書評―日本語は生きのびるか(米中日の文化史的三角関係) 河出ブックス 平川 祐弘著
ショッキングな本の表題である。のっけから五つの設問がなされる。
簡単に書けば来る何百年後に日本人は日本語を話しているだろうか、と言う問いである。
私には考えもしなかった問いである。しかし、この本が指摘するように、ある言語はときに消えていくという歴史的現実がある。
日本の文化は千年以上の間中国の漢字文化の影響を受けてきた。近代には英語によって英米の影響を受け、グローバル化の今は米語という英語で米英といわれる比重で影響を受けている。東大で長く比較文化を論じてきたという著者の語り口は一気に読める面白さがある。
英語は今やEUでも共通語として広まり、中国に於いてさえ学習熱が広がっているという。複数国にまたがる言語は、特定の国に浮沈を超えて生きのび得るが、日本語はそうではない。日本本土でのみ使われている言葉である。
ラテン語が消え去った現実、フランス語、ドイツ語の将来への思い、と同様日本語は生きのびることが出来るのか。
日本語が生きのびるためには、日本の国際力を高めることが必要だと著者は説く。そして、日本の古典を優れた英訳で読むという手法が紹介されている。源氏物語を名英語訳で読むなど。英語と日本語古典を比べてみる。
これは面白い方法の一つだと思う。日本語を習得した外国人が、日本人特有の感性の和文を英訳したものを原文と対比しつつ読むと面白いと言うのである。
私の少ない経験でも、数年前ある仕事でイスラエルに行った時、訪問先の企業から社内の日本語学科に通っていると言うユダヤ人女子社員とテルアビブのタワービルのレストランで昼食をともにした。若くて大きな(背の高い)美人の彼女は、会社務めの傍らテルアビブ大学では「吉本ばなな」を日本語で読んでいると言った。主として英語、片言の日本語で話す彼女は吉本ばななの感性が好きだという。普段はフェブライ語だそうだ。彼女の先生は日本女性だそうだが、日本語会話の機会が少ないのが残念だと言い、私と話す機会をもてたことを喜んでいたのを思い出す。
恥ずかしながら、自分は吉本ばななを読んだことが無かったから、話題はそこで終わってしまった。
このイスラエルや中国や韓国など海外でも日本語熱が高いのも頷けるが、私が経験しない国でも同様だろう。概して、アメリカ人のように英語を使う国の人には英語しか話さない人も多く居るが、日本人のように孤立する危機が無いのは全く環境のお蔭である。吉本ばななの発信力でイスラエルでも日本語が読まれているのである。
日本語人が国際的発信力を高めることこそ日本語が生きのびる道だと説いている。日本語で堂々と意見を言い国際的に通用する見識を持って発信できることが何よりも大切だと説いている。私の考えでは、究極のITの世界では、話した言葉はインターネットで瞬時に地球規模のオンライン・サーバーに送られ、任意の言語にオンライン翻訳がなされて返ってくるという時代はそう遠くは無いと思う。翻訳機を個人が持ち歩く時代は間もなくなくなるように思う。実験はすでに完成しているのだ。
こんな時代になると大切になるのは自国語でも発信すること、言わんとする考えがまとまっていることなど、発信力がある日本語を構築することだと理解した。
最後に再び冒頭の設問に返るのだが、何百年か先でも日本語が語れているかどうかは、私には全く自信がない。
今の日本の好い加減な政治状況や食べ物、お笑い、温泉だけのTV番組を見ていると、日本語が世界から消えて行く姿も想像できる。