かぎろひのひと。
―うたかたの夢に微睡む 夜を裂くひかりの舞姫―
宴に招ばれても、望んで行くことは無かった。
ハレの場に於いては、人皆にぎやかに物事を祝賀するのが、本来あるべき宴の姿といわれている。
しかし、忙しく酒を酌み交わし、騒がしく囃したてる事に、どんな意味があるというのだろうか。
夜には夜の、静寂を以って過ごすのが、流れゆく刻に対峙する礼儀ではないのかと、私はひとり物思う。杯に酒を注がれて、仕方なくあおる。
しきりに側へ来いと呼びかけてくる酔った大夫に、なまぬるい笑みを返して席を辞した。
「気分がすぐれませぬゆえ、夜風に当たって参ります」
部下達が大夫に酒を酌み、ともに冗笑している。これならば機嫌を損ねることもあるまい。
どこかで、琵琶が聴こえる…
月華の少将とうたわれる橘友雅が禁域の一室で奏でる音だと、体のなかで気付いていた。
治部省に勤めて何年だろうか、鷹通は少丞として此処にいる。
大臣と同族でありながら、傍流ゆえに斥けられていると云われても、彼には何の痛痒も無かった。
戸籍や行事などの管理は、鷹通が京の人々の為にはたらくという実感をいだくことのできる仕事であって、誇りこそすれ無闇に卑下する必要など感じたことはない。
藤原の名に恥じぬよう、ただ謹厳に清廉に、相手に対しつねに真摯な応対を心がけている。
今の鷹通の地位ですら血脈を辿ったと、最初はいわれのない陰口を叩かれた程だ。
もしも失態を演じれば、何となるかわかったものではない。
「藤原」としての血は濃くないけれど、その名は重く鷹通の肩にかかっていた。
「藤原」を意識するたびに鷹通は砥ぎ澄まされて、彼の志す在り方は血脈から遠ざかっていった。
優秀な才能を評価されるとともに、真面目すぎるといささ些か敬遠されるきらいはあるけれど、
省内では歓迎されていた。
大納言が今宵も宴を饗される。鷹通も、招ばれれば当然参上するものである。
治部省の部下達も招待されており、噂話もそわそわと落着かなげに宙を飛び交う。
一応は窘めるが、気もそぞろに浮かれるのも無理はないと、少しばかり耳を傾ける。
宵の宴に、昼が訪れた。
席を設けた中央で、皎く耀く舞いびとひとり。
立烏帽子からこぼれる髪は、夕陽の金色に煌き―― つややかな漆黒をなびかせて降りる。
短く丈を切り詰めた水干が白拍子の長身をひきたてる―― 柳のような腰までもあらわに。
いつわりの、男の容形。
舞いが終われば女性にもどる、ひとときの儚い姿。
その美しさに、惹かれぬ者はあるだろうか。いや、しかし…
琵琶の音―私の夢を醒ます。
彼女程の見事な舞姫が、たとえ皇女のご落胤として隠し育てられていたからだとしても、
ここまで急に噂にたちのぼるのは不自然ではないだろうか。
亡き父母はともかく、乳母や養育係、舞踊の師など、以前の彼女を知るものが誰もないとは奇妙な事だ。
華麗を賞でる公達は、将来に期待できそうなうつくしい少年少女を競い求める。
養子あるいは保庇者と為せば、おのずから彼等の名も高くなる算段であろう。
その血統が貴いほどに、喜ばれるのは云うまでもない。
大納言程の御人なら、当時の彼女を逸しても忘れるなどという事は考えがたかった。
鷹通は嘆息する。下級の者など鼻にもかけない、傲然たる様が板についていた。
ならば何故、白拍子なぞに…
見も知らぬ男共に媚びねばならぬほど、身を貶めた理由を知りたかった。
嘘ならば嘘で、どうしてこの様な真似をするのか。
麗わしき艶姿は、どこか痛ましくて鷹通の胸を刺す。
あまりに綺麗すぎてその存在すらも疑わしい彼女は、どこまでが偽りなのだろう。
目を離さねば見極められるとばかりに、じっと見詰める。
そんな自分に気付いた鷹通は、己を羞じて席を立つ。