境界はざかい



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まだ、夜は明けない。
カーンは物憂げに東の空を眺めた。
早く戻ろう……朝日は、苦手だ。

高い塔をひらりと飛び降りて、黒いシャツが翻る。
間近に潜むささやかな気配にも視線にも、
彼はまったく気付かなかった。

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「おはよう…カーン」
―――それとも、お帰りってのか?
ゲオルグはベランダに立っている人影に、声をかけた。
「なんですか、すっかり潰れてたくせに…」
皮肉な笑みをうかべる想い人の首に、カーンは婉然と腕を投げかける。
「こんなに早く起きてくれるんだったら、傍で貴方を待っていればよかった」
「嘘が、巧くなったな」
こんな悪い口は、こうだ――――
「んっ……」
ゲオルグは金髪を強引に梳きながら、みずからの口で口を塞いだ。
唇によって封じられた声が、カーンの躰躯の中で熱く熔けていくのがわかった。
くちづけ一つですっかり震えあがる、ウブな男。
これが都市同盟きっての女殺しだって?
酒場に流れる武勇伝を話半分に聞いたとしても、到底眼前の男とは似ても似つかない。
羞じらって潤む眼差し、触れれば赤らむ肌……俺だけしか、知らないのか。
自分の愛しい男が『両刀』だと知っても、ゲオルグは不思議と嫌悪を抱かなかった。
いつかカーンが女と所帯を持つ時は、素直に祝ってやれるとすら思っていた。
この、美しい筋肉のうねりを覆う皎い肌を…
曙光のように柔らかな金の髪を…
何もかもを呑込んでしまうほどに深い、蒼の瞳を……
俺、誰にも渡したくないな。
「やっと醒ましてきたのに、ひどいですよ」
怨を含んだ声も艶やかに、カーンはためいきをついた。

ゲオルグの事を慮ってか、彼は皆が言うほど頻繁に女を抱いているわけではなかった。
カーンいわく、『あなたが無茶をするから、その……』
痕さえ残っていなければ、抱きに行くとでも言いたげな口調だ。
だったらずっと俺の処に居ろよ、と、ゲオルグは思うが、そこまで干渉するのは酷なので
何も言わない。
カーンが生きているだけで、充分だ。
喋って、笑って、俺の指が触れるのを許してくれる。
…本当はどこまで許してくれる?
どこまで、俺を受けとめてくれる?
ゲオルグは自分の胸のつかえを押しつぶすように、固くカーンを抱きしめた。

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「ところで、何処行ってたんだお前?」
カーンは髪をくしゃくしゃにかき混ぜた。
「適当にぶらぶらと。風が気持ち好くって…」
「あ」
野暮なこと聞いちまったな、とゲオルグは背を向けた。
本当に、散歩していただけだとは彼も思うまい。
ゲオルグの横で寝ていて、『欲しく』なったなんて、とても言えなかった。

自分を貪欲に求めてくれる唇、こんな接吻をされたらひとたまりも無い。
鎮まりかけていたゲオルグへの欲望を一気に煽りたてられて、腰が砕けそうだ。
カーンは熱を散らそうと、激しく身悶えた。
それがどれほど男の心をくすぐる動作なのか、理解する余裕さえない。
男遊びに長けた女達は、そういうものをカーンに教えてはくれなかった。
恥じらいも遊戯の一種のように、カーンの前でちらつかせるばかり。
甘言と共に少しづつ剥ぎ取っていく方法だけは…上達したと思う。
私が閨ごとに慣れている、とゲオルグは思っているんでしょうかね…本当は、
こういう時にどうすれば貴方が喜んでくれるのか、ちっとも分からない。
考え至って、カーンはひたすらに自分を羞じた。
ゲオルグ…
貴方が望むから、私は生きていられる。
その眼差し、その言葉、私を支えてくれる。
…あなたは何故、私を望むのです?
私は、貴方にどうすればよいのです?
カーンは抑えきれない自分の快楽を、恨めしく思った。

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その男は見るからに疑わしい。
妙な気配と……力を持っている。
紋章の力? 否、そうではなかろう。

