木々の隙間から不意に降り注ぐ陽射しに、彼女は目を細めた。
春も半ばを過ぎ、もう間もなく梅雨を経て夏となろうとする時期。
雨の季節の一歩手前、初夏の雰囲気を漂わせた季節。
陽だけが、ほんの少しだけ気の早い夏を演出していた。
「ん〜っ」
隣にいた少女が、不意に大きく息を吸い、伸びをする。
ただそれだけのことだが、とても気持ちよさそうに見える。
「……いい天気だね、美汐」
彼女の言う通り、いい天気だった。
少し涼し目の木陰でのんびりとしていれば、それだけで気持ちよくまどろめるような、そんな陽気だ。
その陽気さをまさしく身体で表現している彼女。
元々幼く見える顔が、ふにゃっと緩んでますます幼く見えるが……だらしない、という風には思えない。
むしろ、見ている方にその気持ちよさが伝わってくるような、そんな愛らしい笑顔である。
「そうね」
そう言って美汐は、再び空の方を見上げた。
木陰から時折降り注ぐ陽射しは暖かく、遠方に望む空には緩やかに広がる雲。
文句のつけようのない、いい天気だ。
彼女、天野美汐は、今日はもう一人の少女――――実年齢は不明だが、どちらにしろ彼女よりも幼く見える――――友人の沢渡真琴と二人で出掛けていた。
今日は日曜で学校も休みだし、何よりもいい天気だから……と今朝方、美汐の家に真琴がやってきたのだった。
たまには少し遠出をしよう、と真琴は言ったのだが、結局美汐は近場で自分がよく知り、かつこのようないい天気の日に相応しいと思われる場所――――ものみの丘へとやってきたのだった。
(ここに来て、正解だった……)
となりの少女を見て、美汐は自分にそう言い聞かせる。
……ほんの少しだけ、自分の気持ちを偽って。
遠くまで
ものみの丘は、彼女たちにとってそれぞれ『因縁』のある場所だ。
そして、両者のどちらにとってもここには悲しい思い出があり、また嬉しいことがあった。
……もっとも、真琴の方ははっきりと記憶していないのだが。
「――――でね、でね。祐一がね……」
少し早目の昼食を終え、真琴はさっきからずっとしゃべり続けている。
ちなみに昼食は来る途中に寄ったコンビニで買ってきたものだ。出掛けるのが唐突でなければ、美汐が自分で作っていたのだろうが、まぁどちらでもいいことだ。
話したいことが山ほどあるのか、真琴は留まることなくしゃべり続けている。
内容は、大半が彼女の同居人――――特に、美汐の数少ない男の友人でもある、相沢祐一のことが大半だった。
相沢祐一。
彼に対して美汐の抱く感情は複雑だ。
冬に初めて出会い、真琴を通じて知り合った二人。
同じ境遇に置かれ、同じ『奇跡』を体験した二人。
だが……その結末は、同じことにはならなかった。
美汐には二度目の『奇跡』は訪れることなく、祐一には訪れた……その違いが、複雑な感情の原因の一つだ。
「――――相沢さんも、今年は受験生ですからね。それなりに頑張っている、ということでしょうね」
頭で考え事をしながらも、真琴の話はしっかりと聞いて反応を返す。
深く立ち入ることなど必要ない。真琴は単に自分の話を聞いてもらいたいだけなのだから、と美汐は考えていた。
そして、事実その通りで、真琴は美汐が少し反応を返すだけで後は勝手に話し続けている。
内容は相変わらず祐一のことばかり。
普通だったら、真琴がキラキラと目を輝かせて、自分が(おそらく本人の自覚は薄いだろうが)好意を寄せている男性の話をしている、と思うのだろうが、あいにくとそうではなく真琴は祐一に対しての文句をずっと言い続けているのだ。
今日美汐の元へとやってきたのも、真琴の話を聞くかぎりでは祐一が悪いようだ。
「でもさ、祐一全然構ってくれないんだもん……」
感情表現がストレートだが、自分よりも幼く見えるためだろうか、怒っているように見えてもどこか可愛らしく見えてしまう。無論、本人にそんなことを言えるわけもない。
美汐は気づかれないように、わずかに苦笑する。
二人を知る人間として、どちらの言うこともわかるのだ。
真琴が言うには、今日は二人でどこかへ出掛けたかったのだが、祐一の方は受験生ということもあって今日はどこかの『模試』を受けに行ってしまったという。
唐突に出掛ける、と言い出した真琴にも責任はあろうが……日常を棄てることも出来ない祐一の気持ちもよくわかる。
そして、祐一と一緒にいたい、と言う真琴の気持ちもまた。
(どうしたものかしらね……)
時間が解決するのを待つ、というのが一番の手なのだろうが……もしこのケンカが長引いたりしてしまった場合、後から美汐の方へと二人が別々に相談に来る可能性がある。
まず、そうはならないと思ってはいたが、絶対ではない。
祐一の方はともかくとして、真琴の方の機嫌を損ねると後々厄介なことになりそうだ。
「相沢さんも、仕方のない人ですね」
差し障りのないところで、ひとまず真琴の方の加勢につく。
今この場にいない人間の弁護に回ったところで、大していいことはないと判断したためだ。
美汐が(緩やかに)同意したのを聞き、真琴は味方を得た、と破顔する。
「そうよね。大体祐一ったらさぁ――――」
今度は前以上の勢いで真琴は祐一への文句や不満を言い募る。
本当に、よく変わる娘だ……と美汐は再び苦笑する。
以前に逢った時には想像も出来ない程、真琴は生き生きとして活力に満ちていた。
「……」
それは、かつて美汐の元にいた『あの子』と同じように――――。
自分が相沢祐一に抱いている感情の一つは、『嫉妬』なのだろうか?
