写真の見方
先生 「今回は、写真の見方について話をしようかの。」
弟子 「はい、宜しくお願いします。」
先生 「おまえは、写真展なんかにいった時、高名な先生の写真を前にして何を思う?」
弟子 「そうですねぇ...まずは、その写真のどこが優れている点か、例えば構図であるとか被写体の選び方であるとか光の読み方であるとか、そういった事を学ぼうとします。」
先生 「ふむ。」
弟子 「特に、これはどこが良いんだろうという写真にぶつかった時には大いに悩みますね。」
先生 「それで結論は出るのかの?」
弟子 「いやぁ、結局は自分なりの答えを見つけて、そこで納得することが多いですね。やっぱり高名な先生の作品ですから、なにかのメッセージが込められてるんだろうと思いますから。」
先生 「まだまだぢゃの。」
弟子 「え...。」
先生 「まぁ、写真を鑑賞者がどの様に見ようとそれは勝手ぢゃが、あまり深読みをしてもつまらんもんぢゃ。おまえはさっき、写真に込められたメッセージと言ったが、そんなものは撮影者に直接聞いてみない限りは判らんもんぢゃ。ものによっては撮影者だって、なんでそれを撮って作品として選んだんだか判らん場合もある。」
弟子 「そ、そうですか...?」
先生 「ああ、そうぢゃ。かの岡本太郎先生が太陽の塔について記者から、「どうやってあのような物を考えたのですか。」、と聞かれたところ、岡本先生は暫く沈黙された後、「さぁ...(出てきた)本人(太陽の塔)に聞いてみなければ...。」、と言ったそうぢゃ。ま、岡本先生は芸術家だからカメラマンの作品作りとはちと違うと思うかもしれんが、本質的には同じぢゃよ。理屈ばかりでは通らん事があるのぢゃ。」
弟子 「はぁ、そんなもんですかねぇ。」
先生 「今の話は写真の選び方と言った方がよかったのう。ま、話を戻してぢゃ、写真の見方についてぢゃが、ちょっと写真から離れて物を考えてみぃ。例えば食事。雑誌なんかで「ここは美味い!天下一品!」等と紹介されたところに行って食べたとしよう。しかし、そこで十人が十人満足すると思うか。」
弟子 「ああ、それって私も有りましたけど、たいして美味しいとは感じませんでしたねぇ。その時はなんか私にはしょっぱかった。一緒に行った友達は、雑誌に出てるから美味いんだと主張していましたけど、私には合わなかったです。」
先生 「ほれ、そこぢゃ。おまえも判っておるではないか。人の好みは十人十色という事ぢゃ。写真も食事も同じ事。食事は味覚と言う明確な判断基準があるから判りやすいだけで、写真鑑賞だって同じぢゃよ。」
弟子 「あ、なるほど。」
先生 「食事の場合は味の好み、写真鑑賞の場合は感性に合うか。使っている「感覚」は違うが本質は同じ事ぢゃ。」
弟子 「ああ、よく判りました。」
先生 「例え話でやっと判ったか。愚か者めが。」
愚か者 「はい、先生。......あ!名前が愚か者になってる!ちょっと勘弁してくださいよ、先生。」
先生 「わしゃ、この手のイジメが好きでの。前話で味をしめたもんでな。」
弟子 「勘弁してくださいよ......あ、戻ってる。」
先生 「あんまりやってもつまらんからのう。さて、話を戻してぢゃ。そもそも美味いものを食っている時に、この料理は火加減がどうの、とか、コックはこの料理に何の主張をぶつけてきたのか、等という事は考えんぢゃろう。どっちかというと、不味い時の方が、「あれ?不味いぞ?なにが原因なのかな?」、と、あれこれ考えるぢゃろうが。」
弟子 「ああ、それはありますね。そうか、不味いもの食べた時の方がいろいろと考えてますね。」
先生 「結局は「美味い」か「不味い」か、「好みに合う」か「好みに合わない」か、それだけぢゃ。」
弟子 「わかりました。先生。」
先生 「しかし、おまえの見方も全てが間違っているわけではないぞ。」
弟子 「と、いいますと?」
先生 「最初は、好きか嫌いかの判断が大事ぢゃ。しかし、その作品をさらに楽しむ為には、より突っ込んだ見方をするも良かろう。」
弟子 「つまり、この写真の主張はなんだろうとか、なぜみんながこの作品を誉めるのかを探るという事ですね。」
先生 「そうぢゃ。おまえの場合は、最初に自分の感性を使って写真を見てはおらんかったろう。写真を見る時に理屈が先に立っておったわけぢゃ。しかしそれでは自分を見失っておる。自分を見失っておるカメラマンに個性のある写真は撮れんぞ。」
弟子 「ははっ。」
先生 「写真家たるもの、写真を見る時もまず自分の主張有りきぢゃ。芸術家と同じぢゃのう。その後で、自分の感性や主張の肥やしにするという意味で、あれこれ考えるのであれば、それは大いに結構な事なんぢゃよ。ワシは特に、撮影者の背景を知るのが好きぢゃ。やはりなんだかんだ言っても、写真は撮影者の感性に深く影響されとる。感性はその人の背景が作り上げておる。つまり撮影者の背景を知るという事は、作品をより深く見つめる事が出来るという事でもあるのぢゃ。」
弟子 「勉強になりました。しかし、見られるほうとしてはどうなんですかねぇ。写真家としての主張があった場合、鑑賞者がそれを汲み取ってくれなかったら、その写真は写真家にとって意味がない訳ぢゃないですか。」
先生 「その場合は、諦める事ぢゃ。結局、その写真家にそれだけの力量がなかったと言う事ぢゃ。」
弟子 「あっさりしてますね。先生。」
先生 「人間、引き際が肝心ぢゃ。」