我が写歴 : 撮影への目覚め

 さて、念願の一眼レフは手に入れた。
 もうこの頃からバリバリ写真を撮り、目指すは有名カメラマン、毎日毎日写真三昧...と言いたいところだが、実はあまり写真を撮っていなかった。なんと、カメラを持った事が嬉しく、それだけで満足していたのである。
 記憶にある被写体と言えば、芸能誌であった「明星」や「平凡」に載っていたアイドルのグラビアをひたすら複写していたように思う。ううむ。

 しかし、そんな状況にありながらも、なんと罰当たりな事にまたも親のすねで80-200mmF4.5のAi Zoom Nikkorまでも手に入れていたのであった。そして暫くは50mmと80-200mmの二本のレンズで写真を撮っていた。
 当時はそれでも、よほどのカメラ好きでない限りは一眼レフを持つ高校生はほとんど居ない時代であった。なので運動会や文化祭、そしてクラブ活動などのイベントには、当時のフルセットを抱えて一生懸命写真を撮っていた。しかし、今記憶を探っても、何をメインに写真を撮っていたかははっきりと覚えていない。やはりまだこれといった被写体を見つけてはいなかったのであろう。要は記念写真に一眼レフを振り回す、ただのボンボンであった。
 ところがなぜかこの頃、既にNikon F3を持っていたのである。やはり親のすねであった。
 今にして思えば、これらの機材は全部例のカメラ屋さんにそそのかされ...いや、勧められて買ったものである。まんまとハメラレ...いやいや、導いて頂けたわけである。
 唯一、Ai Nikkor 24mmF2.8だけは親のすねでなく自分の貯金で買ったものであった。

 そうだ、この頃はもう一台カメラを持っていたんだった。コンパクトカメラの先駆けRICHO FF-1である。このカメラは沈胴式で当時としては世界最小のカメラだった(実はすぐにOLYMPUS XAにその座を明け渡すのだけれども)。
 ボディ前面下部に蝶番を持つ前蓋を開けると、リケノン35mmF2.8のレンズが迫り出してくる。メカフェチが少々入った私にとっては、写真を撮る事よりも、このメカニズムを眺める事の方が嬉しかった。
 ちなみに、このカメラは初めて自分の意思で選び、欲しいと思い、自分でお金を貯めて買ったカメラである。
 このカメラは重宝し、卒業アルバム製作の為の学生生活の写真を撮るのには、大変適したカメラであった。いつでもどこでも、ポケットに入っているこのカメラを出しては、パチリパチリとやっていた。特に授業中の学友を撮るのには、そのほとんど聞こえないシャッター音と手の中に隠れんばかりのコンパクトさが、大層な力を発揮したのは特筆すべき事であった。

 さてと、就職である。
 就職してすぐは、かなり写真を撮る機会は減っていた様に思う。かすかな記憶にあるのは、友人に誘われて行ったどこぞのレース場で初の流し撮りを試み、フレームアウト、ブレブレの見事な芸術写真のオンパレードを生産したこと位である。
 しばし我がカメラは眠りにつくのであった。

 就職して暫くの後、なぜか突然水中写真が撮りたくなった。理由は判らない。とにかく撮りたかった。
 本屋に行く。これがまたなんと、当時としては初めてではないかと思われる、水中写真の入門書が本屋に並んでいるではないか。これがまさに発行されたばかりであった。まるで、私の水中写真への興味に同期するかのように発行されていたのである。
 買った。むさぼるように読んだ。そして何が必要かを学んだ。まずカメラを入れるハウジングケースという名のカプセルが必要。レンズはマクロ撮影用の55mmマクロレンズが使用範囲が多くて良い。そして水中ストロボが必要。さてとじゃあカメラは何が良いのかと、ふむふむとりあえずNikonのFMとF3は使えるのか...でもF3の方がファインダーを交換する事で水中マスク越しでもファインダーが見やすくなるのか...となるとアクションファインダーも買わねば...。かなりの出費である。しかし、就職してから数年経っていたので、まぁ買えない事もなかった。という事で一気に水中写真撮影機材を揃えるに至った。

 ここに来て初めて、自分の意思で写真を撮るという行動への一歩を歩んだのであった。そしてそれは同時に、これまでの様にカメラ屋さんに流されて機材を買うのではなく、撮りたい被写体に合わせて機材を選ぶという正しい写真道への第一歩でもあったのだ。
 これでNikon F3も死蔵の時期を抜け、ようやく浮かばれる事になったのである。