ラッキー・ヤンガー・セブンティーズ

 会社時代から技術とか営業とか部署も年齢も違うが妙に気の会う友達がいる。最年長の自分はヤンガー・セブンティーズ、最も若手は定年を間近にした現役、の間の4人である。

ずいぶん前、みんな現役だった頃、中国東北部・撫順(ブジュン=旧満州撫順)で生まれ瀕死の赤ちゃんで引き揚げてきたという若手の一人が、定年を間近に「未だ見ぬ生まれ故郷に行ってみたい」と言うので、これを叶えてやろうと4人で中国東北部を旅した。旅慣れた一人が計画を立ててくれ、旅順・大連・撫順・瀋陽(旧奉天)・長春・ハルビンとおよそ900km余を1週間掛けて列車で旅した。

この経路は観光と言うより旧満州の日本の悪夢・汚点のような戦争の歴史の跡を辿る経路でもあった。

旧ロシアと戦った旅順の203高地の激戦の爪痕、大連の日本の絶頂期の街の痕跡、撫順の巨大な石炭露天掘りとまだ残っていた旧日本人の炭鉱社宅群、地の底から沸き上がってくるように聞こえる露天掘りの石炭運搬列車の汽笛に撫順生まれの友人が涙したように思う。また、特に瀋陽では有名な柳条湖事件を忘れじと江沢民が建設させた大きな石造りの「9・18歴史記念館」も見学出来た。展示物は写真が多かったように思うが、われわれ日本人が見るには実に恥ずかしい思いがする展示がこれでもかこれでもかと続く。長春では旧満州帝国の偽宮殿(中国人は満州皇帝宮殿をこう呼ぶ)を見て、中学生の頃だったか皇族のお嬢さん(アイシンカクラ・エイセイ)が天城の山中で慶応の学生と心中した事件を思い出したりした。

ハルビンでは旧ロシア風が色濃く残る建物や街並み、空っ風が吹き渡る日本庭園や、雄大な松花江(ソンホワ川)の川辺で凧揚げをする市民を見学した。各所のホテルからの朝の散歩で小鳥の籠を持ち寄って小鳥の鳴き比べをする人たちや、太極拳を楽しむ人たち、も見ることが出来た。全行程が列車による旅だったので、行けども行けども広大な農地が続く景色や、ビニール塵がどんどん北へ強風に飛ばされて行くのを見て、シベリアまで飛んで行くのじゃないかと思ったりした。巨大な土手を北側背後に築いて守られるビニールハウスで農作物が作られているらしいのを見て、なるほど安い農作物が日本に入ってくるはずだと思った。この4人での旅で生涯の友情が固まったと言ってよい。忘れられない旅になった。

大雑把に言って小学生1年生で日本の敗戦を味わった世代から、敗戦を小学生4年生位で経験した迎えた世代位まで、つまり現在70歳から75歳前後の世代の人たち、つまり自分たちは、丁度サーフィンのように時代の変化の波の先端に乗ってきた特異な世代だと言えると思う。

そしてこの世代は日本では極めてラッキーな世代だと思う。大切な子供時代に日本の敗戦を経験し、国民学校(旧小学校)で軍事教練を受けずに済み、生徒動員にも借り出されずに済み、敗戦で大人たちが掌を返したように転向するのを見て大人不信を体得し、学校制度が6・3制に変わる端境期にあり、教育新制の初期の手探り時代をのんびり過ごし、高校入試にはアチーブメントテストが使われ始め、大学入試には意欲的な進学適性検査なる論理テストが使われ(採点者の不足で2年くらいで無くなった)、○×式の共通テストに変わり、これも文部省の移行期準備不足でどちらも受けないで済み、始まった○×式の共通テストも長くは続かず、今の共通一次試験に変わって行った。

技術屋の自分も大学では真空管から学び、やがてデジタル技術が現れ、ダイオード、トランジスタに移り、会社時代には集積回路(IC)時代となり、大型コンピュータ時代からマイクロコンピュータ時代、やがてパソコン時代になった。どの段階の技術にも浅く広く経験があるのも、アナログ時代からデジタル時代へ移行してしまった現代の遺産、技術遺産と言えるかもしれない。

いささか唐突だが、民主党の鳩山由紀夫さんのホームページで「私の政治哲学」を読んで(アメリカで読まれて話題になっている)祖父鳩山一郎氏の掲げた「友愛」の理念再確認と、新しい日本の再構築理念が語られるのに共感した。民が豊かになって行く政治を実現して欲しい。「友愛」はフランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の博愛=フラタナティ(fraternity)を鳩山一郎氏が友愛と訳されたと言う。ある意味では、友愛とはアナログ的な思考を少し取り戻すことかも知れない。(2009/9/10up)