第二子出産〜産後鬱

2003年2月、待ちに待った第二子の出産。
でもこの出産には大きな試練が待っていた…。


私がこのホームページを開設していることを
現役信者である親族(義理兄)に
どういうわけだか出産の真っ最中の時に見つかってしまった。

イヤ別に見つかっても良いと思って開設していたのだけど
なんだか向こうが大騒ぎしちゃって…
しかもこっちは出産の真っ最中、命がけの出産だっちゅうのに
見ることが出来なくしろだのあーだこーだ言って来た…という時のものを
出産時から1年経って思い出して書いた
『ほっとひとやすみ掲示板』No.72〜No.84を
再アップしたものです。


[72] ++ 回顧〜その1〜 ++2004-02-13 12:48++

今からちょうど一年前の正に今のこの時間、私は陣痛で苦しんでいたんだよな〜。

12日の夜7時半頃に入院して、10分から5分間隔でくる陣痛に「こんどこそ普通分娩でがんばるんだ、これを乗り越えたら赤ちゃんに会えるんだ!」って必死に痛みに耐えていた。
「ひっひっふぅ〜」って口でずっとやるから、喉も唇も乾燥して唇も切れて痛かったハズだけど、前回の出産では帝王切開で陣痛をほとんど経験していなかったから、波のように襲ってくる陣痛も、経験できること自体が嬉しかった。
(陣痛をちゃんと経験してない自分はなんだか半人前のような気がずっとしてたから)
それから、出産時にはパパに立ち会ってもらおうと思っていた。
自分が生まれてきた事自体を悔やむことがある人だったから、出産という場に立ち会うことで、生まれてくること、自分もこんなに苦しんでがんばって「生きよう」と生まれてきたからココに居るということ、私がいくら言葉で伝えようとも伝える事が出来なかったいっぱいの思いをパパに感じて欲しかった。

そして、ついでに今度こそ赤ちゃんの状態の孫をパパの両親に会わせることが出来るのだと、やっとちょっとだけ親孝行できるかもしれないと、頭の隅っこで思っていた。

そんな風にイロイロ考えながら、痛みにがんばって耐えていた一年前のこの時間。ひっひっふ〜



[73] ++ 回顧〜その2〜 ++2004-02-13 17:58++

一年前の今の時間は確か……
なかなかお産が進まないので、先生に診てもらっていた。
エコーでみてもらったら、赤ちゃんの向きが悪いみたいで、このままだと産道に赤ちゃんの頭がはまっても難産になりそうだと言われて不安だった。
一度帝王切開しているから無理はできない。
(子宮破裂の恐れがあるので)
でも、帝王切開もそれなりにリスクはある。
(私はかなりの貧血だったからねぇ)

きちんと調べるために近くの病院にレントゲンを撮りに行くことになり、電車通りの歩道を毛布でぐるぐる巻きにされて車いすに乗って行って、すごく恥ずかしいのと、陣痛で痛いのとでかなりナーバスになった。
結局赤ちゃんの向きが悪く、帝王切開の可能性が高くなった。
が、なかなか決断を下せなくて、

ひとまず無痛分娩で行くことに。
背中に麻酔の管を入れてもらいながら先生と相談するも決断はできず…。
たしかこの後ぐらいに問題の電話がパパの携帯にかかってきたような気が……。
(痛いのと不安でいっぱいいっぱいで詳しくは覚えていないんだけどね)



[75] ++ 回顧〜その3〜 ++2004-02-13 20:38++

結局次の診断でも、あんまり変わらないから帝王切開で行くことに決定。
前、先生が「流れるようなスムーズなお産だったら普通分娩、だけど違ったら帝王切開ね」と言っていたのを思い出したら決心がついた。
次の日の朝一で手術することを決めた。