人間の形はしているが、こいつは何だ。
背筋がちりちりと焦げる感触…キリィは身を竦ませた。
遥かに視界の下で、黒衣の影が窓へと消えた。

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キリィが城に来たのは、シンダル族の聖遺物を探索するためであった。
見つけ出して―――――滅する。
常人の手に負えるものではないのだ、あれは。
果ても無く終わりも無い旅。
…あれら全てを滅する事ができた時、俺たちは眠れるのか?
自分がシンダルを追う者となったのはいつの事なのか、よく覚えてはいない。
キリィが幼少を過ごした隊商の宿馬街は、流れ者ばかりの土地だった。
一人のトレジャーハンターに、育てられた。
シンダルの秘宝を探すその男は、他の宝には目もくれず、たとえ手に入れても
即刻酒代に変えてしまう、いわゆる『ろくでなし』だった。
「シンダルの宝さえあれば、他はどうでもいいぐらい金持ちになれるのか?」
幼いキリィは男に訊いてみた。
「……食い繋げれば、宝など要らない」
俺の望みは、自分の恐怖を消す事だ。そう言って、キリィに昔語りを聞かせた。
「おれも手伝おう」
生意気にも、言ったものだ…子供時代の胆力には自分ですら感心する。
男もそれを望んでいたのだろう。翌日からキリィには、一人前のトレジャーハンターと
なるべく、厳しい鍛錬と実践が課せられた。
血を吐くような毎日も、辛くはなかった。
俺にとっては、あの男に聞かされたシンダルの伝承の方が恐ろしい。
たった一度しか語らなかったのは、彼が激しく恐怖していたからであろう。
シンダルの聖遺物を捜すのは、破壊するため。
手掛かりのない古代に指をかけたとき、それが真実だとキリィは理解した。
師である男とともに旅をつづけ、わずかに数品を灰に還した。
―――古代神殿の仕掛けにやられて、彼が死ぬまで。

いずれ年をとれば、後継者を育て上げておかねばならない。
キリィは男に聞かされた物語を、誰にも伝えるつもりはなかった。…思い出したくない。
「シンダルの秘宝は、全て俺が手に入れる」
…そして、消してやる。

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翌朝、キリィは行動を開始した。
あの黒衣の男は何者か?
探偵に尋ねるまでもなく、向こうからやってきた。

劇場の片隅で、酒を酌みながらどこかの後家を口説いている。
見るともなく気配で観察を行っていたら、程なく気付いてキリィに声を掛けてきた。
「どうぞ」
グラスに一杯、コニャックを注ぐ。
「…どこかでお会いしましたか? 私をじっと、御覧でしたね」
「わからん。俺はキリィだ…」
「ではお近づきの印に、カーンと申します」
人懐っこそうな一瞬の笑み。そして彼は軽く杯を干した。
悪意は感じなかったが、本音はわからない。
キリィも応じて、注がれた酒をあおった。
「変わった気配をしているな。気になった」
「目立ちますか?」
「いや、そういう感じではない…」
「気付く人なんて、滅多にいませんがね」
長年因果な職業についていましたから、気配に匂いがついてしまったのかもしれません。
言ってカーンは苦笑した。
―――職業、吸血鬼及び妖魔専門の狩人。
確かに、そうそうあるような職業ではない。だがそんなもので、説明がつくだろうか?
この男には、何か人外の力に触れていた可能性がある。
疑いは晴れない。
キリィは要警戒、とカーンを位置付けた。

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怪我をしてしまった。
…ゲオルグが居なくてよかった。
自分を傷つけるような真似を、あの人は絶対に許さないから。

カーンは帰路を急いだ。
誰かに視られている気がして、ふと首を傾げる。
害意がないのなら、構わないでおこう。

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翌夕暮れ。
「ふぅぅぅぅぅん」
情けない吐息をついて、カーンは伸びをした。
報酬は…20万ポッチか。当分生活には困らない、どころかハルモニアに比べればかなり
物価が低いので、贅沢に過ごせる。
吸血鬼ハンターは廃業になったが、技術を無駄に捨てたりはしなかった。
私は父のもとで培われた腕に誇りを持っている。
今更平穏な職業につく気には、なれないな。
……少なくとも、今はまだ。
それに、ゲオルグが心配してくれるのが嬉しくて、やめられたものではない。
他に適職がありますか、そう言って今もハンターを続けている。
多少ヘマしても、死にませんから私。
ベッドの上で包帯を解きながら、カーンは心地好い疲れを味わっていた。

