● 聖 天 院 ●
し ょ う で ん い ん
高麗山聖天院勝楽寺と号し、約1200年前、この土地に高麗郡を作った高麗王若光を始め
高麗一族の菩提寺として建立されたものだそうです。
天平勝宝3(751)年に、侍念僧勝楽上人により創建。
若光の守護仏聖天尊を本尊として600年間法相宗だったそうですが、貞和元(1345)年に
中興秀海上人にt¥よって、真言宗に改宗されたそうです。

こちらは、受付の前にあった案内板を撮影したものです。
撮影箇所を、青でマーキングしてみました。
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道を歩いていると、ようやく見えて来ました。

手前の赤い橋には「聖天橋」と書いてありました。

菩提寺なので、鳥居はありませんが、面白い柱が二本立っていました。

これは、韓国の民族信仰で魔除けの意味があるそうで「将軍標」というそうです。
日本の鳥居も、もともとは男柱と女柱だったというのをきいたことがあります。
その間にしめ縄をはってあったものが鳥居の原型で、神柱となった者は生贄の男女だったとか。
向かって右が男、左が女で、陰と陽で対になり、結界を作るというものでしたから、
きっと同じ意味なのかもしれないなぁと思って見ていました。
でも、左右逆ですね、こちらは…(^^;
しかも神社じゃないので、あまり関係ないかもしれませんが、もともとそういったものも朝鮮半島から
渡ってきたものだとしたら、まったく関係ないとも言えないかもなぁ〜と思いまして書いてみました。
ですが、この高麗の地域には、この「将軍標」をよくみかけました。
高麗駅にも、しっかり立ってましたら。
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【高麗王若光】
高句麗からの渡来人。
日本に来たのは「日本書記」によると天地天皇5(666)年10月だそうです。
高句麗から使わされた使節の中に「二位玄武若光」という名前があり、それが高麗王若光だろうと推測されるのだそうです。
「続日本記」には、大宝3(703)年3月「従五位下の若光に王(こしき)の姓(かばね)を賜う」とあり
姓は、大和朝廷が家柄を授ける称号のことで、「王(こしき)」とは外国の王族出身者にあたえられるものだそうです。
その後、大和朝廷は霊亀2(716)年5月に高句麗人を武蔵国に移し「高麗郡」を創設。
この郡の長官に任命されたのが高麗王若光だったそうです。
さて、入り口に入ると塀にこんなものが付いてました。これが高麗王若光の紋なのでしょか?

この門をくぐると、小さな池があり、その中央にかかる橋を渡り進みます。
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中央の小さな橋を渡ると、楼門に出会います。

雷紋と書いた提灯がぶら下がっています。浅草と同じでしょうか?

その左右には、「風神」「雷神」様がいらっしゃいました。
門に向かって、左に「雷神」、右に「風神」。

柵の間から失礼して撮影しました。もともとは金色だったようです。お顔が南国っぽいです。
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その横に像が立っていました。

足元の方に、「南無大師遍照金剛」と書いてありました。
弘法大師様だったのです。真言宗だとは、このあとチケットの裏を読んで知りました(^^;
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門をくぐります。

階段の左右に仏様がならんで、さらにその左右に「馬頭観世音」と彫られた石碑が立っています。
あまり写りがよくにのと、写真ばかりが増えるので、削除してしまいますが、ご了承ください。
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石段を登ると、受付があります。
大人お一人300円です。
武蔵野26番札所という表示があったので、御朱印をいただこうかと思ったのですが
その表示を眺めていたら、受付から顔を出して何をしてるのかとか
一人で来たのかとか、御朱印のことを聞こうとしたのに、なんだかものすごく感じ悪かったので
そのままお金払って入りました。
一人で来たらあかんのですか?!ものすごい不審者扱いですよ!
払わずに帰ろうかと思いました…。
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とりあえす、手を洗って中に入ります。蛙の親子と龍です。

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入って正面に庭園がありました。

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この庭園に、巾着田では、間近で見られなかった白い曼珠沙華に出会えました。
ここには、赤い曼珠沙華はありません。白いのばかりでした。

その横にこんな石碑もありました

梵字で観音様をあらわす「サ」と書いてあると思います。先ほど入り口で左右に「馬頭観世音」とありましたから…。
でも、この梵字の下にも彫りものがあったんですよ…でも、全然わからないです(><)
写真だと、全然写ってないのです。パソコンでいろいろ加工してみたのですが、
あまり浮いてきてくれないのでそのままアップしました。
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左には、書院・庫裡(くり)と書いてありましたが、中には入れませんでした。

