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9/8(日)
◆飛騨高山 → 郡上八幡という岐阜ツアーから帰って参りました。山にも登りましたし、お城の見学にも行きました。幹事さんが頑張ってくれたお陰で、短い割に内容の濃い旅行でした。町を挙げての盆踊り、郡上踊りなるものにも参加してきましたし、木の手作り家具やグッズを展示・販売しているオークヴィレッジへも足を運びましたし。あ、あと刃物の展示場にも行ったなあ。
何より印象深かったのは川への飛び込みでしょうか。ニュースや何かで子供たちが橋から川へ飛び込むシーン、みなさんご覧になったことはありませんか? あれがその郡上八幡らしいのです。で、我らも挑戦することに。いくつかの飛び込みポイントがあったらしいのですが、どうせならということなのか、一番高さのある地点へ向かうことに。
なんとその高さ12メートル。うん、下から見るに、確かに普通の3階建てよりは間違いなく高かったです。1階当たり3メートルとしても4階建て相当ですから。やー、それでもあれですね、橋からのぞきこむ分には平気なんですけど、いざ欄干の向こう側へ乗り出すと脚がガクガク、心臓バクバクものですね。あまり躊躇してると却って怖さが増すと思い、えいやッ! と飛び込みました。
落ちてる瞬間、「ゲ、落ちるまで長い(まだあんなにある)……」と感じたのをおぼえています。計算してみてもせいぜい1.5秒にしかならないはず。でも、死(事故)の瞬間には時間が濃縮されるというような話がありますから、それと同じ作用が起こっていたのかもしれません。飛び込みにチャレンジしたみんなが、互いに体験を確認するように同じようなことを言い合ってました。
うー、いま思い出しても身震いする感じですが、それはともかく楽しい旅行でした。生まれて初めて鯉の洗いも食べたし、ものすごく久しぶりにソフトクリームもなめたし。旅をすると思いますけど、色んなところに人は住んでいてそれぞれのスタイルで生活は営まれているんですね。なんかすごく当たり前のことですけど、やけにそのことが痛切に感じられました。そういう意味では都会にいると、生活(の形)というものへの視野が知らず知らずのうちに狭くなっているのかもしれません。田舎の方がそういう枠にとらわれずもっと自由なのかも、なんて少し感じたのでした。
9/9(月)
◆姪(妹の赤ちゃん)が日増しにかわいくなってきました。うん、すんげーかわいいですよ。すごいな、この魅力。おジョーの場合、姪という血のつながりをほとんど抜きにしてこう感じてると思うので、改めて生物の戦略というか、なんかそんなもんの威力を感じます。でもそんなごたくはどうでもいいです。とにかくかわいい。ええなー、俺にくれ。
で、この赤ん坊、音に反応するらしいことはすぐ分かっていたのですが、どうやらすでに味覚もしっかりあるみたい。まだ目ははっきり見えてないみたいなのにね。ちょいとこの間、妹がメロンの汁をなめさせてみたら途端にぐずってたのが治まったんですよ。さすが、甘さすなわち糖類への反応は顕著なのだねえ、なんてつい横で観察してしまいました。甘みを喜ばない動物っていないらしいですから。
またその時の表情がよかった、「お、なんじゃこりゃ!? 新しい味……」ときょとんとして動きが止まるんです。で、しばらくしたらうるさくなり始めるんだけど、そこで再度与えると、またぴたりとやむ。面白いなあ、この話だけでなく、ほんと見ていて飽きないです。赤ん坊ってすごい。
◆近頃とんと人の掲示板に書きこまなくなりました。自分の無沙汰が元で疎遠になるのは何だか申し訳ないなあ、とは思い、心苦しくあるものの、それでも一旦期間があいてしまうと、今度はどの面下げてという気もして、なおさら書き込みづらくなる。んー、悪循環です。その点空メールってのはよいね、と単純に思います。掲示板に足跡を残さなくても相手に「読んだでー」って伝わるし。というわけで空メールボタンを設けてあるHPが増えるといいなー、なんて思ってます。
9/10(火)
◆気がつけば秋の気配が。前の台風一過の時とは違って本格的に涼しくなってきたのでしょうか? だとしたら秋ですね、いい季節になりました。そういえばこの間、うちの食卓にはサンマが登場しました。旬というには早い気もするけど、おいしかったです。季節は巡るのですね、夏が終わるのだと思うと、苦手な季節のはずなのに、何故か不意にさびしいような気持ちになります。
