● 第 六 天 社 ●
だ い ろ く て ん し ゃ
明月院から建長寺まで行く途中に、こんな場所がありました。

道路の反対側にいたのですが、そそくさと渡って近づいてみました。
右下に、由緒書きがありました。書き写すと、少し長いの、わたしなりの概要にました。
どうやら、建長寺の四方の鎮守のひとつで「南」の鎮守のようです。
建長寺の四方の鎮守は、中央五大尊と、東に八幡、北に熊野、西に子神、そして南に第六天。
徳川光圀寄進の建長寺境内図には、「四方鎮守第六天」と記されているそうですが、
現在、建長寺の四方鎮守で、その位置や、沿革が明らかなのは、この第六天だけだそうです。
第六天とは、仏教では、他化自在天と称し、魔王のごとき力を持つといわれています。
また、神道では、第六天神、つまり、第六番目の神ということだそうです。
建物は、天保2年に再建されたもののようです。
しかし、門は閉ざされ、立ち入り禁止。「危険!登るな!」の看板も。
門まで登ってみたのですが、石段はとても急で今にもくずれそうでした。たしかに、危険かもしれません。
でも、入ってみたいです(><)とても気になります。
正面写真です。

あおりで撮影したつもりはないので、急な感じとあやうい石段が伝わりますでしょうか?
そして、何故か、鳥居の向こう、左側にこんな碑がありました。

安部清明大神…。
安倍晴明ではないんですね。 同一人物だと思うのですが…。
でも、どうしてこんなところに、この人の碑があるのでしょうか???
もう、めちゃめちゃ気になります!(><;)
晴明の力の「みたて」なのでしょうか???
気になったので、さくっと調べてみただけでも、鎌倉に晴明がらみの碑がけっこうあるようです。
真相は謎のようですが…。どなたかご存知じゃないですか?
お約束なので、左右の狛犬さんです。

左が玉抑え、右が子抑え。
● 建 長 寺 ●
け ん ち ょ う じ
建長寺は、鎌倉五山 第1位のお寺です。
第六天を過ぎるとすぐに外門が見えてきました。

外門にあった文字のアップ

境内図があったので、今回撮影できた場所をマーキングしてみました。

外門をくぐると、そこは観光バスなどが停車する駐車場でした。
この日も多くの観光客が訪れていました。
そこに総門があります。

ここに書いてある文字のアップです。

この門は「巨福門」と呼ばれ、昭和18年に京都の槃舟三昧堂から方丈とともに移築されたものだそうです。
第10世住職の一山一寧の筆という「巨福山」というこの文字は、別名「百貫点」と呼ばれています。
「巨」の字に筆の勢いで点が加わったことで「百貫の価値がある」ということからだそうです。
■ ■ ■
この門をくぐると、受付があります。

ここで拝観料 300円を払います。
午前8時半〜午後4時半までの受付です。
座禅体験は無料でできます。座禅体験は、金曜・土曜の午後5時〜6時です。
受付の横に、ご朱印を希望の方は先にお預け下さい。と書いてあったので、この受付の向かいにある
授所に、ご朱印を預けました。ご朱印 300円を納めます。
■ ■ ■
受付から三門を見て、なんだかとても感動しました。
なんて立派な…

この日は、本当に雲ひとつない、真っ青な澄んだ空でした。
その空と、木々の緑にこの三門がとても堂々と映えます。
あまり感動したので、近づいて撮影したものも掲載します。しかもちょっと大きめに(^^)

唐破風造りで、銅板葺きの屋根。
中には、木造十六羅漢像や銅像五百羅漢像などが安置されているそうです。
県の重要文化財で、この下を通ると心が清浄になると言われているそうです。
■ ■ ■
この三門をくぐると正面に仏殿が見えてきます。

さらに近づいて撮影。

厳格な感じのする立派な仏殿です。
正保4(1647)年、東京の増上寺から移築されたものだそうで、
もともとは徳川秀忠(二代将軍)夫人の霊廟だったそうです。
中も撮影禁止ではなかったので、撮影してみました。

とても大きなご本尊です。ご本尊は、地蔵菩薩坐像。
■ ■ ■
仏殿までの道、左右に栢槇(びゃくしん)があります。全部で7本らしいのですが
そのうちの左にある1本です。

