急患
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男は追われていた。短槍が、頬を掠める。
通路の対岸へ渡り、息を詰めて気配をやり過ごす。
一、二…、三……人影が、闇を乱す。
(早く…早く行け)
カーンは憔悴とともに念じた。
負わされた手傷は、着実に緋の領域を広げていく。
死にはしないが面倒な事態になりそうだった。
立ち去りかけたひとりが血臭に振り返る。
(しまった!!)
カーンは手甲に仕込んであった錘付きのワイヤーを振り回す。
足を取られて追手の幾人かは行動不能になった。しかし、まだ多い。
「まずいな…」
妖魔やモンスター相手なら慣れてはいたが、組織化された人間達はどうも勝手が違う。
なるべく殺さぬように努めながら、ようやく見えた防壁をそのまま縦に駆け登る。
カーンの残像を追って、弓弦が鳴った。
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「これは命令ではなく、依頼だ。」
男は地図を指しながら云った。
軍戦に先駆けた、情報戦。気付かれる事を前提とした間諜になって貰いたい。
シュウというこの軍師は何を考えているのか。
別働の、忍者を含む諜者たちのカムフラージュをせよ、という事らしいが……。
聞く限りでは死は確実といってもよい。但し、私が普通の人間であったならばの話だが。
(捨て駒に殺すつもりか…それとも、私の正体を―――?)
「カーン殿が並の人間では無い事は知っている。
貴君ならば、生還可能だろうと判断したまでのこと。あくまで素人判断に過ぎぬので、無理強いは致しません。」
成功すれば目的の場所に敵の兵力を割かせ、新たに城を奪還する事ができよう。
前線で戦うゲオルグの危険を減らせるのなら、間接的でも彼を護る事が出来るなら―――
カーンは了承した。
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二日後―――日も暮れる頃になって、カーンは帰還した。
衣服はずたぼろで、目立たぬながら肩口と腿には、矢柄を切り捨てた鏃が食込んでいる。
(消毒さえすれば……)
重傷とはとても思えぬ足取りで、カーンは医務室へ向かった。
ノックをし、返事も待たずに滑り込む。
ドアの向こうの治療者は、カーンの惨状に黙って頷いた。
診療台に彼を横たえ、酒精と煮沸した湯で患部をてきぱきと清めていく。
創傷に沁みてひどく痛む筈なのに、それが心地好くてカーンは溜息をもらす。
―――生きている。
全身が主張する感覚を、ただ恍惚とかみ締めていた。
「助かりました、ホウアン先生」
あらかたの手当てが済んだと判断したカーンは、医務室のあるじに深謝する。
医師は呆れた風に首をすくめる。
「何を言ってるんですか…まだ矢が刺さってますよ。」
傷を切開しなければならない。そう告げてカーンに鎮痛作用のある薬湯を飲ませる。
これを、とホウアンはしごき帯のような布を一幅差し出し、カーンに握らせた。
舌を噛まぬよう、折りたたんだ布を口に含ませて鉗子とメスを手に取る。
「腿から、いきますよ」
おもむろに云ってカーンの身に手をかけた。
傷を裂かれて、瞳が糸ほどに細く絞られる。滲む汗が光を増して、凄艶を醸し出す。
耐え忍ぶ男の体からホウアンは手際良く鉄片を取り去って、止血を施す。
「っ…………はぁ」
布から開放されて、さすがにカーンも動く気力はなかった。
「カーンさん、絶対安静ですからね。私がよいというまで医務室を出ないで下さい。」
おぼろげに、医師に頷き返すとカーンは隣室のベッドに移された。
「お寝みなさい。」
(…逃げちゃ駄目ですよ)
茶目っ気たっぷりの囁きは、昏睡に落ちたカーンの耳には届かなかった。
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―――素晴らしい。
ホウアンは感動していた。
彼にとって初めて診る、吸血亜人の患者…正確には最早吸血鬼ではないのだが、
カーンを診察したいと常々思っていたホウアンはあまり気にしていなかった。
人間以上の身体能力、蘇生回復の機能…血液の体内処理機構。
知りたい…否、確かめたい事は山程あるのだが、そんなものはどうでも良かった。
心音すら聴こえる程の近くまで来て、初めて彼の価値を知った。
あかつきの創たる日光のような金の髪、美しくも均整のとれた骨格と筋肉、
内臓の健康を保証する肌膚の弾力、細やかで顕著な反応―――――なんと素晴らしい。
吐息も声も、微妙な色彩の瞳すらも、ホウアンの心を大きく揺り動かした。
(一度でいい…抱いてみたい)
ざわりとうなじの毛が浮き立った。
カーンは隣室で何も知らぬげに熟睡している。
安らかな寝息が医師から落着きを奪い去る。ホウアンは廊下へのがれた。
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(…ホウアン先生?)
