ある日の横浜温泉?で

 去年の春先、温泉リハビリに、毎月のように通っていた仙石原の温泉行きのバス中で1人の青年と知り合った。この小田原駅前発の箱根登山の路線バスは1時間に2本くらいしかないせいか、シーズンオフでも毎時間、結構込み合っている。暇人の私たち夫婦は、いつも時刻の早めにバス停に行って待つから、込み合っても立つことはなかった。

ある日、ある便、旅行用のキャスター付きの大きなラッゲージを転がして、これもまた特大のリュックサックを背負い、手には一眼レフカメラとそのケースらしい手提げバックを抱えた、丸坊主の大きい青年が乗ってきた。スーツを着て身なりは正しく、見るからに小ざっぱりと垢抜けていて、日本人ではなく東洋人の旅行者らしい。

窓際の一人掛け席に窮屈そうに座って席の脇に大きいラッゲージを置いて、背中のリュックを降ろして、足元に置いた。このバスは、曲がりくねった箱根の坂道を登るから、ストッパーのないキャスターのある荷は、紐などで座席に固定しない限り、動き回る危険があるのを、以前このバスに乗り合わせて手伝った西洋人の例で知っている。慣れてなさそうな彼は、気が付いてなさそうな感じだ。

 私たちは何時ものように、向かいの二人掛け席に座っていたが、僕は大きいラッゲージを押さえていてあげようと、彼の後ろの空いていた一人席に移動した。バスは動き出し、曲がりくねった上りの山道に入ると、案の定重いラッゲージが動きだし、僕の利き左足もストッパーとして動員した。

 僕たちはこのストッパー作業を通じ、自然に英語で話すようになった。箱根の景色説明など道々のやりとりで、彼はマレーシア人で、クアラルンプールの大学を出たあと、今は上海のHP関連の会社に勤めているという。HPとはヒューレットパッカードのことかと聞くと、そうだという。彼はHP社関連のソフトウエアー技術者らしい。

休日に、一緒に仕事で東京に来た仲間と離れ、箱根には初めて独り旅に来たと言う。インターネットで箱根事情も詳しく調べていて、バスの終点桃源台手前にある富士山が見えるホテルにインターネット予約がしてあるという。 僕もずっと以前行ったことがある。割合安くて、食事は付属レストランで食べる外人向けにいいホテルだ。

打ち解けて、僕の年を聞くから、74歳だというと「私の歳の倍だ」と驚く。彼は名刺をくれ、私はメールアドレスと自分のウェブサイトのURLをメモして渡した。私たちは、仙石原営業所停留所で「ハバ・ナイス・イーブニング」と言って先に降りた。

 それから忘れた頃、上海に戻った彼からメールが入っていた。僕は中国語が出来ないし、彼も日本語は出来ないから、二人の共通語は英語しかない。おまけに、メールと同時にチャットを仕掛けてきた。チャットというのは、インターネットを使って、会話文をライブで交互に交換して会話をする。僕には日本語でも英語でも、チャットは初めてである。普段は日本語同士では電話で済むことだ。

 彼の英語は、僕の英語よりはるかに上手だし、おまけに恐らくブラインドタッチ(キーボードを見ないで両手で文章を入力する)で機関銃のように漢字混じりの返事が返ってくる。僕はと言えば、身障者の左手指1本のワンフィンガータッチである。しかも、英語となるとスペルを忘れてしまって自信がない語が多いのである。パソコンのスペルチェック機能で、正しいスペルの候補をパソコンが出してくれれば、うろ覚えでも正しいスペルが選べるから助かる。

しかし、倍の年齢を重ねたとはいえ日本の老人が間違った英語スペルを打つのでは恥ずかしいから、パソコンのスペルチェックの他に、傍らに電子辞書を置いての大奮闘である。

 彼はgoogle和英翻訳ソフトを使って(どのソフトでもそうだが、文章構造がまるで違う和英翻訳はボキャブラリーを拾う以外は使い物にならないのが多い)、僕のウェブサイトを読んでくれて、感動したと、敬意をもって僕のサイト内のブログへの感想などを書いてくる。それと、チャットが始まると、留まることを知らないから、「カミさんがご飯ですよ」と呼んでいるからと言って逃げ出すことも多かった。彼の周りには、私のような歳でウェブサイトを持ったりITに興味を持つたりする人が居ないと驚いている。

正直、日本でも同じだ。僕のサイトを読んで、日本語の勉強を始めたともいう。嬉しいことだ。勿論、数は多くはないが、英語で書いたエッセイページも読んでくれている。

 9月になって、9月末から10月初旬にかけて再び仕事で東京に来る機会が出来たと言ってきた。病院通いなど外出が多くなり、僕がそのメールメールに気付いたのは、彼がすでに上海を発った後だった。

