書評:「人生の特別な一瞬」 長田 弘著 晶文社刊
詩人長田弘の詩文集である。僕にとっては日本語の美しさ、奥行きをあらためて感じる一冊であった。
本書に収められた「人生の特別な一瞬」の断片は、「あとがき」にあるように、『人生の特別な一瞬というのは、本当は、ごくありふれた、なにげない、あるときの、ある一瞬の光景にすぎないだろう。そのときは少しも気づかない。けれども、ある時、ふっと、あのときがそうだったのだということに気づいて、思わずふりむく』、『ある一瞬の光景が、そこだけ切りぬかれたかのように、ずっと後になってから、人生の特別な一瞬として、ありありとした記憶となってもどってくる』という言葉に言い表されている。
僕はちょうど、この秋、水彩画クラブの仲間と表/裏磐梯スケッチ旅をして、初めて標高1200mという表磐梯の観光ゴンドラ頂上駅から、眼下にひろがる標高500mという猪苗代湖の光景を妻と二人で見ることができ、スケッチもしたばかりなので、『天の鏡』という詩文の情景には新鮮な感動を覚えた。
冬はスキーゴンドラになるという山頂駅には、他の観光客もいなかったので、よけいに印象深かった。
短い詩文ではあるが、その後半部分を引用すると、その光景の奥行きを感じないではいられない。
『けれども、猪苗代湖のような、高地の清しさをもった広い湖がいちばんうつくしく映えるのは、湖からできるだけ遠くに離れて、湖をかこむ山々の裾野から湖を遠望するときかもしれない。山の湖は、むかしから「天の鏡」とよばれてきたというが、ほんとうだ。遠くから見る湖は、自然のなかに置かれた、きらきらひかる天の鏡のようだ。
あの碧の鏡をのぞいたら、鏡のなかに、あたらしいじぶんを見いだせると思う。だから、山の湖からは誰もがじぶんをうつす鏡を一つ、きっと胸のうちに持ちかえってくる』
全32編の詩文がY章に分けて登場するが、いずれもこの詩人がもつ、平易な言葉でありながら、ゆたかで、うつくしい、選び抜かれた日本の言の葉と、こうありたいと思うほど、研ぎ澄まされた詩文体で紡がれている。
できれば、座右において、いつでも、どの詩でも読んで、心を解き放ちたい本である。