おーい三太やーい!
ある日「うちのカミサン」が僕の本棚から1冊の本を見つけた。
僕も買っことも忘れて何年にもなる筈だが、体裁も比較的新しい「三太物語」だった。
それからというもの、カミサンは暇が出来る度に読みふけり、思い出したように時々クスクス笑っている。
年配の方なら覚えておられるだろうが、僕が中学2年生になった昭和25年(1950年)に、NHKの午後の連続ラジオ・ドラマ放送で「おらぁ三太だ」物語りが始まったと思う。
ちょうど僕らと同じような年頃の三太少年と、彼のおじいさんを中心に山奥の道志村で繰り広げる愉快な冒険談だった。日本のトム・ソーウヤーみたいだと思った。
その時は、物語りの舞台が道志村という田舎の仮想村だと思っていたが、同志村という名前だけは覚えていた。
それから何年も経ち、僕が昭和37年(1962年)から神奈川県鎌倉を経て横浜に住むようになって、道志村が神奈川県に実在することを知った。
しかし、朝早く通勤電車に揺られ、午前様で家に帰るような生活で、情けないが、とても三太くんを思い出す余裕は無かったのだ。

20世紀も終わり近くなった平成11年(1999年)〜平成12年(2000年)ごろになって、遅ればせながら自分も老後を考えて、横浜で貸し農園を探すようになったとき、丁度相模湖近くの津久井農協で、貸し農園の募集中だったのを見つけ、応募した。
そこは神奈川県内でも横浜の自宅から車で1時間半〜2時間の所だ。国道16号線を北上し、橋本から左折直進して、相模湖畔の三ヶ木というところで更に左折し青山で右に折れる山梨県に向かう道筋だった。その一帯は青野ヶ原と呼ぶらしく、「道志みち」の沿線だった。
なんと、三太物語りに出てくる道志村は実在だし、三ヶ木、青山、青野ヶ原、中野の町とか、地名もすべて実在だったのである。
三太の家は粉挽き水車小屋だったということになっている。
今は青山や三ヶ木の近く道志川と相模川との合流あたりに、三太旅館が建っているらしい。
その頃、にわかに中学のとき聞いたラジオ・ドラマを思い出し、冒頭の「三太物語」の本を買ったものとみえる。
光文社創業60周年記念出版されたという「三太物語」には青木 茂 という人が書いた一連の物語り「三太花荻先生の野球」、「三太ウナギ騒動」、「三太ローレライ」、「三太大雷」、「三太カッパ退治」など全12話が収録されている。
相模湖に近い山あいの小村・道志村を舞台に、腕白でたくましくて飾り気の無い少年三太が巻き起こす愉快な騒動の数々・・・とキャッチフレーズがついているが、読み返すほどに、あのころの貧しくも温かい誠実な人間模様が懐かしい。
ラジオ・ドラマで放送されたのは、これらのエピソードを取り込んだものだったのだ。
映画の原作にもなったという(僕は見ていないが)し、日本が生んだユーモア児童文学の最高傑作とも言われているらしい。
神奈川県の方言をはじめ、身近な実在の土地で 青木 茂 が語る物語りは、確かに村に行けば三太が今でも悪戯っぽく生きているように感じる。
青木 茂( 1897〜1982)という人は、才能豊かな人であったが、若くして結核に倒れ、通学できず、ほとんど独習で多方面の活躍をしたという。三太物語りはその三太旅館の前身の宿で書いたといい、三太は、留、定、花子らの友達のガキ大将であったとか、三太の祖父「仙じい」は魚つりの名人で、近所の「音さん」は酒好きのお人好しであったとか、村のアイドルは新しく赴任してきたきれいで、やさしい音楽の花荻先生であり、ヘビが大嫌いでよく気絶したとか、ほとんど空想で人物像を作ったらしい。驚くべき才能だ。
人物は生き生きと描き分けられていて、今も声が聞こえそうな気がするほどである。
光文社から今も発売されているかは調べていないが、Amazonや楽天などインターネットで手に入れることが出来る。
まだ読んでいない人、読み返してみたい人は、是非、お読みください。
きっと昔の神奈川県津久井を思い起こして、古きよき時代を思い起こせるでしょう。