ゆっくり身を起こすと、音を立てて筋肉が軋んだ。痛みはあまりない。
やっぱり常人より治りが早いかな、カーンは自分の事ながら舌を巻いた。
(これなら自室で療養しても良さそうですね…)
ホウアン先生にはちゃんと断っておこう、そう考えて周囲を見渡す。
…いない。
「どこ、いっちゃったんですかぁ…ホウアンせんせ……?」
少し舌がもつれるような気がした。
カーンは医師の姿を捜したが、医務室にはいない様子だった。
(もう傷は痛くない事ですし、勝手に帰っちゃっても、いいですかね)
「それれわ…」
ベッドから降り、わずか数歩で床からカーンの足が抜けなくなった。
(〜?)
自分が飲んだ薬湯の事を、彼ははすっかり失念していた。
鎮痛…と銘打ってあるからには、麻痺や弛緩作用も当然のごとく伴ってくる。
(失敗、しっぱ…い……)
動いた事で効き目が強くなったのか、再び睡魔がカーンを支配した。
崩折れてぶつけた肩が、鮮やかな朱に染まっていく…。
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「呆れたひとですね、絶対安静っていいませんでした?」
硬い床の上で猫のようにとぐろを巻いて眠っている男に、ホウアンは度肝を抜かれた。
多すぎても害にならない薬物を選んだとはいえ、三日は目覚めないという予測はどうしてくれるのか。
御丁寧に動き回って傷を悪化させて倒れているとは。
(貴方というひとは…猛獣とおんなじですか、カーンさん)
華奢な体格に似合わず、職業柄か人を抱えあげる事に慣れている彼は、カーンをやさしく寝かせなおした。
再び逃亡されぬように、そっと小細工を弄する。
やがて、手当てのため肉の弾けた肩に触れると、カーンがうめきながら目覚めた。
「……」
気まずそうに、ちょっと笑った表情が愛らしい。
「カーンさん…」
肩を縫い終えて、ホウアンはカーンに真正面から向かい合った。
「絶対安静と申しつけたにも関わらず信頼すべき医師の指示を勝手に無視しくさったばかりかあまつさえ逃亡・悪化させるとは一体貴方何様ですかそもそも助かる気がないのならこのような場所に来るべきではないのですええ貴方は患者失格と云っても過言ではありませんよですけれども医は仁術助かるものは助けねばなりませんしそれが医師の務めあくまでも従わないと仰るならば実力行使してでも従わせるまでのことです以降私に逆らうならばそれなりの覚悟を決めて戴きますから貴方もそのつもりでいて下さい解りましたか!」
怒涛の勢いでまくし立てられて、カーンの頭がぐらぐら揺れる。
その顎をしっかりと捉え、ホウアンはいきなり唇を奪った。
払い除けようとしたカーンの腕が、がくんと引きつれる。
「無駄ですよ、縛ってありますから」
見れば、ベッドの下から先刻の帯のようなものを通して、両手両足を縛めてある。
カーンの双眸が怒りに燃えた。ふん、とばかりに大きく貌をそむける。
「…大丈夫、生命に関わる人体実験とかはしませんから。
治るまで安静にして戴けるよう、ちょっと疲れて貰うだけですよ。こうやって……」
有無をいわせぬ力で顔を上向けると、ホウアンは再び彼の唇を蹂躪する。
とろり、と液が零れた。
舌で掬うようにして、カーンの口にそれを流し込む。
耳や胸元に垂れかかる、長い黒髪が擽ったく感じられてカーンは身を捩る。
ホウアンによる拘束は緊くはないが、簡単に自由を取り戻せるものではないようだった。
限界範囲内でカーンが避けようとするたび、各所が黒髪や唇、長い指の愛撫にさらされる。
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「ぁあっ…嫌です、離して下さいよ」
「いいえなりません。離せば、貴方は逃げてしまうでしょう?」
「ホウアン先生っ?!」
医師は構わず、彼の肋を優しくなぞる。鎖骨の辺りに舌を這わせ、頚動脈に耳を傾ける。
「骨も…肉付きも…ああ、素敵な、肉体です。ほら、段々心拍数が上がってきましたよ」
カーンにそんな気は全く無かったが、云われれば嫌でも拍動を意識してしまう。
全身にけだるい熱さがこみ上げてきて、さすがに不審を感じた。
「はぁ……ぁ………。な、何をした…?」
只の気持ち好くなっちゃうお薬ですよ、ホウアンは愛撫を続けながらさらりと言った。
「こう、するとね…もっと好くなります……よ」
冷やっこい感触が双臀の間隙を縫ってカーンにめり込んだ。
それはたちどころに疼くような熱さへと変容して、彼を激しく責め立てる。
「はんっ……あぁ。ぃ…いや……」
悶えるカーンの胴のうねりを快く鑑賞しながら、ホウアンは指を微動させる。
