期間が終わりました。最後の試験が終わったのは月曜の5日だったので、結構ほったらかしにしたように見えますが、実際に家に帰ったのは水曜の夜。その間、労働力として行使されていたのでした。学会の手伝い要員になっていたという訳なんです。しかしごく短い睡眠時間のまま先週一週間をぶっ通した後、これでようやくゆっくり眠れるよ、という腹づもりでいただけに、体はもうふらふらの状態でした。

試験が終わって教室を出たらF先生とご対面、「お、S君、これから時間ある?」なんて軽く聞かれたのが運の尽き、「ん、ええ、まあ。で、何のご用です?」となって雑務をこなすことになったと。受付やらゴミの片付け、飲み物の手配、運搬、その他もろもろのまさしく雑用としか言いようのない作業の連続でした。

まあおジョーの他、仲良くやってる二人も当然かり出されたので、都合三人朝の9時から夕方は6時過ぎまで、月火水の三日間、なんだかんだ言いながらも楽しくやりました。体はきつかったですけどね、そんな猛烈週間の直後でしたから。でもこういう裏方の業務って、性格的に結構苦にならなくて、表に出てあれこれやることを思えばずっとラクでした。何の学会だったっけ? 「原子衝突学会」だったかな? なんかそんなの、少額とはいえ期待してもいなかったバイト代も出してもらったし、まあ面白い経験したかな、という感じでした。

◆江川卓著「謎とき『カラマーゾフの兄弟』」読み終わりました。「カラマーゾフの兄弟」を読み終えてからまだ日が浅かったので、よーく話が分かりました。大変面白かったのですが、その内容をここへ書いても仕方ないでしょうからやめにします。でも考えてみたら、1つの小説に対してそのガイドブックみたいなのが出版されるというところが普通じゃないですね。簡単にペイしそうなゲームの攻略本じゃないんだから。こういった現象そのものが、この小説(と作家)がいかに優れたものであるかを雄弁に語ってるような気がします。ファンとしては嬉しい限りですね。
8/13(火)

◆急に知らされた集まりに出席するため、土曜から出かけてました。その後街をふらついて、今朝早くに帰ってきたら妹が食卓を囲んでるじゃありませんか。おジョーがいない間に赤ちゃんと一緒に戻ってきてたようです。びっくり。

すごいですね、あんなに小さいとは思いませんでした。未熟児というんではないのですが、帝王切開だったらしいので普通よりはすこし小さいのかもしれません。眠くてくたびれきってるところに、ほら、と手渡され、まだ首も安定してなさそうでうろたえてしまいました。なんかね、目の白い部分がかすかに緑色を帯びていて不思議でした。妹によると、黄疸がまだ消えてないせいなんだとか。

個人的にはやっぱりまだそれほどかわいいとも思えなくて、どう扱っていいのかも分からないし、向こうからの(リ)アクションもないのでなんとも困った感じです。もう少し経ってからでしょうね、かわいいように思えるのは。でも両親はすっかり骨抜き。どうしたもんだろ、って感じです。やはり本能はすごい。

しかしこうして妹が帰ってきて思いますけど、助けてくれる人がいるのといないのとではえらく違いますね。妹なんかは仕事もやめて専業主婦になってたし、実家が近いうえに産後しばらくはここで暮らすんですから。仕事があったり親の援助が得られなかったり、援助があっても夫の両親と同居だったりするとしんどいことが山ほどありそう。うーん、やっぱり家族ってありがたいもんです。

っていうか人間一人じゃ生きてけないんですよね、やっぱり。助けが必要な時って絶対あるし、人によって提供できる「助け」の種類も違ってくる。だからある程度の人数で生活する方がそういう意味ではきっと楽で理にかなってるんでしょう。接触や干渉がわずらわしいという(現代都市生活者的)感覚もそれはそれで分かりはするんだけど。でもどっちが豊かかって、考えるまでもないですよね。
8/14(水)