◆「あなたがそんな人だったなんて思わなかったわ!」書きやすかったのでこうなりましたが、言う側言われる側の性別はともかく、というか同性同士の場合も含めて、つきあいのある二人の間にこんな場面ってありますよね。でも考えてみたら、それって不自然でない場合だってあるような。どういう事かと言うと、初めはなかった(or "芽"しかなかった)んだけど、つきあってる間にその「非難されるような性質」が醸成された可能性があるわけです。つまり冒頭のセリフがまったくもって言葉通り、という。
初めは何でも自分でしていたのに、一方がまめまめしく世話してるうちに何もしなくなった人とか、まあそんな感じ。つきあってるうちに誘起される変化って、思ってるほど少なくはありません。だから非難されてる人は元々「そんな人」でなかった上、非難してる本人が怒ってる原因だったりするわけ。端で見ると気がつくんですけどね、そんなケース。
話は変わりますが、人間は変わるものですし、変わらなければおかしい。それは何もいい方向へばかりではなくて、悪い方向への変化もある。また、良し悪しの程度で見れば同じくらいの変化もあろうし(良い性質→良い性質やその逆パターン)、それに似た、良し悪しのない「青→黄」のような変化もある。で、ほとんどの場合はこの良し悪しのつかない変化ではないか、と思うんです。
一般に見て良し悪しの程度が同じであっても、個人の基準はまた別。そこにずれというか、行き違いの種があるわけですね。だからさっきの話ですと、冒頭のセリフが発せられる原因は、その性質が「たまたま相手の許容範囲から外れていた」というようなものだったりする、と。こうなるともう偶然の領域、それも「たまたま疲れていた」とか「たまたま癇にさわった」のように「たまたま」状況も悪かった、というんだから間が悪い。なので他人に話すと「何でそんなことで……(ため息)」となる。
人間なんて自分のことすら完全には分からぬ生き物なんですから(分かるんだったら占いは流行らんでしょう)、つきあいがあるとはいえ他人のことまで分かろうはずもありません。まあそれだから面白いってもんなんでしょうけど。何でも分かるならもうそこに興味の中心はないはず。分からないからやきもきもし、関心も生まれる。まあ何でもそういうもんなんでしょうね、きっと。
9/11(水)
◆昨日は涼しくなったなー、なんて言っていたのに早速今日は暑いじゃないか、どうなってるんだまったく! といっても仕方ないのけど、なんか腹立つなあ。腹立つは言い過ぎか、納得いかんという感じですね。それでも今日は布団のシーツを換えて、布団を干して、鞄を洗って、となかなか充実した一日でした。ああ、布団干すにはちょうどいい日差しだったかな?
◆今日はあのテロから1周年、といってもこの1週間くらい新聞やテレビなどでその話題が取り上げられていたので、今日になって特別何か感じるものがあるわけでもないのですが。あれは大変不幸な出来事でしたが、政治的に見ると(と言っていいのかどうか分からないけど)アメリカがやっぱりワンマンな国だったんだ、ということを世界に強く印象づけたということになるのではないでしょうか。
地球温暖化に関する京都議定書への参加(批准と言った方が正確なのかな?)も先進国なのに見送ったし、イスラエルは味方だけどイスラム文化圏はほとんど敵、攻撃もやむなし、みたいな横暴さは今に始まったことじゃないし。でも石油の関係でクウェートは味方、とか。露骨なんですよね、なんか。それが外交ってもんかもしれないけど。
大体「世界の警察」って自認してるけど他にどこかがそうと認めてるんだろうか? やっぱ身勝手でおごったイメージ強いです。今になって米国議会でも自国のイメージが悪いみたいなのでなんとかしよう、なんて議論が起こってるみたいですけど。そういうことを話し合おうとする空気があるというのはアメリカのいい点なんですけどね。テロのことはさておき、今後もアメリカはこのままでやっていけるのかなあ? と考えずにはいられません。
9/12(木)
◆おとといの夜、妹に「ネットでCDを探し、気に入ったのがあればそのまま購入とかってできる?」と訊かれたので、「ああ、できるで」と早速PCを立ち上げてamazon.co.jpのHPを開けました。で、探していたのが見つかったので購入することに、それが今日のお昼に届けられました。
