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| シャンパーニュ地方では、今から300年ほど前までは通常のスティル・ワインを醸造していました。しかし、ルイ14世の頃、ブルゴーニュ・ワインとの競争に敗れたため、発泡性ワインの醸造に切り替えたといわれています。 言い伝えでは、1668年にシャンパーニュのマルヌ谷のオーヴィレール村にあるベネディクト派のオーヴィレール修道院で酒庫係を勤めていた修道士のドン・ペリニョン(Dom Perignon)が、まだ発酵しきっていないワインを瓶詰し、当時使われ始めたばかりのコルク栓をして保存しておいたところ、瓶の中でワインが再発酵し、発泡性を持つワインが出来たのがシャンパンの初めといわれています。 ドン・ペリニョンは、その後1715年に死ぬまでの47年の間、この修道院の酒庫係と会計係を担当しましたが、この間、葡萄の品種改良や、栽培法、シャンパンの醸造法の改善を行いました。特に多数の葡萄園のキュヴェ(Cuvee、年度別の樽詰)をブレンドして、酒類の向上させると同時に、テイストの均一化をさせました。この手法は現在も各醸造メーカーの秘伝の配合率として受け継がれています。 また彼は、先述のように、コルク栓と留める金具をシャンパンに導入しましたが、シャンパンの瓶型をなで肩のガラス瓶にして、繊細な泡が持続し易いようにしたのもドン・ペリニョンによるものといわれています。ちなみに彼は、盲目であったために味覚、嗅覚が発達し、良いシャンパンを作り出すことが出来た、との逸話があります。 その後、1716年に、モエ・エ・シャンドン社がクロード・モエによって設立され、マヌル川畦のエペルネをシャンパンの中心地として提唱しました。彼の後を継いだジャン・レミ・モエはナポレンが将校時代からの親友であったことから、ナポレオンの勢力拡大とともに、ヨーロッパ中にシャンパンを広めることに成功しました。ちなみにジャン・レミ・モエは、その後エペルネの市長にまでなり、その後更にナポレオンを支援した功績により、レジョン・ド・ヌール勲章を受けました。 この間、1794年にモエ・エ・シャンドン社は、ドン・ペリニョンのいたオーヴィレール修道院を買収し、「ドン・ペリニョン」の商標を持っていたメルシェル社から商標権を買収しました。こうしたことにより、「ドン・ペリニョン」はモエ・エ・シャンドン社の商品となり、現在もF1の表彰式のシャンパンシャワーに使用されていたりします。 |