◆マイヤ・ベサラプ著「ランダウの生涯」読み終わりました。といってもこのランダウって人、みなさんご存じでないのではないでしょうか。おジョー自身正直言って、まともに勉強やるようになるまでは知らない名前でした。が、ちょっとでもものの本をかじるようになると、必ずどこかでこの名前に出会うはず。とにかくあちこちに名前が出てる、万能選手みたいな人なんです。

古典でない新しい物理学以降でいうと、誰が一般に有名なんでしょうか? アインシュタインが別格であまりにも有名なのはわかるんですけど。その他に誰か名前挙がります? 出てこないかもしれませんね、別に一般常識っていうのとも違うし。ボーア、ハイゼンベルグ、パウリ、シュレーディンガー、フェルミ、ディラック……etc。

で、このランダウさんですけど、まあそれはすごい。ロシア(当時はソ連)出身だからなじみが薄いんだろうけど、20世紀生まれの物理学者としては最高峰を形成する一人だといって間違いないでしょう。あらゆる分野に精通し、なおかつそれぞれで優れた業績を残している。超人的な頭脳の持ち主です。

あまり密度の濃い本ではなかったですけど、それでも十分彼の偉大さが伝わりました。やっぱ何でも知ってるってのは素晴らしい。そうなるのは口で言うほど簡単ではないだけど。本で読んでファンになった科学者にファインマンがいますが、業績で考えたらランダウに肩を並べるほどではないのかも。そう考えるとより一層ランダウのすごさが分かります。

ある程度彼の伝説みたいなのはそれとなく聞いてはいたんですけどね。曰く「一人で固体物理をやり尽くしてしまった人」、曰く「異常に数学ができた人」、曰く「何でもやっててどこ見ても名前が残ってる人」、などなど。本を読んで、これらがその通りであり、なおかつそれ以外にもすごい仕事をいくつもやってることが分かりました。

業績に比してそれほど有名でないのは、ロシアの人であっただけでなく、やったことが高度で一般に説明してすぐ分かる程度のものではないからなんでしょうね、きっと。でもとにかくすごい人です。ここをご覧になった方、ランダウという名前、せっかくですから記憶の片隅にとどめておかれてはいかがでしょう。20世紀の科学における巨人の一人ですから。
8/15(木)

◆今夏休みなんですね、いや、だから休んでるんですけど。で、夏休みといえば夏の課題。ありましたね、まー色々と。工作とかは父が非常に得意なので何かとアドバイスをもらっては下手くそな作品提出してましたわ。なつかしいなあ。他にも小学生時分には絵日記とか悩ましい課題があったものです。

で、ある行きつけのHPでは読書感想文のことが書かれていました。あー、はいはい、ありましたね、そんなの。本がいくつか挙がってる表を配られて、そこから選択して自分で買うの。あれどうしてたかなー? おぼえがないや。ある程度のレベルのものを読ませようという(生徒にラクをさせないための)意図から、ああした表が配られているのだと当時は思っていましたけど、考えてみたら、先生の方でも感想文を評価しないといけないから、評価できる範囲内のものに限定する必要もあったんでしょうね。先生がラクするための表だったのか、うーむ。まあそれも仕方のないことか。

でも、そうではなく、学校から予め配られて読むってのも多くありました。とにかく子供心にうっとうしかったのをおぼえています。なんかね、多分配布する現国の先生の感性との相性もあったんでしょうけど、かったるくて退屈な作品ばっかだったんですよ。どれもこれも。学年が上がって配る先生はかわっていったのにいつもそうだったんだから、よっぽど現国の先生とは相性が良くなかったんだなあ。なんて、今になって思うことですけど。

「さぶ」「路傍の石」「黒い雨」「沈黙」などなど。あー、他にもたくさんあったけどもう思い出せないですね。感想文書くために期限ぎりぎりになって飛ばしながら読んだのもありました。「アンネの日記」なんて、「どうせ日記やねんから一日おきに読んでもかまへんやろ」ってな感じでやっつけちゃった記憶があります。