「……治りが少し遅いな」
ぼやきながらも、常人に比べれば遥かに早い。
過去、ネクロードに咬まれ吸血鬼の血を授けられたカーンは、その並外れた治癒力に
随分と救けられてきた。今もなお、彼の血がカーンを護る。
(騒がないで、私は貴方を忘れた事はないから)
誰にともなく呟くと、カーンは大きく窓を開けた。
風がはこぶ、月の翳り。
自分の中でざわめく、昏き魔性。
「仕様が無いですね……たまには一緒に、月でも眺めましょうか」
軽く上衣を引っ掛けると、カーンは夜のテラスへと向かった。

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塔の窓から、先客に呼び掛ける。
「シエラさん」
声に応え、月光がやさしく揺らいだ。
少女の容を取って、カーンを振りかえる。
「なんじゃ、おんしら仲がよさそうではないか」
「…変な事仰らないで下さい」
シエラの紅い眼差しは、カーンの血管を眺めている。
その内部に微かに遺された、ネクロードの面影を。
「ほっほっほ……妬けるのぉ。どうじゃ? 逢わせて…やろうか?」

―――――まさか。

「シエラさん…からかうのはやめて下さい」
「勿論じゃ。残念ながら、わらわも二度とあやつに会えぬ」
「ごめんなさい」
「何を謝る? わらわはおんしの為にあやつを滅ぼしたのではないぞえ」
軽やかに、空を撫ぜる笑い声。
「そんな気遣いがあるのならば、面白い話のひとつでも持って、わらわの無聊をなぐさめに来るがよい」
「面白い…?」
「面白うなくてもよいぞ、今度くらうす殿を露天風呂にでも誘うておくれ」
「……覗く気ですか」
「いかぬかえ?」
わらわはヒマなのじゃ。また相手をせいよ。
そう言ってシエラは、月光のごとき皓い蝙蝠に姿を変じて飛び去った。

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城でつきまとっても意味は無い。
カーンの魔性が現われるとすれば、『狩り』のときだろう。
彼が仕事をする刻を、キリィは待った。

傷をかばう歩みを見て、少し心が痛んだ。
この男はどこか自分に似ている。
けれど……妖異の匂いが、強すぎる。

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魔物と闘うカーンの様子を、つぶさに見届ける。
キリィは彼の死角となる位置をつかんで、さらりと潜り込む。
何かあれば、助勢するつもりもあった――――もしくは、始末を。
鮮やかなまでの強さを見せて、カーンが一匹を斬り伏せる。
(できる…)
破魔の力と銀器を用いて、巧みに相手を追い詰めていく。
しなやかな技の冴えに舌を巻いた。

キリィの見る限り、カーンは相変わらず最初に逢った時のぞっとする気配を纏っていたが、
特に異常な能力を使っているようには見えなかった。
(気のせいか。それとも…血のせいか)
カーンは吸血鬼ハンターの家系に生まれたという。
代々妖魔を狩りつづけて、魔物じみた妖気がこびりついてしまっているのだろう。
俺も―――似たようなものか。
シンダルの遺物を追い続けた、先人の怨念のごときものに取り憑かれている。
カーンもそれを嗅ぎ分けてキリィに声を掛けたのかもしれない。

「くっ…!」
鋭い声に、事態の急変を知る。
救援に現われた新たな魔物の一群が、カーンの不意をついて負傷させたらしい。
それもつかの間、彼は大地の札を掲げてそれらを一掃した。
「終わったな…」
キリィには事態は終わらなかった。
傷ついたカーンから漂う、泥のように濃い『魔』の気配。
師を失った神殿によく似た、蒼く凍りつく妖気。

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狩ろう。
…カーンは、危険だ。
シンダルに触れた者は、放置すべきではない。
その前に、どこでシンダルの遺物を見たのかを、聞き出さねば。
キリィは緊張にはりつめた口許を、そっとマントで覆った。
久しぶりの恐怖の感情で、唇がビリビリ震えている。