ネットにすっかりなじんだ人間からすると、利用するしないは別にして、こんなのわけもなくできるという感覚があるのですが、考えてみたら随分便利な時代になったものですねえ。今回は支払方法を代金引換にしましたので代引手数料というものが加算されましたが、amazonでは1500円以上の買い物だと送料は無料となり、クレジットカードによる決算にしていれば代引手数料もなし。普通にお店に行って買うのと同じだけの支払いで自宅まで送ってくれるんだそうです。
送料無料ってかなりすごくないですか? よくテレビでやってる通販なんかでも、「送料は別途負担していただきます」って決まり文句になってるじゃないですか。それを思えばたったCD1枚ごときでもただで持ってきてくれるなんて、大したもんだなあと感心します。届けてくれる運送屋さんのお給料もちゃんと出てるんですからねえ。
余計な在庫を抱えなくていいというのはこういうことなのかな? と思ったりします。単純な話、売れない限り「在庫=赤字」なのですから。それがない恩恵を消費者がこうむる、と。そうだとすればいい話じゃありませんか。アマゾンは無理矢理な膨張策でのしあがった企業で、体質もあぶないらしいなんてことも聞いたことがありますけど、この販売法は見るところがあります。アマゾンのHPは前から知っていて、商品の確認だけに利用してたんですけど、今度のこともあって、自分でも買ってみようかなとちょっと思いました。欲しいのをつい見つけたのもありまして。
9/13(金)
◆今日は学校へ行って来ました。勉強会があったものですから。で、そのあとビデオ上映会となりました。「元素誕生の謎にせまる」という、理化学研究所、通称理研が作成したやつ。教育目的で学校に無償配布されたものらしいです。そのビデオに関するこちら。
この辺のことについて、はっきり言っておジョーは素人同然でしたが、その内容はかなり興味深く、のめり込むようにして見てしまいました。34分の上映時間はあっという間、もっともっと話を聞きたくなったほどです。第42回科学技術映像祭(2001)で文部科学大臣賞なるものを受賞したらしい。やー、いいもの見せてもらいました。借りだせないのかな? もう1度じっくり見てみたいです。
知識がないせいで、ビデオの内容に触れたくても紹介すらできかねますが、いやはや、なんとも感動いたしました。人間がもつ理知の力の大きさに。この力は本当に途方もない。そんな思いに改めて打たれ、感じ入ってしまったのです。うーん、人間ってすごいなあ、素晴らしい!
◆今日の夕食後しばらくして、妹が赤ちゃんを連れて自分たちの家に帰りました。1ヶ月も一緒に生活していると、赤ちゃんのいる状態が当たり前になってしまっていて、さびしいとまでは言わないけど、なんだかもの足らんです。知らないうちにそういう生活に慣れていたんだなあ。今度はいつ会えるんだろう。んー、今すぐにでも抱きたい、どうやらおジョーもすっかり虜になってたみたいです。
9/14(土)
◆今日は何といって特にしたことがありませんので、こうして日記を書くにもネタに困ります。で、仕方ないからといっちゃあなんですが、リンクサイトから適当に人様の日記を巡ってみることに。色々ありますね、ほんと。見映えがいいところもたくさんあって、個人サイトといってもばかになりません。
どんな人がやっているのか気になって、あればすぐプロフィールをのぞきます。まあそこであらかたその人がどんなか、サイトの中身とともにかなりの情報が得られるものです。それにしても気になったのが、自分のことを「俺」といってる人の多いこと。これってどうなのかな? と思います。
とがめる気になるというのでは全くなくて、それよりは「え、そんな気分(感覚)でやっていけるんですか?」と心配になるというか、あわれみを覚えるというか、なんかそんな感じ。非現実・仮想の世界でのこととはいえ、そこに現れている雰囲気が作り手の状況の反映であるのは間違いなく、そのパーソナリティの貧困さ、貧弱さ──つまりは「貧しさ」──をあますところなく伝えています。こうなるとサイトの見映えのよさがますますあわれを誘う。
何故あわれなのか? それは「周囲には誰も人はおらず、彼は誰にもものを教えてもらう機会がなかった。即ち、いい教育を受けさせてもらえなかったのではなかろうか?」と感じとってしまうからです。学問だけが教育の対象ではない。しつけとか礼儀、道徳など、学問以外にもなされるべき「教育」がたくさんあります。人は生まれながらに物事をわきまえているのではない。周囲の人に教わり、時に矯正され、様々なことを身につけてゆくのです。