良かったのは一連の配布本の最初の作品といいますから中1の夏休み前に配られた「しろばんば」ですか。あれがほとんど唯一といっていい「当たり作品」でした。まあでも何でもかんでも「当たる」わけではないのだから、「当たり」があっただけでも良かったと思うべきなのかもしれません。

ある時から「学校で配られたもの=かったるい」という図式が自分の中に出来ていたような気がします。おしい、もし自分で手にとっていたならば楽しめた作品があったかもしれない。でも出会いってそうそうあるものでもないから、配られていなければ未だ手にしてなかった可能性の方が高いですね。結局どうなんだろ、「これ読みなさい」って配られたのは、自分にとって少なくとも悪くはなかったって事なのかな? うーん、こればっかりは難しいですね。
8/16(金)

◆そういえばこの間ニュースでやってましたけど、今アトピー性皮膚炎の子供って10人に1人もいるんだそうですね。はっきりいって異常です。母は「そんなん不潔にしてるからなんや」なんて、たわけた非科学的発言してましたけど、だったらインドはどうなんねんって感じ。今の日本は絶対におかしいです。

何が原因なのか、専門家ではありませんからまるで見当もつきませんけど、候補はいくらでも挙がりますね。(車、工場、ゴミ焼却施設などの)排気ガス、水道水の殺菌に用いられる薬品、農薬、食品添加物の類もあれば、ハウスダストなども考えられます。ま、要するに汚染ですよ、簡単に言っちゃうとね。

空気も汚染で水も汚染、肉・米・野菜と食料品もみーんな汚染って言ってしまえるんだからどうしようもない。ちょっと日本にいる限りこりゃあ逃れようがないですよ。それでも生きてられるんだから人間の機能も大したもんです。まあでもここらで見直さないと将来ないような気がしてきますよね。アトピーだけでなく、花粉症など他のアレルギーをもつ人も年々多くなっているようですし。

さっきの話じゃないですけど、絶対インドとかにはそんな人少ないはず。ひょっとしていなかったりして。もちろん平均寿命からしたら日本は長生き国なんだから、それはそれで良さそうに見えるかもしれないですけど、それは十分な食事と優れた医療があるお陰、また話が違います。

ちょっと怖い話ですよね。アトピーなんかは外見にもろに関わってきますから事態は深刻です。これのせいで人生悲観してる人、少なからずおられると思うなあ、絶対。明るく振る舞っている身近なあの人も実はそうなのかもしれない、そう思うと気の毒で苦しくなってきます。その人のせいでは全くないのに。また、外見に出るだけに陰湿な差別につながりはしないか、これもまた恐ろしい。既に起こってるのかもしれません。

正確な用語ではないかもしれませんが、こういうのを生物的な淘汰圧というんでしょう。人間も生物だからそういう選別をたえず行ってるんですけど、こういう件についてもそれでいいのかってことですよね。これは非常に難しい。この問題が自分自身に降りかかってきたときのことを考えると、とても安易な美しい回答もできません。怖いし、悲しいですね。日本ってほんとに豊かなんでしょうか、つい考えてしまいます。
8/17(土)

◆ふっふっふ、今日で4日連続達成しました。早朝の散歩。4日目になってやっと書くのは、三日坊主でないと主張したいがため。本当は散歩と言わずにジョギングと言いたいんですが、なんせ軟弱な脚してるもんですからろくに走れんのですよ。今日だって4、50分歩いてから5分ばかり走っただけですので。

もちろん狙いは脂肪の燃焼、60キロを切るのが目標です。さー、出来るんでしょうか。身長169センチに対してだと、これまでの63、4キロってのはそれほど悪くない数値ではあるんですけど、やっぱ横っ腹にボヨンとしたものがあったんではね、気分的にも冴えないんですよ。ボクサーに見られるような減量し、絞った体になってみたいんです。んー、それには運動量が足りないかな?

