温泉リハビリ勧め


 高校2年生のときに68歳で亡くなった父方の祖母は温泉が大好きであった。名前はツジと言った。
そのばあちゃんとは、自分が物心が付いた頃から高校生になるまで戦前、敗戦、引き揚げ、戦後の耐乏生活を、祖母、父母と5人兄弟は(戦前は4人兄弟)一緒に過ごした。
特に戦後は父の国策会社は崩壊し定職を失い、一家は母の教職に頼っていたから、戦前戦後を通じて5人の男児の母親代わりの役目を果たしてくれた、言わば女傑であった。戸籍によると明治19年12月9日生まれの明治の女であった。炊事家事万端、農業の手解きなど、万能選手だった。

 長男の僕が小学5,6年生のときツジばあちゃんは足の筋肉炎に罹り、ばあちゃんをリヤカーに乗せて弟と一緒に1kmほど離れた吉野病院に通院したことがある。
このころから、脚の湯治に汽車に乗って長門湯本温泉に良く行くようになった。
D51機関車が客車を引く列車に長門人丸駅で乗り、古市駅、黄波戸駅、正明市駅(現在長門市駅)と3駅進み、正明市駅で美祢線に乗り換えて板持駅、長門湯本駅までの5駅目で温泉街から歩いて15分くらい離れたところに着く。
昔はタクシーなどはなく徒歩の記憶しかないが、温泉街の真ん中の川の辺に恩賜湯という立派な構えの公衆湯がある。この建物は今でも変わらない。数年前に行く機会があり、懐かしいから入ってみた。温泉の湯船の壁に昔からのこのお湯由来の住吉様?の小像が掲げられているし、湯船の深さも昔通り深かった。
 何回か入っては出て洗い場で湯上りを楽しんだりして、お湯で温まったところで、温泉の小高い裏山の上にある小さな住吉神社の祠のまえに出る小さな胸突き坂の小道をよじ登り、祠の前の石の上で、持ってきたワカメお結びを包んだ竹の皮弁当を広げたものである。そのおいしかったこと、今でもコンビニのお結びが一番である。そして又、帰る前に温泉に入るのが習慣だった。
高校を卒業した年か、自殺した同級生のK君の仏前にお参りに行き、級友たちと追悼文集「きく」を出す相談をしたのもこの石の上だった。彼はこの湯本に母親と住んでいた。 しかし、先年行ってみたところ、小さな祠は大きい神社になって大きい広場になっているのには魂消た。

 こんなわけで、温泉好きはばあちゃん仕込みである。サラリーマン生活の終わりに近くなった頃、新しい工場を作る計画に手を上げて、北海道に赴任したときは、まだ元気だったから、暇があると車を駆って温泉を渡り歩いた。
近所には、恵庭温泉をはじめ定山渓温泉、古くからの小金湯温泉、豊平峡温泉、支笏湖温泉、北湯沢温泉、などがあり、ニセコ温泉や余市の山奥のフゴッペ温泉などもそんなに遠くではなかったので、アパートのお風呂を焚く間がなかったほどである。
北海道の温泉では殆どが露天風呂で楽しんだ。建て替え前の旧い恵庭温泉では露天風呂のビニール波板の屋根は、あちらこちら破れて雪の日には雪が舞い込み、雨の日は雨粒が降ってきた。それでも露天の風のさわやかさが魅力だった。

 そんな時代から数年経って、何の因果か脳梗塞の病を貰って、右片麻痺のおまけが付いた。
さらに、ありがたいおまけは、杖さえ突けばバスにも電車にも一人で乗って歩けることだ。
しかし、自分は強がりを言ってみたところで、家のみんなはハラハラして見ているに違いない。
 ありがたいことに、バスも電車も付き添いの運賃も考慮してくれる。
付き添いと二人で1人前。つまり付き添いを付けてくれるのだ。
今まで日本全国を駆け回った車のゴールド免許証も、当初「旋回付き」という補助具をハンドルに装着する条件で書き換えることは出来たが、買っておいたハンドルに付ける「旋回ノブ」をある日家人が「なくしてしまった」と言い目の前から消えてしまったのである。妻も息子も「無くなった」と言ってちっとも探す気配を見せない。要するに取り上げられたのだろう。

 考えてみれば当然かもしれない。健常者だった頃は、自分は運転がうまい、とばかり颯爽と乗り回してはいたが、チョコチョコ、うっかりミスが多かったし、年を取って事故で人に迷惑をかけても困ると思っているのだ。
観念して、免許書き換えの期限が来た今年、思い切って書き換え講習に参加しなかった。だから運転免許は自動消滅しただろう。

 今は横浜中の自分が使いそうな路線バスの時刻表をインターネットで取り出し、専用の時刻表集に纏めてあるから、バス路線があるところなら、どこに行っても困らない。
近くでは天然温泉「みうら湯」が手っ取り早い温泉である。田谷の洞窟寺の近くにあるラドン湯という温泉にも行ってみた。
芹沢に「極楽湯」というのがあるそうだが、今のところ動けるうちは、小田原からの路線バスで箱根・仙石原のクラブ温泉を利用するか、強羅の会社保養所に温泉リハビリに行くことにしている。
ありがたいことである。
 温泉で体を温めると、体中の血流が良くなり、思うように動かぬ右手、右足も動きやすくなるようになる気がする。浮力を使って、両手両足をゆっくりと全開することも出来る。
それでも最初のうちは温泉の湯船に入るのが怖かった。支持棒などに掴まっている左手を離すと溺れそうになった。水泳は得意の方だがプールで歩いてもバランスを失うと怖かったが、ようやく今頃になって倒れても浮いていられるようになった。
又、湯疲れもあるのだろうが、何といっても良く眠れる。カバの様に一日中温泉に浸かっていてもいいと思うくらいである。例えばクラブでは朝6:00〜10:00、夕15:00〜23:00の入浴時間にそれぞれ2回ずつ、計4回は入ることがあるくらいだ。大抵半身浴でキジやウグイスの声を間近に聞きながら、ボーッとしているだけである。
北海道は長万部(オシャマンベ)近くの「二股ラジュウム温泉」には自炊で湯治を長く続けることが出来る長屋があるが、そんな生活も悪くないなあと、思ってみたりする。
いえいえ、自炊でテキトーなものを食べて湯に入ることが出来る、今で十分幸せです。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
ツジばあちゃんもいつも唱えていたなあ。