狩る、とはいってもキリィとカーンは互いに同盟軍の一員。
人目のある場所で決闘に及ぶわけにもいかない。
それに…聴かれてはまずい話も出るだろう。
いつ、どこでならばいい?
キリィは思案した。
初めてやつを見た、あの塔でなら―――
人の無い、夜明け前。
勝てなくとも……やる。
決意を固めて、武器を整えた。

深更にそびえ立つ塔。
キリィが振り仰ぐと、小さく人影が見える。
猛禽の嘴のような、帽子のシルエットが夜空を斬る。
そのあざやかな切断面に月の光が映った。
ふたり居る?
今はその機会ではない、という事か。

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魔が騒ぐ。
一人寝覚めて、今宵も月を浴びる。
さらさらと流れる光が、カーンの血を静める。

ゲオルグ…
早く帰ってきて下さい。
夜風よりも、貴方に抱かれていたい。
カーンは両腕で、自分の胴を巻きしめた。
声無き呟きに抗議するかのように、空が翳った。

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「…!」
首を巻く、苦痛。
恐らくはロープで勢いよく締め上げられて、カーンは思わず倒れ伏した。
反射的についた手首を、襲撃者がすかさず捕らえてねじりあげる。
私とした事が全く警戒していなかった。
なんという失態。
カーンは自分の不甲斐なさに歯噛みした。
「いきなり何をするんですか……キリィさん」

キリィはカーンを後ろ手に縛り、頭髪を掴んで乱暴に引き起こした。
「お前のその力は、何処で手に入れた?」
「……?」
「人に非ざる邪悪の力、お前に宿る『魔』はシンダルのものかと聞いている」
カーンの目に映る、深紅の鳥。
今にも爪を突き立てて彼を屠ろうとする、妖鷹の姿。
何を言われているのかさっぱり解らなかった。
「えっ…何でシンダルが出てくるんですか??」
「ではその力について、知っている事を全部吐いてもらおう」
「こんな仕打ちしなくっても、ちゃんと訊いてくれれば話しますってば」
腕を解いてください。カーンの要求は無言で却下された。
「最近の男の人は態度がなっていませんね。なんて乱暴なんだ」
ぴくり、とキリィの眉がひきつる。
「貴様、何年生きている?」
「あなたとそう変わらないとは思いますがね。言葉の綾じゃないですか」
「人間でないものの年齢はわからん。嘘ではないとどうして証する」
「わかりましたよ…話せばいいんでしょう」
カーンは観念して、自分の身の上を語りきかせた。

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「もう離してくれてもいいでしょう」
首根を掴まれたままのカーンが声を荒げる。
キリィは暫し黙考したが、縄は切らなかった。
カーンを組み伏せたまま耳元に呼び掛ける。
「おい、カーン」
「まだ何か文句あるんですか。勘弁してくださいよ…」
「お前は魔か、人か?」

「人でしょう…たぶん」
キリィの視線が、うなじのあたりに圧力を感じさせる。
ぐい、と引き上げられて、カーンは膝立ちで上を仰ぐ姿勢を強いられた。
「お前はシンダルの臭いがする…魔であれば、俺は狩らねばならん」
「……宿願、だからですか。キリィ」
「そんなまっとうな代物ではないと、俺は信じている」
でなければ、続けられる訳がない。
横一文字に疵の走った貌を、ふっと緩めてキリィは笑った。
偃月のように細く弧を描いた眼が、白くきらめいた。
「カーン。いい事を考えついたぞ」
「このまま消すってのだけは無しにして下さい。私は死にたくない」
「お前が人間だと証明できたら、開放しよう」
こういうパターンは、大抵助からない。カーンはがっかりした。
「はいはい。で、何をすればいいんですか」
質問もおのずとどこか投げ遣りになる。
「―――抱かせろ」

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息がつまる。
塔の上層を漂う妖気に、キリィは必死で耐える。
月明りのもとで、死の香りが少し薄れた。

