五浦紀行

五浦紀行と書いて直ぐに五浦というイメージが出てくる人は少ないと思われる。

アンコウ(鮟鱇)鍋のグルメ旅や、日本の美術史上の日本美術院発祥の地や、それに携わった岡倉天心などに関心がある人以外には今ではあまり知られていないような気がする。

 五浦は茨城県の北端、福島県との県境近くのいわき市の少し南の海岸にある。地図で見ると単純に広く延びた海岸線上にあって、よほど拡大した地図でなければ海に向かって凹凸(浦)した断崖の丘陵海岸があるとは気が付かない。上野から常磐線のスーパーひたち号に乗って約2時間、途中水戸駅などめぼしい駅に止まるほかはノンストップで驀進して大津港という駅に着く。ここから約1kmに、老松が生えた小さな指状の丘がある手のひらのような五浦がある。われわれグルメ旅人たち6名は、ここの大観荘という宿でアンコウの吊るし切りショウのあるアンコウ鍋を堪能したのである。4人の昔からの世代の違う会社時代からの親友とその年配組みの2人の夫人たちである。午後に到着し、そそくさと海の見える露天温泉に入って、5時からロビーで始まるアンコウの吊るし切りショウを見て、アンコウ鍋やアワビの卓上ステーキなどの豪華グルメで、それこそ自分にとっては年に一度の夢のようなあっという間の贅沢だった。だから記念に何か紀行文でも書いておこうと思っているうちに、昔読んだ井上靖の岡倉天心の「茶の本」と何か日本美術院のことを書いたエッセイがあったことを思い出した。

 

本棚を探すと、ズバリ「岡倉天心―五浦紀行」だった。書かれたのは昭和28年5月と記されているから、半世紀以上経っている。当時は上野から急行列車で4時間とあるし、井上靖の泊まった今の大観荘と思われる「岡倉邸の向かいの浦」の宿をはじめ辺りの様子の記述も、時の洗礼を受けているとはいえ、当時を想像できる。自分で書くよりよほど行き届いた記述で、すっかり自分で書く意欲はなくなってしまった。

 昭和28年(1953年)当時すでに岡倉邸は相当荒れていたという。有名な天心門下生、木村武山、菱田春草、横山大観、下村観山らが修行した日本美術院の建物があった浦には当時もすでに建物はなかったが、岡倉天心の年老いたお嬢さん米山高麗子さんはじめ、天心と親交があった老人たちの聞き取り話を書いている。

岡倉天心の「茶の本」は何度も読んだ覚えがあるが、その人となりは今ここに出来ている茨城県天心記念五浦美術館の館内の岡倉天心記念堂の展示で詳しく知った。

あまりに優れた才能で世界を駆け巡って日本の美術を発展させた鬼才が、思い入れ強いこの五浦で思索し、釣りに明け暮れたと思うと、タナゴ、スズキ、タイ、ヒラメなど言わば尋常な釣り士の岡倉天心が、まったく次元の違う無力の今の自分たちが下手物(げてもの)アンコウ鍋を食って喜ぶようなことが出来たかどうかと思うと、愉快といえば愉快、下種(げす)といえば下種の考えである。

 新潮文庫(昭和61年)「忘れえぬ芸術家たち」井上靖著