餅つきペッタン、湯タンポ、キリタンポ
去年の暮のこと、一丁目公園で近頃珍しい町内会主催の「餅つき大会」があった。
去年までは田中という町外れの古くからの若宮神社境内で行われていたが、手狭なことと、去年町内会が法人化されたとかで町内会活動がなるべく宗教色に偏らないようにと、町内公園で初めて行うことになったそうだ。
一丁目町内には洋光台発足当時、新行政区分でお隣旧笹下町内の一部が編入されたそうで地元旧家と新団地系の家が混じっている。
それで餅つきの臼や杵(きね)、蒸篭(せいろ)なども保有しておられる家が多いのも町内餅つきが出来る素地がある。
子供の頃僕の田舎では町中でも年末になると餅搗き用具一切を積んだ長い4輪の荷車を引いた荷馬車が来て、広場で注文を受けて餅搗きをやっていた。子供たちはこれを見るのが楽しみでもあったのだった。
最今は年末でも特にイベントをやらない限り、餅つきを外で見ることが少なくなったので、高校生くらいでもスーパーマーケットで売っている「切り餅」がどうやって作られたかも知らないようだ。せいぜい家庭餅つき機か工場の餅つき機械が作っていると思っている。
町内餅つき会に集まった町内の子達の殆どが、近所の人たちが総出で餅を搗いているのを初めて見たらしい。
餅米を研ぐ人、釜の湯を焚き蒸気を用意する人、蒸篭に入れてその釜に掛ける人、蒸し上がった餅米を臼に入れる人、杵でそれを捏(こ)ねてやがてペッタンペッタン搗く人、その搗く人と間合いを取りながら熱い餅を万遍なく搗きやすいように整える人、搗きあがった餅の熱い塊を仕上げの人たちに持っていく人、それを適当な大きさに千切りアンやキナコやおろし大根をまぶす人、パックに入れてお客さんに配る人・・・・。
これこそ昔何処にもあった絆(きずな)というものだろう。
孫たち子供たちが目をくりくりさせながら大人たちの作業を見ている。それを順番に貰って美味しそうに笑顔で食べている。僕たちがそうだったから、一度見た子は生涯忘れないだろうな。
年末もお正月過ぎてからも、晴天が続いて「大寒」になってから急に寒くなった。
北のジェット気流(偏西風)が寒冷高気圧に押されて南側に蛇行して寒気が南下するためだと言う。
去年の大震災大津波の被害の上、原発事故によるエネルギー節約の機運から、僕も思いかけずにデパートでプラスチック製の2L湯タンポを買った。
子供の頃は、ブリキ製の4Lくらいの大きさが標準だった。熱湯を入れ厚い布袋にくるんで、ばあちゃんの布団の足元に入れてあげたものだ。
昔から大して熱くはなくても長い時間皮膚が触れていると怪我になる低温ヤケドが知られていて、夜寝るときは足元から離れた遠くに入れてあげたものだ。

多分半世紀ぶりに使う湯たんぽは、机の足元に1m四角の市販アルミ・コーティング・シートを敷き、その上に座布団を敷き、その上に熱湯を入れた湯たんぽをタオル地の厚い袋に包んで置く。
適当な掛け布団を膝から掛けると快適な暖房が一日中得られる。
去年までは、電気アンカや電気パネル・ヒーターなどを使っていたが、何れも効果と安全面で「帯に短しタスキに長し」だったところが、手間を掛ければ湯タンポは火事の心配もないし省エネルギーで効果抜群、経費も安い。
ただし、「熱い」とか「退けて」とか自分で警告を出すことができない幼児や寝ているお年寄りに使うときは、要注意である。低温ヤケドは皮膚へのダメッジが大きく治りにくいから。
キリタンポは、ペッタンコ、ユタンポ、など語音の調子弾みで付けたダジャレであるが、素朴な味わいを思い出すとホッコリする。
秋田のキリタンポを初めて食したのは数十年前の出張先の茨木県土浦だった。一緒に参加した官の研究所の実験指導の方が、たまたま秋田出身で、その頃土浦でキリタンポの店を出していた老夫妻の店に連れて行ってくれた。
本場の秋田キリタンポが美味しくて虜になり、1週間の滞在中通い老夫妻の息子についての悩みなどを聴いたりしながら食べているうちに、皆でその店で打ち上げ会をやった程になったのを思い出す。
餅つきペッタン・湯タンポ・キリタンポ・・・・
どれも今蘇り、子供たちにも伝えたい郷土文化ではないかと思うのだが、「昔取った杵柄(きねづか)」という今は通じなくなった諺があったように、ホッコリ・ノスタルジアに浸った。