あまりそうは思いたくなかったが、おそらく事実だろう。
自分の気持ちを正直に反省して見れば、そこにはまごうことなく相沢祐一に対する『嫉妬』――――あるいは『羨望』がある。
『あの子』は帰ってこなかったのに、真琴は帰ってきた……そのことに対する感情だ。
冬の『奇跡』――――ある意味で、悲劇的とも言えるあの一時の夢を共有した者同士でありながら、迎えた結末は違っていた。
「……」
自分の横で、祐一に対する文句を言いながらも、どこかその表情に楽しさが混じっている少女を見ながら、美汐は考えた。
確かに、祐一に対する『嫉妬』や『羨望』はある。
が、無論のことそこに『憎悪』などというものはない。
なぜか?
それは、美汐もまた真琴の帰還を喜んでいたからだろう。
だから祐一のことを憎んではいない……ただ、羨ましく、少しだけ嫉ましいだけなのだ。
そして……。
「まったく、さいてーよね、ほんと」
「――――でも、好きなんでしょ?」
真琴の言葉の間隙をついて、美汐が一言だけいった。
その一言で、一瞬にして真琴の顔色が変わる。
……本当に、面白いくらい表情に出る少女だ、と美汐は思った。
「う……あう……」
顔を真っ赤にして、何かを言おうとしているのだが……上手く言葉にならない。
もし二人が付き合い初めて長い時間を経た恋人同士、と言うのならここで真琴は上手く切り返すのだろうが、あいにくと真琴にはそのような器用さはまだ備わっていなかった。
真琴の態度を見ていれば、美汐の言葉が真実であるということは容易に知れる。
真っ赤になって何も言えなくなってしまった真琴を見て、美汐はおかしそうに笑った。
「あうぅ……ひどいよ……」
恨みがましい視線を送る真琴。
結局否定しないところをみると、言いたいことを言ってスッキリした後に美汐の一言によって、自分の気持ちというものを再確認してしまったらしい。
この分ならば、心配したようにケンカが長引いたりはしないだろう。
「相沢さんなら、きっと次の機会を作ってくれるわ。彼も、真琴のことが好きなんだから」
と、少しイジワルなフォローもいれておく。
ますます真琴の顔が赤くなり、俯いてしまう。……が、この言葉は何よりも効いただろう。
すぐ怒ったり、照れたりと、感情表現がストレートすぎる。
子供だ、と言ってしまえばそれまでだが、そういうものなのだから仕方ない。そこらへんが真琴の魅力でもあるのだから。
やはり、こうして付き合っていれば、嫉妬などが入りこむ隙などない。
美汐も真琴のことが好き……それは、揺るぎ無い本当の気持ちなのだから。
「……そういえばさ、何で美汐はここに来たの?」
恥ずかしさから立ち直ったのか、それとも誤魔化そうとしているのか――――おそらくは後者だろうが、真琴が不意に美汐に疑問に思っていたことを尋ねた。
「え、なんでって――――」
突然突きつけられた疑問に、美汐は思わず言葉に詰まる。
……それは、彼女にとってあまり聞かれたくない、あるいはあまり深く突っ込まれたくないことであった。
遠くまで出掛けるだけの時間もある。お金にも……まぁいくらかの余裕はある。
加えて真琴は遠出することに積極的である。
そこまで条件が揃っていて、わざわざ二人にとって『因縁』深いこの場所に来る必要などなかったのではないか……? 真琴はそう疑問に思っていた。
「真琴は……ここに来るの嫌だった?」
「え? ううん、そんなことないよ!」
美汐が逆に聞き返し、彼女の気分を害したのかと思った真琴が言い繕う。
ちょっと卑怯な手で逃げてしまったかな、と思う美汐だったが……。
「でも、なんか『今更』って感じがして……」
真琴が言ったその一言に、はっとさせられてしまった。
もちろん、悪気があって言った言葉ではないのだろうが、自覚のないその一言は、的確に美汐の急所を貫いていた。
『今更』……そう、今更なのだ。この場所は。
既に終わった『奇跡』の中心、それがこのものみの丘だ。
ここは、過去の夢の軌跡の残る場所でしかない……少なくとも、真琴たちはそう思っている。
口には出していないし、思っていもいないだろうが……心のどこかで美汐もそして真琴も、ここにこだわることが『未練』だと気づいているのだ。
(『今更』……確かにそうね……)
フッと自嘲的に笑う。
もう『あの子』が消えてから何年も経つのに、『今更』帰って来ると思っているのか。
未だにそのような淡い期待を持ち、未練を断てないでいるのだろうか……?