とても、とても立派な木です。
名勝史跡 新日本名木百選なのだそうです。
創建の当時から、750年もの歳月と火災を生き抜いた木だそうです。
■ ■ ■
この仏殿の後ろに、法堂がありました。

住職さんが、仏さまにかわって須弥壇上で説法をされるお堂だそうで、拈華堂(ねんげとう)とも言うそうです。
文化11(1814)年に再建され、現在関東では最大の法堂だそうです。
中の中央には安置されているのは、千手観音像だそうですが、ちょっとわかり辛いですね。

この日は、テレビの取材でしょうか?法堂の表にも中にも、ケーブルやら、ライトやらがありました。
写真中央には、マイクもあります。
説法があったのでしょうか…?
■ ■ ■
この法堂の後ろ(やや左ですが)唐門があります。

唐破風造りの門です。
ここで、あらためて思ったのですが、小説内でもありましたが、本当にゴミとかがないんです!
玉砂利に、よく枯葉などが詰まってたりしるじゃないですか。
それすらないのです。
写真だから写りにくいのではありません。本当に、みごとなまでにゴミがないのです。
厳格な禅寺という感じが伝わってきます。
■ ■ ■
この隣にある建物は庫裏で、事務所になっています。
この日は、笛の音が聞こえていて、なんだか情緒がただよいます。

ここに入るための入り口です。一般人が入っていいのかわからなかったので、ここまで。

この前をすぎると、方丈の入り口です。

ここから見える方丈。
京都の槃舟三昧堂から、総門とともに移築されたものです。

さて、中に入ってみました。
土足禁止で、中には大きな下駄箱があります。一般客の下駄箱はこちらとあったのでそちらに靴を入れます。
ここにも塵ひとつ落ちてない、ぴかぴかの床です。
順路にそって左側にまわります。
上の写真、正面からみた中です。

さらに、進むと、この左側に、大きな太鼓がありました。
その太鼓をすぎ、角をまがると、これまた立派なお庭が見えてきます。

水の上にも、落ち葉ひとつ落ちていません。もちろん、歩いてる床も。
■ ■ ■
方丈を出て、法堂や仏殿から、道をはさんで向かいに、なにやら石碑が建っているので見に行ってみました。

「比田井天先生碑」とありました。すいません…よくわかりませんでした。
ちなみに、この右側に、お手洗いがあります。
■ ■ ■
さらに、この左側に、観音像を見つけたので行ってみました。

由来書を撮影してきたのですが、ぴかぴかすぎてあまり読めない状態だったので、
詳しくはわからないのですが、「曙観音」昭和54年10月6日に建ったそうです。
■ ■ ■
さらにその後ろに塔がありました。

階段は、ぼろぼろでした。
扉も閉ざされているし、登れるところまで登ってみたのですが、それらしい由緒書もありません。
受付でもらったパンフにも、書いてなかったのです。
うちに帰って写真の整理や、ガイドブックを見てみると、震災供養塔のようです。
■ ■ ■
階段を下りて、先ほどの石碑の後ろを通る形で、道を進みます。
パンフによると、この先に半僧坊があるようです。
途中、一般客は入れないような、宝珠院、竜峰院、天源院がありました。
天源院手前まで行って、もとの道に戻る途中、小さな石碑を発見!
そこには「弘法大師」とだけ彫られていました。
どうして、こんなところに、ただ名前だけ彫られた石碑があるのでしょう…
さらに、行くと正統院があり、「神雷戦士の碑」と看板まで出て矢印があるのに、入れませんでした。
その途中に、母親が赤ん坊を抱えたそうな石造がありました。
矢印つけておきながら、入れないってどうゆうことぉ???
さらに、地図で見ると、この先に「河村端賢の墓」があるようです。
これらの写真は、容量の都合で削除させていただきました。
■ ■ ■
さてさて、目指すは天狗さんです!
とにかく矢印のしめすままに、建長寺の奥まで進みます。
そういえば、何かのガイドで、建長寺は全部まわれば20分かかると書いてありました…
とっくに20分すぎてる気がします…。
半僧坊まで、いったいどれぐらい歩かされるのでしょうか???
わからないまま進みます。

写真で見えますでしょうか?手の矢印が面白かったので、掲載してみました。
正統院に入るところの横にありました。
■ ■ ■
竹が密集してきました。
その先にそれらしいのが見えてきました!
