● 江 ノ 島 電 鉄  鎌 倉 駅 ●

え の し ま で ん て つ  か ま く ら え き

 

江ノ電に乗るの、初めてなんです(*^^*)

電車入って来ました。

どうでもいいんですけど、なんとなく旅立っぽくて掲載しました…

駅員さんごめんなさい…後ろ向いてるからモザイクなしで使用しました…(^^;

 

いざ出発!

 

 

 

 

● 和 田 塚 ●

わ だ づ か

 

江ノ電に乗って、一つ目の駅「和田塚駅」を下りて、由比ヶ浜に向かって歩くと

普通の住宅街の公園かのように現れます。

写真右下にみえる階段を上ると、正面に見えるのがこれ↓

刻まれた文字は「和田一族戦没地」

写真、左にあるのがこれ↓

文字読み辛いですか?

「和田義盛一族墓」と書いてあります。

■ ■ ■

階段上がってすぐ左手手前にあるのが

「大震災殃死者供養碑」

先ほどの「和田一族戦没地」の右隣には、「戦没者慰霊塔」

えっと…タタルさんも語っているので、深くがふれませんが

ここはもともと、無常堂塚と言われていたそうですが、明治中頃、工事中に塚の一部より人骨が発見され

建保元(1213)年に、北条氏に敗れた和田義盛一族らの墓地ではないかということで、和田塚と呼ばれるようになったとか。

でも、ここは、古墳の構造になっているそうで、向原古墳群の一つという説もあり、和田一族の墓というは疑問がもたれるとか。

 

■ ■ ■

 

せっかく和田塚で下りたので、小説では、ふれてもいないのですが、六地蔵まで足をのばしてみました。

 

もと来た道を戻り、和田塚駅を過ぎてしばらく行くと、6叉路(?)に出ます。

その一角に、六地蔵はありました。

横断歩道を渡って、近づいて撮影

ここの少し北に、鎌倉時代の処刑場所があったそうで、

長い間、荒地で「飢渇畠(けかちばたけ)」と呼ばれていたそうです。

そこに、罪人を霊を弔うために、地蔵を祀ったのはじまりで、のちに現在の場所に移って来たとか。

どんな理由で移って来たのかわりませんが、人通りが多い方がよかったでしょうか?

また、この場所は「芭蕉の辻」ともいうそうです。

俳人:松尾百遊という人はが、芭蕉をしのんで句碑を建てたとか。

「夏草や つわものどもの 夢の跡」

という句碑らしいのですが、見てないですよぉ〜(T-T)

 

それよりも、わたし、後ろの鳥居に気を取られていました。

「この紋わっ!!(@●@)」

佐助稲荷と一緒じゃないですかっ!!って…佐助稲荷って書いてありますよ!!この幟!

何か関係が?!

 

という疑問を残しつつ長谷に向かいました。

すいません…由比ヶ浜まで出るの忘れていました…

 

■ ■ ■

 

小説では訪れていないけど、会話に出て来た

・甘縄神社へ向かう

 

小説通りに

・長谷寺へ向かう

 

 

 

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