「学校にまかせていればいい、足りなければ塾にやれ」と親たちは考え、「家庭でのしつけがなっていないから」と教師は思う。一体この国では誰が子供の教育に責任をもつというのでしょう? 実に貧しい。真の豊かさからはほど遠い現実を仮想の世界に見るような気がしたのでした。
9/16(月)
◆先日書いたamazon.co.jpにて思わず発見し、いてもたってもいられなくなって即注文した品が昨日届きました。アンドレア・ボチェッリのCD「Sacred Arias(セイクリッド・アリアズ)」です。前からおジョーは彼のファンで、アルバムもいくつか持っているのですが、今回もまた非常にいい。
マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」に誰もが聞いたことのある有名な間奏曲があって、その編曲「Santa Maria」が実にいいのです。ああ、音楽の素晴らしさを言葉で伝えることのなんと難しいことか、彼の声には瞑想があり、豊かな祈りがあります。伸びやかに歌い上げる彼の歌声に接するとき、人は奥底から心揺さぶられるのを感ずるでしょう。
新しい音楽を手に入れるのは簡単な時代ですが、「当たり」を見出すのはそう易しいことではありません。その意味で、久しぶりにいい買い物をしたような気がします。他の曲もおおむねすぐれた作品でしたし、粒がそろっていました。これからしばらくは彼の世界にひたるつもりです。
◆ちょっと気になって「黄金比」なるものについてネットで調べました。すると今まで間違ってこれを理解していたことに気づきました。長方形を半分に折った時、「縦:横の比」が変わらないようなものだと思っていたのですが(1対ルート2)、どうやらそうではなかったみたいです。
実際は「長方形から短い方の一辺の正方形を取ったとき、残りが元の長方形と同じ比になっている」ような長方形の比なんだとか。ちょっとこの説明日本語が変かもしれませんけど、その辺は大目に見て下さい(汗)。説明が悪いので、これで分からない方はこちらをどうぞ。図で見るのがやっぱり早いです。んー、ひとつ賢くなりました。
9/17(火)
◆今日の話題はやはり何といっても日朝首脳会談ですね、景気対策や構造改革が進んでいないとか難をつけられることも少なくない小泉首相でしたが、ああして自ら相手の国に乗り込んで会談を実現してしまうんだからその辺は偉い、逆にこうなるとこれまでの首相は何をやってたんだ? というふうにすら感じてしまいます。
日本人拉致問題についても、不幸な知らせはあったものの生死がようやくはっきりするなど、これまた大きな進展があったと言えるでしょう。この事件はオウム真理教のやってたことを国家規模で推進していたというか、そんな印象があります。元々異常な事件でしたが、そう考えるともっととんでもない。不気味な感を拭えません。
しかし別な見方をすれば、彼らは自分たちにはどうしようもない力によって国を分断された人たちです。その原因が日本にあったのは間違いない。不幸の種をまいたのはどちらなんだ、と言われたら返す言葉もありません。因果は巡るものです。だからといってこの問題が咎なしというのではない。問題ごとに話を区切って、それぞれのことについて互いに非を認め、償う姿勢が求められます。
見ようによっては北朝鮮が全面的に国際社会に譲歩した形となりましたが、これが果たして全面的に信頼されるものなのかは今後を見ないことには分かりません。ただひょっとすると、今回の会談は歴史的な第一歩かもしれないし、小泉首相の姿勢は立派だったなとそれだけは感じました。
9/18(水)
◆涼しくなってきましたので温かいものがおいしく感じられるようになってきました。ん? 「きましたので〜きました」という日本語はいいんでしょうか? まあいいです。で、今日はラーメンに使うスープ(味噌味)をおジョーが担当したんですが、途中味見して「だしが足りないな、味がとがった感じがする」とつぶやいてしまいました。
とがってるって言っても味に出っぱりも何もないから、これは比喩なわけで、とるすとその時脳内では触覚としてのとがった記憶に通ずる刺激があったということなのかな? なんて考えてしまいます。色を見て暖かいと感じたり冷たいと感じたりすることはよくある経験ですし、その時とり違えるとまではいかないけれど、何かしら脳の中で刺激の類似を感じているんですよ、きっと。
「甘いメロディー(聴覚→味覚)」「やわらかな色彩(視覚→触覚)」てな言葉は普通に使われます。で、考えてみたら元になる感覚って、味覚や触覚みたいによりプリミティヴなもののような気がします。だって、逆は難しいから。原始的なものはより高度なものへ還元しやすいというか……いや違うな、高度な方ほど感覚にバリエーションの幅が広いと言った方がいいのか。
