● 針 磨 橋 ●

は り す り ば し

 

江ノ電極楽寺駅を右手に、海へ向かってひたすらまっすぐ歩きます。

すると、右手にありました。

民家の中にぽつりと石碑だけなので、見落としやすいかもしれません。

わたしも、あやうく通りすぎるところでした。

もう、すっかり、そんな橋があったという痕跡もみあたりません。

小説の中で、「さっき通った場所」とタタルさんが言っていますが、この石碑のすぐ後ろを江ノ電が走っていました。

他の本には、昔この辺りに針を磨ぐ老婆(または我入道という僧の説もある)が

住んでいたために、こう名づけられたとか…。

 

■ ■ ■

 

さらに、海に向かって道を進むと、小さな踏切があり、そのすぐ横に、小さな石碑がありました。

道に斜めに電車が走っていて、そのせまい三角の場所にありました。

文字がよみ辛いと思うので、アップで

文化八年幸末  八月二十一日

とあります。

どうやら、この先にある「日蓮袈裟掛の松」をお守りする法師だったようです。

 

さて、その「日蓮袈裟掛の松」は、ここより少し先の右手にありました。

交通量が少ないのをいいことに、道路のど真ん中に出て撮影…。

 

ここは、日蓮が龍ノ口へ連れていかれるとき、自分の袈裟を掛けたといわれている松です。

近年古い松の根だけが残っていたそうですが、現在は、新しい松が植えられたとか…

…でも、でも、です!

松…松はどこにあったのでしょうか???

(T▲T)

 

■ ■ ■

 

さらに道をゆくと、左手に「十一人塚」が見えてきます。

写真右にある、鎌倉では、おなじみのスタイルの石碑です。

元弘3(1333)年、新田義貞が鎌倉攻めのとき、北条方の襲撃にあって亡くなった新田義貞の部将:館宗氏ら

11人の霊をとむらった十一面観音堂があった場所だとか。

 

中に入ると、正面にあるのが

大館宗氏主徒十一人並無縁諸精霊供養という内容の卒塔婆がありました。

この左にある小さな石碑

柵があって見えにくいですが、「新田義貞 稲村ヶ崎 古戦場入口」と書いてありました。

 

さてさて、もう、海は目の前です!

 

 

 

・稲村ヶ崎へ

 

そんなのどうでもいいから小説通りに進む

・江ノ島へ向かう(準備中)

 

 

 

 

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