だいたいいつも夜が終わりかけた頃、4時半過ぎから5時までに出かけます。いまは昼に寝て、静かな夜に活動する生活してるのでこんなことも可能なんです。薄暗いうちから出かけると、街と空が光を増してゆく様子が味わえます。朝焼けってのも乙なもんですよ。この前は近所の昆陽池という大きな池の向こうに昇る朝日を見ました。あれは美しい光景でした。あ、いま思うとあれはいつか見たモネの絵みたいだったなあ。

空気がひんやりして、まだ起きている人はほとんどいなくて、真っ赤な光に照らし出されたマンションや家々からは人の気配がしない。これが夕焼けの光景なのだと想像してみる。「おお、人はどこへ行ってしまったのだろう?」なんて。あまりにもしんとした静けさと、したたるような赤い空に身震いします。「最後の日」のイメージってこんなかも、なんて。

貧弱かつ軟弱な姿をあまり人目にさらしたくないなあ、と始めた早朝散歩ですが、こんな感じで割と楽しくやってます。いや、思いがけず楽しめている、と言った方が正しいですね。いつまで続くが分かりませんけど、ま、適当に頑張ります。
8/18(日)

◆今日は頑張って走ってみました。といっても早足より少し速い程度のスピードですけど。歩いたりちょっぴり走ったりし始めたのはほんの数日前だというのに、初日よりいくらか走れるようになってまして、驚いたことにそのまま根性で池の周り一周できました。素晴らしい。帰って地図で確認してみると、3キロは走ったみたい。うーむ、やってみるもんだ。しかしそこからはもうヘロヘロ、家までは遠うございました。

それから朝食までには時間があります。で、シャワーで体を冷やしてから体重計にのってみればなんと60キロ。一日で一番軽い時には目標値に達していたらしいです。その後一番重そうな時間帯に量ってみたら62キロ、うーん、どうやらあと2キロほど落とさないといけないようです。それにしても水分とるとほんとストレートにその分体重増えますね、よく分かりました。

◆前からぼんやり考えていたことがあります。それは「自分の本質とは何か?」ということ。といってもあんまり深刻な話ではなくて、何て言うのかな、一言でいうとこれ、というのは何だろう? と思って考えていたのですよ。自分と人と違うのは当たり前、でもそれがどう違うのか簡単に言ってみろといわれたらどう答えるかな? と思ったというか。

で、考えてみたんですけど「自分にないと満足しない」って事じゃないかなと思いつきました。すぐその内容が伝わりそうにないから、あまりいい答えとは思えませんけど。これまたうまい例えでもないんですが、例えばおいしい料理をいつも食べたいと思ったとする、その時どのような解決法を思い浮かべるかって、人によって違うと思うんです。

ある人はいつもおいしい料理屋に行けるように、あるいは自分用の料理人を雇えるように、お金持ちになればいいと答えるかもしれないし、ある人は料理の上手な奥さん(orだんなさん)を見つければよいと答えるかもしれません。で、おジョーはそうではなくて、どうせなら自分でうまいものを作れるようになりたいし、それが一番の解決法だと思うのです。

自分の中に解決の手がかりが「ないと困る」とまでは言いませんけど、「あるに越したことはない」と感じるたちなんじゃないかな、と。自分(のできる範囲)で何とかしたい、自分で評価したい、という感じでしょうか。おっと、これではまるで人間不信あるいは唯我独尊的なふうにも取られかねませんね。でも正直なところそれを完全に否定することはできませんね、あるいはそんな面があるのかもしれません。

でもね、人が言うからとそれを鵜呑みしようなんてこれっぽっちも思えないし、いいと感じたことは自分の中に取り込みたい。性格に損と得はあるかもしれないけど、いいも悪いもないわけで、肝心なのは心の持ちようというかもっていきようでしょうか。損な性格のような気もちょっとしますけど、ま、適当に生きていく分にはさしつかえないんじゃないのかな、と思うことにします。
8/19(月)