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入って向かって左に「阿弥陀堂」があります。
足利時代のものだそうです。(チケットより)

撮影禁止とか書いてなかったので、撮影しました。フラッシュなしなので、阿弥陀様には影響はないかと…

お堂の隣に「阿弥陀堂改修」と書いてありました。本当に堀が浅いです…(T-T)写真じゃ見えない〜

この碑と、お堂の間から、パンダの石像が見えたので入ってみました。

風車とかあるので、水子供養なのでしょうか?でも何故パンダなのでしょうか???
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上の写真で、後ろに見える石段です。

ここを登ると、本殿です。
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本堂です。

階段を上がると、広〜い空間がひろがっています。
その中央に本堂があります。
とても新しい感じでした。本殿の左脇に修復の碑がありました。
平成12(2000)年に7年の歳月をかけて新本堂が落成したとチケットに書いてありました。とても立派です。
全体的に新しい感じかするのは、こうして修復していったためのようです。
旧本堂はどこにあったのでしょうか?見つけられませんでした。
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お参りします。

ご本尊は、胎内仏弘法大師御作の不動尊だそうです。
ズームでちかよったのですが、暗くて遠くてピントが合わず、これが限界となりました。
もともとの聖天尊は、別壇に祀られているそうです。
横に、もうひとつそれらしい壇があったのですが、こちらからは見ることができませんでした。
もしかしたら、あれが聖天尊だったのかもしれませんね…。
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本堂の右側に「雪山」がありました。
これは、造成時に出現した石灰岩だそうです。

近づいてみました。

石灰岩の中にお不動さんがいらっしゃいました。
何故ここにいらっしゃるのかはわからなかいのですが…
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本堂の左、ここに上がってきた階段の正面に、数段の石段があります。
その階段を上ると、右手にこんな」石像がありました。

階段を上がって右には、鐘楼。
上がってすぐに撮影すると、バランスよく撮影ができなかったので
すこし進んで、振り返って撮影しました。

鐘をつきたい方は、受付で100円お支払いください。と書いてありました。
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さらに奥に進むと「在日韓民族無縁慰霊塔」があります。
先ほどの本堂と同じ時期に、在日有志の厚志により完成したそうです。
全景を撮影してみました。

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ここに来て、右手山際に、大きな石像がいくつか並んでいたのですが、
写真ばっかりなってしまうので今回削除しました。すいません。

かなり高い塔です。
手前に札が立っていました。
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塔に向かって左に、廟があったのですが、ここに近づくのを忘れていました…
ですから詳しくはわかりません。すいません。

何故忘れていたかともうしますと…塔の階段を上り、そのまま左に行ってしまったのです。
こんな「壇君始祖」という小さな看板みつけてしまって…
ここに来た人で、わたしがうろうろしてる間、これに気がついてる人はいませんでした。
もう、すごい寂しげなとこにあります。

階段もなんか漠然としています。まだこれから造っていく場所という感じがしました。
でも、登ります。…このとき、自分の膝が笑いはじめているのに気がつきました…。
さて、だんだん見えて来ました。

狛犬のように、左右にいる獅子が、ちょっとかわいかったので、大きく撮影しました。
狛犬のように、ちゃんと阿吽になっています。

中央の像です。

台座に書いてあることを書き写しました。
【壇君】
壇君王検 又は 壇雄天王とも言われる壇君は
西暦前2333年 朝鮮を建国した始祖で 今も国民的崇拝を受けている。
終戦後 建国日である 10月3日を開天節とし
国慶日に制定した。 1961年迄は 壇君年号を 使用していた。
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壇君始祖の像を後におりると、先ほどの塔の後ろを通ってもと来た場所にもどることができるようになっていました。
そのまま、もと来た道を帰ります。
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受付を出たとこで撮影しました。
この門をそのまま出ないで写真に向かって左に向かいます。
そこに高麗王廟があります。

左には「高句麗若光王陵」とあります。
左右にいるのは、羊でしょうか?山羊でしょうか?

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このままここを右にぬけていくと「高麗王ノ池」がありました。

そして、このまま外の駐車場へ出られました。
さて、さて、道を進んで「高麗神社」に向かいます。
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