喰らう天国(ジジの冷や水

 徒然に、何か面白い番組はないか、とTVのチャンネルを回してみる。時間帯によっては、どのテレビ局も食べる番組ばかりになっていることがある。

化け物のような大喰いの女、喰うものが全て身に付いたようなデブ男(人のことは言えないが)、温泉の湯上がりに宿の自慢料理を喰って見せる女友だちやカップル、昼飯どきのランチや弁当の食べ比べなどなど、飽食の時代さながらだ。一方では、売れ残った弁当や配給の食事に頼るしかない路上生活者たちも大勢いる。

近くの横浜の石川町駅近い寿町辺りでも、日曜日に小型トラックで大量の透明袋入りのパンの詰め合わせ(恐らく売れ残ったものを集めたものだろう)を並んだ男たちに配っているNPO(らしい)人たちがいる。他人事ではないと思う。職も無く、腹を空かして、この寒空にブラブラとするしかないのであろう。またこの人たちの家族は……?などと考えると悲劇である。われわれだってそうなる可能性は極めて高いのだ。

嘘と思うかもしれないが、昭和30年代始め(1955〜1960)まで敗戦後の日本人は誰もが飢えに直面していたのだ。農村にはまだ耕運機や田植機などはなく、馬や牛に鋤(すき)を引かせる外は人力で稲作をする。戦争から生き残って帰ってきた(復員と言った)若者がいる農家は別として、田舎でも都会でもリュックを背負っての米や芋やカボチャなどの食料の買出しが日常のことだった。

それも、お金の価値が下がって(インフレになって)お金では売ってくれなく、金の代わりに、持っていた大切な着物や家具をわずかな米や芋と交換してもらう物々交換だった。お米は配給制だから普通に生活するにも足りなくて、ヤミ米を手に入れる為に知恵を絞った。車などないから、リュックを背負って運ぶしかない。列車に乗ると監視のポリ公に、せっかく手に入れた大切な米を見つけられ没収される。ヤミ米を買うのが違法だからだ。この頃は札束を縦に積んだと言われるくらいに農家天国だった。そのころの話に、ある実直な裁判官氏が不正を嫌ってヤミ米に手を出さず餓死したという新聞ニュースがあった。記憶は定かでないが、実名で報道されたような気がする。今の天下り官僚などの不信の時代には信じられない話だろう。

日本には昔から「武士は喰わねど高楊枝」と言って「腹が減っては戦ができぬ」という本音と違って、気概を外見で示す風習があった。武士の面目に関わる見栄である。

また、人前で喰うのは恥ずかしいことの一つだった。確かに喰うことは生に必要な原始的な本能的な行動で、野獣に似て浅ましい行為とも言える。特に肉食や魚など、生きものを食べるときだ。自分と他の生、生きものへの感謝の心を持たないで喰うことは浅ましい行いである。

更に言えば、面子や見栄のため喰えないことを隠すのはかわいいが、喰うことができるのを、喰えない人の面前で見せびらかすということの方がもっと倫理的な恥ずかしさでもあったのだ。

いくら手のこんだ料理人の美食であろうと、このことは変わらない。世界中の料理の鉄人と言われる料理人は、全て素材にこだわり感謝の念を持っているし、必要以上に見せびらかせない。    

僕の郷里の詩人金子みすゞに『お魚』という題の詩がある。

 お魚

 海の魚はかわいそう。

  お米は人につくられる、
 牛は牧場で飼われてる、
 鯉もお池で麩を貰ふ。

 けれども海のお魚は
 なんにも世話にならないし
 いたずら一つしないのに
 かうして私に食べられる。

 ほんとに魚はかわいそう。

 また、人前でものを喰う、というのも恥ずかしさにはこんな面もあるのをご存知だろうか。特に、嫁入り前の女性が人前で食うことは恥ずかしいことだと戒められていた。

中学生のとき読んだ当時の人類学的な本にものを食べる時の姿や動きは性を連想させる(*安田徳太郎著:人間の歴史、しかし同じ表現をここで言うのははばかる)というのがあったくらいだ。今になって、テレビで大口開けて焼肉や、ソーセージを喰らっている女性などを拝見するとなるほどなあと思う。

これがかっての日本人の感性だったのだ。箸の持ち方、膳の作法、座席の決まりごとなどなど、普通の家庭で祖父祖母、父母たちが躾たものである。今や、核家族礼賛の時代になって、正しい箸の持ち方、ナイフ・フォークの正しい使い方など洋食、和食の作法の基本も知らないゴリラ・ギャルばかりになってしまったようだ。この子たちに育てられた子は更にどうなって行くのだろう。

「それは学校教育の所為よ」と臆面もなく言ってのける教育ママがいるそうだ。儒教やキリスト教に支えられた、お隣韓国の若者の方が遥かにしっかりしていて、礼儀正しいのが現実である。韓流追っかけおばさんもこれに惹かれているのではないか。

僕ら世代はUNICEFの支援のお蔭で育ったことを忘れない。

2011年1月はNHKハイビジョンのイタリア特集の月らしく、たくさんの番組を見た。イタリア半島を「ぐるっと一回り」する番組で、地方の小さな田舎街の生活の様子や特産品や自慢料理などを見ることができた。イタリヤでも若者が職を求めて都会に転出する過疎化、住人の高齢者化が問題になっているようだ。イタリアも日本のように周りを殆ど海に囲まれているから、この問題への取り組みには似たところがありはしないかと思ってみるが、イタリアは海に囲まれてはいるがヨーロッパの真ん中で、ローマ時代から常に異教徒との攻防と協調の歴史があり、築いてきた石造の家の街は、日本の紙と木の家で直ぐに改築できるのと違って、それこそ何百年の計がなければ改築など及びもつかない。異教徒と共存するか、建物は残して街を捨てるしかない。新しくても14世紀頃からの伝統が残っている。

「イタリア料理という料理はない」「あるのはナポリのピザ、ボローニアのソーセージというような地方にある伝統料理だ」というくらい伝統と自慢のおらが文化なのだ。それぞれの仕来りが残っている。

南部のある小村では産業は石段の上のぶどう畑からのワイン、14世紀からの山羊の乳からのチーズ作り、古くから伝わる手作りの刺繍製品などを残った老人たちの手で再興して活路を見出そうと、偶々流れてきた戦争難民受け入れからヒントを得て、住民活動を起こし、難民を積極的に受け入れ、難民にワイン造りや、工芸品作りや、料理の伝統技を教え込み、一緒になって職を開発しヨーロッパ全域から観光客を引き寄せる村にしたという。これとて比較的若い牽引力を持った力がなければ出来ないことだが成功している。

あれやこれや、日本の幼稚なオフザケと、喰いものばかりのテレビ番組から逃げ場を、こういう番組を探してみると案外希望も見えてくることもありそうだ。まだ文明開化から200年も経っていない日本が一挙に気概を失ってしまうのは、なんとも情けない。

(写真はいずれもUNICEF年度報告サイトから)