こう見ると、視覚はもちろん聴覚も高度な感覚と言えそうです。だからあれほど多岐に音楽は進化しているのか、ははあ、なるほど。それに比べたら味覚にしろ触覚にしろ、大して感じ方もそうだし表現の幅にしても狭いよなあ、と思います。だってそうでしょ、料理なんて目とじて鼻つまんで口に入れてごらんなさいな、甘いとかしょっぱいとか、指折り数えられるくらいしか言いようありませんから。
なるほどだから「視覚だけ」のものとして、あるいは「聴覚だけ」のものとして、ほとんど無限と言っていいほど豊かな表現の幅をもって存在する芸術があるわけか。ふむ、なかなか面白いものですね。
9/20(金)
◆今日はセミナーのある日でしたので、学校へ行って来ました。学校について深呼吸、ふーむ、アカデミックな空気……なわけありません。いつでもおんなじ学校の空気です。日差しは強かったですが、それでもあの嫌気のさすような暑さはなく、季節の移ろいを感じます。久しぶりに長袖を着ました。
◆さっきまで8時間は寝たというのにまだ眠い。というかこれから更に10時間くらい眠れそうなほど眠いです。ちょっとここ最近根を詰めてやってたことがあって、昨日ようやく片がついたんです。まあその反動ですね。ついでに今日は6時起きだったし。これまで味わったこともない眠気です。
そう言いながら更新してるんですからどういう感覚してるんでしょうか、我ながら呆れます。そろそろ普通の人間らしい生活に戻らねば。夜寝て朝起きる、おお、真人間。ていうかそれくらいしろよ、って感じですね。とほ……。
そういうわけでわけ分からん日記になりましたが、今日はすいません、自分でもほんとどうしようもないです。これほどつまらんことを書いたのも初めてかも。もう寝なさいってことですね、じゃあ寝ます。
9/22(日)
◆いきなり何の脈絡もなくて恐縮ですが、スプーン曲げってありましたね、あれいまどうしてるんでしょう? どこかでひっそり営業やってるんでしょうか? んんー、謎だ。子供の頃からなぜあれがそんなにすごいのか分かりませんでした。絶対みんなスプーンだし。フォークでもええやんか、とか思ったんですけどね。やっぱ力が入れやすいのかな、形状からして。
金属バットなんかをグニャグニャにしてくれると「おおー!」ってなると思うんだけど、誰かやってくれないかなあ。さすがに腕力では無理なんでしょうね、残念。しかしあれも大したもんです、人前で堂々と「超能力」と言い張るんだから。その心臓がすごい。あれを1種のショーとして見られるようになってから、ようやくすごさが分かったような気がします。
まあでも人をだますといっても、あれは罪がないからいいですね。演出をして神がかり的なワザに見せる宗教なんかもありそうですから、それに比べたら他愛もないものです。そういう意味では詐欺とかで巨額の資金を集める人たちがいますけど、あれもすごい。やー、人間あそこまでやれるんなら大したもんだと思います。それに騙される人がいるから詐欺になるんですものね。
あまりよく分からないですけど、あれだけ多くの人を騙すのだから、何かコツがあるんでしょうね、きっと。「自分は理性がある、自分の判断力は正常だ」と信じる気持ちを揺るがせずに、なにか上手いことやるんですよ。あるいはあれかな、熱狂とかで理性を飛ばしてやるのかな? んー、その方が手っ取り早いかも。おジョーなんかすぐ「自分は大丈夫」と思うタイプですから、却ってそういうのがいいカモだったりして。曲がったスプーン売りつけられたり……。
9/24(火)
◆そういえば2〜3週間前に我が家の電子レンジが故障してしまいまして、その後すぐ新しいのを買ったのでした。前のはもう古くて、10年、いやそれ以上頑張ってくれたような気がします。そう思えばよく働いてくれました。あの当時でも結構値のはる方だったみたいで、何かと機能がたくさんついていたみたいです。めったにケーキ焼いたりグラタン作ったりしなかったのに。
で、それになじんでいたせいか、新しいのも店で一番いいのを買ってきたみたい。どうせ温めるくらいにしか普段使わないのに。あとはせいぜい解凍とか。しかし母に言わせるとオーブンその他温め以外の機能も「絶対必要」なんだそうで。んー、この辺の感覚はよく分からないです。多分これが温め以外の機能を発揮するのは1年かもっと後だろうと予想してます。