カーンは此方を背に佇んでいる。
あまりに妖しい、藍色の影。
足元にしっかり踏みしめて、黄金色の髪を振り乱した。
キリィの鼓動が弾む。

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放った投げ輪は、見事にカーンの首をとらえた。
引き倒して即座に縛り上げる。
そうしないと、呑み込まれてしまう…この男に。
魔力よりも遥かに恐ろしい妖しの香に、魅きこまれてしまう。
シンダルの神殿の蒼い香りだ―――人を狂わせる。
蠱惑的なカーンの嘆願する声に、キリィの脳髄が痺れた。

これは一体なんだ。
「お前は魔か、人か?」
そのどちらよりも、妖しすぎる。
月光を浴びてますます冴える濃艶な色香は、狂気をもたらす以外の何物でもない。

首を掴んでのけぞらせ、覗き込むようにカーンに囁いた。
「―――抱かせろ」
確かに男性であると認識できる、しっかりした喉仏が震えた。
「…いやです」
背後にまわって羽交い締めにすると、強引に前をはだけさせた。
数日前にキリィが目撃した負傷は、あらかた跡をとどめていない。
「お前は何だ、カーン。人なのか?」
キリィはさらに促した。
「妖魔というのは、銀剣で滅びるそうだ…試してみるか?」
武器屋で拵えさせた銀の短刀を、カーンの頬に突きつける。
彼がはっきりと身をこわばらせる様子が、キリィの手に伝わってくる。
戦慄く獲物に欲望をそそられて、キリィは吸い寄せられるように唇を奪った。
身をよじったカーンの頬が浅く切れる。

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「やめて下さい…」
出血に気付いて目の色が変わったキリィにむかって、カーンが叫ぶ。
「離して…離せ! あんたの狂気にはつきあえない!!」
彼は必死で抵抗を試みるが、縛られ圧し掛かられてそれも空しい。
その無力ぶりを満足げに見遣ると、キリィは彼の胸をきつく噛んだ。
息を呑む音、そして苦鳴。
それだけでカーンのしたたるような艶を感じられる。
この生き物が何であろうと、最早どうでもよかった。
淫らな色香を漂わせる、目の前の犠牲を食らい尽くしたい。
カーンを押さえつけて衣服を脱がせると、脚の付根にも噛みついた。
全身をむさぼり尽くす接吻けに、彼の躰躯が悲鳴をあげる。
「助けて」
キリィはカーンを黙らせるために指を含ませた。
濃色に内出血した肌に掌を滑らせる。
微かに触れるだけでわななく肉体を、鷲掴みにして裏返す。
腰を引き上げられて、大きくしなる白い稜線が眩しい。
「お前はあまりにも綺麗すぎる」
だがカーンには何も応える事ができない。
「せめて俺の手で、人間に堕としてやろう」
キリィの声にカーンの躰躯が凍りついた。
その秘所に唾液の馴染む隙もなく、肉の楔が打ち込まれた。
男の狂気に蝕まれて、妖しの獣も血と粘液の匂いに酔いはじめる。
凄惨な夜の饗宴を、欠けた月だけが浩々と照らして過ぎた。

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「起きろ、もうじきに夜が明ける」
冷たい声にカーンの意識は一気に覚醒した。
しかし、躰躯はものの見事に動かない。
「結局殺さなかったんですね」
おかげで死んだ方がマシってぐらい酷い状態だ…カーンは毒づいた。
「…勿体なくてな」
「結局、何がしたかったんですかあんたは……。そのうえ、ちょっと立てそうに  ないんですけど?」
とカーンが促すと、キリィは彼をマントでぐるぐる包み、肩に担ぎ上げた。
「悪かった……部屋までは運んでやろう」
荷物のように巻かれて、みっともない格好は嫌だとカーンは思ったが、
これ以上の要求をするのも馬鹿馬鹿しくて、素直に運ばれた。

自室前で、キリィがドアをノックする。
「えっ…この部屋私だけですよ、何してるんですかキリィ?」
「ちゃんと居るぞ、中に」
「ちょちょちょちょちょちょっと、待ってください?!開けないで!ねぇ?」
「ふぁっぁ〜〜〜〜〜〜〜〜あ。誰だよ朝っぱらから」
まだ帰ってこないと思っていたが、まさかよりによって……

このまま、扉が開かなければいい。
かなり本気で、カーンはそう願った。

>おわり<

あとがき

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