◆昨日は思わず自分のことをべらべらとしゃべくってしまいましたが、多くの人にとって「自分」ほど興味ある対象もないもんですね、本音で言うと。そういえばいつか受けた芸術論か何かの講義で、鏡をのぞき込む自分の視線には二つあって、それらは「ナルキッソス的視線」と「ゴルゴン的視線」と呼ぶことができる、というような話をされていました。

前者はもろに「自分にウットリ」ってやつで、ナルキッソスほどの美形ならずとも我々は自分の姿にみとれてしまうものらしいです。ナルシシズム的感情ってのは多かれ少なかれ誰しも持っているってことでしょうか。まあそれは分からんでもないですね。自己愛ってのは生存のために持っておくべき本能であろうし。

後者はおジョー自身あまりよく分かってない気がするんですけど、とにかくそれは「(自分自身の姿に)ハッとすること」です。ハッとして固まるんです。だからゴルゴン(ゴーゴン)的。ありますよね、時々。街を歩いていて不意に自分の姿が何かに映し出されているのを見て、とか。でもそういうのあるなあってのは感覚として伝わってくるけど、だからそれが何なの? と言われても困ります。専門じゃないので(逃げ)。まあそういう論もありますよ、というお話です。

◆妹の赤ん坊がやっとなんか赤ちゃんらしくなってきました。泣き声もそれっぽくなってきたし、肉付きも良くなってきたんです。前はうなる程度でしたからね。でもまだ目はよく見えてないらしいし、見た感じもまだまだ愛くるしいというほどでもありません。それでも両親はとりこになってますけど。

こんなこと口に出そうものならどんなに非難されるか分かったもんじゃないですけど、「まだ魂が封入されてないんじゃないの?」というのがおジョーの率直な感想でして、まだもひとつ伝わってくるものが弱いんですよね。目に感情がこもってるように見えないからかな? なんて想像してます。ま、そのうちなんでしょうね。
8/20(火)

◆昨日は学会でアメリカに行ってる友人イカザンギ君から英語でメールが来て、それへの返信に四苦八苦。英語苦手だー。読む分にはまだましなんですけどね。英語で書かれた電話帳サイズの教科書とか使ってるし(英語自体はかなり簡単)。久しぶりに英和辞典引きました。それでも文法的に正しいかどうかは大いに疑問。ええんでしょーか、こんなんで。

◆昨日から急に秋めいてきましたね。今日なんて半袖短パンじゃ寒いくらいですよ。でも暑いのが苦手で冬が一番大好きというおジョーにとっては願ってもない変化、体力的にもラクになって助かります。冷たく乾いた空気が気持ちいい。夏の終わりを告げる風でしょうか。

◆そういえばこの間メガネを踏んづけちゃいまして、再起不能になるほど壊してしまいました。あーあ、メガネだけは物持ち悪いんです。裸眼でもそこそこ生活に困らないってのが原因なんですよね、つい外してしまうんです。それでも気をつけてその都度高いところに置けばいいんですけど、その場にパッと置いてそのままにしちゃう。わかっちゃいるけどやめられない。

お陰で現在セロテープでぐるぐる巻きにくっつけ、補強したものでしのいでます。こんなので表に出られないよー。あー、格好わる。コンタクトに復活するつもりもないしなー。やれやれ、目が悪いと不便ですねえ(ゲームのしすぎ)。
8/21(水)

◆この前こんなHPを見つけました。これが結構面白い。ランキングデータはとりわけ興味深いものでした。全国の市 人口密度ランキングでは蕨市(わらびし)が東京23区を抑えてトップ。すごいな、埼玉恐るべし。と思って人口ランキングを見たら、あれ? 蕨市って7万人そこそこ、315位じゃないか、と分かったり。

自分の町はどうなんだろう? って探してみたら、震災前に実家のあった尼崎市は人口密度で堂々の16位。って言うか兵庫県で1位じゃないか。うすうす感じてはいたが……やはりそうだったのか。で、震災後に1キロほど北に越して現在実家は伊丹市にあるんですけど、それが同33位。横浜とほとんど変わりません。んー、そう思うとこの辺人間集まってますね。

