カメラマンのジレンマ
弟子 「先生、今日もお疲れ様でした。」
先生 「うむ、弟子よ、今日の撮影ポイントもなかなか良い風景ぢゃったのう。しかしなんぢゃな、いつも思うんぢゃが、カメラマンというのは因果な商売よのう。」
弟子 「え、何がですか?今日も先生は楽しそうに写真を撮ってましたよ。」
先生 「うむ、楽しい事は楽しい。しかしぢゃ、ワシはいつも写真の結果のことばかりしか考えられなくなっておるのぢゃ。つまり、今日のような雄大な風景を目にしても、まず真っ先に考えるのは、どういう構図にしようかとか露出は切りつめた方が画としては映えるのではないかとか。つまり目の前の風景を見ておるのではなくて、出来あがる写真を見つめておるのぢゃよ。」
弟子 「はぁ...。」
先生 「これでは、目の前の風景を楽しんでいるとは言えん訳ぢゃ。」
弟子 「ああなるほど、目の前の風景を見ている様で見てないと言う事ですね。」
先生 「うむ、なにやら禅問答の様ぢゃが、そういう事ぢゃ。これまでにも相当の良いシーンに出くわしてはいるのぢゃが、撮影から帰ってきた時は、写真のあがりばかりが気になっておって、さっきまで見ていたはずの風景の迫力はそれほど覚えておらんのぢゃよ。これは案外と悲しいもんぢゃぞ。」
弟子 「でも、出来あがった写真を見ればその時の感動も呼び起こされるわけじゃないですか。」
先生 「そう、そこがまた問題なんぢゃ。出来た写真が思惑通りならば良いぞ。そりゃもう感激もひとしおで、感動も新たってなもんぢゃよ。しかしぢゃ、思い通りの写真が出来なかったらどうぢゃ。悲しみのどん底に落ちていき、あんなすばらしいシーンを残せなかったという後悔ばかりが後に残るのぢゃよ。」
弟子 「それも悲しいですね。」
先生 「そうぢゃ、確かに感動的なシーンはこの目で見ておるのぢゃぞ。カメラマンじゃなければ、「ああ、素晴らしい風景だわ。」、と感動しまくって終わるのに、ワシの場合は同じ風景を見ても、写真が上手く出来あがらないとたちまち後悔の風景に変わってしまうのぢゃ。これを因果と言わずして何と言う。」
弟子 「じゃ写真やめれば良いじゃないですか。」
先生 「おまえもなかなかつらい事を言うのう。カメラを捨てられるんぢゃったらこんなに悩むわけないぢゃろうが。ワシは写真を撮る事が何よりも好きなんぢゃ。」
弟子 「じゃ一度カメラを持たずに出かけると言うのはどうです?」
先生 「なんちゅう事を言うんぢゃ。そんな事したらもっと後悔するに決まっておるじゃろうが。」
弟子 「じゃどうしたいんですか。先生。」
先生 「実は楽になる答えは既にあるのぢゃよ。」
弟子 「え、何ですかそれは?」
先生 「簡単な事ぢゃ。例えば雄大な風景に出会ったとしよう。そこでまずする事は、「感動する事」、ぢゃ。」
弟子 「はぁ...。」
先生 「次に、「その感動をどうフレームに納めれば良いかを考えて写真を撮る事」、ぢゃ。これは結構楽しいぞ。人間創造的な事を考えている時は楽しいもんぢゃ。」
弟子 「はぁ...。」
先生 「最後は、「出来あがった写真を見て楽しむ事」、ぢゃ。」
弟子 「それじゃあ、今だってやってる事じゃないですか。で、結果が失敗してたら全てがおしまいなんでしょ。」
先生 「うむ、そこがポイントぢゃ。つまり失敗をしなければ全てがうまく行くのぢゃ。」
弟子 「何言ってんですか、先生。そんな当たり前の事いまさら言わないで下さいよ。」
先生 「馬鹿モン!やはりおまえは何も判っておらんの。つまり大事な事は、失敗をしないように常日頃から精進せよという事ぢゃ。その為に日夜テクニックを磨き、他人の写真を見、暇があったらカメラを触っていろという事ぢゃ。判ったか未熟モン!」
弟子 「なんで最後に私が怒られなきゃいけないんですか。最初に悩んでいたのは先生ですよ。」