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結婚生活は場合によって異なる様相をとる。しかし大半の女にとって、一日はほとんど同じように進行する。朝、夫がそそくさと妻と別れる。妻は、夫のうしろで戸が閉まる音を聞いてうれしく思う。彼女は自分が自由で、気兼ねなしに、家の女王になっていたいのだ。今度は子供たちが学校にでかける。彼女は一日中一人きりでいることになる。揺籠の中で騒いだり、ベビーサークルの中で遊ぶ赤ん坊は相手にならない。彼女は化粧と家事に多少なりとも長い時間を費やす。女中がいれば、用事を言いつけ、おしゃべりしたりしながら台所を見てまわる。女中がいなければ、市場をぶらつきに出かけ、近所の女や商人たちと物価について言葉を交わす。夫や子供が昼食にもどってきても、一緒に楽しむというわけにはいかない。食事の用意、給仕、後片づけと、やらなくてはならないことが多すぎるのだ。たいていは、彼らが昼食にもどることはない。いずれにしろ、彼女の前には手持ちぶさたな長い午後がひかえている。幼い子どもたちを公園に連れていき、子どもを見張りながら編み物や縫い物をする。あるいは、家の窓辺に座って繕い物をする。手は動いているが、頭はからっぽである。気がかりなことを絶えず思い浮かべる。計画を立ててみる。夢想し、退屈する。彼女の仕事は何一つ彼女自身の満足にならない。彼女の思いは、これらのシャツを着たり、これから用意する食事を食べる夫や子どもたちへと向かう。自分は彼らのためにのみ生きている。彼らはせめて自分に感謝しているのだろうか。彼女の倦怠はすこしずつ苛立ちへと変わっていき、彼女は彼らの帰りを待ちわびる。子どもたちが学校から帰ってくると、彼女は抱きしめて、質問をする。しかし、彼らは宿題があるし、子どもどうしで遊びたいので、逃げ出す。子どもは気晴らしにはならない。それに、悪い成績をとってくるし、マフラーはなくすし、騒ぐし、ちらかすし、けんかはするし。いつも、多少なりとも叱りつけなくてはならない。子どもがそばにいると、母親は気が休まるよりも、むしろ疲れる。彼女は、ますますじりじりとして夫の帰りを待ちわびる。なにをしているのだろう。どうして、まだ帰ってこないんだろう。彼は外で働いて、人に会い、みんなと話したが、私のことは考えもしなかった。彼女は愚かにも彼のために自分の青春を犠牲にしたのだと、ノイローゼ気味になって思いめぐらしはじめる。妻が閉じこめられている家へと向かっている夫は、自分に何となく罪があるような気がしている。結婚したての頃は、花束とかこまごました贈物をもって帰ったものだった。しかし、こうした儀式はほどなく意味を失う。今はもう彼は手ぶらで帰るようになり、毎日の出迎えの様子がわかっているだけに、家路を急ぎはしない。実際、妻はうんざりした様子を見せることで一日中待っていた憂さばらしをする。それによって彼女はまた、待っていたかいのない存在に対する失望感を封じるのだ。妻は不満を隠しもち、夫は夫でがっくりしている。彼は職場でおもしろくなかったし、疲れている。刺激がほしいし、休息もしたいといった矛盾した気持ちでいる。あまりに見なれた妻の顔は彼を自分から救い出してはくれない。妻が彼女自身の心配事を彼にも分かちあってほしいと思い、また、彼に気晴らしとくつろぎも期待しているのを彼は感じる。妻の存在は彼を満足させるのではなく、彼に重くのしかかってくる。彼女のそばでは、ほんとうの休息は見出せない。子どもたちもまた、気晴らしも安息ももたらさない。食事と宵のひとときは何となく不機嫌な雰囲気のうちに過ぎていく。本を読んだり、ラジオを聞いたり、気のぬけたおしゃべりをしたりしながら、それぞれが親密さのかげで孤独なままでいる。しかし妻は、不安に満ちた希望──あるいは、やはり不安に満ちた懸念──をいだきながら、今夜──ようやく!また!──何か起きるかしら、と自問する。彼女は、失望や苛立ち、あるいは安らぎを感じながら眠る。翌朝になれば、彼女は戸の閉まる音をうれしい気持で聞くことだろう。妻の境遇は、貧しく、仕事が多ければ多いほど、それだけつらいものになる。暇な時間があって気晴らしもできれば、明るいものになる。しかし、倦怠、期待、失望という図式が多くの場合に見受けられる。
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