多分そうなのだろう。
真琴のことは好きだし、大切な友人だと思っている。
だが、それとこれとは話は別であろう。
真琴は『あの子』の仲間であっても、『あの子』そのものではない……。
そう思ってしまっているのだ。だから、いつまでも未練を断ちきることが出来ない……。
それが正しいのか、間違っているのか……美汐にはわからない。そして、こればかりは真琴でも祐一でも用意に口出し出来ることではない。
しかし、美汐がこの場所から離れられない、本当の理由は……。
「真琴、私ね。臆病なのよ……。だから、いつまでもここから……この街から離れられない」
ポツリ、と美汐が言った。
紛れもない、彼女の……誰にも語ったことのない本音を。
「臆病? 美汐が?」
聞き返す真琴に、美汐は軽く頷き座ったままものみの丘を見渡す。
「そう……。いつか、真琴のように『あの子』が私の元に帰って来てくれる。それを言い訳にしながら、私はこの街から離れられないの」
美汐は、かつて自分に訪れた災いから、心を閉ざしてしまった。
この冬の真琴との出会いから――――祐一との出会いから、少しずつだが凍った心は開かれていったが……それでもまだ普通の人に較べれば、閉ざされているといえる。
自分で自覚はしているし、出来る限り直そう、強く生きていこうとは思ってはいるが……なかなか直るものではない。
その頑なな心ゆえか、いつしか美汐はこの街を離れることに抵抗をもっていたのだ。
いつか『あの子』が帰って来る……そう信じているからではなく、単に惰性からこの街を離れることが、見知らぬ人と触れ合うことが怖くなっていたから……だから、自分のよく知る場所以外には行きたくなかった。
幸い、家の都合で引っ越すということは今のところないが……それに甘えて、この街で自分の知っている場所から離れたくない。自分の見知らぬ場所には行きたくない、という思いがあったのだ。
美汐は、自分のそのような感情を『臆病』といった。
自分でもわかっている。だが、どうしようもないのだ。
「終わってしまった奇跡に、いつまでも捕われていても仕方ないのにね……」
おそらく、他の誰にもこんなことは言わないだろう。
理解者でもある祐一にすら、この話はしないであろう。
ただ、真琴にだけは話してもいいかもしれない……そう思って、話してしまったのだ。
美汐の捕われている『過去の奇跡』の、直接ではないとはいえ当時者の一人である真琴には……。
「うー……よくわかんない……」
予想通り、真琴は困惑した表情で俯く。
真琴には美汐の気持ちがわからないであろう……そう思ったから、あるいは対等の友人であるから美汐は話したのだから。
「でも……美汐はそのままじゃよくない、って思ってるんだよね?」
真琴はそこで話を終わらせることなく、自らの意見を言ってきた。
それに驚くのは失礼だとは思っていても、美汐は驚かざるを得ない。
が、確かに真琴のいう通りなので、美汐は頷く。
真琴は続ける。
「だったら、きっとだいじょうぶだよっ。だって、祐一だってなんとかなってるんだもん」
「……?」
少し考え、真琴が何を指して言っているのかわかった。
祐一も『このままじゃいけない』と言って、真剣に受験勉強を始めたことを言っているのだろう。
真琴にとっては祐一に構ってもらえずに寂しいだろうが、確かに祐一でも変われた……そう思っているに違いない。
……悩みの質が違うのだが、この際それは関係ない。
「……そうね。ありがとう、真琴」
今は、真琴の気遣いに素直に感謝しよう……美汐はそう思うのだった。
いつまでもここから離れられない。
遠くへと行くことが怖いのだ。
最初は未練だった。
未練からここから離れるのが嫌だった。
いつか、『あの子』が帰ってくるような気がして、半ば強引に自分に信じさせるようにして、ここから離れないようにしていた。
それがいつのまにか、ここから離れることに対して怖くなっていた。
心を閉ざし、人との接触を拒んでいたのと同様に、頑なにこの場所にこだわり続けたことによって、他の場所へと行くのが嫌になっていた。
……情けない話だとは思う。
まるで小さな子供そのものではないか。
勿論、このままでいいとは思っていない。
だが今日も真琴に誘われた時、結局ここへと来てしまっていた。
なかなか上手くいかないものだ。
一番の問題だった『人付き合い』に関しては、真琴――――というより、祐一のおかげで大分クリアできてきたと言える。
(変われないことじゃない……ただ、時間が足りないだけ)
それは言い訳だろうか?
