遊びをせんとや生まれけむ

                                

 とうの昔に定年になって、通勤が必要ないのに朝早く目が覚めて「さあ今日は何をする?」って考える日も多い。

 ワイフには申し訳ないが「何を?」と言っても家事の手伝いではなく「何かオモロイこと、遊び」なんである。

現役の頃、シゴトオタクで全く家のことを省みなかったことはすっかり忘れ、賞味期限を過ぎたポンコツ・ジイに残っている楽しみは、「遊び」だけなんである。

 自分の言い訳に都合よく引き合いに出すのが、平安時代に書かれた「梁塵秘抄」と言う書物にもあるように、人間「遊びをせんとや生まれけむ」である。

それでも、遊びが思い浮かぶ日は、どちらかと言うと体調もまあまあ、気分はポジティブで、天に感謝したい望ましい日ではあるのだが。

 脳梗塞で倒れてからもうじき9年になる。

 机に向かってパソコンでインターネット・サーフィン(一頃使った語)を楽しんだり、自分のホームページやブログを編集したり、本を読んだり、絵を描いたりしている室内遊びは出来るが、片麻痺になる前に北海道で春秋やったゴルフやテニス、冬は毎週やったスキーなど、体育系の遊びは出来なくなった。
 

 スポーツ以外でも、北海道で毎日温泉に入る癖が付いたので、家で遊んでいるだけでは、ストレスが溜まる。何か体を動かさないことには、クライ〜ネタキリ・オタクになってしまいそうだ。

 のんびりしている様でも、ストレス解消が溜まり「人との会話」や「寝たきり防止の運動」などが欲しくなる。

 一昨年まで趣味の水彩画を描く会の面倒をみていて「人との会話」を定期的に楽しんでいたが、指導の画伯の急逝で止めたし、転倒が怖くて運動は跳びもケンケンも出来ず、杖を付いて家の周りを散歩するくらいしかない。スキーなんて夢のまた夢である。

 たまに、横浜駅(SOGO横)直行の江ノ電バスに敬老パスで乗って、美術館や画廊を覗き段差のないフロアーを杖突き歩いて、歩数を稼いだり、惣菜売り場でワイフの買い物に付いて歩くこともある。
 

 他に、北海道より安くはないが近場の温泉場にも無料のバスで行くことも出来し、旅行社の格安の交通費と宿だけのツアーに参加してが温泉を楽しむこともあるが、格安と言っても只ではないから、そう度々は無理だ。

 今年になってから、町内シニアー会の「グラウンド・ゴルフクラブ」に入れて貰った。

近くの一丁目公園で、子供たちが使用しない月曜と木曜の午前、1週間に2日は仲間が集まりのんびりプレイの後仲間と四方山話は出来るし、杖を置いて球を打つ木の槌(パターか?)を持って歩くだけでも、リハビリ運動にはなると思う。

  

 最初のうちは、胸元に吊った形の麻痺の右手でグリップを持つとき、チジカンダこぶしの人差し指と薬指の間のV字型の割れ目にグリップを添えるしかなかった。

 これで硬質なプラスチックの球を遠くに打とうとすると、握っていない右手のグリップは、すぐ外れて、球は遠くに行かないショートである。

 また、左手だけのグリップだけだと球の方向が定まらない。だんだんと、右拳を無理に開いてグリップを掴ませたり毎回試行錯誤の改良を加えている始末だ。

 

 比較的狭い公園だから、ロングホール3つと、ショートホール1つ、計4ホールしか取れないから、この4ホールを4周して計16ホールの1ゲームが完結する。1ゲームは歩数にして約2千歩だそうで、これが目下の運動というわけである。

 ところで、話は飛ぶようだが、自分はこのように不具でも恵まれた運動遊び場が見つかる境遇にあるから幸せだが、田舎にいる弟や友人たちはどうしているだろうか?という思いが起こってくる。

 車があって、自分で運転できる人たちは良いが、出来ない人や自分のように車の運転を止めた人たちが故郷に住んでいると夢想して、遊びを計画してみるのも、郷里の思い出遊びの1つで、故郷の遊びの環境を開発するヒントになりはしないかと勝手に考えてみたりする。

 現役時代に赴任した北海道の恵庭市に定住する積もりがあった頃、恵庭の活性化に欲しい環境を考えて、地域のコミュニティバスを提案したことがあった。

 
今では、旅行の先先の加賀温泉のキャンバスや、能登の和倉温泉のふるさとタクシー、病院通院に便利なコミュニティバスなどのシステム例が各所にあって、企画力の差が成功につながっているように見える。

 さて昔、故郷の山口県の今は長門市になった田舎のわが家の前の国道にサンデンのバス停があった。もう半世紀以上前だから今もあるかどうか怪しい。

 早速インターネットで調べてみると、嬉しいことにブルーラインバスというのが走っていて、田舎の小さいバス停でも詳しい時間表がインターネットですぐ知れる。

 経路の両端、長門病院前と大浦・油谷島の長い路線に、朝7時前後から、夕方17時台まで、工夫をして平日1日10便程度のバスが走っているではないか。主にお年寄りの通院用と知れる。

 またバス停の名を読むと昔の土地勘から路線がわかる。他にも加えて欲しい路線も考えられるが、最低限このバスがあれば、不便だった油谷湾の奥深く、川尻漁港に住んでいるお年寄りも、街にある長門病院にも一日がかりではあるが、通院できるだろうし、我が家の前からバスで新しく出来た油谷湾沿いの温泉にも行けるだろうと想像できる。

 長門市駅に出て、乗り継げば、祖母とよく行った昔からの温泉地、長門湯本温泉にも行けそうである。昔に負けないほど田舎が便利になっているのが知れて、嬉しくなった。

都会に住んでいる僕らだけが、楽をしているのは申し訳ないと思うから。

 
こんな情報がパソコンで直ぐに手に入り楽しめるのも遊びといえば遊びで、こんな遊びが可能になった現代に生きているのも、ありがたい。

 思えば、われわれの世代は、祖父母、父母が明治生まれ、叔父たちに大正生まれがいて、自分ら親子が昭和で、孫たちが平成生まれと、敗戦の時からの日本の生活文化や科学進歩の急激な移り変わりの先端をずっと経験し、見てきたという思いがある。

自分は都会に死ぬとしても、遊び心を忘れないで、故郷の今を思いやる気持ちは持ち続けたいものだ。

                              2013/2/14

追記: 《9年前に「闘病記」と称し病後に始めた自分のホームページに、「つれづれなるままに」いろいろ遊びを記録してきたが、読んでもらえれば皆の何かの慰めになるかもしれない。

URLは、http://www.geocities.jp/pcwnh186  、またはGOOGLEYAHOOの検索欄に「アトリエ家庭菜園」と名前を入力して「検索」していただければ、直ぐに見つかるはずである》