● 文 覚 上 人 屋 敷 跡 ●
も ん が く し ょ う に ん や し き あ と

金沢街道東へ、荏柄天神の一ノ鳥居そば(鳥居からは鎌倉駅寄り)、滑川(なめりがわ)にかかる
大御堂橋を渡ったところに、文覚上人屋敷跡の碑が立っています。
伊豆に流され、頼朝と知りあって、源氏決起を促した…と「平家物語」は語ります。
頼朝の父の頭骨を見せ、挙兵を促したとあります。
さらに、どこかで聞いたなぁ〜と思っていたら、京都の高雄の神護寺復興にも力を注いでいます。
寿永3(1184)年に後白河法皇の勅許を得て、源頼朝の援助もあって神護寺は復興したそうです。
神護寺については、こちらで紹介しています。
「平家物語」で、少し語られていたお話です。
文覚上人は、昔武士でした。
鳥羽天皇皇女・西門院に仕えていた遠藤武者盛遠といいました。
同僚の源渡の北の方・袈裟御前に横恋慕。
袈裟御前に「夫を殺してくれたら」と言われ、夫の寝所に入り、寝ていた者の首を切ります。
ところが、その寝所に寝ていたのは、夫と入れ替わった袈裟御前だったのです。
源渡に謝罪したが、「妻が生き返るわけでない」と言われます。
夫はその菩提を弔うために出家します。文覚も懺悔のために出家したということです。
その袈裟御前の菩提を弔った「恋塚寺」というのが、京都南区鳥羽にあります。
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さて、ここから釈迦堂切通しへ向かいます。
気がいつかなかったのですが、この途中に大御堂と呼ばれる「勝長寿院跡」の碑があったそうです。
頼朝が父頼朝の供養のために建てたお寺だったとか。
室町の末期に廃絶したそうです。
● 釈 迦 堂 切 通 し ●

鎌倉七口の中で、一番好きなところです。
迫力がある岩をくりぬいた形になっています。
ここは、釈迦堂ヶ谷と言われています。
ここへくる途中にも説明書きがありました。
元仁元(1224)年11月 第三代執権北条泰時が父義時の菩提を弔うため、 ここの谷に釈迦堂を建てたことに由来しています。 その場所は未だにわからず、幻の寺といわれています。 ただそのご本尊といわれる清涼寺式釈迦如来立像(重要文化財)は、 現在、東京都目黒行人坂の大円寺にまつられています。
ちなみに、清涼寺式というのは、京都の嵐山にある「嵯峨の釈迦堂」こと「清涼寺」にある
木像の釈迦如来立像を模してできた釈迦像のことです。
左右対称の衣紋、渦巻き状の頭髪などがその特徴のようです。

現在は、通行止めになっています。
なっているのですが…ちょっと車止めを越えて中に入ってみました。
と…後ろから、2組のご夫婦がいらっしゃいまして、「大丈夫、大丈夫」と笑いながら
通りぬけていかれました…。
その時、ちょっと写ってしまったのですが、顔も判別できないし、さらに大きさの比較対照にもなるので掲載しました。
木漏れ日が、きらきらとそそぎ、すこし湿気をおびた風が、ゆるやかに吹いていました。
あまり人の手が加えられていないようで、ここちよい場所でした。
さて、金沢街道へ戻します。
ところで、先ほどの文覚上人屋敷跡の碑がから、釈迦堂切通しまでの小道を
『田楽辻子(でんがくずし)のみち』というのだそうです。

説明書きにはこうありました。
田楽師が住んでいたいたためと伝える。 辻子は通りぬけできる小道のことで、十字路を辻という。 「吾妻鏡」などの田楽にまつわる記事に基づいて現在の道すじをたどると 筋替橋(すじかえばし)を起点して、宝戒寺裏から滑川(なめりがわ)を渉り 大御堂ヶ谷・釈迦堂ヶ谷の入口をへて宅間ヶ谷に出て 六浦と合流する小路と考えられる。
さて、金沢街道に出て、道を渡ると、杉本観音があります。
● 杉 本 観 音 ( 杉 本 寺 ) ●
す ぎ も と か ん の ん ( す ぎ も と で ら )

金沢街道から見上げるように、石段が続きます。
【杉本寺】
天台宗、山号は大蔵山(たいぞうざん)。
天平6(734)年、光明皇后の命で、藤原房前と行基により創建されました。
円仁(慈覚大師)が中興開山となり、花山法皇の命で、源信が十一面観音を安置されたそうです。
観音さまが、杉の木の下に火をさけられてということから「杉の本の観音」と呼ばれるようになったとか。

境内は、なかなか広いようです。
この看板の横に小さな碑がありました。「馬頭観音」と彫られてあります。

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さて、入口で、拝観料を払い、中へ入ります。

石段の上に、仁王門があります。
受付で、運慶作だと聞きました。

山門をくぐると右手に「大蔵弁財天」があります。
詳しいことはよくわからなかったのですが、弁天様をお参りして先に進みます。

鳥居をくぐって左手に、弁財池もありました。

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門をくぐると、正面に苔むした石段が続いていますが、こちらは登ることはできません。

左手へ迂回して、石段を登ります。

のぼると茅葺の本堂があります。
本堂内は撮影禁止でしたので、ここまで…。
中には、いくつもの仏さまが並んでいらっしゃいまして、
ありがたいことに、その全てにお名前と説明書きがそえてありました。
1体1体手を合わせるのですが、こうしてお名前と説明があると、また手を合わせる心がちょっと違います。
本尊として三体の十一面観音様がいらっしゃいます。
中央と左の観音さまは、平安後期のもの。右は鎌倉中期のもの。
行基作の十一面観音は、下馬観音(げばかんのん)とも呼ばれているそうです。
信心をなくして前を通ると必ず落馬するというので、
袈裟で観音様を覆ったために覆面観音といわれ、以後落馬しなくなったのだとか。
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本堂の向かいに鐘楼があります。

鐘楼の正面に、沢山のお地蔵様が並びます。
その横には、六地蔵も並んでいました。

さらに、この隣に「熊野大権現・白山大権現」と書かれた鳥居があります。

小さな祠の裏にも祠が並びます。


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本堂の裏へも登れるようにみえるのですが、立ち入り禁止のようです。
ここらへん一帯は、杉本城跡なのだそうです。
三浦氏一族の杉本義宗が築いたといわれ、南北朝時代の戦乱にも利用されたとかで
山城のあとが一部にみられるとか。
さて、杉本寺の本堂でご朱印をいただいて、お寺をあとにします。
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この先は、金沢街道を東へ向かい、「浄妙寺」へ向かおうと思います。