● 五 大 堂 明 王 院 ●

ご だ い ど う み ょ う お う い ん

 

金沢街道を、さらに朝比奈方面へ向かい、右手の滑川にかかる明王橋を渡ると

五大堂明王院があります。

写真、奥に見えるのがそうなのですが、手前の石碑を一緒に納めたかったので、こんな遠くになってしまいました。

近づくと、こんな感じ。

こういう門は、冠木門(かぶきもん)というそうです。

飯盛山五大堂明王院。古義真言宗のお寺で、開山は別当定豪律師。京都の東寺より迎えた開山としたそうです。

本尊は、五大不動明王。

将軍藤原頼経公が鬼門除けのお寺として、寛喜3(1231)年に建立したため

その年号から「寛喜寺」とも言ったそうです。

由緒書きには、京都仁和寺末で「鬼門除け不動」といわれています。とありました。

 

中に入ると、正面に本堂があります。

茅葺の趣きのある感じが素敵です。正面は、蔀戸が入っていて、いかにも武家のお寺さんって感じです。

堂内は、見ることはできませんでしたが、

本尊の不動明王をはじめ、降三世明王、大威徳明王、金剛夜叉明王、軍茶利明王の五大明王がいらっしゃるとのこと。

 

この茅葺の本堂脇には、小さな祠がありました…伏見稲荷のお札が置いてありました。

そこに、小さい秋をみつけました。

茅葺のお屋根と柿の色が、とても綺麗でした。

 

その近くに「一願水掛不動尊」がありました。

 

さて、こちらでは「倶利伽羅守り」というお守りが売られています。

3千円と、少しお値段がします…。

不動明王は、難敵や、災難に遭遇すると、剣に巻きつく竜の姿「倶利伽羅竜」に変身して

 それらを打ち払うというのです。

その竜の形をしたお守りで、厄災から守ってくれるそうです。

紅蓮の炎を背負ったお不動さん、剣に巻きつく竜=倶利伽羅竜に化身する…

ちょっと気になるお話です。

 

そんなことを思いながら、明王院を後にします。

 

明王院を出て、先ほどの石碑を右に曲がってゆきます。

● 梶 原 景 時 邸 跡 ●

か じ わ ら か げ と き や し き あ と

 

「遥かなる時空の中で3」で登場する、景時の邸跡は、この場所だと思います。

しばらく進むと、大きなくじらのモニュメントがあるお家があります。

これが、かなり目立ちますので、これをめやすに歩くと間違いないと思います。

さらに奥に進みますと…

Σ( ̄■ ̄;

つきあたりです!トラックとかがあって、工事現場っぽいです…。

つきあたり…ということは、このあたりが邸跡になるでしょうが…

それらしい説明書きなどもありませんでした…。

鎌倉で見かけるあの黒い石碑もありません…景時…嫌われてるのかなぁ…。

 

手前に、井戸らしきものを発見しました。

景時の邸にあった井戸だといいなぁ…と思いながらシャッターを押してみました。

その横に、ちょこんと小さな祠もあります。

これも、何か関係があるといいなぁ…と…。

 

邸跡らしいものがまったく見当たらず…しょんぼりしながら、金沢街道まで戻ります。

 

金沢街道を渡って少し行ったところに、見慣れた黒い石碑がありました。

 

● 大 江 広 元 邸 跡 ●

お お え ひ ろ も と や し き あ と

大江広元のお墓は、頼朝さんのお墓のそばにあります。こちらにお邸があったのですね。

大江広元は、もともと京都のお公家さんです。

頼朝に呼ばれて鎌倉にきたそうです。幕府を築いたあと、いろいろ政務を助けて欲しかったのでしょうね。

公文所の別当として、頼朝の信頼も厚かったとききます。

でも、のちに北条独裁体制を作った人でもあり、戦国時代の毛利家の始祖でもあります。

義経が、腰越状を書いて、大江広元にたくして、頼朝に渡してもらった…という話もあります。

…いろいろとうさんくさい人かもしれません…

 

さて、そのまま朝比奈に向かって進むと「光触寺」があります。

それは、次のページにて

 

「光触寺」へ(準備中)