過去痴夢 03'06

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6/5(木)

◆はい、というわけで引越完了です。久々の更新ですね。これを見てくださっている人が一人でもいるのか、はなはだ疑問なんですが。就職してからとっても大変だったし、途中引っ越ししたこともあってネットからは随分遠ざかっていたのです。で、昨日の夜やっとこさ接続できたわけ。んー、ほんま大変でしたわ。

まあそういう「よもやま話」もそのうちネタがなかったらすることになるでしょう。で、現在大阪府でぼちぼち生きとるところです。兵庫は阪神間で育ち、京都で学び、大阪でおしごと。んー、なんちゅうか世界の狭い男ですなあ。まあいいのさ、その分内的世界の拡大を目指すから(強がり)。

◆こちらに引っ越したのが先月の14日ですから、それからおよそ3週間ネットから遠ざかっていたわけですね。それに一応もってきはしましたが、テレビは押入でおねんねしてもらってますので、この間一切外部から情報が入ってこなかったことになります。うぅーむ、ぐれーと。天気予報すらわからないんですから面白いもんです。

そういえば新聞屋もこないなあ。何やってんでしょうか。それともおんぼろアパートだから初めから相手にされてなかったりして。そうなんです、かなり古い建物なんですよ、いま住んでるところ。だって6畳×2に4畳くらいの台所があって、風呂トイレ別で家賃4万2千円。これまでの感覚からすると信じられない値段ですね、ホント。

まあそんな感じで"ひっそりニコニコ"暮らしております。またこれからもぼちぼち更新していきますのでよろしくお願いいたします。
6/9(月)

◆この前の金曜日、以前アルバイトで講師をさせてもらっていた塾へ遊びに行きました。当時かなりお世話になったそこのボスの誕生日を祝うため、プレゼントをもって。といってもそのプレゼントは京都で仕入れたのですから、予め用意していったものではなかったんですけどね。

3年ぶりで訪れた塾はずいぶん変わっていました。ボスはおらず、事務のおばさんも変わっていて、教室長はかつての同僚F先生がつとめていました。それでも嬉しいことにF先生は突然訪れた私を歓迎してくれ、たっぷり話を聞かせてくれたのでした。

ボスはあれからじょじょに体調を崩され、ついには体調不良を理由に引退されたのだとか。暴飲暴食で寝る間をおしんで遊んでいたあの人が……若い人間をそのパワーで圧倒していたのに……そう思うとひどく淋しいような切ない気持になり、ついにあの頃が完全な思い出の形をとりはじめたことを印象づけられたのでした。

しかし残念なことと同じくらい、いやもっとたくさんの喜びがそこにはありました。かつての教え子が一生懸命勉強して大学合格(当時の彼からは及びもつかない大学でした。よく頑張ったなあ)、かつてのF先生や私のようにバイト講師をしていたのです。彼らもまた私の訪問を喜んでくれ、さらには何人かの卒業生に連絡をつけ、呼んでくれたのでした。

私は生徒であった彼らが好きだったし、その分いろいろ考えもしました。「何色にも染まっていないこの子らに、私は少なからぬ影響を与えている」この自覚に戦慄し、「彼らにとってこれが不幸でなければよいが」とほとんど祈るような気持でいたわけです。

半分以上子供だった頃のことを、半分以上大人になった今、彼らに聞いてみました、当時怖くて聞けなかったことを。「なあ、俺って教師としてよかったんか?」彼らは口々に答えてくれました。「先生の授業おもろかったで」「よかったと思うわ」無邪気な青年たちから発せられた言葉によって、かつての苦悩が歓喜へと昇華してゆくのを私は感じるのでした。

「君もやっていくうちに分かるわ、教師っていうのは最高の職業やで」よくボスにこう言われました。懐かしいなあ、ほんとどれだけ聞かされたんだろ、このセリフ。ああなるほどなあ、まったくその通りですよ、ボス。本当にありがとうございました。お体気をつけてください。久しぶりに見上げる田舎町の空にむかって、こう思ったのでした。
6/15(日)

◆訃報が届きました。わたしからは遠い、しかし亡くなった当人と親しかった人もわたしの仲間には少なからずいる、そういう人です。人の死を知らされると、ある決まったところに思考は落ちこみ、こう問わずにはいられなくなるのです──「どうして?」。

理由は聞かされていません。それに理由がわかったところで心に生まれた重いうねりが消え去ることはないでしょう。人が死ぬのに理由などないのかもしれません。病にひどくおかされている人がその後いくらも生きる場合もあれば、健康そのものでくったくなく笑っていた人が数時間後にこの世からいなくなっていることだってあるのですから。

そしてわたしは心中こうつぶやくのでした、「またしてもわたしはただの傍観者だ」。当事者でありたいと願って思うのでは決してないのですが、奇妙なむなしさ、事象から疎外されている──世界と"かみあって"いない──ような、そんな(さびしい失望感をともなった)錯覚に、軽いめまいをおぼえてしまうのです。

人の死に接してもつ感想ではないのかもしれません。「距離」のせいか、それとも感情の喪失によるものか……ともかく、わたしはこのようなことを感じ、それを表出したくなったというわけです。こんな自分の不具が呪わしくもあり、悲しくもありますが、それはさておき、今夜は彼女の冥福を祈ろうと思います。