しかしこの電子レンジはすごい。やー、ちょっとたまげましたね、だって回らないんですよ。回らなくてもまんべんなく温められるらしい。むう、すごい機能だ。初めて使用されるのを見たときは気持ち悪かったです。「止まってる……」って。よくできてるなあ。
それ以外にもカチコチに凍ったアイスクリームをほどよい具合に加熱できるとか、「あほですか、あんた」と思わずつっこみたくなるような機能満載。マニュアル眺めて呆れました。人間が普通に感じる欲望以上のものを提供してるような気がします。こんな製品に囲まれてると人間がダメになっちゃいそう。んー、なんだかなあ。
9/27(金)
◆今日は朝から「ゴッホ展」に行ってきました。場所は兵庫県立美術館、阪急でいうと神戸線王子公園駅下車徒歩15分というところでしょうか。前に「マティス展」を見に行った兵庫県立近代美術館と勘違いして、前日までそこに行くつもりでいました。予め調べるのは大事ですね。そういう利用でネットはほんと役に立ちます。
資料的な意味合いが強い展示物(書簡など)が多かったせいもあって、前半は「んー、いまいちだったかも……」と思っていたのですが、最後となる3番目のセクションがなかなかよくて、見に行った甲斐があったように感じました。ミレーによる(主題の)農夫を描いた作品数点は素晴らしいものでした。
以前(後で調べた所によると'99年)同じく神戸は三宮の神戸市立博物館で「オルセー美術館展」が催され、好評を博しました。あの時目玉のひとつに「星降る夜」というタイトルで展示されたゴッホ作品があり、それを見て胸にしみわたるような切なさと、深い、えもいわれぬ感動を覚え、その絵に心奪われたのは今でも忘れられません。
で、今回、それと同一ではないかと思われる実によく似た作品がありました。タイトルは「ローヌ河畔の星空」。名前が違うし、見たところ何か違うような気も……いやしかしこれほど似た作品を描くだろうか? もやもやとした気分のまま会場を後にするのも惜しく思われたおジョーは、そこにいた係の人に尋ねてみることにしました。時々そうやって声をかけ、教えてもらうのです。
その方によると、似たようなテーマで2,3枚の作品を描くことは珍しいことではなく、ひょっとするとこの作品もそれに当たるのかもしれない。しかし確かなことは分からないから1階に「美術情報センター」なるものがあるからそこで尋ねられては、との答え。ううーむ、しかし所蔵はオルセーとなっているしなあ……。果たしてこんな手の込んだ作品を複数描くか? 疑問は晴れません。で、言われた所に行ってみました。
そこは画集や資料など一般に閲覧可能な書庫があって、小学校の図書室みたいな雰囲気でした。PCによる書庫の検索も提供されているあたりは今風ですね。で、そこの係の方に尋ねてみると、親切にあれこれ協力して下さいました。ゴッホに関する色んな画集を当たってみるのが一般的な調べ方だとか、その作品がオルセー美術館展にあったという記憶が確かであるなら、展覧会ごとに発行される画集があるからそれを見るとよさそうだなど、あとそれが書庫のどの辺にあるか、それもメモして渡してくれました。
結論から言うならば、同一作品のようです。詳しくやり方を教えていただいたお陰で調べるのに骨も折れませんでしたし、こういった経験も初めてですので楽しくやれました。その方の最終的な結論によると、そもそもはオランダ語でタイトルが付けられていたのだろうが、それがフランス語→日本語となってつけられたのが「星降る夜」、英訳→日本語となって今回は「ローヌ河畔の星空」となったらしいです。なるほどそういうこともあるでしょうねえ。
しかしそういうことがあったにせよ、作品から受ける印象がずいぶん違っていたのは否めない。あの時に比べてなんとも味気ないのはなんでだろう? 考えてみたのですが、どうやら照明のせいだったみたいです。その前から気にはなっていたのですが、黄色っぽい照明でした。あれでいいんだろうか? 白色光の方がよりいい状態で鑑賞できるように感じたのですが……。そう思うと残念です。
まあそれはそれ、会場の雰囲気や自分のコンディションによっても味わいは結構変わるので、あまりそこだけを責めても仕方ないです。それより、いい出会いがあった時にそれを素直に喜ぶよう心掛けて見た方がずっと楽しめるのを知ってますから。また、初めて見る好作品にもいくつか巡り会えましたしね。うん、今日はなかなかいい日でした。
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