リュックサック

 外出するときはトレッキング用の杖とリュックサックが手放せない。帽子もトレッキングに似合う軽ハットを被るから、山にでも出かけるように出で立ちだけは格好良いはずである。

 しかし、ちょっと駅前に買い物に付いて行くときも、美術館に行くときも、法事に行くときも、着る服が変わるだけで基本は変わらない。何の因果か、病気を得て右片麻痺になって以来、杖がないと歩けない。おまけに、右手はほとんど物を持ったりぶら下げたり出来ないし、左手は杖を持つし、ポケットは財布やパス入れでふさがるから、メモ帳1冊持つとしてもリュックを使わざるを得ないのだ。その代わりリュックサックがあればキャベツ1、2個でも日本酒パックでも、図書館で借りる本5冊でも、何でも持てる。また、傘を差すことが出来ないから、傘の用意の代わりにビニールカッパ(ポンチョ)をリュックに忍ばせておく。

 敗戦のとき、朝鮮から一家が命からがら脱出したとき、国民学校3年生のわたしと、1年生の弟は、重いリュックを背負い、その下の弟は一番下の赤ちゃんを背負った祖母に手を引かれ、父も母も登山用のリュックに脱出行に耐える重装備を詰めて、貨物列車待ちや、関釜(下関―釜山)連絡船の船待ちなどで1ヶ月、野外やテントで暮らした。やっと関門港が機雷で使えないので山口県仙崎港の沖合いに停泊した旧関釜連絡船興安丸で内地にたどり着き、山口県の母の実家に身を寄せた。

そのときの経験からか、リュックサックは1番安心できる。その後のサラリーマン生活でも、カバンなどは度々電車の網棚などに置き忘れたが、その頃は何故か登山に行くときは別として、リュックサックを使う発想がなかった。

 

 時が経って、若い世代がおしゃれなリュックサックを使うようになり、私のように(リュックサック=引き揚げ・買出し)を連想する世代でも忌まわしい昔を忘れてリュックを使うようになり、街中に可愛いリュック姿があふれる時代が来たのが感慨深い。

勢い、私の持つリュックは小さくては物足りず、何でも入る買出し袋のように大型になる。

 

リュックサックはドイツ語の(Rucken=肩)と(Sack=袋)から来たと言われるが、もともとオーストリアの野山で狩をするときに、獲物を袋に詰めたものだといわれる。手足が自由に使えるから便利だったのだろう。

もともと野外用のラフな使い方が似合うのは当たり前で、私のように背広やジャケツ姿でも持っていかなくてはならないのは、少し見当違いのような気がする。まあしかし、背広やジャケツでもたいして上品なことをしているわけでもないので、許されるだろう。

私の場合も、右手では本1冊も持てないのにリュックサックがあれば20kgの荷でも持てるのは、小さいときの引き揚げ経験と、中学・高校の時の農作業経験の賜物だと感謝するのである。