時折、小瓶からの薬滴を加え、ぬめぬめと奥へ潜り込ませては引き戻す。
「カーンさん、内臓まで素敵ですよ…貴方の中で、指がとろけてしまいそうです。」
熱にうかされたような声で囁きながら、ホウアンの指が増えた。
カーンのあえぎ声が高くなる。
その肌はすっかり紅潮して、鎮めるものを待ち望んでいた。
ホウアンは、カーンの脾腹に頬を当てて、腹腔を掻き回しながら彼の言葉を待っている。
「せ…先生―――ホウアン先生っ…」
「何ですか、…どうして欲しいのですか?」
全身を桃色に染めて、カーンは言葉を搾りだす。
「ゃ…、ぃやっ―――あぁ助けて…、いっ……イカせて…下さい…」
身も世もあらぬ猥らな声で、囁くように懇願する彼の中心が欲望にうち震えていた。
「そうですね…」
細波打つ切迫した表情がホウアンを煽りたてる。
もう少し焦らそうかと考えていたのだが、カーンの媚態に自身が抑えられなくなっていた。
ホウアンは着衣を寛げ、自分の分身を取り出すと、縛められた足を片方だけ開放した。
「失礼、しますよ…!」
カーンは不自由な体勢のまま、ホウアンを迎え入れた。
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極限までたわめられ、屈辱的な姿勢を強制されて、カーンが叫ぶ。
初めての相手ではない事は触れた時点で判ったので、ホウアンは思うさまに彼を犯した。
彼を抱いた者に嫉妬を覚えたが、今は…薬の効いている今だけは、カーンは自分のもの。
ホウアンの為だけに最上級の躰躯を揺らし、腹の底から嬌声を放ってくれる。
(このまま死んでくれれば、ずっと私のものという事に…)
ぞっとした。
自分は医者だ。そんな事が許される筈が無い。
脳髄が甘く痺れた。
彼が欲しい。たとえ殺してでも―――――
「カーンさんっ……!」
禁断の願いが芽生えた瞬間、ホウアンは精をうちはなった。
二人分の精液にまみれた、カーンの下腹をそっと撫でる。
一度果てた事で、彼の呼吸は平常に戻りつつあった。
「……ごめんなさい。もう少し…つきあって下さいね。」
ホウアンは、やや虚ろな目をして横たわるカーンの手をとり、体の前で縛りなおす。
もう抵抗する体力もないのだろうか、為すがままに彼は身を委ねていた。
作業の間に快復した自分のものをカーンに埋め込むと、両足とも自由にさせて抱き上げた。
「も、もう―――」
何か言いかけた唇を、そっと封印する。
力ない両腕の輪を自分の首にかけさせて、ホウアンはゆっくりと腰をつかった。
やめてください、カーンの舌だけが囁いた。
絡めた舌で聴き取りながら、彼への侵攻を進めていく。
嗅ぎなれた匂いが、医師の鼻腔を擽る。消毒液と、血の匂い―――死の匂い。
生を与えるべき交わりで、彼に死を宿す事ができたなら。
(ああ…)
興奮が、極度に達した。
ホウアンはがくがくと揺れる肢体を抱いて、自分の欲を注ぎ続けた。
…ゲオルグ―――最後の吐息を最後の呟きにかえて、カーンの首が倒れた。
ピシッ!
高らかな、平手打ちが響く。
「医者に殺されるとは、思ってもみませんでしたよ」
男は黙ってそれを甘受した。事実そうなりかけたのだ。
新しく替えた包帯の上から元通りぼろぼろの衣服を纏ったカーンが、診察台を後にする。
ホウアンは拍子抜けした。
「え……。もう、いいんですか?」
「まぁ、何と言うか…この通りですから。」
カーンが言葉をにごした。
男はほっと胸をなでおろした。
半殺しか、もっと酷い目に遭わされるだろうと考えて、覚悟はしていたものの…よかった。
だがそれを口にすれば、カーンはためらいも無く実行するだろう。黙っておくに限る。
診察室の扉にそっと手を掛けて、カーンが振り向く。
「あの……」
「は、はいっ!」
「ホウアン先生……あの人には黙ってて下さいね。それでは…」
消え入るような小声で呟くと、足早に去っていった。
「カーン…さん?」
戸惑いと共に一人残されたホウアンの手からカルテが落ちた。
「あっ!!」
(大変だ、彼の弱みを握ってしまった…)
それを活かすも殺すも、ホウアンの腕次第。
問題は―――あの人、か…。
甘味にしか興味を示さないあの人に、こんな典雅な趣味があったなんて。
しかも相手は最高級。どうやってああまで惚れさせたのだろう。
(恩をあだで返したくはないですねぇ…あぁぁ)
ゲオルグ将軍、貴方のことを見直しましたよ。呟いて、ホウアンは天井を仰いだ。
「それでは、の続きは何だったんですか……カーンさん―――」
医師の問いに答えるものはなかった。
終
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