落ち着いたころパパから例の電話の話をされた。
私は、パパの現役親族にも知られてもいいと思ってHPを運営していたから、最初聞いたときは、落ち着いていた。
けれど、「怒っていた」と聞いてなんで??とパニックになった。
とにかく日記を見えないようにして欲しいと言われ、私はどうにもこうにも動ける状態ではないので、パパにトップページをひとまず削除してもらうことにして、そのためにパパはいったん帰宅した。

その直後、また陣痛がはじまった。
今度の陣痛は前とは比べものにならないくらい痛い。
夕飯も出されて私の大好物だったが、食べることもできない。
そんな状況の中、パパから電話がかかってきた。
削除方法を聞くためだった。

もがき苦しむ中、私はがんばって伝えた。
周りにいた私の母も看護婦さんも「何事か!」とびっくりしていた。

自分ががんばって元気に普通にくらせるために、パパの背後にある大きな不安にも負けないように強くなるために作った自分のホームページのトップページの削除(激涙)

ちょうど一年前の今のこの時間の出来事です。


[79] ++ 回顧〜その4〜 ++2004-02-14 11:50++

トップページを削除後、パパは病院に戻ってきてくれた。
入れ違いで私の母親とさっぴょんは帰っていったが、そのときさっぴょんは本気で私が死ぬと心配していたらしい。

寝る前に陣痛を和らげるため、背中の管から麻酔の薬を入れられて、楽になる。
楽になると、イロイロ考えられるようになったが、もう怒りしかない。
わざわざ、掲示板に「陣痛が始まったから病院に行って来ます」って書いていたのに!!
もちろんこれは、ココに集う常連さん達へ報告の意味もあったが、アラシ対策の意味もあって、「煩わしいことをしないでねぇ」的意味合いもあった。
いくら、ドキュンなアラシさんといえど、出産&産後だと分かれば人としてしちゃいけないことぐらいわかるだろうと。
とにかく、出産&産後に煩わしいことに振り回されたくなかった、出産に集中したかった。
幸いアラシには合わなかったけれど、もっと煩わしく最悪の事態となったのだけど(涙)。

パパに対しての怒りと絶望感もあった。
どうして相手にちゃんと「今はそんなこと言ってる状況じゃないと」叱ってくれないのかと。
出産ってメンタルな所の影響があるデリケートなもので、しかも、ちっちゃな生命と私の命もかかっているっていうのに!!
パパが守らなくてどうするんじゃー!!って。

そんなことを悶々と考えながら眠っていると、深夜また陣痛がはじまった。
今度は麻酔が効かない!!右側は確かに効いているようだが、左側だけ、まるでおなかが裂けるかのように痛い。
ついでに、背中の麻酔の管をいれているところまで熱く燃えるように痛くなってくる。
ただごとじゃないと感じた。
おなかが裂けて死んじゃうんじゃないかと思った。

朝まで保たせる予定だったのだけど、結局深夜の緊急手術となった。


[80] ++ 回顧〜その5〜 ++2004-02-14 13:33++

そして一年前の今日2月14日午前4時45分第二子誕生。
無事元気な女の子が生まれた。

もちろん、嬉しくてたまらない気持ち。
だけど、本当だったら、一点のわだかまりもなく喜びでいっぱいだったはずのこの時を、邪魔されたという残念な気持ちは、たぶん一生引きずっていくんだろうなぁと思う。



[81] ++ 回顧〜その6〜 ++2004-02-14 14:17++

産後、育児のことで泣くことも悩むこともなかった。
でも、この日から数ヶ月は毎日泣いた。
涙を流さない日はなかった。
治まっていたハズの「エホバの証人恐怖症」も再発した。
それどころか、パニックの症状まで出るようになってしまった。
悔しい気持ちと恐怖と絶望感とぐちゃぐちゃだった。

ただでさえ、ホルモンの急激な変化で不安定になりやすい産後のこの時期に、かなりのストレスを抱えてる状態。
産後の体に良いわけがない。
退院後、しばらく実家で療養させてもらい、その後ココを再開。
でも、精神的にいっぱいいっぱいだったので、「現役さん私に構わないで〜」の気持ちを込めてトップにメッセージを書いていた。
んが!!それも伝わらず、それから数日後、現役親族さんの我が家ご訪問となる。