◆「とかくこの世は悲しみに充ちているなあ」
上の話と関係はないのですが、よくこう思います。それも最近の話ではなくて、このように言語化したのがおよそ5年前、漠とした日々の感想としていだいていた頃からすると、どれだけ時間がすぎたのか見当もつきません。ひずみを見過ごせない、そういう性分なのでしょうか。

しかしここ3年ほど、こうも思うようになったのです、「この世には悲しみと同じくらい喜びもあるんじゃないの?」と。疲労やちょっとしたつまづきなど、ふとしたささいなことによって、われわれは容易にものをネガティブな方へ見てしまうようになります。色メガネが特定の色をさえぎって、世界に別の様相をあたえるように。これはよくない、きっと解釈は別にあるんですよ、もっと健康的なものが、ね。

簡単に言ってしまうと、即ちそれは「心のもちよう」だなあ、と思うわけです。わたしの目に、世界は依然悲しみを多く内包して見えるのですが、それでも何とか日々を送っていけるのは、どこか心の中で──世に調和あれかし──と信じ天秤のバランスをとっているからではないかな、なんて近頃考えています。

◆さて、今日はこの引用をしたかったから書き始めたのですよ、実は。というわけで早速みなさんに読んでいただきましょう。短いですが、なかなか味わい深い言葉です。

欠点を突かれる立場に陥って、笑をもらしている人たちに、けっしていかりをぶちまけてはならないだろう。彼らが笑をもらしているのは、ふざけているのではなく、こちらのきげんがわるくならないかと思ってびくびくしているのである。失笑している人たちに深いなさけを示し、ひろい心のやさしさを見せよう。
ちくま文庫「失われた時を求めて6」p.331より

はあ、なんか書くとスッとしたなぁ。
6/23(月)

◆毎週火曜は研修日、朝早く行かなければなりません。あーあ、憂鬱。とまあ端っからダメ社員ぶり全開なんですが、んー、まあどんなことにせよ悪いことばかりでもなくて、トータルマイナスでも部分的には思わぬプラスがあったりするもの。文句ばかり言ってちゃいけません。この前も書きましたが、「こころのもちよう」ってところもありますし。特に明日は趣向をかえて、社外へ見学に行かせてもらうので、多少楽しみでもあります。

そうそう、思わぬプラスといえばこの前の研修日、ですからちょうど一週間まえですね、昼飯を食ってぷら〜ッとそこらをうろつき回っていたら古本屋がありまして、しゅるるるぅ〜と吸いこまれたのでした。あまり古本屋のことはよくわかりませんがこのお店、なかなか品揃えがよいみたい、そういう空気がありました。

店内をぶらりながめ回ってみると、いつまでも読んでいるプルーストの研究書を発見。おーこれは! と思って喜び手にしてみたものの、お値段なんと5千円。しばし考えましたが、びんぼーさらりーまんは涙をのんで諦めてしまったのでした。ううっ、「世間に負けた……」ってのはこういう気分なんでしょうか?(多分違う)

もう少し行くと、今度は小林秀雄「ドストエフスキイの生活」なる書を発見、これはスゴい!! なにがスゴいってそりゃあなた、どんな店にしても入ってみるからにはそれなりの期待をもつわけで、んー、そうだなあ、標準を100、ちょっといいことを期待して120くらいおそらく今回ならもって入ったわけですよ。ところがこの出会いはそんな予想をはるか突きぬけて、10000とかそれ以上、もう考えつきさえしないくらいの幸せを与えてくれたわけなんです。んはぁ〜、もう最高〜。

しかし先の例もあることですし、価格と相談せずして何ものも手に入りません。「あー、こんな本が残ってるってことは、きっと値が張るんだろうなあ」びくびくしながらお値段を確かめてみれば、金600円也!! もう天にも昇る気持でしたね、ほんと。嬉しかったなあ。ついでにもう少しと今度は文庫のほうをのぞいてみれば、右から左への横書きタイトルで「(四)テーホキ・ンド」を発見、金100也。おお、お前が百円玉と同じ価値!? かわいそうに、わたしが大切にしてあげよう。というわけで、四巻だけなんですけど、買っちゃいました。古ぼけた風合いが素敵で、見過ごすなんてできなかったんです。

なんていうのかな、よくわかんないですけど「出会いの不思議さ、面白さ」というものを感じます。「ほんとうに求めていれば、いつかなんらかの形で出会うことがきっとある」、根拠は全然ないけれど、どんなことにせよ"そのようにできている"という確信のような思いこみがわたしにはあって、今度のことでもまたふとその思いをあらたにしたのでした。うん、出会いって面白いですね。

◆通りすぎてしばらくしてから「そうか、あれって意味深な個所だったんだ」と気づく、そんな文章がときどきあります。今日はそれをメモしておきましょう、忘れてしまわないように。

「(前略)多くの人間に言えることだが、論理的結論がときとして強烈な感情に転化し、完全にその感情の虜となって、駆逐することも、改めることもひじょうにむずかしいことがある。このような人間を正常にもどすには、その感情そのものを変えねばならんが、それには同程度に強烈な別の感情を代りに注入する以外に手はない。これは常にむずかしいことであり、たいていは不可能なことだ」
新潮文庫「未成年」p.91より

あと今回はもうひとつ。こっちは別に振り返って意味深なわけではありません。が、とても気に入ったのでみなさまにも、と思いまして。

みどり子の欠伸の口の美しき
「誹諧 武玉川」より