紛れもない自分の本心ではあるが……。
「なかなか、世の中上手くいかないものですね」
ふぅ、と溜息をつく美汐。
その様子を横から見ていた真琴が、なぜか感心したような、呆けたような表情でそれを見ていた。
「な、なに? 真琴……」
なんで自分はこんな風に見つめられているのだろう、と原因がわからず困惑する美汐。
真琴が、ポツリと言った。
「祐一の言った通りだ……」
「――――何が?」
「美汐って、おばさんくさい……」
ひくっと頬が引き攣るのが、自分でもわかった。
一体、あの男は真琴に何を教えているのか……次に会った時には、その辺のことをしっかりと問い詰めておかなくては、と硬く心に刻みつける。
多分、そう遠くない内に会えるだろうが……。
そのあと、二人はのんびりと話ながらものみの丘で時間を潰していた。
特筆すべきことはない。
ただ、友人と二人でいるだけ……。
それだけのことなのに、楽しい。
今までは他人とこうしていることなど考えられなかったのに。
初めて真琴と出会った時には、拒んでいたというのに。
時間が彼女を変えたのだろうか?
いや、決して時間だけが問題ではない。
彼女自身が変わろうとしたから。
そして、それを後押ししてくれた人がいるから……。
だから彼女は、今こうしていることができる。
(変われるはず、ですよね)
まだ時間はある。
『あの子』は帰って来ないかもしれないが、こうして真琴がいてくれる。
歩みはゆっくりとしたものかもしれないが、自分には友がいる。
いつか、遠くまでいける。
その時は、多分――――遠くない。
《あとがき》
はじめましての人、はじめまして
既に知ってる人にはこんにちわ
今回の件で、自分の遅筆っぷりを骨の髄まで感じてしまいましたゆーいちですこんばんわ(謎爆)
この作品は、我がToy Soldiers Boxと、HAMSTARさんのミズガルズの世界書の相互リンク記念のSSです
……相互リンクしたのが半年以上前じゃないか、とかいう突っ込みは勘弁してください(泣)
HAMSTARさんからのリクエストは「真琴と美汐のほのぼの」というものでしたが……いかがですか? ほのぼのになってますか?
……なってるようでなってないような、そんな感じですねぇ(汗)
普段シリアス(なバトルもの)ばっかり書いてると、ほのぼのってのは難しいですね。かといって、シリアスの短編やダークものやギャグが書けるかというと、また難しい(滝汗)
……いや、やめておこう。これ以上は何をいっても嘘になる(苦笑)
↑しかし、言い訳するには万能のセリフだな(爆)
さて、この辺で作者は引っ込むことにします(笑)
それでは楽しんでいただければ幸いです
これからも、ミズガルズの世界書の発展を祈って……
○管理人の駄文
こんにちわ。HAMSTARです。ゆーいちさん投稿のリンク記念SS「遠くまで」、ありがとうございましたー!
「真琴と美汐のほのぼの」という、管理人自身がとてつもなく苦手とするジャンルを本当にありがとうございます。
ゆーいちさんは「ほのぼのになってるようななってないような」と書かれていますが、管理人は良いと思います(偉そーに←自分)。
シリアスとのんびりとした日常のミックスが、Kanonの持つ味だとも思いますので・・・
それでは管理人もこのへんで。
Toy Soldier Boxの、ますますの発展を祈って……(祈り返し)