まだ産後1ヶ月とちょっとしか経っていない体には体力的にもかなりきつく、それ以上に精神的にもしんどかった。
その夜、私は自ら命を絶とうとした。
産後鬱状態で追いつめられていて、正常な判断ができないくらいになっていた。
でも、その寸前で赤ちゃんの泣き声で我に返ることができた。
泣き声に体が反応して、乳が張ってくるのがわかる。
なんてバカなこと考えたんだろうって思った。
昔読んでいたまんが「ぼくの地球を守って」の「くやしいなら不幸になっちゃだめだ」のセリフが頭の中に浮かんだ。

ほんと、その通りだと思った。
今私が死んじゃったら、不幸になっちゃうのは間違いなくこの大事な大事な私の子供達。
私を慈しみ愛をそそいで育ててくれた両親。
私が自暴自棄になることで、私の大事な人たちが不幸になってしまう。
そんなん、なってたまるか!!
不幸になんて絶対ならない。
幸せになってやる。そうココロに誓った。


[82] ++ 回顧〜その7〜 ++2004-02-14 15:07++

それでも恐怖症とパニックで普通に外出することは出来ないで不便な日々をすごしていた。

そんな私が今、ずいぶん回復できたのは、ネットの仲間の励ましがあったから。

あと、この出来事をきっかけに信者さんに対して憎悪に近い感情を持ってしまったにもかかわらず、今だいぶ穏やかになれたのは、現役信者でありながらすべてを話しても愛をもっていつも気遣って接してくれていた、うちを訪問してくれているM姉妹のおかげだと思う。

その後、パパの鬱、収入激減、退職、無収入生活と、かなりヘビーな一年を過ごした。
(今は再就職し、辞めたいといいながらもがんばってくれてます)苦労したおかげで、妊娠前と比べて10kg体重も落ちちゃったし。
心労ダイエットだね。

第2子は結局、パパの両親には会わせることはできなかった。
私も、出産を邪魔されたことに対して怒りの気持ちはまだしばらく治まりそうにない。
悲しいかな一生持ち続けるかもしれないと思う。

でも、気持ちや経験を語ることで、気持ちが整理できたり客観的にみることで前に進む助けになることがあります。
それを行って今までがんばっていた私は、それがこの1年間できずに、溜まった言葉や思いはぐちゃぐちゃに心の中で腐った状態でした。
ここらでスッキリして、ちょっとだけ前に進もうと思う。
そのためのこの場所「ほっとひとやすみ」だから。



[83] ++ ちなみに ++2004-02-14 15:24++

今日一歳になった我が家の第二子、Rなっちはあんよも3歩ほど出来るようになりました。
笑顔もスペシャルぷりちーです。
しっかし、子供の成長って早いね〜。
私も負けずに成長しなければ!!がんばろーっと。




大丈夫だと思っていたのにィ(涙)… ++2004-02-25 14:33++

あの出来事から1年経って、
前向きにがんばろうって思ってた。
王国会館前を車で通るのももう平気になってたし、
溜めてたものも吐き出してスッキリしてもうへっちゃらだと思ってた。
でも甘かった。。。
今朝、証人さんの訪問があって、すっごく動揺してしまった。
エホバの証人さんってわかったとたん、表情もこわばっていくのが自分でもわかった。
頭も心臓もドックンドックンして、「訪問拒否にしてもらってるんですけど」って言うのがやっとだった。ドアを閉めたあと、泣きそうになった。
落ち着かなくて、じっとしていられなくて家中をウロウロしてた
M姉妹がうちに来るのは全然へっちゃらなのに、どうしてだろ
すっかり大丈夫だと思っていたから、余計そんな自分にショックを受けてる。

あ゛あ゛〜、自分の心の傷はかなり深くて、そんなに簡単に治るモノではなかったんだなと改めて自覚してしまった。はふぅん(涙)




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