10月某日の一日だけ僕に会うために、横浜のホテルに泊まるという。その前日は大阪神戸方面を見てきたいらしい。だから、当日は昼頃大阪からの新幹線で新横浜に着くと書いてあった。移動中は、メール交換はできないから、1週間前の日曜日のkamomeESS(僕が所属する英語クラブ)の日に、そのホテルに寄って彼宛のメモをフロントに預けておいた。

 結局、彼がメモを見る前に、日本で移動中にメールチェックができたとメールが届き、お互い大変喜んで再開の機会を待った。

当日、横浜スタジアム近くのホテルロビーで待っていたら、直に新横浜から電車で彼が到着した。

お土産と称して、中国によくある芍薬の花の掛け軸と、最近の3D写真の額装を持ってきてくれた。しかし、僕は彼を案内した後、再度このホテルに戻って来られないし、いただいたお土産は大きいので、リュックに入れて自分で持つことができない。結局ホテルに荷を置いて身軽になった彼に、横浜散歩中ずっと2つとも運んでもらうことになった。申しわけない。

 2人はホテルの前のスタジアム前停留所から桜木町駅前にバスで行き、エスカレーターや動く歩道で日本丸を眺めながら、ランドマークタワー地下の食堂街を歩き、お腹がすいた彼の食事に「陳建一」の中華食堂に入った。

Chinさんという彼はこの店の「陳」さんと同性で、中国から来た店員さんたちと大声で中国語会話しながら、とびきり辛いという中華麺を注文し、私は辛くないという麻婆豆腐を注文した。結果は、彼はちっとも辛くはないと言い、私には噎せるほど辛すぎた。

僕は不自由な足を引き摺って、また歩いてクイーンズタワー外を抜け、帆掛け舟をイメージする大きいホテルの前の万国橋渡り、最近出来た「カップラーメン博物館」ビルに並んだ「万葉の湯」に行った。僕はと言えば道中、ともすれば足は躓き、階段の昇り降りに難渋する僕の脇を支えてくれて、やっとたどり着いた感じだ。

彼も日本の温泉が好きで、前日も関西の有馬温泉に行くつもりが豪雨で断念したらしい。万葉の湯は前から噂には聞いてはいたが、入ったことはなかった。熱海や湯河原温泉湯をタンクローリーで運んでいるという。1日寛げるが、決して安くはない。しかし、彼を案内するには、熱海湯河原に行く時間と費用を考えると、リーゾナブルだ。

 知古のようにマレーシアの若者とジジが裸になって英語の湯浴みをしているのは漫画だが、身障者の私にまるでマレーシアにいるご両親に対するような気を遣い、敬意をもって付き合ってくれる彼の誠実な人柄の良さに、改めて感心する。

広い室内大浴場があり、室外の大浴場からは眼下にベイブリッジと「みなとみらい21」に囲まれた夕暮れの横浜港が広がっている。彼はロッカールームにカメラを取りに戻り、横浜港の写真を撮った。

 温泉から上がると、お腹がすいてきた。出来るだけ日本の屋台のような雰囲気を彼に味合わせようと、タクシーを拾って桜木町駅裏を覗いてみた。

彼は横浜の中華街に行きたい風だったが、僕の帰りには不都合だったので、彼には珍しくは無いようだったが、日本食の寿司屋で夕食に寿司盆とホッピー割を取って乾杯した。

年金暮らしのジジには久し振りの若者との外食だし、インターネット交流でお互い理解を深めている相手とはいえ、こんなにわだかまりなく付き合いできる今どきの有能な上海で働いているマレーシア青年(恐らく華僑の末裔と思うが)の人懐っこさとバイタリティが、眩しく感じられた。

日本国内のJRのフリーパスと、外国出入記録で分厚い中国パスポートを見せてくれた。有能なのだろう。
しかも、現役とは言え、彼はこの出会いの諸払いを僕に払わせないのだ。今度日本に来たときには、我が家に案内してお返しをしよう。

 もう十年も前、私たち夫婦は、縁あって総務省の「日本丸アジア青年の船」プロジェクトのPTAとして、1週間、アジア各国の青年たちやPTAたちと、フィリッピンまでクルーズして一緒に過ごした日々の思い出が蘇った。

今時の日本の青年たちも、同じように世界に羽ばたいているだろうか。
いや、負けずに全世界に羽ばたいて欲しい。★