人口密度トップ10の内訳は東京都5、大阪府4、埼玉県1。やっぱ大阪はたいしたもんです。大阪市は横浜市に80万人も差をつけられているから、もう完全に日本第2の都市の座にはいないんですけど、やっぱ府(県)の規模で見ると人間が最も集中している地域には違いないみたいです。

そういえば中学入った当初、私立だったので生徒はいろんなところから集まっていました。で、互いに自分の地域をほめ、人の地域をけなしあったりしたものです。「尼崎? うわ、あのスモッグの!」とかよく言われました。「なんやと!? こっちはあの面積で人口50万ほどおるんやぞ。人口密度では神戸なんぞ足もとにもおよばんわ!」と切り返したり。懐かしい、ちょっと思い出しちゃいました。

しかし今だったら田舎の方が好ましく思えます。大体人口密度が高いのってあんま自慢にならんものなあ。町の形態ってのもそれぞれで、ある箇所に人が集中していてあとは農地や山、人口密度は低いというケースもいくらでもあるでしょうし。人口密度だけでその町の様子は伝わってこないですよね。まあでもこういうデータ集は見ているだけで面白い。みなさんの町はどんなでしょうか。
8/22(木)

◆甲子園も終わりましたね。今年は九州勢が早々に敗退、四国勢が全部残るという珍しい展開でした。これが終わると夏休みもあとわずかなんだなあ、という気がしてきます。今年は何だかあの台風のあと空気がひんやりしたままですし。もう半分秋なのかしら? なんて思ってしまいます。

でも毎年少なくとも9月の半ばくらいまでは暑かったような気がします。おジョーの行ってた中学高校では9月15日の敬老の日が体育祭と決まっておりまして、出しものの目玉であるマスゲームみたいなものの練習を、始業式からのたった2週間でやっつけてたんですよ。短いだけにかなり酷な準備期間でした。とにかく暑かった。今となってはそれだけですね、おぼえてるのは。

そんなわけでまだ涼しくなるのは先の話、きっとまたこれから暑さもぶり返すに違いあるまいと考えています。まあ季節の変わり目なんてだいたいいつも似たようなもので、暑くなったり寒くなったりを繰り返しながら徐々に次へ移っていくんですけどね。

◆おジョーがいつも伺っているHPの主であるOさんは、今度中学生相手に電流のところを授業するそうです。なんかそんな話を聞くと、自分がその辺を中学生に教えてた頃のことが思い出されます。重要な分野だし、自分がそういうの好きなもんだから目一杯力入れてやってたなあ。その後にくる天気の話(これはこれで重要、中2の理科はしっかりやるには内容が多かった)そっちのけくらいの勢いで。

自分で言うのもなんですけど、おジョーが教えてる学年って理科の成績良かったんですよ。生徒の結果(模試などの平均点や平均偏差値:塾は数字が全てです)から見ると5教科中1位と2位が半々くらい、いつも社会の先生と競ってました。まあ当時の生徒から感想でも聞かない限り、いい教師だったかどうかは分かりませんけどね。

ん? なんの話してるんでしたっけ? ああ、別に何のテーマってわけでもありませんでしたね。まあでも教える側がそれを好きかどうかってのは、思った以上に教わる側の出来に影響するものです。浸透の度合が違うっていうか。生徒側のファクターを除いて教える側だけの要因でなら、

 習熟度 =(教える内容を教師が好きな度合)×(生徒との仲のよさ or 受けのよさ)

って感じじゃないのかな。まあもちろん生徒(とその家庭)側のファクターも、それはもう大きいのだけれど。「その科目(学問)が好きか?」「生徒が好きか?」、教えるテクニックとかもあるにはあるけど、教師の資質としてそれよりもっと前に問われるべきはその辺なのかも。なーんてね。ま、勝手な意見ですが。
8/25(日)

◆あらら、2日もほったらかしてしまったようですね、その間に来られた方、申しわけありません。やー、ちょっと情けないけど大いにショックなことがありましたので、なんにもやる気になれなかったのです。おまけに寝込んじゃうし。っていうかひたすら眠り続けただけなんだけど。気がつかないうちに疲れもたまってたみたいです。

◆疲れといえばその原因のひとつはやっぱ朝の散歩でしょう。最近は歩くよりも走る距離の方が長くなってきました。あ、そういえば、これも2日さぼったんだ。というか起きられなかった。でも今日はその分頑張りました。多分5キロは走り続けたように思います。素晴らしい(←誰も言ってくれないし自分で言ってみた)。

でも走るといっても人が見たら「え、走ってるの?」と思われてもしかたのない程のスローペース。自分の早足歩行(時速6キロ)より少し速いくらいだから、時速7キロか、よくて8キロくらいでしょう。試行錯誤してるうちに、とにかく心臓にかかる負荷が小さいほど長い時間続けられるんだということを実感したんです。

そんなこと試行錯誤せんでも分かりそうなもんですけど、「いや、素人なんだからひょっとしてとばしてさっさと走った方が走行距離としては稼げるんじゃないか?」とかも考えたんですよ。まあでもうまくは行きませんね、やっぱり遅くてもいいから続けられる方が結局はいいみたいです。何か他のいろんな事と共通した結論ですね、これって。
8/29(木)

◆朝永振一郎著「量子力学と私」読み終わりました。日記あり講演ありとあまり統一感のない中身でしたが、まずまず楽しめました。中でも滞独日記はよかったです。青年の苦悩みたいなのが飾らない筆致で描かれていましたので。映画を「活動」と書いてあったのも時代を感じました。

◆こういう事は本当は言っちゃいけないんだろうけど、(妹とそのだんなも含めて)家族の誰とも興味ある会話ができないことに終わりのない倦怠と失望を感じています。いま夏休みで家にいる時間が長いから、余計にそれが目につくんですよね。なんというかこれ、ちょっと悲しくてつらいです。

このように感じる根本の原因はきっと親が「学」をつけてくれたからで、それを思うと親に文句は言えない(言ってはならない)し、ある種のパラドックスとさえ感じます。それに、どのような形であれこの不満を相手にぶつけても詮なきこと、分かってもらえようもありません。

相手に対する親しみの情(愛情といってもよい)によって、これがうち消されるわけではないところが問題で、そもそもこれらは全く別方向のように思っているんですけど、あるいはそう思ってしまうのは自分自身の至らぬところゆえなのかもしれません(賢人は全ての人に対して優しいのかもしれないから)。「期待しない」「気がつかなかった事にする(よう距離をとる)」など、ネガティブな解決策しか今のところ見出せないことが苦しみを増大させているような気がしています。

そういえばこの遊離の感覚は、中学に入ってしばらくしてから公立に行った友達に偶然会った時に感じたものによく似ています。あの時やけにみんなが遠くに感じたものです。友達といっても基本は他人だから「合う・合わない」で自然と距離がとれてくるものだけど、いかんせん家族だけにそうも言ってられない。(いや、言ってもいいのだろうか?)

ああ、これは単なるわがまま、不遜の極みなのでしょうか。それとも子供じみた願望(「父ちゃんがもっと強かったらなぁ!」とか「うちが金持ちだったらなぁ!」というような)の延長線上にあるものなのかしらん? それはそれで別の意味で悲しい、というか情けない。でも、いつの間にか気がついたら親がひどくちっぽけに見えて、悲しい、というかギャップに驚き、苦しむというようなこと、経験ありません? なんかつらいです。

◆さて、明日からちょっとばかり家を空けます。なので更新はしばらくありません。って今までもそれほど頻繁に更新していたわけでもないんですが。いやー、なんていうんでしょ、あんまりにも刺激のない生活してますと、書くこともないし書く気も起きんのですよ。逆に忙しいときほどPCに逃げたりして更新頻度が高くなったり……。ま、とにかく行ってきます。